プロローグ Ⅶ
「こりゃあ言い訳すら許されねぇよなぁ。おい、退却の合図出せ!ってもうし始めてるよな…。」
ライネは船を下ろさせながらさすがに焦りを感じ始めていた。
ティアはあまりの急変に恐怖も消え、ネーグに走り寄っていった。
「ネーグ!しっかりしてネーグ!!ごめんなさい…私のせいで、こんな事になってしまって…。」
既に呼吸が虫の息となっており、目を閉じていたネーグが目を開けて、ティアの方を向いた。
「…おぉ…、姫様、ご無事でしたか…早くここからお逃げくだされ…ここは危険でございます…。」
「ごめんなさい…私がネーグの言う事を聞かなかったから…。」
「…姫様…、立派な王女に…いえ、立派な国王となり、素敵なお婿さんをお迎えくださいませ…。」
「駄目よ。ネーグがいなければ私、立派になんてなれないわ。だからきっと元気になって…。」
「あぁ…、私は少し疲れました…。眠くなってきましたので少しばかり失礼を…。」
「ネーグ!駄目よ!!ネーグ!私にはあなたが必要なの!あなたがいなければとても立派な国王になんて…なれない…。」
ティアは涙をこぼしながらネーグへ話しかけていた。
だが、ネーグは目を閉じたまま、何も答えなかった。
そして、ティアはネーグの握っていた剣を掴み退却するライネを睨んでいた。
船はゆっくりとライネの頭上へと降りてきた。
ライネはネーグの首を切ってから船に乗るつもりで、下りてくる船に背を向けてネーグの元へ歩き出そうとした。
「いけねぇぜ、隊長!何かやばそうなのが一機こっちに向かって飛んできてますぜ。一刻もここを早く離れた方がいい。
あいつぁかなり危険な匂いがしますで、早く乗っちゃってくだせぇ!」
ライネにはよく見えなかったが、どうやらデイドの話では遠くからこちらへ向かって何者かが飛んできているようである。
デイドの勘は野生の獣並みに鋭く奴が危険だと言って危険でなかった事は皆無であった。
ライネはデイドの言葉を信じ、すぐさま船に向き直って船が地面に着く前に後部座席へと飛び乗った。
「ったく、味方で被害こんだけ出しといて敵の首すら持ち帰れねぇとか…俺もう斬首決定だよな?」
「しょうがねぇでしょぉ。あんなヤバい奴と関わるくらいなら俺が隊長の分まで責任かぶりますよ。」
もちろん、デイド特有の虚言である。
きっと何の躊躇もなく自分だけ助かるための言い逃れをするに違いない。
ライネにはそんな事など当初から心得tるし、逆に裏が読みやすいからと、それを付き合いやすさだと感じながらこれまで一緒にやってきた。
だからライネの方もそんな戯言を気にせずにどんな処罰でも受けきる覚悟をし、頭を切り替えていった。
「よし、まぁ氏起こっちまたもんはしょうがねぇ。とっとと戻る…お!おい!揺らすんじゃねぇ!!危ねぇだろ!」
「い、いや隊長こそ、危ねぇですから揺らさんでくだせぇ。船がひっくり返っちまう。」
「何言ってんだ?俺は何も…。」
その時、ライネは全身の毛が逆立つ程の強い殺気を感じ、その殺気の出場所へ視線を向けた。
「殺してやる!あなた達なんか皆殺してやる!」
飛空船の右翼上にいるティアはネーグの持っていた剣を振り上げ、今にもライネの首を切り落とさんとする勢いで飛びかかってきた。
ライネは一瞬で理解した。
浮上中の船にティアが右翼へと飛び乗り船は大きく揺れた。
だが、ティアの体重が軽かった事と、デイドの操縦は若い割にかなり熟練しており、何とか落ちずに並行を保ちながら浮上していく。
何とか揺れが収まってきた頃、船の翼にしがみついていたティアはゆっくりと上体を起こし、風に煽られながらもライネに向けて剣を上に高く振り上げた。
「お、おい、やめろ!船が反転しちまうじゃねぇか!」
剣はライネの右側に大きく外れ、船はまた大きく揺れた。
「おい、デイド!絶対船ひっくり返んじゃねぇぞ!」
「へ…へぇ。何とかしやす。」
デイドはこの後も揺れる度に何とか並行を保ち飛び続けた。
ティアは後部座席へと足を伸ばし、ライネを確実に仕留めようと挑んできた。
ライネは操縦席へ背中を向けて後ずさり、ティア乱暴で力任せな剣さばきに対応するため、十分な間合いを取った。
「ネーグを殺したあなたを絶対に許さない!絶対に!」
ティアはただ力の限り剣を振り回した。
ライネは何とかこの場を乗り切ろうとティアの剣を右にずれて避けてはすぐさま左に避けた。
その度に操縦席に座って必死に舵取りをしているデイドの後頭部にライネの臀部が当たっていた。
「た、隊長のケツがケツが…グヘヘ…。後ろ向きてぇなぁ。」
デイドの操縦技術は相当に卓越している。
船だけでなく大抵の乗り物は一度見ればすぐに乗りこなす事が出来た。
剣の腕前もライネ程ではないにしろ、これもまた上級の技量があった。
技術だけならグノー国内でも上位ではある。
そんな男だが、性格に難があり、下品で下劣でそして一切の義理人情を持たない打算的な男である。
自分より強い者にしか従わず、それ以外の者は自分に利があるか否かでしか判断をしないし、どんなに親しくなったとしても自分が利益を感じなくなったり、自分の方が強いと思えば簡単に裏切るような男であった。
だから、今この国で自分が勝てない、従おうと思っているのはライネだけであった。
そのライネに対しては女としても欲情を覚え常に『隙』を狙っていた。
過去に三回程寝込みを襲った事もあったが、悉く失敗し、三度目に至っては命の危険すら感じた事もあってかしばらく彼女に対しての欲を抑えてはいたのだが、この思わぬ展開に再び目を血走らせてきた。
ライネは左右に傾く船の中で並行を保ちながらティアの剣を避けていた。
ティアの剣は滅茶苦茶で力一杯に振っていた。
ただでさえ、この船が揺れているのに自分もこれに加われば船は更に揺れて、本当に堕ちてしまう。
ライネは歯を食いしばりながらひたすらに避けていた。
しかし、ここにきて何かがおかしい。
先程よりも揺れが大きくなっている。
「お、おいどうしたデイド!?」
「ハァ、ハァ…も…もう自制心が…。」
ライネには最初、何の事だがわからなかった。
しかし、ようやく自分の尻がこの男の頭にピタリと付いていた事に気付き、すぐにデイドから離れた。
「お、おい!耐えろ!ここ乗り越えたら俺のケツでも胸でも揉ましてやる!だから何とか耐えろ!」
デイドは今までに聞いた事もない気色悪い奇声を上げながら、たちまち船の操縦は安定に入っていった。
ライネは恐れを感じ始めていた。
ティアは力を出しすぎてもう剣を振る手が上がらなくなり始めていた。
しかし、彼女の自分に対する憎悪はだんだんに増してゆき、鬼気迫る殺気に怖気付いていった。
ライネは戸惑っていた。
こんな感情を抱いた事などがなかった。
この感情にどう対処すればいいのかわからなかった。
ライネは次第にここを乗り切る事よりも早くこの女から離れたいと思うようになってきた。
上からあれ程殺すな、と言われているのに先程、焦った結果ついやってしまった。
ここでまたこの女を殺してはさすがに寝付きも悪くなる。
ほんの少し気絶させるつもりだった。
いつものように相手の腹に蹴りを入れて一瞬呼吸が出来なくなり気を失わせる。
そのつもりで実際に成功はした。
ティアは息を詰まらせて一瞬呼吸が止まり白目を向いた。
しかし、問題はそこではなくティアの体重が思っていたよりも軽かった事でティアが船から飛ばされていった事である。
ライネはふと我に返った。
つい、焦ったまま何とかしようとしたばかりに力の加減が出来なかった。
ライネはすぐに手を伸ばした。
しかし、ティアは手を伸ばす事なくネーグの剣と共に地上へ向かって堕ちていった。
「お…おい…、こりゃ…罰が当たるよな…。」
信仰心のかけらもないライネがそんな事を言いながら段々と小さくなっていくティアの姿をいつまでも呆然とした姿のまま見続けていた。