13-6. 宗教に染まらず天地の経験を受け入れたこと③ 男女対等で滅びる映画業界
13-6. 宗教に染まらず天地の経験を受け入れたこと③ 男女対等で滅びる映画業界
男女差別、肌の色差別、民族差別、ポリコレ。
不当な差別をなくすことは自分も望むが、効率や実績による区別、適材適所による配分は差別ではないと思っている。
男女のバランスや白人黒人バランスを合わせ、批判されないような平和な内容に変えた結果、あたりさわりもない無味無臭な映画になった。
結果売れず、制作陣を大量に解雇して事業が縮小した。この展開を我々は望むだろうか。
最近叫ばれている差別をなくすという大義名分が、映画だからできる「惨劇の展開」を縛ることになってしまった。
18歳未満の絵やアニメを出すと現実を区別できない人が犯罪を起こすから、法律で禁止する。モザイクを入れないAVは犯罪。などなど。
モザイクは「刑法175条 わいせつ物頒布等の罪」によるものだが、海外無修正が当たり前の今、青少年の犯罪云々よりも、モザイク利権(作る人と検査する人の仕事)や一種の想像力と独自性によるものだろう。モザイク=日本産=品質保証という良くわからないモザイク評価となっている。
さて、これらの国による制約、差別糾弾によるマイルド補正などが広まるとこの先どうなるだろうか?
表現の自由が亡くなって滅びる
異常な性表現、過剰なグロ表現、やりすぎた人権侵害はダメである。しかし、実際に起きた事ではなく空想の話で差別を持ち込むのは表現の自由として守るべきだと思う。
ボクシングは、犯罪の暴力行為を唯一OKとして本気の殴り合いを見たい人に向けたエンターテイメントである。殺人が犯罪だからと、映画で発砲を世界で禁止したら面白くなくなってしまうでろう。
実際に起きていない空想だからこそできる、痛快さが映画やアニメの魅力なのだ。それを今の男女平等、BLMが違った方向に走ってしまうのは悲しい現実である。