14-9 「俺やっちゃいました? がやらないモヤモヤ」 鈍感主人公が日本で量産されるワケ
14-9 「俺やっちゃいました? がやらないモヤモヤ」 鈍感主人公が日本で量産されるワケ
なろう転生して外れスキルを引いた主人公が、魔法ぶっ放して「あれ、俺やっちゃいました?」するあの展開である。
一方、女性からハーレム状態になり、求愛のシグナルが出ているにも関わらずギリギリで気づかない(気づいていてもあえて進まない)展開は多い。モノによって、お互いが認め合っている状態で、偶然他の人が入っている事か電話が鳴りだすのである。
これは少年誌にも多くあり、好意から告白まではドキドキ感があるが、一度告白して通ってしまえばその先は別の展開が必要なり、人気が落ちることが多い。同じように、好意と告白まできても、初めて の行為までじらす事が多い。藍より青しという好きな漫画はその典型で、最終までギリギリを貫いた。
これも一種の売り上げや人気のための引き延ばし行為である。人気シリーズものを終わらせて新規漫画でまた人気が出るとは限らない。だから、作者は終わらせたくても、編集者が終わらせないようにギリギリを続けるケースがあるのだ。
日本人ですら、「ここまで鈍感な主人公はさすがに知能障害で萎える」と思うストーリーは、海外から見たらどう思われるだろうか。
「彼女の好意を無下にするな。キスして押し倒せ」である
告白して受け入れる、行為するという大きな境界線を持たせてドキドキさせるのは割と日本特有であり、海外アメリカなどではそのボーダーはあまり大きくはない。
出会い興味を持ち、恋人になり愛を確かめ合い、結婚して子を育てる。このサイクルが食事や息をするように生活に馴染んでいる国民性からすれば、この異質な寸止め展開は一種の「ニンジャー!」な日本文化として見ているだろう。(差別やロリに関する規制は日本よりも非常に厳しい所はある)
「振られるのが怖いから、確信できるまで告らない」「いわれるのをただ待つ」という受け身心理と「一緒に居たいから気持ちをそのまま伝える」「ダメなら次を探す」という攻め手心理の違いだ。
自分は、これらの心理が少年誌規制によるギリギリ気づかない文化が浸透した影響とも考えている。
次に、日本の特有の「察して文化」である。直接口から好きと言わずに、「今日は月がキレイですね」のように変えたり、所作でアピールするのが一種の美徳と考えているからだ。
京都では「お子さんのピアノ上手ですなぁ」を言われたら、「ピアノうっせぇからやめろ!」という謎の察して文化がある。こんな表現と伝え方が育った日本では、彼氏彼女は半信半疑になってしまうので鼻だろうか。
それに直接言葉に出さなくても、相思相愛で分かるならそれでよいのではないかと思う。
リアルで気づかない人はまずいないだろう。あくまでも漫画小説アニメの展開と割り切って読み進めよう。なろう小説ではあえて「気づかない主人公のアンチテーゼ」として好き放題やるものもある。
日本特有の鈍感主人公まとめ
①告白と初行為までのドキドキが売れる国民性
②直接口に出さない察して文化で半信半疑
③作者や編集者が多く稼ぐためのお約束として割り切ろう