怖ろしい者と、儚い者と
「天使!!」グルルル…
「なんと!! 天使じゃと!? 道理で忌々しい筈じゃ!!」ビタン!!
「お聞かせくださいませ、魔王陛下……」
「ふむ。年の功とは伊達ではないな、その通りだ」クク
「やはり…。何故このような事を」
「先程言ったとおり、皆に紹介しようとおもってな」
「なんということじゃ! 魔の領地、それも正殿に天使を運び込むですと!? 前代未聞ですぞ!」
「結界によって聖気は封じ込めてある。この者、今は普通の魔物の女子供よりも弱く儚い。ただの愛玩動物と変わらぬよ」
「魔王サマ。御簾車の中、見せていただきたイ。匂いしないト、よくわからなイ」
「ああ、いいだろう。 ……近衛」
「……は」
近衛が御簾へと歩み寄ると、獣王は静かにその場を退いた。
魔王の居る御帳台の傍へ寄り、警戒の姿勢で御簾車を見つめる。
近衛の挙動を誰しもが見つめていた。
張り詰めた空気のせいだろうか、近衛の手元は僅かに躊躇した後…ゆっくりと、御簾を上げた。
御簾が開かれたとき、天使の瞳には何がどう写ったのだろう。
それぞれの臣下たちの付き添いも含めれば、その数は数十にもなるであろう。
“人ならざらぬ者達”の特徴的な瞳。その視線のすべてが、一斉に天使を貫いていたのだから。
「や、いや… ま、魔物がこんなに・・・!」
顔を真蒼にし、ただでさえ白い肌からさらに血の気を失わせる天使。
怯え、羽を小さくして尻を付き、蹲って頭を抱え込む。
「いや、いやあああ!!!」
「天使――」
近衛はそんな天使を見かねて、心配の顔立ちを隠せぬまま、その腕を差し出してしまいそうになるのを、ぐっとこらえた。
「いや! いや!!! やめて、お願い! 私を出して! もう逃がしてくださいっっ!!」
「――…っ」
ギリ、と奥歯を噛み締めて手を出さぬように俯くしかできない近衛。
半狂乱の様子で、結界の中で羽を散らせる天使。
魔王はスノーボールのようなそれに見惚れながらも、天使の声に耳を傾けていた。
「ふふ。愛玩動物……というよりも。いまとなっては“哀願”動物にまで堕ちたようだ」
「その者を…… 一体、どうなさるおつもりなのです?」 とは亀姫の問い。
「危ないものなラ、見せしめテ、殺ス。命乞いハ、関係なイ」
獣王はフンと息をつき、匂いのしない獲物を前に興味なさげに言い捨てた。
「この結界の中に閉じ込めておく限り、お前たちに危険は無い。そしてお前らも、こいつに手を出すことは出来まい…クク」
「ええい、埒が明かぬ!! ならば魔王殿は、この天使をどうするおつもりなのじゃ!!!」
「取り立てて、どうするつもりもない。愛でるほかは、そうだな――
こいつが死ぬまでは、放さぬつもり… というくらいだな」
ゾクリ、と。
舐められたかのように走った寒気は、誰のものだったのか。
ザワザワ……
ザワザワ……
「く、くくく。魔王直轄の族長ともあろう者たちが、雁首そろえてこんな小娘一人を恐れるとは」
「魔王陛下は、天使の… 神族のイヤらしさをご存じないのじゃ…」
「ほう。俺を無知と申すか」
魔王が眉をしかめたとき、それまで静観していた族長の一人が前に進み出た。
「恐れながら、陛下……」
「おまえは… 精霊王……?」
精霊王と呼ばれたのは、エルフのような容姿をした中性的な人物だった。
否。実際に性別を持たないかもしれない。彼らの存在の詳細は、彼らにしか知りえない。
非常に閉鎖的な文化の中でのみ生きる部族なのだ。
そんな人物が公然の場で発言するのは、歴史上でも珍しいことだった。
魔王も思わず、彼が次に発する言葉を待つ。
「我々、精霊の一族は古来より 神と魔の狭間で生きる者。
万物を眺め、万物を汲み、万物を記しあげることを至上の役割とし、今代まで繋げて参りました。
そしてその記録が、確かに語っていることが ひとつ御座います。
歴史に名を残す大きな戦禍、災い、国や文化の崩御―― そのほぼ全ての原因が…神族と魔族の 接触である、と」
シン……
「……ふん。確かな記録などなくとも、それくらいは予想できる」
「………」ペコリ
「魔王殿! ただ知ることと、その意味を理解することはわけが違うのですぞ!」
「魔王陛下。私も、これはあまりに無体な仕打ちに思えますわ。神族との接触など、あまりにも不用意で軽率…」
「何か、起こるかも知れなイ…。何が起こるカ、わからなイ…?」
皆一様に、魔王を諌めるべく視線や言葉を投げかける。
そんな皆の様子をじっと見て、魔王は可笑しそうに嗤う。
そして、はっきりと告げた。
「よいではないか…」
「歴史に名を残す、戦禍とやらも」ニヤリ
「ま、魔王陛下はまさか… 神族に、戦争を…!?」
「おお、おおおお…! なんと。なんということじゃ…」
「魔王サマ、本気なのですカ?!」グルルル
「ククク。本気も何も… 精霊王の言葉を聴いて、おもいつきで言っただけだ。だが、悪くない…。
俺はこの娘のその儚さ、美貌、声音…… 多くをすっかり愛してしまってな。日々、天に帰りたいと泣かれるのにも辟易していたところよ」
魔王はスクと立ち上がり、簾中から出て御簾車へと近づく。
青褪め言葉を失って、オロオロと戸惑う魔物達には目もくれない。
「天使」
「…っ!」ビクッ
「……お前の帰る場所。俺以外にはないと思え。そして近いうちにそれは…事実となる」
「あ… あ、ああ……そんな… そんな、私が…私が捕まったばかりに…っ」ブルブル…
「ふふ… ははは、ははははははははははははは!!」
「………」