18-11. なろう祇魂学をひろめよう! 預言者と予言者は違う!神は三角形でもあり、円なのだ
18-11. なろう祇魂学をひろめよう! 預言者と予言者は違う!神は三角形でもあり、円なのだ
キリスト教では、イエスは預言者である。
イスラム教では、ノア、アブラハム、モーセ、ナザレ、ムハンマド等多数いる。
預言者と予言者は よげんしゃ で呼び方は同じだが、意味が全然違う。
予言とは「予め言っておく」という意味を持っている。
預言とは「預かった言葉を言う」という意味を持っている。
未来を予測して「明日は雨が降るだろう」というのが予言者。(お天気ニュースは見ない)
「神は言っている、ここで死ぬ定めではないと」という奴が預言者。
神様が言った言葉を、特定の人が受け取って、それを一般人にそのまま伝言ゲームするのである。
聖書のベースは、預言者の言い伝えを言葉ではなく書物として残し広めるために書いたものだ。
言い伝えを記したものが聖書であり、宗教における必須のものと言える。
さて、なろう祇霊教における聖書はなにか?
聖書はこれからみんなから集める、というのが現段階であろう。
紀元前BCからADに切り替わったキリストの誕生年の時点では、キリスト教も聖書もなかっただろう。
キリストがはりつけで亡くなった後、従者が言葉を聖書に残したことで広まったのだ。
キリスト自体は神ではなく、神の言葉を受けた預言者であり、神→キリスト→従者→聖書→教徒と伝言ゲーム…いや書物ゲームが伝わった。
つまり、預言者がいて、そのあと預言が集まり、聖書にまとめられるという段取りが必ず起きる。
これはイスラム教でも、ヒンドゥー教でも仏教でも同じ流れなのだ。
全く新しい概念の宗教=死生観が生まれる時は、過去の前例と同じ経路をたどるであろう。
よく言われる新興宗教やカルトでは、既存宗教をベースに派生し、
「我こそはキリストの真の預言を継いだ、正当な継承者である!!!世界は滅びる!」
として既存聖書をベースに派生させる方法が多い。このほうが信憑性が上がり、一から作る手間が省けるからだ。粗や矛盾が多い、新規聖書なんて胡散臭くて誰も信じないからね。
自分が直感と夢からきた神の預言はこうだ。
霊界があり、それらを瞑想・直感・夢を経由して空の叡智の情報を参照できる。
進撃の巨人のように、エルディア人=巨人の血を継ぐ民は一つの道=叡智につながっていて誰でもアクセスできる。
しかし、肉体の霊感や付属の魂の経験によって霊導率が大きく異なる。
例えるなら、ラジオの電波は常に受けられるが、受信する部品の精度の良し悪しで聞ける難易度が異なる。
コイルの巻きが少なければ、弱小電波は拾えないし、周波数の調整が荒ければ聞く人は慎重に操作しないと聞けないのだ。
人の魂と肉体であれば、その人の事前に入っている脳の情報にも大きく左右される。
神という言葉を聞いて、キリスト教徒で育った子供なら一発でイメージできるだろう。アフリカの奥地の民族で神という言葉を聞くと様々な違いに気づくだろう。神という概念は時代と地域、しいては教育という環境によって異なるのだ。
本来の神と死生観の仕組みがあったとしても、それを受信する預言者の先入観が混ざってしまうとズレてしまう。
プラトンが言っていたイデア(概念)に近いかもしれない。本来の意味そのものはあるが、この地球の3次元においては明かりに映った影の一つであると。
預言者一人一人には違った角度から映された影を聖書に残す。
円錐を思い浮かべてほしい。
キリスト教のイエスが真横から明かりをつけて壁を見れば、神は三角形だと言い伝える。
イスラム教のムハンマドが真上から明かりをを付けて足元を見れば、神は丸だと言い伝える。
本来の概念は、円錐という形である。
しかし、地球3次元は影に映った模様であり、言葉では「円錐」の概念は言い伝えられない。
死後の世界、霊界=空にいる魂は円錐の概念を見て伝えることができる。我々3次元の世界では、神は三角形でもあり、円なのだ。
自分の感覚では、神は髭をはやしたマッチョなおっさんゼウスでもなく、目をつぶって数珠を首にかけてヨガっぽい姿勢のブッダでもない。
ホモサピエンス族全てが持つ、影の投影を現代科学の機材を結集して統計すべきだと考える。AIで分析して、円と三角形と上△と下半円を何億と集めて「神は円錐」にたどり着くのだ。
だから、この世界の創造主という概念はあるが、性格とか見た目とかは各自に任せるのだ。
要は、各宗教の神の概念は自由なのだ。死生観だけ追加で共有する新しい宗教が日本で生まれ、世界に広まる。
それが自分が受けた預言であり、予言だ。