魔王と近衛2
「おい」
「!」
思考にふけっていたらしい。魔王が胡乱な瞳で見つめてくる。
「なにを呆けている? 用が済んだなら下がれ、近衛」
「これは申し訳ありません、魔王陛下。少々思い出した事がありまして…」
「思い出したことだと?」
院からの忠言をそのまま伝えるわけにはいかず
姿勢を正すふりをして時間を稼ぐ。
思い出した言葉のおかげで、今の自分のなすべき事が間違いではないと確信できた。
清浄の森への視察。
そんなものを勧められるのは、確かに自分しかいない。
胸に引っかかるものもあったが、それが魔王の為に必要だというのならば厭わない。
(清浄の森か…。何か若君の興味をそそるようなものがあれば。あそこは、確か…)
ふと下男たちの間で騒がれていた噂話を思い出し、利用する手を思いついた。
近衛は軽く咳払いして、焦れた様子の魔王に進言する。
「清浄の森といえば、先日『天空より梯子の降りたるを見た』という報告があがっております」
「梯子だと? 何のことだ」
「おそらく、光の射さぬこの領地で、なんらかの天候異常により光が射したものかと」
「ふん。たかだか光が射し込んだくらいで、大げさな」
「ですが、その光の射した位置というのが清浄の森の方角。天よりの光は、森の植物に影響を与えると…まことしやかに囁かれておるのです」
「ほう? 影響とはどのようなものだ」
「光を浴びた植物は、魔素ではなく浄気を吐くようになる、と…。そして浄気を吸った植物もまた、浄気を…」
「俺の領地内で、浄気を吐く植物が大量に発生すると?」
「はい。もしもこれが真実なれば、重大な汚染の可能性が。確認の必要があるかと思われます」
「…ちっ。そんなものがあってたまるか。仕方あるまい、仕度を整えろ」
「ははっ」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
―――清浄の森
元はといえば魔王が面倒くさがったのが大きな理由ではあるが、
それでも仰々しい隊列は組まずに視察へ来たのは正解だった。
騎馬で草木を踏み分けて進んではいるが、苔生した土のあちらこちらに倒木が転がっている。荷運びの従者ですら邪魔になるからと、森を少し入ったところで待たせている。
「“清浄の森”とはよく言ったものだな。鬱蒼としていて、まるきり迷い路だ」
「ですが本当に、魔素が薄い場所です。っと……」
「若君、あちらに開けた場所がありそうです。少し、馬を休めましょう」
「開けた場所……? ほう。これは、不自然な」
「不自然でしょうか?」
「相変わらず愚鈍だな、近衛。…太刀を抜け、そちらは妙な気配があるぞ」
「!?」
魔王はそういうやいなや、するりと馬を降りた。
近衛もそれに倣い、腰元の太刀を引き抜きながら奥へと歩んでいく。
敵襲に備えて警戒した近衛だったが――
「……これ、は…?」
「なっ!? まさか…!?」
そこに居たのは、天使だった。
「は、はは…… なんてことだ。魔王の領地で、天使がうたたねをしておる」
「まさか…! 天空からの梯子は、本当に『天使の梯子』だったとでも…!?」
「ん……う」
「ほう? 生きているか」
「! 若君、危険です! 天使の持つ浄気は、魔素を源とするその御身には強すぎます! これでは自分も……」
「ふん…。この程度の浄気、触れられぬなどということはない。まあ、こちらが触れた瞬間にその天使は 魔素にあてられ息絶えるかも知れぬな。……では、こうしてしまえばよいだろう」
チャキッ、シュパ。
刀を指先に滑らせ、その刀身に僅かな血を乗せる。
魔王がその刀を真一文字に振り切ると、血は意思を持ったかのように五角を描き飛散した。
僅かに光ったその瞬間、天使の周囲に“薄い膜”が張られるのを視認する。
「簡易結界だ。術法の類を忌避するものだが、浄気と魔素の交わるのも防ぐだろう。……お前も少しは楽になっただろう?」
「あ、ありがとうござい…
「ん。あ……」
「! 目覚めた!?」
「ふむ。結界によって、こいつも魔素の苦しみから解放されたか」
「……? あれ… 私…?」
「……真白の…翼…」
「ほう! これは…」
「………ここは…?」
「なんと美しく…稀有な生き物よ」
「気に入った。俺が、飼おう」
――回想終了――