近衛という男。
+++++++
翌朝
本殿・最奥の間――
魔王にとって、朝餉を済ませた後はこの奥間へ来るのが日課となっている。
朝の光に照らされた御簾は、紅葉のような艶を放っていた。
だが、魔王の視線は御簾の奥―― 御簾よりも、なお美しい物を見据えている。
「……ぃゃ… ぃゃ…」ブルブル
「よくもまあ、飽きもせずに怯えていられるものだな…クク」
「……」
本来であれば、御簾の中に座するべきが魔王。
一段低くなった床で、御簾越しに他者を見ることなどあってはならない。
だが、崩した胡坐で片膝を立てて、頬杖などをつきながらくつろいでいる魔王は
それすらも愉快に感じているように思えた。
「……その、若君。そろそろ奥殿にお渡りになりませぬか」
「ふむ、今日は謁見の儀であったか」
「族長達は既に、対屋に控えております」
「……いや、もう少しこいつを眺めていたい。遅らせろ」
戸口近くで控える近衛に視線を向けることもなく、魔王は告げる。
だが、そんな横柄で傲慢な主君の態度にも、近衛は眉一つしかめることは無い。
それこそが、魔王だからだ。
近衛が彼に忠誠を誓った時から、魔王は何一つ変わってはいない。
「恐れながら若君、本日は…」
だからこそ、近衛はただ自らの役目をまっとうせんと、言葉を続けたのだが――
「…おい」
気がつくと、頭の中までも覗き込みそうな鋭い視線が向けられていた。
僅かに早まる鼓動を抑え、冷静を努める。
「はい。……いかがなされましたか」
「いい加減に、俺を『若君』と呼ぶのを止めろ」
「――ッ」
「先秋の戴冠で、俺は魔王に正式に就任している。これ以上その名で呼ぶようなら、不敬とみなすぞ」
「……大変な失礼を致しました。お許しください…… 『魔王陛下』」
改めて座を整え、深々と辞儀を述べる近衛を見て
魔王はまた視線を御簾の奥へと向ける。
「ああ、許そうとも。俺は今、非常に機嫌がいいからな」
「……改めて、魔王陛下。本日の謁見の儀には、竜王殿もお召しになっていた筈。あまり彼女の機嫌を損ねるのは、厄介かと」
「ちっ、あの口煩い老婆も居たのか……。止むをえまい、出るとしよう」スクッ
「……」ホッ
近衛は戸口を大きく開き、深く頭を下げて待った
だが、魔王が近づく気配はない。
視線をあげると、魔王は扇を口元に当て、なにやら思案する様子で立ち止まっていた。
「………」
「いかがなさいましたか」
「……いや。やはり眺めていたいと思ってな」
「魔王陛下、ですからそれは……」
言いながら、今日の謁見の儀で呼び出された者たちを脳内で確認する。
どの者も重要な部族や種族、その筆頭ばかり。いくら魔王とはいえ、あまり待たせておくのは得策ではない。
あとはどのような切り口でそれを言い出すかだが――
「何、天使を連れて行けばいいのだ。問題あるまい」ニャ
「!?」ビクッ
「魔王陛下!? そのような事をなさっては、大混乱になります!」
「何、余興よ。ここまで天使を運んだ御車があったろう。あれから馬を放して、誰かに担がせればよい」
「しかし!!!」
「近衛、これは俺の勅令だ。まさか従わぬだなどと……?」
「……っ!」
「……」
いっそ強く睨み付けられでもしていたのなら、一言くらいは反論も出たかもしれない。
だが魔王の瞳は、無感情とも思えるほど冷静に近衛を捉えている。
逆らい間違うものならば、その場で確実に
『正しく冷酷な断罪をする』と、告げているのだ。
「……かしこまり、ました…」
「ふふ…我ながら良策だな。これで、いかなるときも… 傍においておけるだろう」
くつくつと嗤いながら、部屋を出て行く魔王。
足音の遠のくのを聞いた近衛の耳に、今度はしゃらしゃらと翼の揺れる音が聞こえてくる
「い、いや…… 行きたくない… 行きたく、ない…!!」
「…………っ」
怯えて震え泣く天使。
無情にも、その姿はどこを取っても 美しく幻想的な姿に見えてしまっていた。