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もしも話の落下地点

作者: 天瀬 爽

 もしもの話をしてみよう。

 もしもこの国が平和でなかったとしたら。

 もしもこの街が田舎だったとしたら。

 もしも宇宙人が存在しているとしたら。

 もしも幽霊と出会ったら。

 ああでも、僕にとってそんなもしも話はどうでもいいんだ。今の僕には、もっと自己中心的もしもの話しか、いらないんだ。もっと僕の身近にしか影響を及ぼさない、ちっぽけなもしも。


 もしも僕がここでこうして生まれていなかったら。君に会うことはなかっただろう。

 もしも君が僕より先に僕を認識したら。君は僕をどう思っただろう。

 もしも君と僕が幼馴染だったら。君と僕の関係はどのくらい違ったのかな。

 もしも君が煙草を吸ったりお酒を飲んだりする人だったら。それでも僕は君を嫌いになれないだろう。

 もしも君が幽霊だったら、宇宙人だったら、殺人犯だったら――そのどれでも僕は君を好きでいられると思う。


 けれど、君は? 君はどんな僕でも僕を好きでいてくれる?

 分からない。分かった後が怖い。分かる術もないし、それが分かる時、きっと君は。きっと僕は君に。

 僕が君を傷つけない人なら良かったのに。不快な思いをさせない人なら良かったのに。僕が僕を演じ続けられれば良かったのに。


 だから僕はこの想いを抱えて、たくさんの畏怖文と異普文とIf文を抱えて。臆病者の僕は。

 僕にとって大切で大好きな君の役に立つことはおろか、誰のためにも何のためにもなれない僕は。

 君と一緒にいることが辛くなってしまった、弱虫な僕は。

 嗤ってしまう程馬鹿馬鹿しいもしもの話を自己完結させて。現実の話も自己完結させてしまおう。


 さよなら。


+++


 夕日の差し込む誰もいない教室。綺麗に縦横に並べられた机に夕焼けの朱色がかかり、なんともいえない物悲しさと息苦しさを感じるのは、今日という日のせいでもあるのだろうか。

 目の前にある机の表面を私は静かに撫でる。


 昨年の今日。この学校の屋上から一人の男子生徒が飛び降りた。手すりの前に靴が綺麗に並べてあり、誰がどう考えても自殺としか思えない状況だったそうだ。

 自殺した男子生徒はどクラスに馴染んでおり、広く浅い交友関係を持っていた。いじめられていたという報告も無い。しかしクラスメートによると、彼はどこか一線を引き、必要以上に親しくなろうとはしない、踏み込みにくさが感じられる人物だったらしい。時々何を考えているか分からない、そう思ったクラスメートも少なからずいたようだ。

 成績は特別良いとは言い難いが、彼の志望大学の基準をクリアする程度ではあった。

 親との軋轢、友人関係、金銭事情。……恋愛。

 原因の可能性があることは時間の合間を縫ってとにかく調べた。けれど、どこで何を調べても確証は得られなかった。

 窓辺へと静かに歩く。窓を開けて視線を下げると、すぐ下は無機質なコンクリート。ほんの少し視線を遠くへ向ければ、陸上部が、野球部が、それぞれの部活の後片付けをしている。

 この時間帯に飛び降りたあの人は、どんな気持ちだったんだろう。

 遺書もなく、いじめもなく、勉強が問題というわけでもない。他人から見れば平凡な生活を送っていた彼が「死」という選択を選んだ理由は、何処にあったというんだろう?

 一体、何処に。もしかして、答えは――私にあったのだろうか。

 ……ねえ、答えてよ。

 教室を見渡すように視線を彷徨わせて、再び特定の机に視線を固定する。

 机の上に花を添えたくなってしまったが、今この席はきっと、誰か別の人の席なのだ。そんなことをするわけにもいかない。

「ねえ、お兄ちゃん」

 返事はない。当たり前だ。誰もいない席に語りかけても、答えなど返ってくるはずもない。

 けれど私の一つ上の兄は、この教室で、あの席で、生活していたのだ。

 一年前の今日まで。

「答えてよ」

 返事は無い。……当たり前だ。


 昨年の今日。兄の死を聞いた時の私の気持ちは、なんだか靄がかかったように曖昧で、ぐちゃぐちゃしてうまく思いだせない。たくさんの絵の具をバケツにぶちまけてかき混ぜたかように、様々な感情が入り乱れていた事は確かだ。

 混乱、哀しみ、恐怖、後悔……悔しさ。

 訳も分からず、ただ泣き崩れたことははっきりと記憶している。今でも時々、無性に泣きだしたくなってしまう。

 それから暫くの間は、何も考える事ができなかった。お葬式の時、兄の顔は見れなかった。

 学校も休んだ。現実がショックだったこともあったし、周りの哀れみと同情と好奇の目が鬱陶しかった。一ヶ月近く学校には行かなかったと思う。

 そしてある程度気持ちの整理をつけた私は、兄の死の真相を知るために動く決意をしたのだ。父も母も、真相は知りたがっていたようだが、兄の死を受け入れ、悲しみを胸に残しながらも生活していけるようになっていた。そうしなければとても押し寄せてくる現実にはついていけなかったのだろう。

 それが間違っているとは言わない。でも私は、諦めきれなかった。納得できなかった。

 誰が、何が、あの兄を死に至らしめたのか。どうしても突き止めたかった。突き止めて、私はその原因を――。

 そこまで、決意したのに。それなのに。


「なんで決定的なものが何一つとしてないのよ……」

 思考の海から顔を出し、絞り出すように言葉を吐きだした。キーンコーンカーンコーンと、ありふれた学校のチャイムが響く。最終下校時刻だ。

「私はどうすればいいの。どうすればよかったの……」

 拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込む。誰もいない教室で、兄がいたはずの教室で、未練がましくも探し続ける。

 必ず突き止めて、その原因に必ずケリをつけると、決めたのに。どんな手を使ってでも、私が終わらせると。でもその矛先が確定できない。

 小さな積み重ねが兄を苛んでいたのかもしれない。自殺へと追い込んだのかもしれない。それならせめて決定打となったものを今からでも消し去りたいのに。

 その決定打すら見つからない。

 悔しい。何もできない自分が。何もできなかった自分が。何もしなかった自分が。


 悔しい。兄に好きと伝えることすらできなかった過去が。


 兄妹、家族としての「好き」だけじゃなくて、もっと特別な。本来抱いてはいけないような想い。

 自覚した時から、伝えるつもりなんて無かった。伝えても兄が困るだけだろうと。いや、それ以上に兄が自分から離れることが怖かった。

 だからせいぜい『仲の良い兄妹』に留めておければ、それで充分だった。血の繋がりがある以上、距離を縮めることはできなくとも離れることもないだろうと。

 でも兄は、君は、何も届かないところに行ってしまった。

 もしも君が兄なんかじゃなくて……そう、例えば幼馴染とかだったら、せめて私が後悔しない結果にはなれたのかな。告白して、フラれて。そういう結末もあったかもしれない。もしかしたら、付き合えたかもしれない。

 とても自分勝手で、ご都合主義で、嗤ってしまうようなもしもの話だけれど。


「おい君、何してるんだ」

 教室の扉から日直の先生が顔を出して呼びかけた。

「もう玄関閉めるぞ。早く帰りなさい」

「はーい」

 俯いて目尻に浮かんだ涙を拭いながら先生に返事をして、スクールバッグを肩にひっかけた。

 教室を出る前に、もう一度兄の席だった机を見る。夕焼けの赤い光でほんの少しだけ血を連想してしまった自分が嫌になる。

 一年経ってもまだ見つからない、兄の死の根源。けれど私は諦めない。諦めきれない。

 私一人で勉強や部活をしながら、一見すると普通に見える生活を送りながら、目的を達成することは難しいかもしれない。それでも。


 何としても、この手で。

 


一人で考えすぎるとろくなことないよなあ、と思って書いた話です。

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