7回裏
雨粒は止まっていた。俺は椅子から立ち上がり、背を伸ばした。
公園のベンチ。傘を差した親子が歩いていた。もっとも、動いてはいなかったが。
レストランでは1日中立ちっぱなしだった。だからよく時間を止め、こうして公園で休んでいた。
労働を続けていると、自分が急速に老いていくように感じた。
ふう、と息を吐いた。時間を止めていると、吐いた息が白くなることもない。
そろそろ戻ろうと思ってレストランに入り、左手で懐中時計のボタンを押した。
時間を止める前にどうしていたかを忘れると面倒なことになる。記憶力が悪い俺はちょくちょく他の店員や客から怪しまれていた。何かを疑われながらも、どうにかやり過ごしてした。
ある日、朝から昼にかけて雪が降った。あまりの寒さに指先の感覚がなくなっていた。
「ううっ……」
突然、めまいがした。
「カズマさん⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」
他の店員が俺の身を案じてくれた。もう誰だったかは思い出せない。俺は床に倒れこんだ。
目が覚めた。空からは雲が消え、オレンジに染まっていた。夕方になっていた。
俺は店の奥で寝かされていた。店長の指示だったらしい。そして声をかけてくれた女性店長が4時間近く、俺のそばを離れなかったそうだ。ある客は、とても心配そうな顔をしていた、と言っていた。
俺が目を覚ましたと聞いて、店長が奥から出てきた。この男は心配そうな顔も嬉しそうな顔もしていなかった。なぜかイライラしているように見えた。先月は赤字だったのだろう。
「起きたか。じゃあレジに戻れ。お前もとっとと厨房に行け」
店長は俺と横の店員に指示を出した。ゆっくり起きあがろうとすると、横の女性店長が俺に言った。
「カズマさん。店長のこと、どう思いますか?」
「え、俺は特に何とも思ってないけど」
「そうですか。私は嫌いです。だってあの男、何か偉そうじゃないですか」
店長なら当然だろう。むしろ店長がオドオドしていたら問題がある。
俺が問題だと考えているのは従業員の少なさだ。もちろん、その従業員を脅している店長に問題が全くないとは言えないが。
「私、ここ辞めようと思うんです」
彼女は、他の客や店員に聞こえないよう小声で言った。
「ですが私1人では勇気がなくて辞められません。カズマさん、私と一緒に辞めてくれませんか?」
論外である。どうして女は1人で行動できないのだろうか。いや、こんな考え方をしてはいけない。性別で人を考えるべきではない。でないと、すぐに批判がくる。
それにしても、個人的な理由で仕事を辞めろというのはどう考えても常識を欠いていると思うのは俺だけだろうか。
などと考えて沈黙を続けていると、目の前の女性店員は想定外の行動をとった。俺の左手を彼女の左足に触れさせたのだ。




