プロローグⅢ
国王邸宅に突如現れた飛空船によってもたらされたgばあb風は先程より落ち着いてきたものの、まだティアの背中へ吹き突けていた。
依然として空は暗く、ティアの心はより一層不安を掻き立たされていった。
恐怖で足がすくみ、震えで全く動けない彼女ではあったが、一つ気になる事があった。
それは何かが反射して、影で薄暗くている地面がその場所だけ眩しいくらいに光っている事だった。
今、この状況でティアは十分に怖い思いをしている。
だから、これ以上何があっても怖い事はない。
無意識のうちにそう思っていたティアは妙に光る右前方の地面へ目を向け、恐る恐る上方へ目線を移していった。
ティアの背中側にはこの島の外、つまり、下方には厚い雲に覆われた空と、その上には青い空が彼方まで広がっている。
視界の端に見えるその美しい空の風景の中に、さっきまでウロウロしながら浮かんでいるかのような幽霊船はもう見えない。
そして影の原因を作り出している上空へ視線を集中させると、後ろの型飛空船よりも大きめの中型飛空船が浮いており、その船の中に地面を光らせる正体を見つけ、ティアはまたしても恐怖でそこから目線を外す事が出来なかった。
それは船の淵に足を乗せ、わずかに揺れる事なく仁王立ちしている鉄鋼服で全身を覆った敵兵であった。
その敵兵が握っている剣が太陽に反射し、地面を光らせていた。
それだけでもティアにとっては恐ろしい事であった。
しかし、恐怖を感じたのはそれだけではない。
その敵兵から視線と殺気が全て自分に注がれていたからである。
実際にティアの方へそれらが向けられているかどうかは定かではない。
顔の大部分を鉄鋼面に覆われているし、
わずかに目の周りと口の周りは穴が空いているようではあるのだが、逆光で眩しく、向こうの細かいところまでは視認する事は出来ない。
しかし、ティアの全身に鳥肌が立ち、自分の周りを重苦しい空気が包んでいくような気がしてならなかった。
それに加え、その予感を決定づけるようにその敵兵があろう事か、数メートルの高さから剣先をティアに向けて構え直し、自分に向かって船の淵を蹴り、一直線に飛び降りてきたのである。
ネーグは走りながら、一部始終を見ていた事を思い出していた。
ティアがこちらを向きながら、下らない押し問答をしている時、突如強い風と共に見た事もない機体が下から浮上してきた。
目線よりも少し高い位置に浮上してきた十一機の飛空船はこちらの島に上陸しようと近付きながら更に上空へと上昇を続けた。
すぐに敵機である事を見抜いたネーグはその強さを図っていた。
指揮官は誰なのか、部隊の人間はどんな奴らなのか、統率力…全てを見た上で、今回の部隊は今までとは全く違う未知なる部隊であると悟った。
ネーグの目から見て彼らは異様であった。
十機もの船が横に一列、一糸乱れる事なく浮上してきた所や先の威嚇射撃のタイミングや背密度を見ると、それを率いている前方の一機は恐ろしく有能であり、その部下達も相当に訓練された部隊であるに違いない。
そして、何より彼らが現れた事により、この場の空気が一瞬で重苦しく殺気の混じる物へと変えられてしまった事で確信を得た。
だが、ネーグはティアの頭上に彼らが現れた瞬間から、本能的に全身の血が騒いだのを感じ、奴らがとんでもない部隊だという事に気づいてはいた。
だからこそ、ティアの後ろに奴らが現れた刹那、ネーグは彼女の身を案じ、嵐のように名前を叫び、飛び出して行ったのだった。
ティア達の上を更に数メートル程上昇した船隊はその場でピタリと止まり、隊列を組み変え始めた。
まず、横一列だった船隊の中央より三機が前進し、残りの左右三機ずつが間を詰めるように中央へ平行に移動していく。
そして残りの一機がその後ろへと後退し、陣形を完成させた。
ヴェノスの技術では空中でピタリと制止する事も、横に平行移動する事も出来ない。
こちらの真似ばかりしてきたグノーが急になぜこんな技術を持ち始めたのかネーグは悔しくて仕方がなかった。
隊列は先頭にいる船から掲げられた一本の剣が何かの指示をするかのように振られる度に変わってゆく。
ネーグにはこんな統制力のあるような隊長に思い当たる人物は全くいなかったが、あの全身を鉄鋼服で覆った敵兵はどこかで見た事があるような気がしていた。
ぼんやりとではあるが、昔、妙に強い二機に味方の船がかなり苦戦させられたのを思い出し始めた。
その時の片割れだっただろうか。
そんな事を思い出しながら迅速に変わりゆく隊列が目に入った。
そして、隊が組み変わった事でティアの頭上も暗くなってゆく。
一つの影がティアの体を見えなくなるくらいに暗く覆っていった。
それはティア目掛けて降りてきた、剣で隊を指揮していた隊長らしき敵兵の姿であった。
「ティア様ーーーーーー!!」
ティアは自分の真上に止まった船から降りてきた敵をただ見上げている事しか出来なかった。
ティアまでは何の事はないバルコニーの入り口からほんの十数メートルの距離である。
全力で走ればすぐにティアを救出する事が出来る。
しかし、敵からの威嚇射撃に加え、敵機上昇による逆風や突風により中々到達する事が出来なかった。
ネーグはティアの無事を祈りながら全速力で向かっていった。
一つの影が段々と大きくなり、ティアを覆っていく。
そして、ネーグの自分を叫ぶ声に驚き、瞬時に目を塞ぎ、両手で頭を抱え込んだ。
堕ちながらその敵兵は右手に握った剣をティアの胴体に向けて振り切るために力を込めていく。
部下達より速く先頭を走るネーグはすぐに抱きかかえる事が出来るようにティアの腰元へと寸分の狂いもなく、ちぎれてしまうくらいに右腕を伸ばしていった。
ネーグは間に合うように必死で走り、手を伸ばしていた。
だが、ティアに触れるよりも前に敵の剣が既に振り下ろされていた。
何とかティアを救う事が出来たとしても敵の剣には対処出来ない。
ネーグは焦り、ティアの元へ駆けつけるのが精一杯で左腰に差している剣を抜いてはいなかった。
ようやくティアを触れる事が出来た瞬間に的の剣は既にティアの頭上まで届いていた。
ネーグの右にはあまりの恐ろしさに震えているティアがいる。
この片刃の直刀では左手で抜刀する事は出来ない。
ネーグはほんの一瞬、思考を深くした。
この国の姫にはどんな小さな傷さえも付けてはならない。
自分が身代わりになって斬られても良い。
だが、それではこの後、姫を誰が守れるのだろうか。
部下達は正直この敵には勝てない。
なぜならまだこの敵とは戦ってはいないが、この敵の強さ、殺気、自信を強く感じ取っていたネーグはそう捉えていたからであった。
自分と姫様が互いにこの状況を切り抜ける方法はないのだろうか。
これ以上考える時間はない。
ネーグは賭けに出た。
まず、おもむろに左手で鞘を強く握るとベルトから剣を鞘ごと抜きちぎろうとした。
先日、ベルトを新調した事を悔やみながら、この、まだ硬く馴染んでいない革のベルトが切れる事を祈りながら全ての力を左手に集中させ、敵に対峙した。
もし、このベルトが切れなければ自分も姫様も真っ二つにされてしまう事は必至である。
ネーグは思い切り力を込めたのだが、いくら力を込めてもベルトから剣が離れていく気配がない。
過去 に幾度となく死地を経験し、乗り越えてきたネーグであったが、この時程死を覚悟した事はない。
相手の剣が額にまで達した時は全身が恐怖で凍りつきそうだった。
敵の剣は何の迷いも狂いもなくネーグの頭へと振り下ろされていった。
敵はこちらの死を確信し、鼻で笑った瞬間だった。
ネーグは更に力を込めて歯を食いしばり、左手で握った鞘をついにベルトから引きちぎった。
ベルトは鞘を収める ホルダーのつなぎ目からちぎられていき、一気にベルトから離された勢いも手伝ってネーグの馬鹿力にそれが加わっていく。
ネーグは大きく鞘をブン回し、敵の振り下ろしてきた剣と火花が散る程に激しく衝突していった。
敵の振り下ろされた剣も相当に重い。
上から飛び降りてきた勢いも加わっているのだろうが、それだけではない。
そもそも実力が相当高いのだろう。
そして、上から攻撃してくる敵との位置にしても圧倒的にこちらが不利である。
だが、そんな事をものともしないネーグの力が皮一枚で頭蓋骨に到達しようとしていた敵の剣を徐々に押し戻していった。
敵はこの予想外の展開に驚き、そして次の展開へと胸を躍らせていた。
相手の頭にめり込んでいくはずの鉄塊が相手の剣で、しかも利き腕でない左腕でどんどん押し戻されていった。
ネーグの勢いは止まらず敵はいくら力を込めても剣は自分の方へと押し戻されていった。
ネーグは更に二の腕に力を注ぎ続け、押し戻そうとする敵の剣を退けていき、ついに下から敵に向かい、力の限り振り抜き、気迫の篭った怒声とともに敵の剣を押し上げていった。
今まで、どんな敵であってもここまでやれば大抵の敵は遥か後方へと吹っ飛ばされていた。
今回はいつも以上に力を使ったはずであったが、敵は飛ばされる寸前のところで堪え、ネーグの鞘と相手の剣はなおも激しくぶつかり合ったまま、お互いの力は拮抗し決着がつかなかった。
敵の力は相当に強く、単なる威嚇でない事をその一振りで知った。
ネーグは尚も全力で押し上げ続け、ついに相手の剣を跳ね除け、体を宙に浮かせていった。
相手は後ろへと飛ばされたが、体勢を崩す事なく膝を柔らかく曲げながら両足で地面にふわりと着地し、剣を再度構え直した。
「おぉ=ー!!久しぶりに手応えのある奴と戦えるぜぇ!」
敵はそう言うと、鉄鋼面から覗かせる目は餓えた野獣の如く鋭い目つきへと変わり、口元は不気味にも緩み始めたが、それが、この目の前にいる敵兵の闘いに対する集中力の高まりなのだとネーグは後になって気が付いた。