第1章 -5-
「ここがジジ様の部屋です。」
半歩前を歩いていたユフィルが立ち止まり、母を紹介した時のように掌を扉の方に出し、海斗の方に身体を開いて言った。ユフィルがいなければ扉にぶつかっていたかもしれないと思った時、海斗は自分がボーッとしていたことに気づいた。
ユフィルは扉の前で気をつけの姿勢で立つと、コンコンっと握り拳の裏で扉を叩く。
「ジジ様、お入りしてよろしいでしょうか。」
「…どうぞ。」
数秒程間を空けて、年老いた男性の声が聞こえた。その声は低く掠れ、濁ったように聞こえる。ユフィルは失礼しますと頭をさげて、扉を開けた。
部屋の中は廊下と比べると少し薄暗く、同じ家の中とは思えない重々しい雰囲気を漂わせている。壁にはビッシリと本棚が並んでおりそこには隙間なく本が埋められているが、どうやらそれだけの収納スペースでは足りないらしく、数多の本の山が部屋の至る所に聳え立っている。部屋に漂う空気はどこか埃っぽく、海斗は自分のあの狭い部屋を思い出した。
部屋の真ん中には木製の高級そうな6人掛けのテーブルが置かれている。その脚は蔦が絡み付いているような独特なデザインをしており、その不思議なデザインは海斗の興味を引いた。所々脚に傷が入っていたり塗装が一部剥がれている所はあるが、テーブルの上はとても艶やかで部屋の中の少ない光を反射している。古いテーブルを大切に使っているのだろう。しかし、その古臭さがよりテーブルの重々しさを醸し出している。
テーブルの奥には漫画で描かれる社長室にあるような机がその存在を誇張するかのように置かれており、そこに白髭をたくわえた垂れ目のお爺さんが肘をついている。
「…ユフィル、その者は誰かな。」
海斗が部屋に入るなり、お爺さんは海斗の爪先から頭の先まで舐め回すように見て言った。
お爺さんの目は瞳の色がわからないほどに細い。白い眉毛は手入れをされていないようで、瞼に届くほど長く伸びている。お爺さんの服装は机に隠れて殆ど見えないが、ユフィルのようにフード付きのマントを羽織っているようだ。その色はユフィルと違い濃い紫で、細かい黒色の斑点のような模様が入っている。
「私が召喚しました異界の勇者様でございます。」
ユフィルは母親に紹介した時のように丁寧な姿勢で言い、頭を下げた。しかし、その顔つきは先程とは違い強張っている。
お爺さんは勢いよくその場で立つと、そうか、なるほど、そういうことかと呟く。
「先刻、異様な気を放つ者が村に表れ、近づくのを感じた。そうか、ユフィルが…そうか。お前がその主だったのだな。」
お爺さんは海斗から一瞬も視線を逸らさず、まっすぐ目線を合わせながらゆっくりと海斗に向かって歩く。迷いなく向かってくるお爺さんに海斗は少したじろいだが、目を逸らすことは逃げのような気がしてただまっすぐお爺さんを見た。
お爺さんは海斗の二歩ほど先で立ち止まり、顎元の髭を撫でながら一度海斗の全身に目を通すと、首元にかけてある古めかしい眼鏡をかけた。
「勇者レベル99…MAXとは!いやはや、素晴らしい。ふぅむ。」
眼鏡越しに海斗を見ながら、お爺さんはぶつぶつと呟き始めた。目の前で腰を屈めて自分を見られることに圧迫感を感じ、海斗は半歩下がってしまった。
「ジジ様、こちらの方にジジ様を紹介してよろしいでしょうか。」
海斗の反応を見てか、ユフィルがお爺さんに別の動作を提案する。
「ああ、そうだな。いや、失礼した。」
お爺さんはそう言うと姿勢を正し、右手を胸元に当てた。細い目から見える瞳は先程、をーの海斗を舐め回すように見ていた時とは異なり、威厳を感じさせる真っ直ぐとした強さを持っている。
「私、ウェルナング・バンクウィードと申します。このユフィリウスの祖父です。村の者にはジジ様と呼ばれておりますが、ウェルと呼んで頂いても構いません。以後、お見知りおきを。」
「お、俺は山尾海斗と申します。以後、お見知りおきを。…よろしくお願いします。」
丁寧にお辞儀をしたお爺さんに、海斗はここで出会った他の人達とは大きく違った緊張を感じながら挨拶をした。再びお見知りおきをと言ったのはいいものの、そのままお辞儀をすることに戸惑った海斗はよろしくお願いしますと付け加えてしまい、画蛇添足となった。
「あの、お爺様…。」
「どうした、ユフィル?」
頭を上げたお爺さんに、ユフィルは恐る恐るお爺さんに話しかける。少し緊張しているようで、肩幅を小さくし、眉をひそめ、海斗より少し背の低いお爺さんに上目遣いになっている。
「勇者様を呼び出せたことは誇りに思います。しかし、この杖はお爺様の物です。勝手に持ち出して、ごめんなさい。」
決まりの悪そうな顔で一息に言い放ったユフィルは、両手で丁寧に持った杖をお爺さんに差し出して頭を下げる。お爺さんは何を言われたのかわからないとでも言いたげな表情で、ユフィルを見ながら2回ほど細い目で瞬きをする。
「…お母さんに何か言われたのか?」
「確かに、お母様からはお爺様に謝るように言われました。だけどそれだけではありません。お母様とのお話の後、勇者様は私に無断で他人の物を拝借する事は、例え後で返すつもりでも泥棒と同じだと仰いました。お恥ずかしながら、私はそこで初めて己のした悪事に気づきました。」
ユフィルは先程より腕を伸ばし、ワントーン低い声でごめんなさい、と呟いた。お爺さんは面食らった表情をした後、顎髭を撫でながらはっはっはっと楽しそうに笑い出した。一体何がそんなにおもしろいのか。
「なるほど、異界の勇者は心も美しいと見た。ユフィル、杖は返してもらおう。自分の意思を持って謝罪をするということは素晴らしいことだ。心からの謝罪に、感謝する。…勇者、ヤマオカイトよ。ユフィルに成長の機会を与えて頂いたことに、礼を言う。」
お爺さんはユフィルが差し出している杖を優しく受け取って言った。ユフィルは縮めていた肩を緩め、安堵の顔を示した。
なんとなくだが、ユフィルは今迄も杖を勝手に借りたことがあるのだろうと思った。そして勇者の召喚とやらに何度も挑戦し、失敗を繰り返したのであろう。その時の謝罪は、多少の罪悪感もあったのかもしれないが反省ではなく、表面だけのものだったのではないか。
考えても仕方がないと、海斗は軽く首を振る。
お爺さんは再び元いた椅子に戻った。海斗とユフィルも扉の前から、お爺さんが両肘を置いている机の前に移動する。お爺さんは顎を手の甲に乗せて顔の重みを支えている。先程までの朗らかな雰囲気は消え、真剣な目をしている。
「…さて、それはそうとユフィルよ。よくやった。召喚の成功おめでとう、そして感謝する。このことは村に伝えよう。今日は忙しくなるだろうな。その前に、召喚時のことについて詳しく教えてはくれないか。」
「はい、お爺様。」
お爺さんの真剣な目に応えるように、真面目な表情をしてユフィルは語りだした。
◇
「あー疲れた。」
ユフィルの母より与えられた客間のベッドでゴロンと仰向けで大の字なって寝転びながら、海斗は大きな溜息とともに呟いた。
あの後、ユフィルは海斗を召喚したときの状況について淡々と語り、お爺さんとユフィルはその内容について長々と話し合った。最初は興味を持って話を聞いていたものの、海斗が知らない単語や話が大分含まれていて、理解が追いつかず話を聞くことに飽きてしまった。
海斗が理解できたことは、ユフィルの家系は代々召喚師の家系で、ユフィルの曾祖父に当たる人がおよそ100年前に同じように異界から勇者を呼び出したことがあるということ。曾祖父が勇者を呼び出した時に使用した魔具がその杖であること。ユフィルが今回異界の勇者を呼び出すことができたのは、魔法使いから召喚師に1次転職することができるレベル15に達したからであるということ。明日にはユフィルの召喚が成功したことを祝福するパーティ、それと共に勇者の歓迎を祝うということ。そして、来週には魔王を倒すべく村を出発するということ。
ユフィルとお爺さんの話が終わると、ユフィルは明日のお祝いの準備へと迎い、海斗はユフィルの母に通されたこの部屋のベッドに思いっきり寝転んで呟いたのだった。
海斗がしていたことはただひたすらに話を聞いていただけだったが、訳のわからない話に、立ちっぱなしであったことも加わり余計に疲労を強く感じてしまったようだ。
ふと、ベッドの傍にある窓から空を見上げる。漆黒の空に白く輝く星々が無数に散らばっている。幼い頃に山の中で見た星空を思い出す。あれ以来、夜空など意識して見上げたことがない。所詮は都会の夜空、星などポツポツとしか見えない。しかし、今ここで見ている夜空はあの幼い頃に見た、いやもしかしたらそれ以上に美しい。
ぼんやりと星空を見上げていた海斗だが、その意識は次第に遠くなっていった。