第1章 -7-
「もう、日を超えたか。」
暗闇の中、松明の火に揺ら揺らと照らされたお爺さんは、ローブから取り出した古めかしい銀色の懐中時計を見て呟いた。その言葉に、今が0:00を過ぎたのだということに海斗は気づいた。
もう、2時間も経っちまったのか。
先程のお爺さんの話の後、海斗はウィーディン魔学院という所の校庭へ連れて来られた。それから2時間、休む間も無くお爺さんと村の召喚師数名により魔法の指導をされていた。
勇者という職業は、全職業の魔法を使える可能性があるらしい。海斗は、どの職業でも使えるベーシック魔法と魔術師専用の初級魔法は全て使えるようになった。さらにレベルMAXである海斗はお爺さんの想像を超える程に飲み込みが早かったらしく、召喚師のみが使える中級魔法を少し使えるようになった所で今の時間になってしまった。
「勇者様、これを。」
村の1人が差し出した水筒を受け取り、海斗は一気に飲み干した。中身はパプリのジュース。パプリとは木の実で、食べるとMPを回復することができるらしい。実をすり潰して更に魔力を込めてパプリのジュースが作られるそうだ。液体は毒々しい紫色をしており、純度の高いバナナジュースのように粘度が高く、ドロリとしている。
…苦い。
「さて。これからの訓練についてだが、少し予定を変更する。」
お爺さんは自身の白い髭をなぞりながら言った。この仕草はどうやらお爺さんの癖らしい。
「予定では、これより剣術と武術を指導するとしていた。しかし、お主の実力は我々の想像を上回っている。…そこでだ。時間を短縮するためにも、指導ではなく、実戦から学んでもらう。」
こんなにも褒められたのはいつぶりだろうか。幼稚園児の頃に、九九を覚えただけで「この子は天才だ」「将来が楽しみだ」なんてもて囃されたことを思い出す。結局、俺は天才ではない寧ろ平均より少し下の人間であるとわかって勝手に落胆されたことは、今でも時々疼く傷となって胸に刻まれている。
「実戦って…?」
不安気に尋ねる海斗に、お爺さんは右の口角を釣り上げてみせた。頬に刻まれた皺が、更に深くなる。
「お主には武術と剣術、どちらも用いて戦ってもらう。剣はこの、木製の長剣と短剣を使ってもらおう。」
お爺さんがそう言う前に、彼の両隣に立っていた村の人たちが木製の長剣と短剣をそれぞれ持って現れた。刃の部分は丸く削られていて、剣先も丸くなっている。しかし、それでも、この剣で斬られるとただの「痛い」では済まなさそうだ。
「して、実戦の相手だが…勇者と戦いたいと申す者がいた。」
お爺さんの背後からこちらに向かって歩いてくる人影が見える。暗闇に隠れて顔はよく見えない。
「その者はまだ未熟ではあるが…、」
人影は徐々に大きくなる。人影の足音が重々しく響き渡る。
「初めて戦う相手としては充分だろう。」
人影の顔が揺ら揺らと照らされる。
「それでは頼むぞ、デイブス。」
数時間前に見た太った少年、デイブスの歯が醜く光ったような気がした。
◇
「お前と戦えることを楽しみにしてたぜ、勇者」
「…それはどうも。」
デイブスは海斗と同じく木製の長剣を背負い、左脇腹に木製の短剣を刺している。その両手には、海斗の嵌めているものよりも黒く滲んだグローブを嵌めている。
慣れない装備に時折振らついている海斗とは違い、どっしりと重みを感じるデイブスの顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「デイブス、勇者様に向かって無礼な口をきくな。」
「そんなそんな、無礼な言葉なんてとんでもない。戦士レベル21の俺なんて敵うわけがない、レベルMAXの勇者サマに。」
細い目をさらに細くしながら、デイブスは海斗に向かっていやらしく嗤う。
こいつ、俺が戦ったことがないのを知ってわざと挑発してきてるな。
注意をした大柄の男はデイブスを鋭く睨む。この男はこの村にある武学院の講師らしい。お爺さんはこの男に後を託し、去って行った。どうやら別の用があるらしい。
「両者、構えて!」
大柄の男が叫ぶ。
海斗に向かい合うデイブスの顔が、スゥッと真剣なものになる。デイブスは肩に担いでいる長剣の持ち手を右手で握ると、ゆっくりと身体の前に持って下ろし、剣先を海斗に向けるように構えた。
海斗もデイブスの見よう見まねで、同様に長剣を構える。木製とはいえ長剣は重く、海斗の手首を虐める。
バクバクと、心臓の音が高鳴る。海斗は過去に喧嘩もしたことがない。
もし、これで負けたら…。
一介のたかだかレベル21の戦士に負けてしまったら、レベルMAXの勇者と期待された自分の立場が無くなってしまう。
緊張で荒れる息を、フゥッとつ大きく深呼吸をして抑える。
「バトル!」
その声と共に、デイブスは一気に間合いを詰めて大きく振りかぶった。