18-7. なろう祇魂学をひろめよう! 霊感が強い人が能力を私利私欲に使った事で今に至る
18-7. なろう祇魂学をひろめよう! 霊感が強い人が能力を私利私欲に使った事で今に至る
スピリチュアル系の本を最近色々読んでいて気づいたことがある。
有名な人の得意な感性や特徴を、スピリチュアル上のすごい人=霊感が強い人を持って褒め、その結果大成を成した。
現代の霊能力者は大成した人を漏れなく霊感の強い人として評価している。ほとんどである。
千利休や信長など、戦国時代に生き残った有名人が漏れなく霊感が強いって…正直、売名のため、愛国心をくすぐって評価されたいという「売れたい嘘」に思えてきたのだ。
昔は病気や、暗殺、不意の事故で死ぬことが多く、霊感が強く世界を変える人がいたとしても100%成して歴史に載るわけではない。でも、彼らが書く内容は「成功した霊界に強い人」だけなのだ。
ならば、霊感がとても強くて大成できる器だったのに、不慮の何かで耐えてしまった青年の話はできないのだろうか?その村に行って、残った遺留品と霊能力で見たモノをつなげてみてはどうだろうか?
それをせず、利休は霊能力があり「わびさび」の茶碗にはエネルギーがあり、戦人にはそのわびさび茶碗のエネルギーが癒しになった、と。
こんな都合のよすぎるなろう展開は、すでに小説にありそうな話である。
霊感が強い人が能力を私利私欲に使った事で今に至る
これはビジネスであり、生きていくうえで霊感の能力をフル活用した結果が金稼ぎになるのだ。霊的エネルギーを使って人を幸せにして、対価として金を貰う。これ自体は良い事である。
しかし、その霊感ビジネスを「持っていないひとが便乗して稼ごうとうする」のである。
人を煽り、おだて、将来のバラ色の未来を言ってあげれば、数万円払って満足して帰っていくのである。
結果、今の占いビジネスは一種のアミューズメントになってしまった。本当に霊感のある人が低賃金で奉仕活動していても、埋もれてしまうのだ。
本当に霊感で答えを出すよりも、悩んでいる相談者を納得させる口説きのほうが 価値がある のである。
それを是正したいがために、このエッセイを残した。