プロローグⅨ
リアンはとっくに自我が崩壊していた。
密かに思いを寄せる自国の姫が目の前で殺されるのを見た瞬間、全てが崩れ去った。
自分の生きる意味と目的、果ては自身の価値までも失われたたように感じ、生きる気力はすでに尽き果ていた。
リアンに残されたのは怒りの感情だけであり、これがなけtれば既に自害していただろう。
この最後の感情を果たすためだけに動いて敵へ突っ込んでいった。
死ぬの事など怖くはない。
あんな子ども騙しの煙玉など怖くはない。
先程よりも距離が縮まったが、今回はレバーを引かなかった。
リアンは更に速度を上げた。
長年この船に乗っているため、使い勝手が良いように調整と改造をしてきた事で、簡単に速度制御装置を外す事が出来る。
エンジンをフル回転させれば当然速度は上がる。
しかし、燃料も一気に減るし、故障の原因になるため、緊急時でなkればそんな事はしない。
リアンは何の躊躇もなく、それをひき抜き一気に前の敵機へと接近をした。
衝突の危険などは頭になかった。
なぜなら、猛スピードで衝突するのが目的だったからである。
二機は轟音を立てて衝突し、それぞれの破片が物凄い勢いで飛び散っていった。
デイドの乗る機体後部のエンジンから煙が立ち上り、それを見ながら、リアンは一瞬だけ穏やかな顔へと戻っていった。
こいつらを仕留めて自分も姫の元へ向かうのも悪くはない。
気が付けばまた怒りに混じり狂喜に満ちた顔をしていたが、そんなのは本人にとってどうでもよく、これで全てを終えられるという達成感にも似た感情が沸き上がっていた。
衝突した二機はやがて大きな炎を出し、エンジン内部へと引火した。
衝突の弾みで気絶したライネは投げ出され、それを捕まえるためにデイドも船から飛び出した。
そしてその光景を見たリアンは
再度激怒した。
自分のあいつらを道連れにして死ぬという計画が見事に失敗し、船に取り残された自分だけが今まさに死のうとしているからであった。
リアンも勢いよく船から飛び出し、二人に飛びかかった。
轟音とともに船は爆発し、その爆風で一気にデイドの所まで飛ばされていった。
デイドは右腕でライネを抱えたまま傘を開こうとしていた。
その時、左肩を何かに締め付けられ、その痛みで悲鳴を上げた。
「絶対に傘は開かせん!俺と死ねぇ!!」
リアンは左手でデイドの肩を掴みながら右手でデイドの顔を力の限り殴りつけた。
男とは思えないくらい肌は白く華奢な体つきをしているデイドを見れば見る程に怒りが湧き上がってくる。
こんな男にティア様は殺されたのかと思うと余計にこの男を憎む気持ちが強くなっていく。
その後三発殴った後、ライネを抱えている右手に手を伸ばし二人を引き剥がそうとした。
血を流しながら顔を真っ赤に腫らしたデイドは激しく抵抗し、肘をリアンの顔へと勢いよく打ち当てた。
強い当たりにも関わらず、リアンは構わず右手を強く掴み更に引き剥がそうとした。
三人の高度はそろそろ死線を迎えていた。
ここで傘を開けなければ二人共命が危うい。
デイドは俄然必死になり、この状況を逃れようとリアンの顔や首を掴み抵抗を続けた。
リアンはデイドに傘を開かせずそのまま三人で地上に堕ちようとしていた。
ライネを抱えている圧倒的不利な状況で徐々に追い詰められていく。
こちらは死線までもう時間がない。
だが、相手は地上に堕ちるまで大分猶予がある。
その精神的余裕の差が更にデイドを追い詰めていた。
唯一自由に動く左手も羽交い締めにされ、無抵抗のまま顔を殴られていく。
意識が遠のき始めてきて傘を開く紐を引く力さえ残ってはいなかった。
痛みで体が言う事をきかなくなっていった。
「お前ら二人とも道連れにしてやる!道連れに…へ…へへ…ゲヘッ…。」
リアンは激しい腹痛を感じた。
口からは唾液、胃液、血液が吹き出し、デイドから離れていった。
デイドは最後の力を絞り出し、折り曲げていた足を後ろにいるリアンへ向かい蹴り上げた。
踵が丁度腹部へと当たりリアンは白目を向きながら、上空へと飛んでいった。
デイドはようやく勝ちを確信した。
一時はこれまでにない敗北感を味わい、死ぬ死さえも受け入れなければならない屈辱さえ味わっていた。
だが、ここにきてもほぼ負けを予感していたが、最後の最後での逆転劇。
向こうは傘を持っていない。
こちらは手を伸ばせば紐を引ける。
死線を超えるかどうかギリギリの所で、力ない手を動かし紐を引き、傘を開いた。
勝った!
これでようやく全てが終わった。
とはいえ、地上に降りてからもグノーへと戻る手段を考えなければならない。
帰れたとしても今回の不始末…処罰は免れまい。
考える事は山ほどあるが、まずはこの今までに感じた事のない達成感に浸り、勝利の喜びを感じる事にした。
傘はゆっくりと地上へ向かい、風に揺られながら落下していく。
デイドには景色を楽しむ余裕さえあった。
空は晴れわたり、風も穏やかな方である。
グノーと同じく、地上も新緑の季節なのだろうか。
とても青々とした緑が一面に広がり先程までの嫌な気分もどこか遠くへ消えていったかのように感じていた。
そんな、ゆっくり降下する傘が突然揺れ始めた。
大きく傾き、二人は左右に揺れていった。
デイドは勝利の余韻に浸る事が出来なくなり、不機嫌になりながらも事態の収拾を図ろうと上を見渡した。
穏やかであった上空とは違い、地上に近付く程風が強くなっていた。
ただでさえ二人で重量過多な上に安定性も悪い状況で、この強風では分が悪い。
風は強さを増し、より湯lれが大きくなっていく。
風に押されてどんどん流されていくがそれを止める術はない。
流れにl任せてしまうのはあまりよい状況ではない。
せめて着地場所が海の真上や岩山でない事を祈るしかなかった。
地上がはっきり見えてきた頃には風が相当に吹き付けてきて危うくライネを手放すところであった。
こんな状況でもライネを手放さないのには理由があった。
こんな自分の命すらも危険な状況で誰かを守ろうという思いやりの精神は微塵も持ち合わせていない。
ライネでなければまず泰一にそいつを手放していた。
だが、ライネだけは違う。
ライネの剣技は例え地上であっても天下無双と言っても過言ではkないだろう。
そして常に冷静であり、なぜか問題解決に必要な情報を嗅ぎ付ける能力が高い。
だが、それより何より器量の良い女であるという事からいざという時は売り飛ばす事だって出来る。
そんな下衆な考えと今の状況を考えた結果、ライネを生かす事が得策だと考えるcた。
この強風であっても何とか落ちずに安定を少しは保てる。
後は着地点が気にかかるところではあるが何とか乗り越えると決意し、殆ど力の入らない左手で傘の紐を掴み舵を取り続けた。
デイドの周りを何度も突風が遅い、その都度吹き飛ばされるところであった。
しかし、下に見えてきた地上が森である事を視認すると少し安心しながら着地に備えようと右腕に抱えているライネを抱え直した。
ちょうどその瞬間であった。
何かが傘の上に当たった。
傘はいよいよバランスを崩し落下速度を増した。
一瞬ホッとしたデイドだったがこれにはさすがに死の危険を感じずにはいられなかった。
この速度では木の枝に突き刺さる。
これにどう対処するのかもう考える時間はない。
落下速度は上がり地上がもうすぐそこにまで迫っている中で何を考えればこれを解決出来るのだろうか。
もう間に合わない。
だが、その時強い突風に助けられた。
風で傘が傾き、何かが落ちていくのが見えた
.
気絶をしているリアンが先に落ちていくと傘はまたバランスを立て直す事が出来た。
しかし、速くなっている速度は止まらず、そのまま木々の間へと落ちていった。
森の中へ落ちる直前、デイドは自分の落ちる場所が大木で太い枝がこちらへ向かって伸びているのを確認すると、最後の力を出し切ってライネを上空にぶん投げた。
デイドは決して自分の命を助かるためにライネを投げたのではない。
少しでも落下速度を緩め自分の落下地点よりもより安全な場所へ落ちる事を祈って投げた。
今までならば抱えている人間などいればそれを下敷きにしてでも自分が助かろうとしてきた。
だからなぜこんな行為に及んだのか不思議ではあったが自分の最期にしては悪くないな、と笑みさえ浮かべられる程に心の余裕を感じながら森の中へと落ちていった。