みて、見て、視て、監て。
俺はいつから、お前を目で追うようになったんだろう…。
ベッドと小さな棚ひとつ置かれた薄暗いコンクリートの部屋で
泣き噦る幼馴染みを見下ろしながら、そう思った。
ガキの頃からずっと、一緒だった。
こいつは俺がいねぇとなんも出来なくて。
いつもいつも俺の後ろをくっついて歩いていた。
それなのに
「や… やだよ、やめてよ、…優く」
「うっせぇ 黙れ、抵抗すんな」
いつの間にか、俺の傍から離れるようになった。
「な、んで…こんなこと するの、」
途切れ途切れに、震えた声で
泣き腫らした紅い瞳で、怯えたように俺をみる。
その瞳に映るのは 俺ただ一人。
じゃらりとベッドに繋がれた鎖が鳴って
手首足首には擦れた跡が出来ていた。
「んなもん、てめぇにはカンケーねぇだろ」
それに、初めから分かってたことだろ?
ぎろりと睨めばビクついて、嗚咽を漏らす。
前までは、ほんと。なんとも思わなかった。
こんなこと、微塵も思ったことがなかった。
こいつが……千鶴が
他の野郎をみるようになってから、
誰も、みれねぇように。
誰にもこいつを、みられねぇように。
どこか、閉じ込めてやりてぇ…て思うようになった。
「ねえ優くん、どうしたの?おかしいよ こんなの…、変だよ、優くん…外してよ。ねぇ…、どうしちゃったの、?」
肩を震わせて、怯えながらも一生懸命に語りかける。
その鈴みてぇな声も、今にも零れ落ちそうなでけぇ瞳も。全部。俺のもんだったのによ。
てめぇの頭ん中は、俺だけじゃなかったのかよ。
いつからお前、他の男をみるようになったんだよ。
ふざけんな。
「……うぜぇ」
何かある度に、お前はいつもあいつのもとに駆け寄って、俺の知らねぇ表情をして、幸せそうに笑うんだ。
「──ちッ、イラつくな」
脳裏に浮かぶ、あいつと千鶴。
なんであいつに見せんだよ。なんで俺じゃねえんだ。
なんでその表情を、俺がしてやれてねぇんだよ。
「…ッあぁクソッ!むかつく!!」
「!! ゆッ」
ダンッ!!
鈍い音を響かせて、冷たいコンクリートの壁を
今の気持ちを、苛立ちを。思い切りぶつけた。
……自分にも。相手にも。
そうさせたいのに出来ない自分と、なんの気もないくせに、その表情をさせてしまうあいつ。
そして恋する乙女の顔をする、千鶴にも。
何もかもが気に食わないし、嫌気がさす。
「…はぁ、」
一歩、俺は千鶴に詰め寄って
そのまま押し倒すようにベッドへ縫い付けた。
「ッ!?」
「頼むから、」
その表情を
「俺の、視界に入れないでくれ…」
俺だけに、向けてくれよ。
そう 祈るように呟いた俺の声は、酷く 震えていて。
情けないほどに、泣きそうな声だった。
「…ゆ」
「どうやったら、お前とずっと一緒にいれんのかな」
「え?」
何か言いかけた千鶴の声を遮って、俺は話し続ける。
「どうしたら、お前は俺だけをみてくれる」
「そ、れは…」
「何をしたら、お前は俺のものになる」
そんなもの、聞くまでもないのかもしれない。
「なぁ…千鶴、」
俺は千鶴の細い首を
そっと包むと
徐々に徐々に、力を入れた。
たぶん、こいつはきっと。俺が何をしたとしても。
俺のものになることは、決してない。
「ちょッ ゆう、くんッ …や、め」
監禁なんてしてしまった以上、俺からは離れていく一方で。傍に居てくれることなんて、絶対ないだろう。
「──ッか、は……あ………ゆぅ、ッく…」
悶えながらガリガリと俺の腕に爪を立てるこいつの姿が、最高にいじらしくて、ぞくぞくする。
こんな表情もできるのか…。
よくわからない高揚感が湧いて、できることならこの表情は、俺だけのものであってほしい。そう思った。
それを馬乗りになってじっと見つめながら、俺は優しく微笑む。
「ねぇ千鶴。聞いて、お願いがあるんだ」
身体だけならともかく、俺が一番欲している
お前の心までは
手に入れることは、一生出来ないんだろう…。
それならば、
「好きって、言って」
嘘でもいいから
「愛してるって、言えよ。」
千鶴からの、愛の言葉が欲しい。
そう耳元で、吹き込むように囁いた。
「──…ぅ、ッや…」
やだ?やめて? そう言いたいのだろうか…?
片方の手はそのままに、もう片方の手は顎を掴んで
鼻先が触れ合うほどに顔を近づけた。
「………言ってくれねぇの?」
「ち…、がぅ」
か細い声ではあるけれど、そう呟く。そして
「…い、い……よ」とも。
片手だけになったからだろうか、先程よりは緩んだ力。千鶴の声も、はっきりとはいかないが、聞き取れる。
「も、い…いよ。好きに……し て」
泣きながら俺を見つめ返すと
恐ろしいくらいに、優しい表情で。微笑んでいた。
「──…は、はぁ? いいのかよ、本当に…」
思わず面食らうが、自分で脅しておいてなにを今更。
そんなことを思いながらも、千鶴の、怯えている色は消えないが、それでも強い眼差しに、心射抜かれた。
「ゆ、くん、ごめん ね。私…ゆうく、んに…何か…怒、らせるような こと…しちゃったんだ……よね?」
気づかなくて…、ごめんね。
千鶴の頬に、涙が伝った。
「──…ッ」
こんなもの、ただ俺の一方的な八つ当たりのはずなのに。こんな最低な俺を、受け入れようとしてくれている千鶴の姿に、胸が…苦しくなって。
無性に、泣きたくなった。そして
「ね、だから…いいよ。優くんの、気がすむなら…」
──…私のこと、殺してもいいよ。
千鶴の、本心からの言葉だったかどうかは、わからない。
けれど、2人だけの空間。
誰の眼にも触れさせたくないという俺の思い。
そして囁くように聞こえた、その声と表情を機に
俺の中のなにかが
音を立てて、崩れていった──…。
『 』
***
気づいたら俺は、冷たくなった千鶴と一緒に
ベッドの上で抱き合っていた。
ぼうっとしながら、もうぴくりとも動かなくなった千鶴の頬に、優しく触れる。
「……ねぇ 千鶴。もう一回言って?」
還ってくるはずのない千鶴に、俺は呼びかけ
紅く滲んだ鎖を外す。
「…お願い、ちづる─…ッ」
ぎゅうっと抱き寄せると
ぽたり、ぽたりと、涙が零れた。
「うっ…ふ、」
……俺は、あの時の、いっときの感情で。
思い通りにならないからと、駄々をこねる子どものように。
殺めてしまっただけなのではないだろうか──。
今になってそんな思いが、俺の心を支配していた。
「ちづる…ッ、うっ」
失ってから初めて、いろいろと後悔をする。
けれどもう……遅い。
「愛してる…愛してた…ッ」
叫ぶように言った。
ずっとずっと好きだった。大好きだった。
この気持ちに嘘はない。愛していたのだ。
それなのに、殺してしまった…。
「ちづる、」
冷たくなった愛しい千鶴を抱き締めて、何度も何度もキスをする。
身体中にキスをして、愛を囁いた。
けれどもう、あの頃のように。
優しく微笑み返してくれることも
怯えた眼差しを向けてくれることも…ない。
『───好き…愛してる。』
千鶴が、腕の中で。意識をどこか遠くへ手放す寸前。
俺に向けて言ってくれた、最期の言葉。
喜びにも 悲しみにも聞こえる声音で、言ってくれた。
「──…う、うぅ…ッふ、」
ずっと忘れることのない、その声と。
癒えることのない傷跡と、その罪に縛られて。
俺はこれからも、生きてゆく。
生きて征くのだ。
「…っごめん、ごめんね」
俺は、千鶴の身体を包み込むようにぎゅうと抱き締めると、子どものように泣き続けた──。
愛してる。いつまでも。