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ある経営者の栄光と挫折二部作 1栄光の天国挫折の地獄

作者: 小野口英男

ある経営者の栄光と挫折二部作

1 栄光の天国、挫折の地獄


          一

 太田英俊、平成三十一年の今年八十一歳の彼は、三十九年前の事を思い出している。当時、彼は二十年勤めた会社を辞め、自分で事業を始めた。所謂脱サラである。新しく始めた会社は株式会社太英産業と名付けられた。法整備も済ませ事務所も蒲田に構えた。事務所は十坪有り、製品の倉庫としても利用する予定でいる。

 会社を始めて一週間経って、あちこちの展示会を見回っても中々新しい製品に出くわす事が無い。所有する金で食い潰すのも何れ限界が来る。焦りはあってもどうにもならず只ひたすら歩き回る。足を棒にして毎日展示会巡りをしている内に、某展示会で、天井取付型の空気清浄機を見つけた。その時の様子を再現する。

 縦85横85高さ20センチ、重量は30キロである。4側面に、それぞれ縦16横50センチの網付きの吸い込み口がある。網の内側には、セルと呼ばれる電気集塵機が内蔵されている。電気集塵機の内側にはプロペラファン付きのモーターが取り付けてある。外形の下部分には吹き出しギャラリーが取り付けてある。下部分は蓋で、開け閉めが自由に出来る。開けたとき、蓋が落ちないように、片方に引っかけが付いている。勿論開けない時は、完全に閉じる仕組みである。蓋はプラスチック製で軽く出来ており、外形要するに外板は鉄製である。

空気清浄機の仕組みは、至って簡単である。モーターファンによって、汚れた空気を4側面の吸い込み口より吸い込む。更に吸い込まれた空気は、吸い込み口内側の電気集塵機内を通過する。通過する際、空気に含まれる粒子は、電気集塵機のセルと呼ばれる集塵板に吸着される。要するに、四方から汚れた空気を吸って、下からきれいな空気にして出す。空気清浄機自体は珍しくも何ともない。天井取付型も家庭用の小形の物はある。しかしこれだけ大形の物はない。

 米国製の輸入品である。展示場のブース内にいる担当者にエールを送り話はじめた。

「どこか日本で販売している処はあるんですか」彼はおもむろに尋ねた。

「いえ、未だありません」担当者が答える。

「御社が輸入元と発売元を兼ねるんですか」彼の問に担当者は次の様に答える。

「弊社は輸入だけで、発売元はどこかにお願いしたいと、当たっているところです」

「私の会社を発売元にさせてもらえませんか。とりあえず五十台現金で買いますよ」ここで初めて名刺の交換をする。すると担当者は社長であった。

 事業を始めるに当たっては、当然資金が必要になる。彼の自宅は横浜の南太田の百坪ほどの土地である。坪百万で一億の評価である。その為、彼は銀行に七千万円の根抵当権を設定してもらう。

「社長さんでしたか。これは失礼しました。私は事業を始めたばかりで、良い製品を探しています。これは面白い、いけると思いますよ。御社も事業を始めたばかりの人間に売るのは不安でしょうから、五十台現金で買いますよ。只発売元にしてもらえればですが」先方の社長も彼の誠実そうな人柄に惹かれた様子である。

「良いでしょう。販売価格は四十万円を予定しています。御社へは二十二万でお渡し致します。よろしいですか」

「イヤー、現金だし、二十万にしてくれませんか」

「良いでしょう。こちらにも条件があります。契約時半額現金を振り込み、残り半額は税関の検査が済み次第、現金を振り込む。確認次第、製品はトラックに積み替え御社に配達します」社長は更に続けた。

「明日契約はいかがでしょうか。弊社にご足労願えますか。十時に来ていただけますか」彼は直ぐ社長の名刺を見る。

「日本橋の三居ビルの十階ですね。でかいビルだから知っていますよ。明日伺います。今後ともよろしくお願いします」

お互い丁寧な挨拶の後分かれる。

          二

 翌日、三居ビルに行く。発売元に関する契約、製品の売買契約を済ます。彼は直に半額の五百万円を振り込んだ。製品は全て50ヘルツで60ヘルツも注文出来る事、又緊急用に航空便で取り寄せる事も出来る事、但し二万円高くなる事、その際は三十台が最小単位で有る事等が契約書に納められた。展示会で使用している一台を、半値の十万円で売って貰う。それを事務所の方に送ってもらう事に。

「渋谷の喫茶店に、この一台を見本代わりにつけて貰おう。儲けなしで、取り付けて貰えば良いだろう。渋谷で喫茶店を経営している大学時代の友人に頼もう」

 一週間後に、渋谷の喫茶店に取り付ける。店で煙が最も籠もっている場所に空気清浄機を取り付ける。空気清浄機を稼働する。彼は一瞬のうちに煙は消えると予想する。しかし煙は、彼の予想よりは多少時間が掛かっている。

 「製品が入るのは三ヶ月後だ。至急、輸入元の作ったカタログを三万部と、資料も少しは用意して置かないと」印刷業者に来てもらい、カタログと資料の手配をした。

「タバコの煙が一番こもっているのはパチンコ屋だな。ここをどうやって攻めるかだな。まず業界紙、業界雑誌、それぞれ一つずつ広告を載せよう。それにパチンコ屋の名簿も必要だな。この空気清浄機だな」

 広告を申し込み名簿も手に入れる。三週間程でカタログと資料が出来上がる。契約から八十日が経過し、後十日ほどで品物が横浜港に入荷する事に。

「戦闘開始だな。人手が無いから、営業の柱は当面業界紙、業界雑誌広告とDMで行こう。都内に約一千軒のパチンコ屋がある。DMは三百軒を2回と、残り四百軒でDMをやって見よう。後は様子を見ながらやってゆこう」

 最初のDM三百軒を封筒に入れ、表に店の住所、店名をボールペンで書く。以外に時間が掛かり。一日に一百枚しか掛けない。最終的には三日掛り、切りの良い処で七月一日に郵便局に持って行き投函となる。

 翌日、最初の電話が掛かる。

「この空気清浄機いくらするの」いきなり金額の問い合わせである。「一台本体価額四十万円です」相手は話し終わらない内に電話を切ってしまう。しかし電話があった事に安堵する。結局この日は五件の電話がある。一軒は先程の電話と同じで価額の問い合わせである。二軒は技術的な事を聞いて来る。価額は勿論、溜まった汚れはどうするのか、特別な洗剤なのか、等々突っ込んだ質問でも店名は言わない。最後の一軒に大収穫がある。

 足立区のパチンコ店のオーナーからの電話である。まず価格を聞かれる。一台当たり本体価額四十万円、工事費は一台三万円と答える。パチンコ二百台だと、空気清浄機は何台必要かと聞かれる。七台必要と答える。するとオーナーは、店の事は全てマネージャーに任せている。マネージャーに話して置くのでマネージャーとよく打ち合わせてほしいという電話である。店の電話番号とマネージャーの名前を聞く。夕方店に電話し、マネージャーと訪問の都合の良い日を確認する。四日後に訪問予定となる。

 二日目は三件の電話がある。三件とも価格の問い合わせであり、簡単に電話を切られる。店名を言った件数はゼロ。

 三日目は六件の電話がある。収穫は一件。深川のパチンコ店で二日後に訪問決まる。午前中に足立区のパチンコ店を訪問し、午後五時に深川のパチンコ店を訪問する予定。

 結局最初のDM三百軒は、一週間で十六軒の電話引き合いがある。そのうち二件は非常に有望である。

          三

 午前中に足立区のパチンコ店を訪問し、午後五時に深川のパチンコ店を訪問する予定の日である。足立区のパチンコ店は十一時に訪問する。開店一時間しか成ら無いにも関わらず、ほぼ台の九割近くが埋まっている。従って店内のタバコの煙は、長く居ると目が痛くなる程凄い。マネージャーは中肉中背の人で、パチンコ店のマネージャーらしからぬ風貌である。マネージャーと名刺の交換をする。カタログを取り出し簡単に製品の説明をする。マネージャーから話出す。

「社長から一台四十万円と聞いているけど、もっと安くなるんじゃないの」マネージャーは攻勢をかける。

「本体価額は最初から安くしてあるので、安くはならないんです。しかし工事費は七台だと二十万掛ますが十二万にしますよ」彼は必死に防戦する

「じゃあしょうがない。それで良いよ。一週間後にパチンコ台の入れ替えがあるから、その日に工事をやってもらいたい。大丈夫かな」

「出来るだけご希望にそうようにします。只工事と連絡を取ってないので、少しお時間を下さい。今日中にご連絡致します」相手も了解する。

彼は契約書兼用の注文請書に、台数及び合計金額を記入する。そして相手のサインを貰い一部をマネージャーに渡す。暫く雑談した後、マネージャーに分かれを告げる。店を出た後、受注した事を安堵する。

「ああ良かった。最初の受注が二百九十二万円か。凄いな。製品は後四日で入るし、電気工事屋に連絡して決まりだ」

 彼は昼食をパチンコ店近くのレストランで取る。高揚する気持ちと安堵感で一気に食べ干す。深川の店の約束時間までは可成り時間があるので喫茶店で時間をつぶす。

「パチンコ店は凄いな。三百万の製品を、簡単に決めるんだからな。俺はこれ迄、パチンコはやった事なかったな。それにしても店内のタバコの煙は凄まじいな。こんな不健康な処に、長い時間良く居られるな。パチンコ店に空気清浄機は絶対不可欠だよな」彼は独り言を続ける。

深川のパチンコ店に約束の夕方五時に行く。相対するのは店のオーナーである。オーナーは背の高い、一見ビジネスマン風である。名刺の交換の後、製品の説明をする。可成り突っ込んだ質問をされる。その後一緒に店内を見て回る。百六十台のパチンコ台である。天井が低く、煙が相当籠もっている。彼が話し始める。

「空気清浄機は六台必要ですね」

「六機で大丈夫かね」オーナーが質問する。

「六機付ければ大丈夫です」彼が答える。

「じゃ六台付けよう。何時工事は出来るかな。うち休みはないから。閉店後の夜やるしかないよ」

「分かりました。夜なら何時でも良いんでしょうか」

「何時でもいいよ」

「それでは工事の人間と打ち合わせをして、日取りはお電話します」

 彼は店の事務所に戻り、契約書兼用の注文請書にサインを貰う。本体価額二百四十万円、工事費十五万円の合計二百五十五万円である。分かれ際、こんな嬉しい事も言われる。

「うちは他にも店が数件ある。だからここが良ければ、他も付けるよ」

 彼は丁重に挨拶して店を出る。近くの喫茶店に入りコーヒーを注文する。

「二件で五百四十七万円か大きいな。これは大きな自信に成るな。広告が出る様に成ればもっと行けるだろうな。これだけ早く成果が出るとは思わなかったな」

彼は事務所に戻ると電気工事会社に電話し、工事日を話し合う。その結果足立のパチンコ店は日を指定されているので一週間後、深川のパチンコ店は五日後の夜に決まる。そしてこの事を両店のマネージャーとオーナーに電話する。

四日後に製品が横浜港に入港し、税関の許可が下りると同時に残金の五百万円を振り込む。その日の二時頃に製品が蒲田の事務所に届く。取り会えず直ぐに納める十三台の製品の点検を行う。

二店の工事も無事完了し、五百四十七万円を現金で受け取る。

「明日七月十五日か、最初の広告の出る日だな」事務所で一生懸命カレンダーを見ている。

「まず広告の反応を見てみないと」内心で今後の対応を考えている。

「残りのDMは広告の結果を見て判断しよう」

         四

 翌日最も有力なパチンコ業界新聞が出る。白黒の一面広告である。タバコの煙の有害性を徹底的に訴える。他人のすったタバコの煙でも、それを吸えばすっている人と変わらない位人体に悪い影響を及ぼすと云う内容である。

「我ながら良い内容の広告だと思うよな。タバコの害については語られる事は多いけど、タバコの煙についての人体に及ぼす害についてと云うのは珍しいと思うよ。これを読んだパチンコ店のオーナーだったら必ず対策を考えるよ。これから楽しみだよ」

 業界新聞が出ても四日間は何の反応も無かった。

「高い広告代の割に余り読まれて無いのかな」彼は反応が無い事にガッカリする。しかし五日目に反応がある。

「私は電気工事業者だけどうちのパチンコ屋がつけたがっている。パチンコ屋は他もあるから一度大阪に来て貰いたい」という内容である。そこで行く約束だけをし、日取りは後から電話することに。処が似たような電話が名古屋からも入る。そこで名古屋を翌日午後一時に、大阪を翌々日の十時に約束する。どちらも機械を設置したいとの事である。

 名古屋の業者は中村区にあるパチンコ店の設計会社である。社長と専務が応対し、社長は60代で専務は50代の人である。話は殆ど専務である。その専務の話。

「うちはパチンコ店の設計会社で直ぐにも十台位付けたい店がある。新店舗だけでも年間三、四十台は付けると思う。うちが買って店に売るから、うちの買い入れ価額を出して貰いたい。うちは二十日シメの翌月二十日現金払い、取り敢えず二十台注文する」

「60ヘルツは現在品物が無い。航空便で取り寄せるので1ヶ月程待って欲しい。御社への価額は二十六万円、但し運賃別途」

 話し合いは可成り難航し、夕方四時過ぎに漸く決着した。中部地区の代理店として販売を任せる事でも話が付く。先方に夕食に招待される。生肉の細切れに細切れのタマネギを混ぜ合わせたもので初めて食べるのと余りの美味さに彼は驚く。

 翌日大阪千成区にある電気工事会社に十時少し前に行く。社長が応対に出て、

「パチンコ400台だと何台必要か」社長が行きなり聞いて来る。

「換気扇併用で十二台」彼が答える。

「二店舗のパチンコ店で二十四台か。まだまだこれなら出るからうちを大阪の代理点にしてくれないか」嬉しい話である。

 彼はシメと支払い日は先方の条件で良いとしても支払いは現金である事を示し、但し60ヘルツは現在品物が無い事。航空便で取り寄せるので1ヶ月程待って欲しい旨の了解を貰う。

 二十四台の注文請書を貰い名古屋と合わせると三十四台を受注する。

「受注三十四台か。名古屋大阪まで来た甲斐が有ったな」しかし心配な事も。

「60ヘルツは品物がない、直ぐ輸入元に注文しないと」

 彼は翌日、三居ビルに行き、60ヘルツを50台航空便で取り寄せる事で合意し、直ぐ銀行に行き輸入元に550万円を現金で振り込む手続きを済ませる。輸入元も余りの早さに驚き夜食事に招待される。

         五

 それから一週間後広告掲載の雑誌として、最も有力な雑誌が発行される。矢張り最初の三、四日は反応無し。五日目に仙台の電気工事から電話が入る。電話の様子から直ぐにも二十台購入したいと言う、しかも弊社に来たいとの事で翌日二時に約束する。約束の一時間前に、先方の社長が息子の専務を連れて来る。空気清浄機には相当詳しく天吊りを300台の店二軒に十台ずつ購入すると言う。

「うちは札幌にも支店があるので、東北と北海道はうちに任せて欲しい」と社長が話し始める。取引条件のシメは先方に準ずる末シメの末払い、も現金取引は名古屋大阪と同じで、先方は手形を希望するも現金で押し切る。未だある在庫の三十七台を見せ、取り付け方法を説明し、翌日発送する約束をする。

 その後食事に招待し、和やかな雰囲気を醸成し分かれる。翌日仙台に二十台を運賃着払いで発送する。発送後一休みしていると名古屋の設計会社から電話が入り、福岡の営業所から六台注文との事。品物が入り次第送る約束を取り付ける。

 翌日新宿の内装屋から七台取り付けたいとの電話が入り、すぐ内装中の新宿のパチンコ店で落ち合う。パチンコ機械200台の店で三日後に開店するので直ぐ取り付けて欲しいと頼まれ、取引は店と直接取引して欲しいと言われる。直ぐ下請けの工事屋に電話して二日後に取り付けることに。当日七台取り付け、工事費含め店のオーナーから二百十四万円を現金で受け取る。その際オーナーから良ければ別の店にも付けると嬉しい言葉を貰う。

 それから五日後にそのオーナーから直接別の店に十台付けたいと言う電話が入る。工事屋に電話しその日の夜取り付ける事に。オーナーから工事費を含め四百二十万円を受け取り、タクシーで蒲田の事務所で仮眠を取っていると電話が鳴る。大阪のパチンコ店で大阪に代理店は無いかと聞かれたので例の電気工事屋を紹介する。すると二時間程すると十台注文が入る。

操行しているうちに60ヘルツが注文1ヶ月経ち羽田空港に着く。税関の検査が済んだ事を確認し直ぐに残で半金の550万円を振り込む。輸入元はそれを確認すると製品を積んだトラックが蒲田の彼の事務所兼倉庫に配達となる。翌日彼は大阪の電気工事屋に二十四台、名古屋に二十台と福岡営業所に六台を運賃着払いで発送する。

 発送し終えた後彼は思案する。船便と航空便ではどちらが得かを考えるのである。

「船便は三ヶ月と航空便は1ヶ月で航空便の方が早い、但し製品の原価は一割高くなる。どちらも契約と同時に半金を振り込む。売って手元に金が入るのは船便だと二ヶ月遅くなる。船便が余り多くなると私の負担も大きくなる。ここは面倒でも細かく航空便で買うしかないな」

 取り敢えず60ヘルツを30台50ヘルツ20台航空便で輸入元と契約する。パチンコ店のオーナーのタバコの煙に対する意識は彼が考える以上に進んでいる事が分かる。前回受注した分の発送から一週間も経たないうちに大阪の工事屋と名古屋の設計屋から各十台ずつと仙台の札幌営業所から二十台の合計四十台受注が入る。そして翌日には大阪から二十台追加が入る。

「航空便で取り寄せる分を60ヘルツは既に十台上回ってしまったよ。60ヘルツを50台又注文しないと」

 彼は直ぐ輸入元に駆けつけ50ヘルツを50台契約し、半月後に50ヘルツを注文するかも知れない事を輸入元に話す。あまりに忙しくなり全てを彼一人ではまかなえ無い為、社員を採用して新しい体制作りを行う。女子社員五人を採用し四人は社内営業で一人は経理を兼務する。それと男性社員二人を採用し製品の出荷と、その際製品の動作に異常ないかの検品をおこなって貰う。

 彼は業界新聞と業界誌の広告に総発売元(株)太英産業と共に九州代理店に名古屋の設計屋の福岡営業所、大阪代理店に電気工事屋、中部代理店に名古屋の設計屋、東北代理店に仙台の電気工事屋、その札幌支店を北海道の代理店として全国を網羅出来る体制を作る。

 彼の広告の内容も製品の紹介は極力控えめにして、タバコの煙が如何に人体にとって害があるか。タバコの煙はタバコを直接吸うのと同様の害を人体にもたらす。徹頭徹尾タバコの煙害を訴える。彼の戦略はこの後大いにパチンコ店のオーナーの共感を呼ぶ事になる。タバコが人体に害が有る事は既に良く知られている事である。しかし煙まで人体に害がある事までは一般に言われていなかった。

「タバコの煙が害のある事をパチンコ業界の大勢の人に啓蒙した。勿論私は空気清浄機を売って儲ける為にした事だが、結果として無知の人々にタバコの煙が害のある事を教えた事は誇るべき事だよな。企業家として十分社会貢献したよな」

 パチンコ店のオーナーは朝鮮人や中国人が多い。特に朝鮮人しは多い。当時全国のパチンコ店一万軒に対して、経営者は三千人と言われていた。この三千人の相当部分が朝鮮人か国籍は日本ではあっても朝鮮系である場合が多い。抑も日本のパチンコ機械及び玉の運搬機の有力メーカーは殆ど朝鮮人か朝鮮系日本人である。一つの業種がメーカーから末端の店舗迄これだけ日本人以外に占められているというのは他に無い。これはパチンコ機械及び玉の運搬機メーカーが沢山の特許を持っていて新規参入が困難な事と店舗の場合は同じ民族として店舗間の無言の連携があって日本人は中々新規開店が難しい為である。この事は一旦売り込みに成功すれば次々に広がる可能性を秘めている事になる。事実彼の予想を超えるスピードで空気清浄機は売れて行く。

         六

 彼のタバコの煙の害をアピールする戦略は大いに当たる。九州代理店に名古屋の設計屋の福岡営業所、大阪代理店に電気工事屋、中部代理店に名古屋の設計屋、東北代理店に仙台の電気工事屋、その札幌支店を北海道の代理店。各代理店から着きに平均六台から十台位の注文が入る様になる。

 輸入元に対しても今月60ヘルツを50台契約すると、翌月50ヘルツを50台契約すると言う具合で殆ど毎月契約する様になる。全て航空便である。船便に比べ航空便は高い為原価に跳ね返る事は分かっていてもそうせざるを得ないのである。

 彼の会社は三月決算であり、実質九ヶ月しかない。しかし会社創業1年目は空気清浄機を約四百台売る。

「四百台台か、よくぞ売ったな」

社員に対して冬に出したボーナスとは別の決算ボーナスを出して苦労をねぎらう。

 会社創業2年目になるとライバルが続々参入する。外国製あり、国産有り色々なタイプの空気清浄機が出回る。

「これだけ空気清浄機が多くなるとパチンコ店も迷うよな。それじゃこれで行こう」彼は社員を集め提案する。

「空気清浄機は迷わず太英産業の天吊り、迷ったら太英産業の天吊り。これで行こう、うちはパチンコ業界に最初に参入したんだ。これを今年は徹底的にアピールしよう。ライバルが沢山参入した事を逆手に取れば良い」

 彼は早速、業界新聞と業界誌の広告に、従来の空気清浄機写真の上に「空気清浄機は迷わず太英産業の天吊り、迷ったら太英産業の天吊り」というタイトルを乗せる。タバコの煙害を前面に出し製品の紹介は控えめにしていたのを、煙害と製品の紹介の二本立てにしたのである。下段の(株)太英産業の上に空気清浄機のパイオニアの文字を入れるのである。

 2年目に入っても空気清浄機の売れ行きは、衰えるどころか益々売れ行きを伸ばして行く。輸入元に注文しても直ぐ受注する為、絶えず製品は品切れ状態で在庫が中々追いつかず客に多少待って貰う状態が続くのである。注文と受注の追い駆けっこで彼は頭が混乱しそうな事もある程である。

 広告が新しくなるのと時を同じくして、業界新聞が彼の事を写真入りで大きく報じるのである。

「空気清浄化のブームの火付け役として業界に大きく貢献。あるいは天井取付型空気清浄機の販売を通して健康を追求」などと此方が面はゆく感じる程の報じ方である。勿論最初から現在の様に売れた訳では無い。事業を始めた当初の彼は退職金や預貯金など個人で一千万円を所有していた。事務所を借りたり、カタログを制作したり、あるいは業界新聞や雑誌の広告、自分の給料等で最初の三、四ヶ月で瞬く間に所有した金は半分になってしまうのである。業界新聞が言う様に地道にこつこつやってきた事は決して誇張ではないのである。特に記事の中でうれしかったのは空気清浄機のパイオニアとしてくれた事である。丁度空気清浄機のパイオニア、(株)太英産業の新しい広告が載り、タイミングとしても絶妙である。

 年明け後輸入元に300台契約する、内訳は60ヘルツ200台50ヘルツ100台で全て今回は船便である。新年度の四月早々に到着予定である。六千万円の半金三千万円輸入元の口座に振り込む。輸入元の社長も感激し銀座のクラブで歓待される。三ヶ月後に製品は入荷し手順通り、残半金三千万円輸入元の口座に振り込む。

 話が前後するが年末に二年度の空気清浄機はこのまま行けば六百台の販売に達し、売り上げも二億円に届くのはほぼ間違い無い見通しとなる。冬のボーナスは夏の二倍の六ヶ月分とし、年末年始の社員の休暇を十日間取り、前の三日間に台湾旅行に行くのである。

         七

 そして三年目の新年度、船便で到着の300台の内から約五十台を代理店に発送する準備をしていたある日、噸でも無い記事が業界の新聞紙に載る。

「パチンコ業界の空気清浄機のパイオニアである(株)太英産業の空気清浄機に大きな欠陥」の大きな見出しで太英産業の空気清浄機を取り上げたのである。内容を要約するとこの様である。

「横から煙吸い込んで、下から綺麗な空気を出す。処がこの機械は本来吹き出すべき処から逆に煙を吸い込んでしまう。これは欠陥商品である」と煙が一部の吹き出しから吸い込まれるのを写真付きで報道しているのである。

 実は空気清浄機を扱い始めた当初「東京の喫茶店に、この一台を見本代わりにつけて貰おう。儲けなしで、取り付けて貰えば良いだろう。渋谷で喫茶店を経営している友人に頼もう」と一週間後に、渋谷の喫茶店に取り付ける。店で煙が最も籠もっている場所に空気清浄機を取り付ける。空気清浄機を稼働する。彼は一瞬のうちに煙は消えると予想する。しかし煙は、彼の予想よりは多少時間が掛かっている。そこで何度も実験を繰り返す。その結果吹き出しの一部から煙を吸い込んでしまう事が判明。ファンに問題が有るのか吹き出しに問題が有るのか分からないが、一番外側の吹き出し口が一つ多いのである。一つ減らせば解決するのである。一カ所の吹き出しが逆に吸い込む事は欠陥ではないがその分空気の清浄に時間が掛かるのである。その際喫茶店のオーナーも見ていたので、その事を空気清浄機のライバルメーカーにその情報を売って報酬を得たのである。直ぐ渋谷の喫茶点に行くも店名も代わりオーナーも代わっている。別の大学時代の友人に嘗ての喫茶店のオーナーの事を聞くと、店の不振と株で大きな借金を作り、その借金を踏み倒して夜逃げしたとの事。壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったものである。油断も隙も無い、親しい友人さえ信用出来ないとは嫌な世の中になったものである。金銭的な損失よりも信頼する友人に裏切られた事の痛手の方が遙かに大きい。その後業界誌にも乗り、太英産業の広告の無いパチンコ業界の新聞雑誌全てにその記事は報道される。発送準備をしていた空気清浄機は尽くキャンセルになる。

 その上悪い事に時代は空気清浄機を単体で天井に取り付けるよりも、機械室の空調機に電気集塵機を取り付ける時代になりつつあった。その方が天井に取り付けるのは目障りだし、空気清浄機内のフィルターのセルを洗う為に天井から取り出すのは大変と考えるオーナーにとっては都合が良い。その為三百台の空気清浄機は極端に売れなく成る。

 契約した三百台を最初の一年は価格も三十万円に値下げし、大阪や名古屋の卸は殆ど儲けなしの二十二万で販売し、社員も半分の三人に減らし、四人を二ヶ月分の給料を退職金として支払い解雇する。そんな努力の甲斐も有って、年間で約百五十台を販売する。

しかし二年目は益々売れなくなる。残りの社員に二ヶ月分の給料を退職金として支払い社員全員を解雇する。広告もスペースを従来の1ページの半分とし、三ヶ月に一度に減らす。蒲田の倉庫兼用の事務所も契約はせず、事務所は横浜の自宅に移す等の努力の結果二年目も何とか百台を売り切る。

三年目は在庫ゼロを目指して、一台も残すこと無く現金に換える事を目標に頑張る。価格も嘗ての半値二十万円、卸価額は十五万円迄値下げする。1年後には疾駆八句の末何とか残りの五十台全てを売り切り、在庫ゼロを達成する。

 事業を始めて五年、最初の二年間は空気清浄機が売れに売れての正に天国にいる様、そして後半の三年間は売れない疾駆八句の地獄にいる様。最初の二年間の利益は後半の三年間の赤字で全て吹っ飛んでしまう。後半の三年間は彼にとって五年いや十年にも感じられる。正に栄光の天国は短く挫折の地獄は長し、である。

 時は1980年代の真ん中。狂乱の不動産、狂乱の株価の時代と言われる1980年代後半が始まろうとしていた時である。不動産価格は短い期間に二倍三倍に跳ね上がり、株価に至っては85年のスタート時点では1万円だったのが、四年後のピークには四倍の四万円近くまで駈け上がってしまうのである。彼にとっても五年早く天国と地獄の狂乱を経験した事になる。

 彼は企業経営者としては失格で失敗者である。しかしタバコの煙の害を、まだ誰も訴えていない、最も煙の隠もるパチンコ店にタバコの煙害を訴え啓蒙し続ける。その後煙の隠もるパチンコ店は全く見られなくなった事は、彼の功績である。その意味では彼は立派にパチンコ業界に貢献した事になり成功者と言えるのである。

 企業経営者としては失格の失敗者で有っても、彼の様に立派に社会貢献している企業家は少なからず存在するのである。

                                        <了>



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