14-8 「モザイクは電子絵に夢を見せたか?」 日本のモザイク規制が萌えを発展させた
14-8 「モザイクは電子絵に夢を見せたか?」 日本のモザイク規制が萌えを発展させた
ポリコレ棒による最近の殴打によって、男女対等、肌の色対等の声が上がっている。
日本では当たり前だが、黒人を登場キャラの半分にする気はないし、男女比率を1:1にすることはない。
だが日本で唯一、他国よりも強い表現の縛りを作った。
それが「モザイク規制」である
ネットでAVやエロ漫画で検索すれば、子供でもモザイクなしでああいうのが見れる時代である。もうモザイクなんて古い!もう規制を外してしまえ!と思う人はいるかもしれない。
元々、なぜモザイクが必要になったのか。それは公衆の面前で卑猥なものを見せつける罪として規制したのだ。青少年に悪影響を与えるとか細かいことはあるが、要は露出狂が夜な夜な女性の前でバッ!と見せるのはNGということだ。
露出狂でも、ちゃんと下部を隠してバッ!すれば法的にはOKなのだ。同じように、今の漫画でも卑猥物をモザイクで隠すことで、正当に販売して稼ぐことができる。
海外、特にアメリカでは無修正(というかそれが当たり前)が普通であり、昔の2時間の映画でも平然とセックスシーンがあるのだ。衣食住に性というのが密接につながっていて、自然体だと思っている。
一方に日本はモザイク規制によって、あらゆる動画や漫画でモザイクや黒線が入るようになった。客観的に見れば、焚書坑儒(昔の書を悪として燃やす)に近いのではないだろうか。
もしアメリカと同じでモザイク規制がなければ、お気に入りのあの本が無修正で見れたのではないか。モザイクを後からかけるのは簡単だが、かかった者を戻すのは難しい。一種の情報の破壊をしたモザイク規制は悪なのか?
「モザイクは電子絵に夢を見せたか?」
答えはNoだと断言する。人はエロの探求には命を費やす。正確には、需要のある稼げるエロに作家は研究するのだ。
アメリカの無修正AVは、見ての通りの行為であり、それで完結している。一方モザイク規制のある日本は、捕まりたくないので仕方なくモザイクを入れて販売した。
消費者の感覚ではモザイクのない無修正を好むだろう。でもモザイク規制のある日本では、それが当たり前であるため「モザイクあり→無修正」という上下関係を意識し、海外AVを密輸入するといったことや、モザイクを解除する業者が現れた。
マンガ界隈では矢吹健太朗氏が手を変え品を変え、少年枠の規制枠でいかに「見せるか」を追求した。時には本の次ページと重ねて胸表現したり、目の瞳にアレを書いて誤魔化したりである。
このエロに対する探求心と切磋琢磨は規制なしのアメリカでは生まれなかった技術である。
モザイク規制による脱法技術の研究は、他の規制と何が違うのか?
①モザイク規制 エロ規制ある少年枠でギリギリ表現を探求する →評判になり売れる。失敗すると回収
②独裁政権による国家転覆ストーリー規制 転覆小説を書いてもまず売れない(国民にその需要がない)→見つかったら作者が物理消去
人が探求する、承認欲や金銭欲をかなえるための脱法エロ研究と、メリットの少ない独裁規制だ。
最近、ソシャゲのウマ娘が売れて同人界隈はその禁忌のエロにどう立ち向かうかの状況になっている。
エロ需要あるウマ娘を書けばツイッターで評判になり、Fanzaの同人本が売れて稼げる。だが、馬主が望まない印象を悪くする表現をすると訴えられて破滅する。①のメリットと②のデメリットが共存しているギリギリの判断であろう。
より表現規制がない国が今後、小説アニメ漫画で発展する。という前提があるが、今回のように規制をかけたからこそ、稼ぐために脱法研究するいたちごっこが発生し、新しい技法が生まれる。
少年誌(表現規制大) → 青年誌(表現規制小:モザイクのみ) → 海外無修正
この3つのヒエラルキーで市場があり、矢印の箇所でぎりぎりエロの切磋琢磨がおきる。少年が買える少年誌でより大きなエロを見たい! 大人が買える日本産AVでよりモザイクの小さい動画を見たい! となる。
海外無修正には、それより上の市場がないためエロの研究はその市場の中での差別化になる。
日本のモザイクメリット まとめ
①モザイク規制は、露出狂のバッ!の卑猥物陳列罪に近い
②少年誌(表現規制大) → 青年誌 → 海外無修正 で矢印にエロ探求需要がある
③作者にメリットのある規制は、競争を生み、結果発展する
 




