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ツキがツキたら

作者: 白銀虎徹

 もうダメだ……意識が朦朧としてきた。こりゃあ、死んだな。

 でも最後にいいことした。どうせ死ぬなら地獄より天国の方がいい。

 思えば本当にツキのない人生だった。

 やっと巡ってきたツキが文字通り冥土の土産なんてシャレにもならねぇ。

 あれ? そもそもどうしてこんな事になったんだっけ?

 そうだ、あいつと出会ったからだ。

 あの小さな死神と……。


――四時間前――

 朝から降り続いていた雨はすでに止み、嘘のようによく晴れた夕暮れ時。

 学生カバンを右手にぶら下げて帰路につく俺は、いつものように大きな溜息を吐いた。

「はぁ~、今日もいいことなかったな~」

 俺の名前は()()カケル。

 天才でもなければ変人でもない。ある程度の常識をわきまえ、身の丈にあった枠の中で生活してるごく普通の学生だ。

 しかしそんなパンピー(一般ピーボー)である俺にも、一つだけ誰にも負けない突出した才能がある。

 それはツキのなさだ。

 才能が幸せ方面にだけ突出するとは限らない。世の中には必要ない才能もあるのだ。

 どうやら俺はその最たる者らしい。

 宝くじは連番で下一ケタしか当たった事はないし、福引でもポケットティッシュしか貰った事がない。

 外に出れば鳥の糞が頭に直撃するし、ジャンケンをすれば必ず負ける。

 おみくじで大吉を引いた帰り道にトラックに撥ねられた事もあった。

 語りだせばキリがない。どうやら俺はツキの神様にとことん嫌われているらしい。

 世の中には宝くじで一等を当てる奴だっているのに、俺なんかサイフを落とした事はあっても十円玉の一枚も拾ったことはないぞ。

「世の中って不公平だよな~」

 言ってて空しくなってきた。さっさと帰ってテレビでも見るか。

 ぐにょ。

 ん? 足もとに言い知れぬ感触……。

「ぎゃあああ!! 犬の糞踏んだああぁぁ!!」

 これで今日二回目だ!! 鳥の糞を警戒して上ばかり見ているとすぐこれだ。

「あの~」

 ああもう!! 飼い主なら犬の糞ぐらい片付けろよ。微妙に血が付いてるじゃないか、飼い犬の健康管理もまともにできないなら犬なんて飼うなよ。

「あの~、すいませ~ん」

 うっ、臭ってきた。ちょっと、マジで勘弁。どっかで洗い落とさないと。はぁ、本当にツキがないよ。

「あの!!」

「うわ!?」

 突然背後からの大声に驚いて豪快にこけてしまった。

 なんだなんだ、NA・N・DA?

 慌てて後ろを振り向くと、そこには真っ黒なフード付きのマントを着こんだ子供が立っていた。身長に不釣り合いな大きな鎌を持って。

 何だこの子? コスプレ?

 フードを深く被っているから顔はよく見えないけど……女の子だ。身長から見て大体小学校の高学年から中学生の低学年ってとこかな?

「やっと気づいてもらえた。津木カケルさんですよね?」

「え? う、うん。そうだけど……」

 どうして俺の名前を?

「良かった~やっと会えた。今日中に会えなかったら上司に怒られちゃうところでしたよ~」

 なんかちょっとアレな子だな。こんな蒸し暑い日にあんな暑苦しそうな格好してるし。

 目の前の女の子は礼儀正しくペコリと頭を下げると嬉しそうに口を開いた。

「こんにちは。私、死神の佐原(さはら)と申します。本日よりあなたの担当をさせていただくことになりました。まだ新人ではありますけど一生懸命頑張ります!!」

 ダメだこいつ、完全にアレな子だ。関わると面倒そうだしさっさと逃げよう。

「いや……そういうの間に合ってるんでいいです。それじゃ」

「え? あの……」

 踵を返してそのまま走りだそうとしたのだが……、突然右足に尋常じゃないほどの重みが加わって足が止まってしまった。

 な!? 足が突然……金縛りか!?

 ……と思ったが、振り向くと単に女の子が俺の脚にしがみついてるだけだった。

「おい」

「だめですよ~。困りますよ~。お願いですから話を聞いてくださ~い」

 なんか今にも泣きそうな声だ。う~ん、このまま振りほどいて逃げてもいいけど……さすがにそれは俺の良心がやめろと囁いてくるな。

「わかったよ。話だけなら聞いてやるから」

「ホントですか!?」

 先ほどまで涙声だった女の子の表情が、今度はヒマワリのように眩しい笑顔になった。やれやれ、泣いたカラスがなんとやらだな。

「えへへ、それじゃ説明させていただきますね」

 女の子はどこからか、メルヘンな動物が描かれているメモ帳を取り出すと「え~っと」と繰り返しながらペラペラと紙をめくりだした。

「あった!! あのですね。明日の午前零時ぴったりにあなたは死にます」

「ばいばい」

「わ~ん、待ってくださいよ~!!」

 その場を立ち去ろうとしたら今度は俺の腕を掴んで必死に食い止めてきた。

「俺も暇じゃないんだ、いつまでも子供の遊びに付き合ってらんないの!!」

「そんなこと言わずに~」

 その後、不毛な会話が五分ほど続いたのだが、結局折れたのは俺の方だった。

「それじゃ、説明に入りますね」

 もう勝手にしてくれ。

「え~と、津木カケルさん十六歳、あなたは今日の午後十一時五十九分五十九秒を持ってすべてのツキを使い切ります。スゴイですね~、こんなに早く天寿をまっとうしちゃうなんて~」

 ツキを使い切って!?

「おいちょっと待ってくれ!! 百歩譲ってお前が死神だとしても、俺はツキを使い切るような幸運には一度も巡り合ってないぞ、適当な事言うな!!」

「え~、そうなんですか~? こんな平和な国なのにその歳でツキが尽きるんて、奇跡といえるほどの幸運が何度も起こってるはずですよ~?」

「そんな事はなかった。第一、今だって犬の糞を踏んでたじゃないか!!」

 そう言って靴の裏を女の子に向かって見せる。

「うわっ、汚い。そんなの見せないでくださいよ~」

 女の子は手で目を覆い隠した。

「どうだ!! これでもまだそんな適当な事言うか?」

 これでこいつも諦めるだろう。遊び相手を探すのはいいが相手が悪かったな。

「う~ん、たしかに変ですね~。ちょっと待ってください、ちょっと上司に聞いてみます」

 女の子は服の袖から携帯電話を取り出すと、壁の方を向いて何かボソボソと話し始めた。

 おいおい、死神が携帯電話使うのかよ。しかもソフトバ○ク。

「えっと、齋藤さんですか? ……はい? あうっ……すいません、以後気をつけます」

 誰もいない空間に向かって必死にお辞儀する女の子。

 なんだか日本のサラリーマンみたいだ。

「……というわけで……はい……えっ!?」

 電話の内容は聞き取れないが何か結構深刻そうな話だな。

 今のうちに逃げてしまおうか? でもなんか電話の対応見てると可哀想に見えてきた、一応最後まで付き合ってあげようか……。

「……わかりました。……はい、次は失敗しないように頑張ります!! ではまた」

 何だよ失敗しないようにって!! 死神なのに仕事失敗するのかよ!!

「お待たせしました~」

 あまり待ちたくなかったけどな。

「えっとですね~、上司の方にあなたのツキの量を調べてもらったんですけど、そこですごい事がわかっちゃいました~」

「すごいこと?」

 実は今日で一生分の不運を全部吐き出したとか?

「人は生まれる時に神様からその人に見合ったツキを授けられるんですけど~、何かカケルさんは役所の手違いでツキを貰えなかったらしいですよ~」

 は?

「すごいですね~、上司もこんな事初めてだって言ってました~」

「おいおい!! じゃあ俺は何か? 寿命を迎えるまでの最低限のツキもなく生まれてきたってわけか?」

「そうですね~。一般の人が大体二千前後のツキ値を授けられるんですけど、カケルさんの場合十六しかツキ値を持ってなかったみたいです~。あっ、一年間の生命維持にツキ値を大体一消費するので十六歳のカケルさんが今日まで生きてこれたのは奇跡的確率ですね~」

 まるで珍獣でも見るような顔で俺を見てやがる。

「ちょっと待てよ!! おれのツキのなさはそっちのミスじゃないか!! そんな事で死ぬなんて納得出来るわけないだろ!!」

「え~、でもそんな事言っても~」

「今すぐ上司に電話して俺の寿命をどうにかしてもらえ~!!」

 死神の肩を持って、ガクガクと揺すった。

 俺は必死に訴えたよ。死神が涙声になるぐらい必死で。

 この話が真実だったとしたら俺は死ぬんだ。他人の都合なんかかまっていられるか。

「わ、わかりました~。一応聞いてみますから、もう揺すらないでください~」

 死神は半ベソをかきながらしぶしぶ上司に電話した。

「……あっ、齋藤さんですか? 度々すいません、あの実は……えっ!? はい……すいません気をつけます!!」

 上司に怒られる女の子を見ると多少心が痛むが、ここは心を鬼にして女の子を睨みつける。

「はい……はい、じゃあそう言う事で」

 電話を切った女の子はどことなく暗い顔をしていた。溜息のおまけまでついてやがる。

「あの~、上司と掛け合ってみましたけど、やっぱり勝手に延命措置はできませんでした」

「やっぱりじゃない!! そっちのミスなんだから責任取るのは当たり前だろ!!」

「無理です~、延命に関する権限があるのは最上級の神様だけなんですよ~。私たちじゃどうしようもありませ~ん」

「どうしようもありませ~ん、じゃないんだよ!! どうにかしろ!!」

 女の子の両肩を掴んでガクガクと前後に揺らしまくる。ここが閑静な街中じゃなければ警察に通報されかねないレベルだけど、こっちも命懸けだ。

「おち……おち……落ち着いて……ください~」

 これが落ち着いていられるか。

「その……かわり……ツキを……プレゼント……しますから」

 ツキ?

 その言葉に反応してガクガクと揺すっていた手が止まった。

「はい~そうです~人生の絶頂期のような最高のツキを~あなたに~プレゼントします~」

 女の子はまだ目が回ってるのか頭をフラフラさせている。

 最高のツキ!?

 ああ……かつてこれほど甘美な響きが俺の中にあっただろうか?

 例えば腹が減ってる奴ならうまい食い物を死ぬほど食いたいと思うだろう。ガリガリのもやしボーイならムキムキのマッチョメンになりたいと一度は思うだろう。

 それと同じようにツキがまったくない俺は最高のツキとやらを体験してみたかった。

 そんな俺の心情を誰が責められようか。

「おい死神、今の話は本当か?」

 嘘だったら幼女だからって容赦しないぞ。

「本当ですよ~、しかも三回までOKですよ~」

 三回だと!?

 俺は咄嗟に女の子の両手を掴んだ。

「はえ!?」

 幼女は「また何か余計な事を言っちゃったかな?」といった顔をして小刻みに震えているのが手を通して伝わってくる。

 しかし、俺の言いたい事はそんな事ではない。

「その話、乗った!!」

 そう言って今度は女の子の両手をブンブンと上下に振り回した。



 はあ、最高のツキ。いったいどんな事が起きるのかな?

 光悦の表情を浮かべる俺、きっと女の子はドン引きしているが気にしない。

「あの~それでですけど~……何かリクエストとかありますか? あれが欲しいとか~あの子と仲良くなりたいとか~」

 そうだな~まずは何がいいかな? アレもいいしコレもやってみたいし。

 でもまずはオーソドックスにアレかな? うんアレだよね。

「決まりましたか~?」

「よ~し、決まったぞ~!! 死神、俺は金が欲しい!!」

 うん、やっぱり小市民の夢だよね。これは外せないでしょ。

「あいあいさ~」

 死神は身の丈ほどもある鎌を振り回しながら、変身でもするかのようにクルクルと回りだした。

「キルキル~デスデス~ジェノサイド~♪」

 何やらおっかない呪文を唱えながら大鎌を振り回す光景は、不気味を通り越して狂気だがとにかく呪文を唱え終えると俺の体がキラキラと輝きだした。

「おお!? なんだこのあふれ出るパワーは!! これがゴールドクロスの力なのか?」

「いえ、全然ちがいますよ~」

 死神の奴、俺の渾身のボケを軽く流しやがった。

「おほん、とにかくこれで俺には最高のツキが舞い込むんだな?」

「はい、そのはずです~」

 よっしゃ!! 最高のツキよ、いつでも来い。俺が優しく抱き止めてやる。



 だが何も起こらなかった。

 風に飛ばされた宝くじが俺のおでこに直撃する事もないし、高級車が突然目の前で止まる何てことも起こらない

「おいどうなってんだ? もう五分以上経ったぞ!!」

「おかしいですね~、もうなにか起こってもいい頃なんですけど~」

 やっぱりこいつ、死神でもなんでもない、ただの電波なコスプレ女なんじゃないか?

 最初からおかしいと思ったんだ。何となくノリで信じかけたけど……。

「アホらしい、俺はもう帰る」

 これ以上付き合っていられるか。

「あ!! ダメです、止まってください」

 誰が止まるか。ああそれにしても無駄な時間を過ごしたな、早く帰らないと楽しみにしてたドラマの再放送が始まっちまう。

「危ないですよ~止まってください」

 誰がそんな見え見えの手に乗るか。大体こんな見通しのいい場所で何が危ないって言うんだ。デタラメってレベルじゃねーぞ。

「伏せて!!」

 へ?

「ブホハッ!?」

 顔面に突き刺さる激痛。

 拳ほどの大きさの何かが俺の右頬にヒット、俺はそのまま道端のドブに尻からダイブしてしまった。

「大丈夫ですか~」

 死神がちょこちょこと近づいてくる。こいつの仕業か。

「何しやがる、説得に失敗したら今度は実力行使か!! 次はその大鎌で俺の首を刎ねる気か!!」

 冗談じゃない、殺されてたまるか!!

「落ち着いてくださいよ~。今のは私じゃなくてソレがぶつかったんです~」

 死神の指さす方向、そこには野球ボールが一つ転がっていた。

「野球ボール?」

「カケルさん、危ないって言ってるのに聞いてくれないから……」

 こいつはそれを教えるために……。

「悪かったよ。だけどこれでわかったことがある。お前は死神じゃない」

「え、ええ!? ど……どうしてですか!?」

 大げさに驚きやがって……。

「どうしてもこうしても、最高のツキどころか普段と何も変わらないじゃないか!!」

「そ、そんな~、信じてくださ~い」

 そんなな声で訴えてきてもダメなものはダメだ。

 もうこれ以上この子に関わるのはやめよう。

 そう思ってドブから尻を抜こうと両腕に力を込める。

 あれ……尻が重い?

 違和感を感じて尻に手を伸ばすと、何か固いものが指先にぶつかった。

「何だ? 何かベルトに引っかかってるぞ?」

 力を込めてそれを引っ張り上げる。

「カバンですね」

 濁った水の中から引っ張り出したのは、銀色のジュラルミンケースだった。

「何でこんなものがドブの中に……」

 とりあえずドブから抜け出して、カバンを手に取って見る。

「……重いな」

「何が入っているんでしょうかね?」

 それは確かに気になるな、ちょっと調べてみるか。

「あっ……ダメだ。鍵が掛ってる」

 ジュラルミンケースの取っ手部分の近くに小さなカギ穴が付いていた。

 う~ん、開かないとわかると余計に中を見てみたくなるぞ。

「どうしますか~? 交番に届けますか~?」

「え~」

 せっかく見つけたのに。

「すごい大金が入っているかもしれないんだぞ?」

「だとしたらきっと持ち主も必死で探してますよ~。それにカケルさんは鍵を持ってないんだから結局持っていても無駄じゃないですか~」

 う~ん、たしかに開かないんじゃ持っていても意味ないな。それにこいつが死神じゃないと分かった以上、何が入ってるか分からないものをネコババしてもな~。

「しかたない。交番に届けるか」

「さっすがカケルさん。欲に捕らわれた人には絶対に出来ない事を平然と言ってのける、そこに痺れる憧れるぅ♪」

 いや、別にそんな大それたことを言ってるわけじゃないんだけどな。

「きっと神様もカケルさんの善行を見守っていてくれますよ」

 あ~はいはい、もうその話はいいから。

「それじゃ、交番へレッツGOです~」

 死神が大鎌をブンブンと振り回しながら前を歩く。

「拾ったのは俺なのに何であいつはあんなに嬉しそうなんだ?」

 だが突然、前を歩く死神の動きがピタリと止まった。

 なんだ? あ、振り向いた。

「カケルさ~ん、交番ってどこですか~」

「知らずに歩いとったんかい!!」

 思わず突っ込みを入れてしまった。



 交番まで大した距離があるわけではない。歩いても五分とかからない場所だ。

 その道筋を二人で歩く。

「何でお前までついて来るんだよ!!」

「そりゃあ、私はカケルさんの担当ですから」

 こいつ、まだ言ってやがる。

「俺は死神なんて信じないし、今日明日で俺が死ぬなんてこともないんだ!!」

「でも本当の事なんですよ~」

 もう付き合ってられん。そうだ、交番に着いたらカバンと一緒にこいつも引き取ってもらおう。ナーイスアイディーア。

「わかったよ。ほら、あそこが交番だ。さっさと行くぞ」

「はい!!」

 うれしそうに返事しやがって。少し心が痛むだろうが。

 気まずいのでなるべく死神と目を合わせないように視線を交番へ向けていると、なにやら大きな声が聞こえてきた。

 なんだ一体?

「はて? どうしたんでしょうか?」

 中を覗いてみると、今にも泣き出しそうな中年の男性が妙齢の警官に抱きつくようにして何か訴えていた。

「お願いです!! とっても大切なものなんです。お願いですから探し出してください!!」

 サクラ吹雪の人に向かって必死に慈悲を請う罪人さながらの光景だ。

「お気持ちはお察しますがこればかりは……」

 そのあまりの迫力にお警官もタジタジだ。

「そこを何とか!! アレがないと私は……」

 中年の悲痛な叫びは交番だけに留まらず近所の家まで響くようだった。

「なんだか大変な事になってますね~」

 確かに。とても入っていけそうな雰囲気じゃない。

「出直すか」

「そうですね」

 初めて意見があった。

 まぁ落し物を届けるなんていつでも出来るし。

「ああああぁぁぁぁ!!」

「うわぁ!?」

 交番の前で死神とそんな会話を交わしていると、背後から今までで一番大きな叫び声が襲ってきた。

「そ、そ、そのカバンは!?」

 中年のおっさんが体中をプルプル震わせながら、俺が持っているカバンを指さして凝視していた。

「キ、キ、キミ!! ひょっとして……そのカバンを届けに!? そうだね? そうだと言え!!」

 中年のおっさんがコンマ一秒単位のスピードで俺の前に立ち塞がると逃がさないと言わんばかりに両肩を強く掴んだ。

「え!? あの……えっと……はい、そうです」

 おっさんの圧倒的な迫力につい飲まれてしまった。人間って奴は極限まで追い詰められると信じられない力を使えるようになるんだな。

「やっぱり!! そのカバンの持ち主は私だ!! 少年よありがとう!!」

 おっさんは俺の両腕を掴んでブンブンとその手を振り回した。

 本当に嬉しそうだ。よほど大切なものが入っているのだろう。

「あ~、喜んでいる所に水を差すようで悪いですけど……」

 突然俺とおっさんの間にお巡りさんが割り込んできた。

「本人確認の出来ていない遺失物をお渡しすることは出来ません。とりあえず、そのカバンの中身を確認してみましょう」

「あ、ああたしかにそうだな。うっかりしてた」

 お巡りさんの言う事ももっともだ。カバンがそっくりなだけでこのおっさんの勘違いかもしれないし、極端な話、このおっさんがウソをついてる可能性だってある。

 だけど……、

「このカバン、鍵が掛かっていて開かないんですけど……」

 そうじゃなければその場で確認してた。

 お巡りさんが「う~ん、困りましたね~」と呟くのとほぼ同時に、突然おっさんが片手を上げて「はいはいはい!!」と大きな声を出した。

「私、鍵持ってます!!」

 おっさんはおもむろにズボンのポケットから財布を取り出すと、中から小指サイズほどの小さな鍵を取り出した。

「この鍵を使ってカバンが開けば、私の物だって信用してもらえますよね?」

 そう言っておっさんはお巡りさんに鍵を見せびらかした。

「それだけではちょっと……とりあえず鍵を差し込んでみてください」

 おっさんは「わかりました」といった表情を浮かべると真剣な顔で鍵をカバンへもっていった。

 ゴクリとつばを飲み込む音が交番に響いた気がする。それほどここにいる俺たちの五感は研ぎ澄まされていた。

 鍵は見事カバンの鍵穴に一致、鍵を捻るとカチリと小さな音が鳴った。

「やった、開いたぞ!!」

 思わず口に出てしまった。

 おっさんは今にも歌いだしそうなご機嫌な表情を浮かべ、ゆっくりとカバンを開いていった。

「おお、間違いない!!」

 カバンの中に入っていたもの、それは……。

「金の延べ棒だ!!」

 カバン一面に施された黒いスポンジの上に、鈍い輝きを放つゴールドバーがいくつも並んでいた。

 大きさは大体携帯電話と同じ程度、その数実に十枚。

「良かった!! 中は濡れてないようだ」

 おっさんは中の金の様子を確認すると心底安心した表情を浮かべ、深いため息を吐いた。

「ほら、ここに私名義の書類も入ってる。お巡りさん、確認してください」

 カバンの端に差し込まれていた一枚の紙を取り出すと、それを鬼の首のように高々と掲げ、お巡りさんに見せた。

「む……たしかに間違いないようですね。しかし一応そこに記されてる会社に連絡してみましょう」

 額が額だけにお巡りさんも慎重なようだ。

 その後、しばらく確認作業が行われたが、どうやら目の前のおっさんがなくした物に間違いない事が証明された。

「ありがとう少年、これが見つからなかったら私は首を吊っている所だったよ」

 お礼を言われるのは悪い気がしないけど……まさか中身が金だったなんて、

「……もったいないことしたかな」

 思わず本音が口から漏れた。

「え?」

「あ!! いやいや、何でもないです。見つかって良かったですね!!」

 慌てて適当な言葉を取り繕う。

「ああ、本当に良かったよ。そうだ、これを受け取りたまえ!!」

 おっさんは俺の手を掴み、手の平にゴールドバーを一枚乗せると、壊れ物でも扱うかのようにその手を優しく包み込んだ。

「え? こ、これって!!」

「報酬の一割だ。金額としては痛いが無事に戻ってきたのは君のおかげだ、遠慮なく受け取りたまえ」

 おっさんが笑顔で手渡してくれた金は、ずっしりと重く、そしてひんやりと冷たかった。

「あ、ありがとうございます!!」

 正直、この金がどれぐらいの値打ちなのかさっぱり分からない。だけど今まで俺が見たことも無い金額になるだろう事は容易に想像できる。

「おっと、もうこんな時間だ、会社に戻らなくては。それではお巡りさん、どうもありがとうございました」

「もうなくさないで下さいよ」

 そう言って、お巡りさんはヒラヒラと手を振って笑った。

「そうだ少年、まだ名前を聞いていなかったな」

 突然のことに一瞬とまどったが、おっさんの心意気に応えるべく、相手の目を見据えてハッキリと返事をした。

「カケル……津木カケルです」

「いい名前だ。縁があればまた会おうカケルくん!!」

 おっさんはニヒルな笑いを浮かべると、一目散に駆け出していった。

 その後姿はまるで映画のラストシーンのようだ。その姿を俺とお巡りさんはおっさんが見えなくなるまで黙って見守った。

「長いことこの仕事をしているが、あんな高価な落し物は初めてだ。カケルくん、君はとてもツキに恵まれているね、羨ましいよ」

 そう言って、お巡りさんはてグッと親指を突き出すと、交番の中へ戻っていった。

「は、はぁ……」

 たしかに、過程はどうあれ結果だけ見れば俺は金持ちになった、想像してたのと多少違う気もするが……。

 う~ん、やっぱりアイツの言ってることは本当なのか?

「……ってあれ? そういえばアイツがいない!!」

 周りを見渡してみるが死神はおろか、猫の一匹もいない。

 さっきまで俺の横にいたはずなのに……一体どこに行ったんだ?

「どうでした?」

「おわっ!?」

 背後から突然声がして、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「きゅ、急に出てくるなよ!!」

 どこに隠れてたんだ、心臓が止まるかと思った。

「信じてくれましたか?」

 死神はどうだと言わんばかりに大きく胸を張った――胸なんかないくせに。

「た……たまたまだろ」

 そうは言ってみたが、あれが「たまたま」でないことは俺が一番よく分かってる。人生の中でこれほどのツキに巡り合ったことなんてなかったのだから。

「む~、そんな事ありませんよ~」

 死神は心外だと言わんばかりに頬を膨らませて抗議の声を上げた。

「と、とにかく!! 俺は死神なんて信じない、信じないからな!!」

 金をズボンのポケットに納めると、そのまま死神から逃げるように駆け出した。

「あ!! 待ってくださいよ~」

 尻目に死神がたどたどしい歩き方で必死に追いかけてくる姿が見えた。

 どうして俺はこんな必死に走っているんだ? あいつは本物の死神じゃないんだから、さっきみたいに適当にあしらっておけばいいじゃないか。

 だけど、心の片隅に存在するもう一人の俺がしつこく囁きかけてくる。

――なあ、もう本当はわかってるんだろ?

 なにがだ!!

――あいつは正真正銘、本物の死神だよ。

 そんなことは無い!! そんな非現実的なものがあってたまるか!!

――お前は願いどおり大金を手に入れたじゃないか、それが何よりの証拠だよ。

 ちがう!! そんなのはたまたまだ!!

――おいおい、本気で言ってるのか? 俺の人生の中で「たまたま」ツキが巡ってきたことなんて無かっただろ? 認めちまえよ、楽になる。

 絶対にイヤだ!! だって、認めたら……。

――死ぬことになる。

「うわあああああ!!」

 俺は走った。夢中で走った。

 頭の中に響く声が消えるまで走り続けた。



「はぁ……はぁ……はぁ……」

 気がつくと人気の少ない山の麓まで走っていた。

 木が鬱蒼と茂っていて、どことなく不気味な雰囲気を醸し出している。

 どれくらい走っただろうか? 死神は撒けただろうか?

 大丈夫、あれだけ走ったんだ。きっともう見失ってるさ。

 時間と共に呼吸が楽になってきた。

「全力で走ったんだ、あの鈍くさそうな死神についてこれるわけない」

 自分に言い聞かせるように呟いて、ゆっくり……本当にゆっくりと後ろを振り向いてみると……。

「も~、おいていかないでくださいよ~」

 いまこの世で一番会いたくない奴が、当然のように俺の背後に立っていた。

「うわあああぁぁぁ!!」

 叫び声が喉の奥から飛び出た。

「あはは、なんのマネですか~。それ面白いです~」

 そんな馬鹿な!! あんなに全力で走ったのに、どうしてついてこれる!?

「さあ、あと二つですよ~。ジャンジャン使っちゃいましょ~」

 死神は緊張感皆無。まるでゲームの余興でも楽しんでいるかのようなノリだ。

 こいつ、あれだけの距離を移動したにも関わらず、息の一つも乱れてない。

「お前、どうやってここを……」

「きゃあああああ!!」

 死神に問いかけた言葉は耳を劈くような悲鳴にかき消された。

「なんだ!?」

 こんな場所で女性の叫び声? いったいどこから?

「あそこじゃないですか~?」

 死神が指さしたその場所は、山の麓に建っているボロボロの豪邸だった。

 あの家なら知ってる。

 何でも昔は大富豪が住んでたらしいけど、放火で一家全員が焼死したとかいう、いわくツキの家だ。

「まさか……ゆ、ゆ、幽霊!?」

 背筋が凍りつくような悪寒が前進に走り、先ほどとは質の違う汗がダラダラと流れ出てきた。

「何言ってるんですか~。幽霊なんて非科学的なもの、いるわけ無いじゃないですか~」

 お前が言うなよ……。

「誰か~、誰か来て~!!」

 また聞こえた。確かに幽霊がこんなハッキリと声を出したりはしないだろう。

「何かあったんだ、助けなきゃ!!」

 一も二も無く俺は建物に向かって駆け出そうとした……が、死神が俺の腕を掴んでそれを阻止した。

「ちょ、ちょっと待ってくださ~い!!」

「なんだよこんな時に!!」

「あの……中でどんな事が起こっているかわからないし……とりあえず警察を呼びに行った方がいいんじゃないですか~?」

 恐る恐るといった様子で死神が提案してきた。

「交番までどれだけ離れてると思ってんだ!! そんな時間は無い、すぐに助けに行かなきゃ」

 死神の手を強引に振り払った俺は、薄暗い豪邸目掛けて矢のように駆け出した。

「時間通り死んでくれないと減給されちゃうんですよ~、待ってくださいよ~」

 遅れて死神が俺の後をついてくる。

 俺は映画のワンシーンのようにボロボロに腐った玄関の扉を蹴り破り、悲鳴のした部屋へヒーローのように格好良く参上した。

「大丈夫ですか!!」

 部屋にいたのは俺と助けを呼ぶ若い女性、それと女性を取り囲む数人の男たちだった。

 女性を押さえつけている数人のチンピラの中に、綺麗なタトゥーが似合いそうな黒服のお兄さんが一人。

「なんや兄ちゃん。ヒーロー気取りは長生きできひんで?」

「あ……いえ、その……」

 まさかこんなに人がいるとは思わなかった。どうする、俺?

「あ~あ、だから言ったじゃないですか~」

 遅れて死神が現れる。

 くそ~、やっぱり死神の忠告を聞いておくべきだった。

 男たちに聞こえないよう小さな声で死神に話しかける。

「所でお前はどうしてそんなに冷静なんだよ、お前だって只じゃすなまいぞ」

「この人たちに死神である私の姿は見えません。だから問題なしです」

 なんだと!!

「ッザキさん、やばいッスよ、顔見られたッス。こいつこの家の人柱にしましょうッス」

「……おい、出口を固めろ。絶対に逃がすなよ」

 あ、やばい。俺死ぬ。

 恐怖で固まっている間にも本職らしき人がチンピラ達にテキパキと指示を与えていく。

 あっという間に四方を固められてしまった。その様子はさしずめ狼に取り囲まれた一匹の羊といったところだろう。

 チンピラの一人が下卑た笑みを浮かべて懐からバタフライナイフを取り出した。

「ほら逃げろよ、じゃねえと楽しめねぇだろ」

 まるで狩りでも楽しむかのように、チンピラはゆっくりと俺との距離を詰めてくる。

「ありゃ~、大ピンチですね~」

 くそ~!! 人事だと思って余裕かましやがって!!

 絶体絶命、相変わらずツキのなさだけは絶好調……ん? ツキのなさ?

 そうだ!!

「死神!! 二つ目の願いだ!! こいつらをやっつけてくれ!!」

「え~、できませんよ~。私、担当者以外の生死に関わっちゃいけないんです~」

 くそ!! こんな時に面倒くさい。

「じゃあ何でもいい。何でもいいからこのピンチから俺とあの女性を救ってくれ!!」

「あいあいさ~!!」

 例によって魔法少女が変身でもするように、大鎌を振り回しながらクルクル回り始めた。

 チンピラがその横を華麗にスルーしてどんどんこっちに近寄ってくる。

「なに一人でブツブツ言ってやがんだ? 念仏でも唱えてんのか、ひゃひゃひゃ♪」

 お、おいまだか!? このままじゃツキが来る前にチンピラの持ってるナイフが俺の身体にツキ刺さるぞ!!

「キルキル~デスデス~ジェノサイド~♪」

 俺の身体が輝きだすのとチンピラがナイフを振り上げるのはほとんど同時だった。

 ゴゴゴゴゴ!!

「な、何だ!? 何が起こった!?」

 腹の底まで響いてくるようなこの小刻みな揺れは……。

 チンピラもその事態に驚いたのか掲げたナイフを落としてしまった。

「じ、地震だ!! でかいぞ!!」

 誰かがそう叫んだ時にはすでに建物のあちこちから亀裂が縦横無尽に走り出していた。

「ヤベ!! マジでヤベエンジャねぇ? パネェ、マジッパネェ!!」

「こりゃあかん。はよう逃げんで」

「こいつはどうしますか?」

「アホ、かまってられるかい!!」

 黒服のお兄さんはチンピラ達をひきつれて出口へ向かって一斉に駆け出して行った。

「俺たちも早く逃げ出さないと」

「そうですね~、そうしましょ~か~」

 さすがにこんな事態になるとは思ってもなかった。早く逃げないとこの建物と心中してしまう。

 そんな事は御免だ。俺と死神も黒服の兄さん達と同様、出口へ向かって一目散に駆けだした。

 その間にも腐った天井の破片がボロボロと部屋の中へ降り注いでくる。こんなものに当たったら最悪死んでしまう。

「あ、カケルさん、あそこ!!」

 出口も間近に迫ったその時、一足先に出口にたどりついた死神がある一点を指差した。

「どうした一体……」

 死神が指さす方向、そこに視線を向けて俺は硬直した。

「待って、助けてください」

 そこには先ほどまでチンピラ達に襲われていた女性が倒れていたのだ。

「なにやってる!! 早く逃げないと死んじまうぞ!!」

「足が……はさまってしまって……」

 よく見ると彼女の足は落ちてきた大きめの天井の破片に挟まっていた。彼女一人の力ではそれを動かす事も出来ないようだ。

 だけど……今彼女を助けに戻ったら俺まで巻き添えになってしまうかもしれない。

 天井の底が今にも抜けて落っこちてきそうだ。もはや一刻の猶予もない。

「カケルさん、もう天井が崩れます。今すぐ外に出なきゃ間に合いませんよ~」

 どうする? どうする?

 簡単に決断できる事じゃない。だけど……、

「待ってろ!」

 我慢できずに俺は走ってきた道を引き返した。今の俺には最高のツキがある。きっと彼女を助けても間に合うはずだ。

 そう思ったら後はもう一直線だった。

「大丈夫か!?」

 そのまま彼女の足に挟まっている天井の一部に手を掛けて持ち上げようとした……が、

「お、重い……」

 中に鉄骨でも入っているのか、俺一人の力じゃとても動かすことができない。

 くそ、時間がないっていうのに。

「あ!! カケルさん、天井が崩れる、逃げて!!」

 死神が今までにないほど大きな声で叫んだ。

 視線を天井に移すと、すべてがスローモーションに見えた。

 目に映るすべての色がモノクロになり、自らの重みに耐えられなくなった天井が、ゆっくりと迫ってくるのが見えた。その光景は俺に死を直観させた。

 俺の目の前は真っ暗になった。



 あれ? 俺生きてる?

 予想していた衝撃は来なかった。

「どういうことだ? 知らない間に死んじまったのか?」

 痛みを感じなかったのはラッキーな気もするけど死んでしまったら元も子もないじゃないか。

「いえ、どうやら私達、まだ生きてるみたいですよ」

 横を向くと先ほどの女性が申し訳なさそうな顔をしていた。

「おお!! あんた無事だったのか!! よかったよかった」

 見た所、どこにも目立った傷はないようだ……ん?

「あんた、なんで立ってるの?」

 足が挟まってて動けなかったはずじゃないか?

「ええと、何かうまい具合に挟まっていた破片が割れて脱出できました」

 落ちてきた天井とぶつかって割れたのか。随分とツキのある人だな。

「それにこの破片が盾になってくれたみたいですよ」

 たしかに、この大きめの破片がうまい具合に空間を作ってくれたおかげで二人とも大した傷もなく助かったようだ。

「あなたも相当ツキのある人ですね」

 女性はにっこりと笑った。埃だらけで顔中クシャクシャになっているにも関わらず、屈託なく笑うその笑顔はとても魅力的だった。

 よく見るとすごい美人だ。

「と、とりあえずここから抜け出そう。ほら、あそこから出られそうだ」

 二人で崩れた天井の一部を押して見ると、あっけないほど簡単に外へ抜け出すことができた。

 夕日が沈みかけて、小さな星がチラホラ見え始めている。

 周りには誰もいない。チンピラたちもすでに逃げ出したようだ。

「う~ん、空気がおいしい」

 外に出た彼女は吹き抜ける風に向かっって大きく手を広げ、全身で風の感触を感じているようだった。

「あ!!」

 何か思いついたのか、彼女はクスクス笑いながら目の前まで戻ってきた。

「そういえばまだお互いの名前すら知らないんですよね。私はアヤネ、水無月アヤネです。十七歳の学生です」

 俺より一つ年上なのか。それにしては随分大人びて見えるな。

「俺は津木カケル。十六歳の学生だ」

「それじゃあカケルさん。助けてくれてありがとうございます!!」

 そう言ってアヤネさんは俺に向かって深く頭を下げた。

「いや、そんな……。結局何の役にも立たなかったわけだし……」

 本当に何もしていない。助かったのは偶然地震が来たからだ。

「いえ、そんな事ないです。あの時、カケルさんがカッコよく登場してくれなかったらきっと私、今頃ひどい目に会ってました」

「いやあ、そんなに褒められると照れるな、ははは」

「私、これから警察に行こうと思ってます」

「はは……は?」

 警察か、たしかにあんな事があったんだから当然だろう。

「そういえば、なんでアヤネさんはあんな奴らに襲われていたんですか?」

 つい口から出てしまった。アヤネさんの顔色がみるみる暗くなっていくのを見て、失言だった事に気づいた。

「あ、すいません。そうですよね、わかるわけないですよね。忘れてください」

「いえ、聞いてくれますか?」

 アヤネさんはこの上なく真剣な表情で話してくれた。

「実は私、あの人たちが拳銃を売っている所を偶然見ちゃったんです。すぐに逃げ出そうとしたんですけど、見つかってしまって……」

 その時の事を思い出したのか、アヤネさんは体中を恐怖で震わせいた。

 こんな時、やさしく抱きしめたりしたらカッコイイんだろうけど……。

「……もう大丈夫ですよ。一緒に警察に行きましょう」

 こんな事を言うことぐらいしか俺にはできなかった。



 警察署の前までアヤネさんを案内すると、彼女は何度も頭を下げてお礼を言ってきた。

 しかし一緒に事情聴取を受けるという提案を彼女は断固として承知しなかった。

「ありがとうカケルさん。でもこれ以上カケルさんに迷惑はかけられないです。私と一緒に取り調べを受ければ今度はカケルさんが狙われるでしょうから。大丈夫ですよ、私負けないから」

 アヤネさんの目、本気だ。

「また……会えますか?」

 アヤネさんは答えなかった。かわり眩しいほどの笑顔を俺に見せてくれた。

 そのまま警察署へ向かって歩きだすアヤネさんを俺は止める事が出来なかった。

 空を見上げると、いつの間にか灰色の雲が一面に広がっていた。

 まるで今の俺の心情を代弁してくれてるようだ。

「もう…俺に出来ることはない……か」

 もう家に帰ろう。

 警察署に背中を向けて俺はゆっくりと歩き出した。

「……そう言えば、死神の奴、ちゃんと逃げられたかな?」

 何気なく気になった事を口に出してみた。

「はい~、ちゃんと逃げましたよ~」

「うわっ!?」

 またいつの間に!!

「お前今までどこにいた!!」

 いくらなんでも唐突に現れすぎだろ。

「え~、ずっと近くにいましたよ~。ただ、ステルスモードにしてたから気づかなかっただけですよ~」

 なんだよステルスモードって。死神どんだけ便利機能備えてんだよ。

「それよりもツキもとうとう最後の一つですね~」

 次で最後か。参ったな、あの時は無我夢中だったから深く考えずに使っちゃったからな~、最後は良く考えて使わないと……あ、そうだ!!

「神様に俺の延命を許可してもらうってのはどうだ?」

 これはいいアイディアじゃないか?

 この問いに対し、死神は両腕を思いっきり交差させて渾身の×マークを作った。

「ブー、ツキと延命はまったく関係ありませんから無理で~す。もっと別のものにしてくださ~い」

「なんだよケチくさい奴だな。そのぐらいオマケしてくれたっていいだろ」

「無理ですよ~」

 う~ん、どうしたものか。二度も神がかり的なツキが起こったんだ。今更偽者でしたなんてオチもないだろうし……。

 考えろ!! 考えるんだ俺!! 考え抜けば、かならず何か突破口が開けるはずだ。

 歩きながらも必死で頭をフル回転させる。

 しかしその行為も鼻筋に冷たい感触が走った事で中断された。

「なんだ?」

「また雨が降ってきたみたいです~」

 死神が手の平を空に向けながらそう零した。

「やばい、早く帰らないと!!」

 とりあえずツキのことは家に帰ってから考えよう。

 この辺りは見晴らしのいい川辺で雨宿りできそうな場所も皆無。しかも雨も段々と強くなってきてやがる。

「ひゃあぁ、土砂降りになってきやがった!!」

 降り始めてまだ五分も経ってないのにまるでスコールだ。

 最高のツキって言ってもやっぱり持続性があるわけじゃないか。普段のツキのない俺に戻ってやがる。

 手をかざして何とか視界を確保するがそれでもこの豪雨だ。遠くなんか見えないし、雨音以外何も聞こえない。

「カケルさん、カケルさん!!」

 あ、でも死神の声はハッキリ聞こえる。またアレか? 死神便利機能の一つってやつか? もう通信販売で売り出そうぜ、一家に一人って感じで。

「なんだよ!!」

 出来る限り大声で叫んでみるが雨音がうるさくて自分の声すらほとんど聞き取れない。

「何か聞こえませんでした!! 叫び声みたいの」

 は? こんな豪雨で声?

「聞こえるわけ無いだろ!! いい加減なこと言ってないでさっさと帰るぞ!!」

「でも確かに聞こえたんです!! あっちの方から!!」

 あっちって……。あの川か?

 しかし川は今、増水して濁っている上に大量の雨飛沫が上がっていてとても目視なんて出来る状態じゃない。

「こんな豪雨でそんな場所、見えるわけないだろ!!」

「でもあそこ!! あそこだけ飛沫が上がってないです!!」

 ん? 視界が不鮮明でよくは見えないけど……確かに死神の指してる所だけ不自然な場所がある。

「なんだあれ?」

 微妙に動いてる気がするけど……そんな……まさか!?

「人だああぁぁ!!」

 意識してみると、確かに見えた。

 苦しそうに顔を上下させて今にも茶色い水の中に飲み込まれてしまいそうな人が。

 死神がいなかったら間違いなく気づかなかっただろう。俺は驚きで全身の毛穴が一気に開いた。

「やばい!! 早く助けないと」

 でもどうする? 助けを呼びにいったらきっと間に合わない。だけどこの急流、助けられる自信はハッキリ言ってない。

「ど、どうしますか~」

 死神もこの事態にオロオロと慌てふためいている。

「あーもー!! ままよ!!」

 短い葛藤の末、俺は道路から川辺に飛び出した。

「あ!! カケルさん、危ないですよ~!!」

 そんな事は言われなくてもわかってるよ。でも見殺しには出来ないだろうが!!

 近くで見ると急流なんてもんじゃない、これは激流だ。

 この中を泳いで助けるなんて……俺にそんな事できるだろうか?

 一度はねじ伏せた恐怖心が再びざわつきだす。

 あ……足が動かない。

 くそ、こんな状態で川に飛び込んだら……やっぱり助けを呼ぶか。

「た……けて……」

 川に近づいたせいか雨音に交じってかすかに人の声が聞こえた。

 子供の声!?

「待ってろ!! 今行くからな!!」

 震える足を無理やり押さえつけ、俺は激流の中へ飛び込んだ。

 川の中はひどいもんだ、流れが激しすぎてて上下の感覚すらわからない。

「ぶはっ!!」

 どこだ、あの子はどこに行った?

「カケルさ~ん、そっちじゃないです~。もっと左です~」

 遠くから死神の声が聞こえてきた。

 簡単に言ってくれる。この急流、流れに逆らって泳ぐのはそうとうキツイ。

 それでもなけなしの根性を絞り出してこの荒れ狂う川を突き進む。

「そうです。その方向にまっすぐ!!」

 嬉しそうな声出しやがって。こっちはもう限界だっての。

腕が痙攣してきやがった。くそ、もう少しだけ……もう少しだけもってくれ!!

「もう少しです!! あと2メートル!!」

 まだか!! まだなのか!?

「あと1メートル!!」

 見えた!!

 まるで濃霧の中を色眼鏡を付けて泳いでいるような状況の中、目の前にぼんやりと人の影らしきものが目に映った。

 とは言ってもすでに頭と手以外は水の中、しかも今にも沈み込んでしまいそうなほど衰弱してるようだった。

「大丈夫か!? しっかりしろ!!」

 無我夢中で体の一部を掴むと、ぐいっと自分の方へ引き寄せる。

「ガッハ!! ゲフッ……ゴフッ……」

 人影の正体はやはり少年だった。

 それもまだ小学校にも上がっていないような小さな子供。

 この子の今までの経緯など知る由もない。だけど今、俺が握っているのはこの子の腕でこの子の命そのものだ。

 体力はとうに使い果たしてしまったが、このまま岸まで移動するだけならまだ気力でどうにか持ちそうだ。

「もう大丈夫だ」

 子供を不安にさせないよう、出来るだけ笑顔を作って声をかけると、

「うわあああぁぁぁん!!」

 まるで溜まっていた恐怖が泣き声となって外へ飛び出しているように子供は泣き叫んだ。

 こんな小さな子が死線をさまよっていたんだ。泣きたくもなるだろう。

 俺は子供を正面から抱き寄せると、流れに身をまかせながらゆっくりと岸へ向かって移動する。

 ふう、危なかったけど何とか無事に岸へたどり着けそうだ。

 しかしその考えは甘かった。なんと感情を暴走させた子供が、あらん限りの力で俺の四肢にしがみ付いてきたのだ。

「あ!! おい、ちょっと待て!?」

 突然両手両足を封じられた俺は、激流に逆らえずすごい勢いで流されていく。

「エフッ!! しがみ付いたら泳げ……ガハッ……」

 俺は水の中に沈み込み、その事でパニックになった子供がさらに強く俺の体にしがみ付いてくる。

 まさに負のスパイラル。だめだ、このままじゃ二人とも死ぬ。

 俺は最後の力で水面に顔を出すと、どこにいるかもわからない死神に向かって腹のそこから叫んだ。

「死神~!! 最後の……願いだ。この子を……助けて……く……」

 最後まで言い終わる前に、とうとう俺の体が限界を迎えた。

 意識はあるのに身体が動かない。

 俺達二人が水の中に沈んでいくのも時間の問題……そう思った時だった。

「カケルさん、それに捕まってくださ~い」

 頭の中に死神の声が響いた。

 それ? それってなんだ?

 なんとなく声のした方へ視線を向けかけると、突然目の前に巨大な影が現れた。

 なんだこれ!?

 流木だ!! どこから流れてきたのか知らないがかなり大きい。

 目の前に現れたノアの箱舟に手を伸ばすと、ソレはいとも簡単に俺達を受けとめてくれた。

 やった!! 助かった。

 そのまま子供を流木の上に乗っける。俺も流木に必死にしがみついて、ゆっくりと岸へ移動する。

「カケルさ~ん。こっちですよ~」

 遠くで死神が手を伸ばして待っていた。

 どうやら俺の最後の願いは死神に無事届いていたようだ。

 ゆっくり、確実に岸までの距離を近づける。

 あと五メートル、三メートル、一メートル。

 そしてとうとう流木はズズズと土を擦り、やがて停止した。

「すごいです~!! やりましたね、カケルさん!!」

 死神が体全体を使って大げさに喜んでいる。

「ああ、もうダメかと思った」

 子供も無事なようだ。本当に良かった。

 そのまま立ち上がろうと、俺は下半身に力を込めた。

 その時だった!!

「あ!! カケルさん危ない!!」

「え?」

 気がついた時には遅かった。

 岸にたどりついた時に気づくべきだったのだ。最後の願い、俺が言った言葉を。

 あの時言った言葉……、この子を助けてくれ。

 つまり子供が助かった時点で俺のツキは普段のそれに戻っていたのだ。

 おれは流れてきた新たな流木に頭を打ちつけ、荒れ狂う激流の中へ飲み込まれていった。



 漆黒の闇の中、俺はそのどことも分からない場所で蹲っていた。

 ああ、死んだんだ。そう思った。

 その時だった。突然空が切り裂かれると溢れんばかりの光が降り注ぎ、闇をかき消した。

 なんだ?

 不思議に思い空を見上げた俺は、そのまま光の中へと吸い込まれていった。

 次に気がついた時、最初に目に入ったのは薄暗い天井だった。

「あ!! 気がつきました?」

 その視線を遮るように死神が顔を覗かせた。

「……ここは?」

 頭がボーッとしてはっきりしない。部屋全体に白い靄が掛っているようだ。

「ここは病院のベッドですよ~」

 病院? 病院って事は……、

「……おれは助かったのか?」

 まさか、あの状態から?

「はい!! 実はですね、溺れていたカケルさんを偶然(・・)アヤネさんと警官の方が発見してくれて助けてくださったんですよ」

 そうか、アヤネさんが助けてくれたのか。

「しかもそれだけじゃないんですよ!! 金をくれたオジサンがいたじゃないですか。その人の車が偶然(・・)通りかかってですね、意識のないカケルさんをこの病院まで送り届けてくれたんですよ!!」

 あのおっさん、車持ってたのか。

「……そうだ!! あの子はどうした? 俺が助けたあの少年は?」

 バネのような速さでベッドから起き上がり、そのまま死神の肩を掴んだ。

「だ……だ……大丈夫ですから落ち着いてください。さっきまでお見舞いに来てましたよ。ほら、そこにある鶴の折りもの、あの子が作ってくれたんですよ」

 鶴の折りもの?

 テーブルに視線を移すと、色とりどりの折鶴がテーブルいっぱいに並べられていた。

「そうか……あの子は無事だったか、良かった」

 何気なく折鶴のひとつを手にとって見る。不細工な鶴、きっと折鶴なんていままで折った事もないのだろう。

 あんな小さな子が一生懸命作ってくれた折鶴だ、最後に俺の意識が戻ったのもこれのご利益かもしれないな。

 そんな事を思いつつ、そっと折鶴をテーブルの上に戻した。

「……なあ死神、俺の命はあとどのぐらいだ?」

「えっと……あ!! ちょうどあと一分ですね」

「……そうか」

 もう恐怖は感じない。死ぬのが運命ならそれを受け入れようと思う。

「あと三十秒」

 今日だけで色々な事があった。

 ツキのない人生だとずっと思ってたけど、最後に色々な事を体験できたあたり意外とツキがあったのかもしれない。

「あと十秒です。九、八……」

 そう思えば俺の人生も満更捨てたものじゃなかったかもな。

「五、四……」

 もうこの世の中ともお別れか。

 おっさん、もう大切なもの、なくさないようにな。

 アヤネさん、あんな奴らに負けないで。

 あの子には俺の分まで生きていて欲しいな。

「二、一……」

 さよなら!!

「ゼロ!!」

 …………!!

 ……………………。

 …………………………………………あれ?

「い……きてる?」

 一体なぜ?

「えっ!? あれあれ? どうして死なないんですか~?」

 死神が信じられないといった表情で俺を見つめていた。

 いや、そんな事言われても……。

「あ!! ちょっと待ってください。携帯がブルりました」

 服の裾から携帯電話を取り出した死神は、俺に背中を向けると何やらブツブツと話し出した。

 というか病院で電話使うなよ……。

「はい、佐原です。……えっ!? 本当ですか!? はい……はい、分かりました。ちゃんと伝えます。え? 私がですか!? はい……がんばらせていただきます。はい、それでは」

 なにかあったのか?

 通話を終え、携帯を裾の中に戻すと、死神は満面の笑みを浮かべて俺のほうへ駆け寄ってきた。

「すごいですよカケルさん!!」

「な……なにが?」

「神様から延命の許可が下りたんです!! 今日のカケルさんの善行をこっそり見ていたようです。それでチャンスを与えてもいいって!!」

 神様が俺のことを見てた!?

「じゃ……じゃあ俺、助かったの? いぃぃぃやったああぁぁ!!」

 さっきまでの落ち着きがウソのように、俺は飛び上がって喜んだ。

 良かった、本当に良かった。これは本当にツキが巡ってきたのかも!!

「カケルさん。助かったのではなくてチャンスを与えられたんですよ~」

 へ? チャンス?

「チャンスってなんだ?」

「はい~、今日からカケルさんは私と一緒に天界から送られてくる指令をこなしてもらいます~」

「え? おいちょっと、指令って一体なんの事だ?」

「さあ? あ!! さっそく指令メールが届きました。え~っと、自殺しようとしてる人間を説得して助けること、期限は今日中だそうです」

 なんだその無理難題は!!

「あのさ、つかぬ事を聞くけど……、その指令、守れなかったらどうなるの?」

 嫌な予感しかしないが聞かないわけにはいかないだろう。

「それはもちろん……」

 死神は片手を首の真横に持っていくと、それを内側に向かって真横に払った。

「だ~!! やっぱり俺にはツキがねぇぇぇ!!」

「頑張りましょうね、カケルさん!!」

 こうして俺は、この小さな死神と一緒に数々の無理難題な指令をこなしていくのであった。


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