近衛という男2
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奥殿・魔王の社殿
「天使を逃がせ、と?」
「はい」
刀での一手を入れる事はかなわなかったものの、口では味のある返しをしたとして
魔王は朝餉まで支度の間、近衛の進言を許した。
だが、その内容を聞いた魔王は不快そうに目を細める。
「そんなことを俺が了承するとでも思うのか?」
「………どうか、お聞き入れくだされば、と」
ひれ伏して願う近衛を、魔王は鼻でふん、と一蹴した。
蔑むように見下ろしていた魔王だったが、しばらくすると、ククと笑い出した。
「魔王陛下?」
「何。先ほどの手合わせも重なって、お前が俺に忠誠を誓った日を思い出してな」
「……もう、ずいぶんと昔の話でございます」
「あの日もお前はそうして頭をたれていた。お前は覚えているのか? 何故、俺に頭を下げたのか」
「……忘れた日などございません」
近衛もまた、思い出す。
魔王に忠誠を誓った日。
その日、近衛は 無力を嘆き、力を望み、願ったのだ。
異国で生まれ育った一人の人間が、人生の何もかもを全て塗り替えたあの日を――忘れることなどありえない。
「…魔王陛下は、他に代えることの出来ないものを与えてくださいました。あのままでは、ただ、死ぬしかなかった自分に」
「ああ、そうだろう。俺がお前に与えたものは、お前の一生よりも価値があると お前自身が言っていた」
「今となっては、心より御仕えさせて頂いております。この身は魔王陛下への恩義を忘れは致しません」
「ならばそんなお前が、天使を逃がせだなどと 俺に乞い願える立場かどうかも考えるがよい」
「それ……は…」
「くく。わかったら下がれ。お前は俺の忠臣だ… そうだろう?」
「勿論でございます! ですがこれは魔王陛下の御為にも――
「俺の為?」
「……驕るな、近衛」
「っ」
「自分の力で大切なものを守ることも出来ない者が、力を貸した者の身の為を語るなど。百年早い」
「……っ」
すっかり黙り込んだ近衛に、魔王は気を良くしていた。
身支度もすっかり整ったのを確認すると、自らの座へ座り込んで扇を広げ、くつろぎはじめる。
「クク…故郷が恋しくなったのならば、帰っても構わぬぞ。今のお前ならば、守れるものも増えているかも知れぬ」
「いいえ、魔王陛下。今の自分にとって、守るべきものは只一つだけ――」
「あの日、魔王陛下と交わした約束のみで御座います」
「約束… 約束、ねぇ」
魔王はそう言いながら、傍の錫杖立に飾られていた錫杖を、扇で弄んでいた。
コロン、シャラランと、鈴と金環が揺すられて重なり、響く。
「随分と、派手で豪勢な約束だな… くく。くくく…」
「…………」