プロローグⅣ
「ティア様、後ろへ下り屋敷内へお入りくだされ!」
ネーグがちらと後ろを見るとそこに下女達の姿はなかった。
最初はティアのために駆けつけようとしていたが、威嚇射撃に恐怖を感じ逃げ出したのだろう。
ネーグは震えて動けないティアを屋敷の中へと入れたかったが、自分の部下には早急に敵機の対応をさせなければならず、苛立ちを隠そうともせず、部下を怒鳴りちらした。
「ヨルゼム!今すぐ警鐘を鳴らし、全ての民を非難させろ!ハワド!リアンに連絡を取り、全機出撃させよ!いいな!?全機だぞ!試作機を含めて全て出撃させよ!何をしておる!?さっさと行かんか!このクソ野郎共!!!」
部下達は弾丸のように飛び出し、それぞれの役目を全速力で遂行した。
敵は剣を振りながら上を向いたまま、どこか余裕のある口調で部下達に話しかけていた。
「おーい!敵さんは全軍動かすみてぇだ!あんまりモタモタしてらんねえぇなぁ!」
敵はネーグの方へ視線を戻すと、剣を真上に掲げ、小さい円を描いてから何かを指し示すかのように真横へと剣を下げていった。
後方に控えていた十機が行儀よく角度を変えて、最後部の一機を残して等間隔に剣の指示した方へと飛び出していった。
もちろん、町の中心部であった。
ネーグはこの敵に最大限の注意を払い、また警戒をした。
これ程の統率力を持つ人間がどんな奴なのか、とても興味があった。
まず、この敵が予想以上に若いという事に驚いた。のある肌が見えている。
の線の細さは女のようで、鉄鋼面から覗く目や口の周りからは潤いと張りのある肌が見え隠れしている。
多分、十代半ばであろうこの敵はまだあどけなさすら残っている。
そんな若さで一つの隊を率いて、更にはあの剣技である。
剣を重ねただけで伝わってくる相当な強さ。
正直、剣の達人として評されるこの男でさえ、何か底知れない恐ろしさがあると感じ、警戒をしていた。
ネーグは後方にいるティアに最大限の気を配りながら、ギッと敵を睨みつけたが、体の線の割に豊かな胸の膨らみにネーグの顔はすぐに驚きの表情へと変わっていった。
「ん?お前さん、もしかして女か?」
「あ?今頃気付いたのかい?じいさん。」
「まだじじいと呼ばれる年でもないがな。それにしても驚いたなぁ。あんたのような若さで隊長をやるなんざ、よほどそちらさんは人材不足なのか?」
「言ってくれるねぇ、じいさん。あっ、もしかしてオレに惚れたのかぁ?よく男は好きな奴にいじわるな事言っちまうって言うもんなぁ。」
「抜かせ、こっちにとっちゃお前なんて娘みてぇなもんだ。こんな血生臭い所、年端も行かない娘が来るもんじゃねぇ、早く帰ってお人形さんと遊んでた方が楽しいぞ。」
「あぁ!とっとと用事済ませて早く帰ってやるよ。用事って言っても大したもんじゃないんだけどねぇ、ただうちの隊の者が随分とあんたの世話になったみてぇだから、そのお礼がしたかったのさ。」
「おぉ、お礼なんて、若いのに律儀じゃねぇか?どうだいそいつは、元気でやってるか?」
「あぁ、元気でやってるぜ。あんたに復讐しようと死ぬ気で努力してるぜぇ。」
「そいつぁ楽しみだ。また会えるのを心待ちにしてると伝えてくれるか?まぁもう娘に
会わせんがな。」
「あぁ、それ聞いたら喜ぶだろうなぁ。更に精進するだろうさ。もう戦える体じゃない…ってぇのによぉ!」
それは一瞬だった。
ネーグには一分の隙もなかった。
そう意識していたし、実際にも相手に切り込まれるような隙間など微塵もなかったはずだった。
しかし、相手の女はいつの間にか自分の間合いに入っていて、剣を突き立てようとしている瞬間であった。
あまりの速さにネーグは対応しきれず、またも剣を鞘から抜く事が出来なかった。
ネーグの調子は完全に狂い始めていた。
今までに鞘を抜く間がなかった事など一度もなかった。
しかも今回は二度も抜く事が出来なかった。
ネーグはまた鞘ごと相手へ振り抜き、なんとか防いだ。
相手は笑いながら頭をかがめて余裕で攻撃を躱し、 またも剣を突き立ててきた。
ネーグは背中を反らして攻撃をかわしながら、反撃に出た。
どんな相手でも、どんなに調子を狂わされようとも、経験の差でそれを埋めて自分の間合いに入れていくのが真の剣士であり、ネーグ自身もそうあろうと鍛錬を積んできた。
ネーグは攻撃を避けるために後ろへ身を反らせたのではない。
剣を抜くために相手との距離を取り、抜刀の勢いで相手の左手に傷を作った。
「ハッ!!こいつぁ面白ぇ!血が湧き上がるぜぇ!」
相手の顔は狂喜に満ち溢れ、剣先の鋭さは先程よりも更に増していった。
ライネは最近まで相当に苛立っていた。
毎年出場させられている剣術試合は三年連続で優勝を果たしている。
デイドはあれから出場を拒否している。
出場を強要するも体の不調を訴え、相手の不戦勝となるのがオチであった。
よって、優勝争いは毎回、デウズであった。
しかし、前回デウズの技を全て見切ってからは彼に何の期待もしなくなっていた。
ただ、初参加の者には常に目を光らせ、才能のありそうな者には半ば強引に自分の隊へ引き入れ厳しい訓練をさせた。
そして、二回連続で優勝を果たした時期から、徐々に権力を持ち始め、自分専用の『密偵部隊』を軍上層部に黙認させ新規で編成した。
彼らの仕事は唯一つ、敵国に侵入し、『ネーグ』という男の居場所を突き止める事であった。
高額な報酬との婦との交遊も経費で払ってやるという破格の条件により、応募が殺到した。
半年かけてネーグの行方を突き止めたライネは入念に計画を練り、選抜部隊を更に鍛え上げた。
そして追い風が吹くように科学技術班に突如天才科学者が加入した事でヴェノスを凌ぐ技術班を持った飛空船が披露された。
これに乗った操縦士らはその性能の飛躍的進歩に度肝を抜かれる程で、ライネも柄になく飛び跳ねて喜び、ヴェノス軍が混乱する場面を思い描いた。
それ程までに執念深く強さへの渇望をしていたライネはこの日、この瞬間を待ちに待っていた。
期待していたネーグとの対戦は想像をはるかに超えていて、ライネは体の芯から来る震えを抑えきれずにいた。
ネーグから繰り出される見た事のない剣技、デウズよりも数倍速い剣さばきにライネは今までにない高揚感と幸福感に包まれていった。
顔は紅潮し、脳がとろけていくような気さえしていた。
こんな感覚は今までに味わった事はない。
ライネも本気を出して五連撃を食らわせた後、左右に振り払いネーグの反撃を躱しながらまた更に八連撃を加えていった。
ライネは楽しすぎて、ただひたすらに戦闘に溺れていった。
この闘いがずっと続けtば良いのに…と思っていた。
しかし、今この場を取り巻くグノー軍優位の戦況は不変ではなく、徐々に変わり始めていた。
町中は混乱に包まれていた。
さっきまでの幽霊船見物で国民は皆祭りのように湧いていた。
そんなところへ突然、警鐘が鳴り響くと同時に上から現れた飛空船に襲撃され、祭りの雰囲気から一転、大混乱へと陥っていった。
グノーから来襲した飛空船の目的は二つだけであった。
それは、ヴェノス島の一部にしか取れない光る鉱石「タンジェ」と、グノーではあまり育たない野菜や穀物等の食料である。
もちろん、それらを奪う際に抵抗する人間には容赦はしない。
お互いに、人間の数が減れば生産量が減る事をわかっていた。
だから手荒な事をせず、目的だけを果たしたらすぐに飛び去るのが習わしとなっていた。
ただ、ヴェノスの領民も黙ってそれを見ている訳ではない。
穀物は収穫後、すぐに厳重な鍵のかかった倉庫へと護送船を伴いながら運び入れていたし、野菜類もグノーの襲撃時、すぐに奪われていかないよう、市場の上には常に護衛機が飛んでいた。
その成果もあってか、収穫期に来襲してくる事はなかったが、かといって襲撃が絶える事はなかった。
もちろん、ヴェノスも警備は強化させてはいるし、侵入者は何機も撃墜させている。
だが、姑息な手を使うグノー軍の侵入を防ぎ切る事は出来なかった。
ヴェノス軍総隊長のリアンはいつもと違う状況に違和感を感じていた。
もちろん、幽霊船の接近は珍しい事ではあるが、グノーの襲撃はいつもの事だ。
しかも十機程度であれば尚更である。
だが、出撃命令は部隊本部からではなく、教育係りとして隠居したネーグからであった。
その上で、たった十機に対して全機出撃である。
リアンは出撃準備の手を止める事なく作業と周りへの指示を行っていたが、本能的に嫌な予感がしてならなかった。
そう思いながらリアンは思考を重ねた結果、国王邸宅に何かが起こっていると察知した。
きっと、これは只事ではない。
何か屋敷の方で大変な事態が起こっているのではないのだろうか。
リアンは自分の考えをまとめるとすぐに行動に移した。
「全乗組員に告げる!全機のうち十機程度、俺と共に王城へと向かう!襲撃機への対応には副隊長ギニスの指示に従って動いてくれ!」
飛空船の収容・整備場内はただでさえバタついていた。
全機出撃など、滅多になく、しかもさっきまで幽霊船の出現で国中がお祭り騒ぎになっていたばかりで、この急展開に困惑する者も多かったし、中には勤務中にも関わらず酒を入れている者さえいた。
そこに追い打ちをかけるように隊長が王城へ向かうという話を聞いて、場内にいる機兵全員に緊急事態である事が伝わってきた。
最初のリアン率いる十機が王城へと向かって急いで飛び立っていった。
整備すらまだ万全でない段階で全速力で飛んでいく。
「ゼイダ、お前らは全員そのまま王城へ向かえ!」
「えっ?隊長はどこに行くんで?」
「俺は屋敷の方へ向かう!」
リアンは全てを曝け出した。
身分の違いから今まで抑えていた感情だが、この状況下で隠す事など出来なかった。
リアンは全飛空機兵の隊長である。
しかし、この時ばかりは全機を率いる事もなく、ただ王城へと向かった。
そして更に厄介な事に、この国への忠誠心は決して高くはない。
隊長になれたのも他人よりも優れた 才能があったからで、出身も王家の一族でもなければ城に関わる者と繋がりがあるという訳でもない。
だからこそ、心の内にずっと秘めていた気持ちをここに来て、たまらなく現わにしてしまうのだった。
故にリアンはこの国のためでも王城にいる王を案じているのではない。
ティアの身を案じて全力を挙げて出撃したのだった。
周りに気付かれてもいい。
現場の指揮を放棄したと、後でどんな処罰を受けようとも構わない。
今は速度を更に上げてティアの安全を確保する事に努めようとそれだけが彼の思考の全てを占めていた。