後編
冬休みに入ってから四日経った。奈津歩はもう陽も落ちようとしている外の景色を窓から眺め、携帯でメールを打っている。しかし一行も書き終えていない所で、クリアボタンを押した。
(パーティーに参加しないのなら、メールで報告はしなくて良いんだっけ)
奈津歩一人がクラス会に来なくても、クラスメートの者達は意にも介さないだろう。そもそも高校のクラス会には未だに参加しようとは思えない。
苦しい。楽しもうと思えない自分が。惨めで、つまらなくて、どうしようもない人間だ。
奈津歩は明朝の事だけ考えている事にした。
「……季那君、居るかな」
公園に行こうかと一瞬思ったが、今から会えたとしても、明朝また会うのだから一旦別れるのも変に感じられて出来ない。
「あっ、そうだ」
奈津歩は手を合わせて、他に行きたい場所を思い出す。聖夜が終わる前に見ておきたい。
彼女は出掛ける準備に取り掛かった。――制服以外のスカートを出したのは久し振りだった。
奈津歩が来たのは商店街だ。
最後に季那と会った時、広葉樹の上から見た商店街のイルミネーション。あれを是非近くで見てみたかった。
殆ど町内だから道の間違えようはない。学校からも近い。だが一人で来たのは数える程度しかなかった。
街灯は点いているが、まだ陽が落ちたばかりでイルミネーションは点灯していない。時間的には来るのに早かったようだ。
今商店街を歩いているのは、殆どクリスマスケーキを買うのが目的の人ばかりだ。奈津歩の家は市販ではなく、専ら家族の司令長官である母(本人曰く)がケーキを作る事になっている。
だが商店街は何も親子だけではなく、中高生が楽しめる店もある。
奈津歩はアクセサリーショップに入った。
学校の帰り道には商店街は家と正反対なので、一ヶ月に一回行くか行かないかのアクセサリーショップは、奈津歩にとって夢の場所である。女子だから自然に、というのもあるが、メイクに疎い彼女はせめてアクセぐらいは身に付けたいという憧れからだった。
(一個ぐらいは買っていって良いかな……)
そうと決まれば選ぶのみだ。しかも今日はクリスマスイヴなので、自分へのクリスマスプレゼントにもなり得る。
手作りビーズアクセサリーコーナーの前を歩いている所で、奈津歩は一度足を止めた。
聞き覚えのある声が聞こえる。
「もう決まった? カイちゃん」
「わあ。待って待って。今! 今すぐ決めるから!」
「どうせ自分用じゃなくて、プレゼント交換用なんだし良いじゃない」
商品棚の向かいで三人の女子高生がたむろする。
(カイちゃんと優理ちゃんと……美沙良ちゃんだ!)
彼女達は奈津歩と同じクラスの女子だ。場所が場所なだけに、当然奈津歩が通う高校の生徒達の溜まり場である。それもあって、奈津歩はあまり話さない同級生達に会うのを避けるのに、滅多にここには来ないのだった。
しかも今ここに居るという事は、クラスで開催するクリスマスパーティーに参加するのだろう。会場は商店街の先にあるカラオケ屋だ。
ここでパーティーに参加しない奈津歩と鉢合わせしてしまったら、奈津歩は彼女達に参加しない理由を言わなければならなくなるかもしれない。気まずいから断る、など言えよう筈もない。
二人はレジを済ませ、もう一人はまだ購入していない。奈津歩はここから動かないようにしようと思った。
「あっ。凄い凄い。あっちの方は手作りビーズアクセだ!」
「もう。カイ、早くしてよ」
(やばっ!)
こっちに来る。奈津歩は咄嗟に商品棚の裏に姿を隠した。
「うーん……わお。これにしよーっと」
「いくら?」
「三百円」
「安くない?」
「クリスマスプレゼントにお母さんがお小遣いくれなかったんだもん」
「だったらバイトしなよ」
「違いない」
たまに男勝りの喋り方をするカイは、密かに奈津歩の憧れだった。――この場で話し掛けられない自分に嫌気が差す。
三人の女子が店から出て行く。楽しそうに話している。
「…………」
奈津歩は暫く商品棚の影から動けないまま、彼女達より五分程遅れて店を出た。今回は、何も買わなかった。
今時の女子高生が周りに楽しめるであろう店が点在する中、ただ一人、ひらすら歩く。
(ここで『空しい』とか言ってみたら、十人の中で十人が笑うんだろうな)
結局何処に行っても、この人見知りな性格は損にしかならない。小さな事をすぐ忘れられ、気にせず背筋を伸ばして歩けるなら良い。しかしそうではない。奈津歩は自分に長所はないと思っている
自分を卑下してはいけない。己を嫌うから自己主張出来ない。しかし変わりたいとは思うが、変わろうとはしない。
『どうしようもない』
いつか、季那に言われた言葉が胸に突き刺さる。彼からは、もっと勇気が出る言葉を貰ったではないか。
「うわ」
明らかに嫌そうな感じが声に出ている。声の主が誰だか考えるまでもなかった。
(季那君!?)
声に出来なかったのは、彼が誰かと一緒に居るからだ。男子四人と女子三人に囲まれている。
奈津歩は商店街の大通りの真ん中で立ち止まってしまった。行き交う人に通行の邪魔だと目で訴えられ、慌てて道の脇に寄って、彼らの会話に耳を傾けた。
「ここで会ったが百年目。いざ尋常に勝負!」
季那の前には、おそらく彼の友人であろう男子が仁王立ちして、奇妙しな科白を吐いている。
(決闘?)
そんな訳がない。すかさず季那が一蹴した。
「断固拒否」
「ノってくれるからお前は楽しい。どうした? こんなトコで」
「別に」
「季那君。暇ならあたし達とカラオケ行こうよ。クリスマスパーティーするって言ったじゃん」
「!」
そんな事は初耳だ。だが季那は奈津歩に言う道理はない。
「断った筈だけど」
「ねえ、デートは今からじゃ……ないんだよね。だったら」
女子の中で、大人しそうだが一際可愛い子が、上目遣いで季那を誘う。赤いボア付きコートから見せる長い足には、膝上まであるお洒落なブーツ。ウェーブがかった髪には星の飾りが付けられ、顔には控えめなメイクを施している。季那と並ぶとまさにお似合いだ。
「ほーら季那君。せっかくウチの千春が誘ってるんだから! あたし達も季那君に来てほしいなー」
(名前まで可愛い!)
もう奈津歩は涙が出そうだった。あんな可愛い子がクラスメートだというのに、季那は何故女子に関して無頓着なのか。
(無頓着じゃなかったら、私なんか相手にしないか)
彼がある意味普通ではなくて良かった。否、他の男子のように夢見がちでなくて良かったと、何だか失礼な事を考えてしまった。
ところで、デートとはもしかして奈津歩との約束の事だろうか。だが彼はすぐさま否定したのだろう。ここで敢えて自惚れたい気もしなくはないが、彼にその点の期待は筋違いだ。
(私、季那君と千春ちゃんの恋の応援をするべきなんじゃ……)
見ていれば、周りに比べて若干鈍感な奈津歩でも解る。千春という少女が先程から赤面する理由は、季那に好意を抱いているからだ。先程から視線を季那から外していない。
「煩い家族と過ごすより、俺達と一緒に遊んだ方が楽しいだろ! な?」
「その煩い家族にクリスマスケーキを頼まれたんだよ。帰んないと、家の中に閉じこもってる両親はクリスマスにお刺身のみになる」
ケーキが食卓に並んだとして、それがお刺身と並ぶのはいくらなんでも不自然過ぎる。愉快な家族のようだ。
再び女子の一人が声を上げた。
「やっぱ季那君、面白いね~! あっ、じゃあさ。明日はどう? 聖夜明けてすぐに皆で二次会やるの。夜通しパーティーは親に叱られるけど、早起きして出掛けるなら文句ないでしょ」
周りが「名案!」「そうしようぜ!」と賛成の手を挙げる。
「それこそ無理なんだよなー。季那は早朝にデート開始だから」
案の定、周りが驚愕の声を上げる。
(ああ……千春ちゃんの前でそんな誤解を生むような事)
奈津歩は自分が弁解出来れば良いと思ったが、飛び込める訳がなかった。つくづく臆病だ。――内心、眺めているのが楽しいのは内緒である。一方では季那が誤解を解いてくれる事を願う。
だが、彼の答えは奈津歩の予想に反した。
「解ってくれているなら、そろそろ俺を行かせてくれ」
(いや、そこは『デート』っていう単語を否定してよ!)
さっきから心の中で叫んでばかりだ。
解っている。彼は奈津歩との関係を説明するのが面倒なのだ。だが彼は自分の容姿が人目を惹くレベルだと自覚していないのだろうか。おそらく、彼は周りに言われて気付いても、どうでも良い事にするのだろう。
「……季那君はさあ」
先程から千春ではない、季那君と連呼する女子が急に不服そうな表情を見せた。
「そのデートって、あたし達と遊ぶより楽しい訳?」
奈津歩はその場で固まった。
そんな事、
言うまでもない。
「まあ、楽しくはないだろうね」
一瞬だが、奈津歩の周りは無音に支配された。
それはそうだろう、と、奈津歩は何故か正面から受け止められない。いざ言葉にされれば傷付く。傷付いている。そう言われると、解っていながら――。
奈津歩はそれ以上彼らの話を聞いていられなくて、商店街から離れた。
足が自然と速くなる。寒風を浴びながら、目頭だけが熱いのを感じた。
十二月初旬から冷蔵庫の中で眠っていた苺が、昨晩クリスマスケーキに使われた。今年はショートケーキだった。マジパンで作った人形やクッキーも加えて、クリームで雪の様に真っ白なケーキは一瞬で彩られた。
母のお手製のケーキを家族皆で頬張りながら、一条家のクリスマスイヴは終わりを告げたのだった。
奈津歩はケーキを食べ終え、早々に入浴を済ませると、十時半には布団に潜った。
公園での待ち合わせ時刻は早朝五時である。朝は苦手ではないが、大体六時間程は寝ておかないと、二度寝する危険がある。四時半に起きてギリギリといった所だった。
何とか目覚ましが四時十分で鳴って、ガバッと起き出した奈津歩は、横で寝ている母と姉の掛け布団を飛び越えて、着替えに取り掛かった。
昨日久々にお出掛け用のスカートを穿いてみた。イルミネーションを見るのに、ムードが要るかと考え、何となくお洒落をする事に決めたからだ。だが――奈津歩はジーパンを引き出しから出した。
(ムードも何もないかもね)
季那は、約束を守らないかもしれない。広葉樹の前に、現れないかもしれない。
疑うような事をしたくないが、昨日の夕方、季那は友人達に早朝パーティーに誘われていた。奈津歩との約束と、クラスメート達との戯れ。どちらを選ぶかというより、どちらを彼は‘選びたいか’など明らかだ。
例え季那が来てくれたとしても、それは約束事を破るという行為をしたくない彼なりの性分であるのと、奈津歩に申し訳ないと思うからという理由としか考えられない。ただ、来たくて来る訳じゃない。解っていた事なのに、それがどうしようもなく悲しい。
昨日の昼間ではあんなに、季那との約束を楽しみにしていたのに、今となっては行きづらい。
彼が奈津歩の願いを聞き入れたのは、彼女自身が電飾を見たい見たいと彼に向かって、無意識にアピールしたから。それが、哀れだと思った――思ってくれたのだろう。
「馬鹿だなあ。私……」
だが元々、イルミネーションさえ見られれば良いのだと自分に言い聞かせた。最初からそれだけが目的だったではないか。
奈津歩は姉のお下がりの黒いコートを手に取った。
「…………」
やはり、スカートを穿いていきたい。普段はそんな事は思わないのに、今だけは、そう思った。下にストッキングを重ね履きすれば足元もそれ程冷えないだろう。
翠とブラウンと白のギンガムチェックのマフラーを首に巻き、雪の結晶の刺繍が入った手袋を付けた。
他に荷物は要らない。
「行って来ます」
未だ寝ている家族を起こさないように、小さな声でそっと挨拶をしておいた。
陽が昇る気配が見られない。まだ完全に夜である。随分長い聖夜の延長だ――我ながら変な表現だった。
吐く息は当然白く染まり、さっそく鼻や耳が冷える。奈津歩は横髪で耳を覆った。
「さむーい」
基本寒いのは苦手だ。今はどうも心許なく、気持ちが沈んでいるので、余計寒く感じられるのかもしれない。きっと、そうだ。
奈津歩はなるべく楽しい事を考えながら公園まで行こうと思ったが、それも出来ないまま、目的地に辿り着いた。
そういえばホワイトクリスマスにはならなかった。だが今の奈津歩はホワイトクリスマスより何よりも――
「!」
広葉樹を見上げる。遠目で見ても解った筈だが、公園に着くまで奈津歩は頭を上げなかった。だがこれは、近くで見た方が数段良い。
「うわあ……」
ずっと奈津歩の願いだった。この電飾を見る事が、夢だった。奈津歩はやっと一つ願いを叶えられた。
心が弾む。身体が疼く。彼女を迎える様に、イルミネーションの光が瞬いている。何て素敵な光景だろう。
暫く声が出なかった。木には一般家庭で飾られるクリスマスツリーとは少し違い、電飾と天辺の星以外の物は飾られていない。しかしライトは一条家のクリスマスツリーとはまるで比べ物にならないだろう。
新緑の中での黄色は、夜空の星より美しい。赤鼻のトナカイが空を走った跡が出来たように点滅する白色は、雪の色なのに冷たく感じさせない。他には赤、オレンジ、青、黄緑、紫……。全ての色が、奈津歩の心を暖めた。
「綺麗」
ずっとこれが見たかった。楽しみだった。彼女はこの光景を、一生忘れる事はないだろう。
「季那君」
彼の名前を言ったのは無意識ではない。彼は、来ていない。
あの二度目の再会が、彼との最後になるのだろうか。
「なんて……」
奈津歩は腕に嵌めてきた腕時計を見る。丸い時計の真ん中には、ディズニーキャラの白い猫のイラストが入っている。長針が指すのは6の数字。短針が指すのは、4と5の丁度間だった。
「まだ四時半だもんね」
些か早く着き過ぎたらしい。彼を待ってみようと思った。
手袋を付けていても指先は冷える。奈津歩は手袋越しに手のひらに体温がある息を吹きかけた。カイロならポケットに入っている。だが貼るカイロを下着の上に貼り付ければ良かったと後悔する。それなら背中から暖まって、体全体に暖がいっていただろう。
腕を組んで、二の腕をさする。寒くなると自然と身体がこう動くから不思議である。
「そういえば、季那君に上半身抱き締められた時、あったかかったなあ」
何だかいやらしい事を堂々と考えた気がする。しかも思いっ切り声に出した。ふと、ベンチから周りを窺ってみたが、とりあえず誰も居ない。よかった。
「ははっ。そういえば、季那君には見られてたんだよなあ」
広葉樹の前で奈津歩がやった変顔を。思い出したら顔から火が出るくらい恥ずかしいだが、今となってはもう笑い話に出来る。
「私の悩み、ぜーんぶ自分の中で笑い話に出来たらいいのに」
自分以外の誰かの笑い話になるだけでは駄目だ。軽い思い出と自分自身が思えなければ、あまりにも小さな失敗でさえ己を苦しめ続けるのだ。
奈津歩は自分を受け止めて欲しかった。
家族にも、クラスメート達にも、今の奈津歩は‘いなくてもいい存在’。そう思わずにいられないのが、酷く苦しかった。そう思っても、自分で自分を締め付けるだけなのに。
認められたかった。頼られたかった。『必要』だと言われ、心から誰かに笑いかけて欲しかった。笑いかけたかった。
こんな風に思うのは、奈津歩自身が他人という存在が嫌いになれないから。他人と上手く関われないのに悩むのは、本当は仲良く接したいから。
全員を好きになろうとは思わない。だが親しい者は多い方が良い。
「私は……」
今一番近くに居る季那に、自分と居て『楽しい』って言って貰いたかったのだ。イルミネーションと同じだ。そう願うのに自分から行動出来ない。今は電飾を見る事は叶えられたが、それも季那の後押しがなければ出来なかった。一人の力にはなり得ない。
季那が自分と楽しんで貰う事を望んでいた。それは紛れもなく、ただ一心に、季那の事が好きだからだ。
心の何処かでずっと考えていた。奈津歩も彼に好意を感じている。兄弟や父以外と気軽に話せるのは彼が初めてだったし、すくなくとも家族に抱くそれとは違う好意を抱いている。しかしそれが、千春の様に『恋』と断言は出来ない。
初恋を経験していない奈津歩だからこそ、恋という感情にただ単に疎いだけとも言える。それでも一緒に居たいと、一緒に居ると楽しいとは言えるが、純粋に彼の『彼女』というものにはなろうとは思わない。彼とは、友人のような今の関係が一番だというのが奈津歩の正直な気持ちだ。
ただ、もう少し踏み出して、本音を言ってしまえば――
「『一番』には……思って欲しいかな」
奈津歩が願ったもう一つの夢。それは大きいのか小さいのかは解らない。
誰かの中で、自分の存在を一番に思って貰う事だった。
それを季那に求めても仕方ない。
「誰に?」
「ふわわわわあっ!」
肩が飛び上がる。とりあえずベンチに座っていたので、前回の様には転倒しなかった。
「び、吃驚した……」
「面白い奇声だな」
類は友を呼ぶ。ではない。噂をすれば影がさすとでも言えばいいのか。当の季那が、深緑のファー付きコートとベージュ色のマフラーを身に着け、後ろからではなく奈津歩の目の前に現れた。
奈津歩が大袈裟なのか、彼が人を驚かすのが上手いのか。
「き、季那君。いつ来たの?」
「たった今。真っ直ぐベンチまで歩いてきたら君が居た」
「そ、そっか」
「早いね」
早めに起きて朝食を食べてから来ようと思っていたのだが、ボーッとしていたせいか、奈津歩は起きてすぐに着替えたら、ご飯を忘れて身支度を完了させてしまったのだ。
時計を見たら、五時まであと五分である。
「この電飾もあと一時間かー」
「道中は怖くはなかったですか。お姫様?」
季那が茶化して奈津歩に問いかける。
「あ、あれ」
そういえば夜道をあんなに怖がっていたのに、何故だが何の警戒心もないままここに到着した。とりあえず、他の事を考えると周りを見ずに済むらしい。
「大丈夫だったよ。季那君は?」
「……一般男子高校生は怖くても女子の前じゃ『怖い』って言えないだろ」
「怖かったの?」
「今時の女子にしては珍しい天然さだ」
本当だ。馬鹿正直に答えてしまった。これまで少しだけ一緒に居ただけだというのに、彼は話しやす過ぎるのだ。
だから、彼は奈津歩とは正反対だと思わされる。彼女は彼の様に、気軽に誰かと接する事は出来ない。無条件で好かれる天性の持ち主でもない。奈津歩の場合、つまらない自分をごく平然と受け止めてくれる者としか仲良く出来ない。
彼に対する好意の中には、『羨ましい』という意味での『憧れ』も入っている。
「イルミネーションの感想は?」
「言葉も出ません」
「実際は出たんだろうに」
その通りだ。彼の言葉はいつだって的を射ている。
奈津歩は彼が来るとは、正直思っていなかった。イルミネーションが消えるまでここで留まるつもりもなかった。
彼には、ちゃんと行くべき所が他にあるのではないだろうか。
「季那君。あの、何処か行きたい場所があるんじゃ?」
「? ここ以外で?」
心底解らないという顔だ。こちらから教えた方が良いのだろうか。
「お友達との、パーティー、とか」
遠まわしに言う筈だったが、見事に直球だ。これでは奈津歩が立ち聞きしていた事がバレてしまう。季那は特に勘繰る様子もなく、目線を奈津歩から外した。
「そういうのには誘われてるけど、行く気はない」
「でも、ここに居るより楽しいんじゃないかな」
「…………」
いけない。こんな事を言ってはいけない。季那に不快な思いをして欲しくない。
駄目だ。
「季那君が今、本当に行きたいのは何処?」
駄目だ。
「私の事は気にしなくていいから」
離れて行って欲しくないのが本音なのにも関わらず、口から出される言葉は、季那を拒絶している。言葉と本心が一致しない。
「無理しないで良いよ。だってもう、これを見られただけで私は充分だから」
もう自分が何を言っているのか解らない。
冷たい風が身体を包む。しかし震えているのは寒さからだけではなかった。
「だから……もういいの」
――ついに涙が頬を伝って零れ落ちた。
生温かい水は、奈津歩の凍える身体を暖めるのには足りない。
「会えただけで、夢を叶える為に後押ししてくれただけで、私は充分なんだ」
だから彼とはイルミネーションを見届ける事は出来ない。スッキリした別れをしてしまったら、また奈津歩は彼に会いたくなってしまう。もう一度、彼との良い思い出を作りたくなってしまう。
忘れるのだ。何もかも。
心に残る思い出は、電飾だけで充分だ。
「行っていいよ」
彼には行くべき所がある。奈津歩と居るより、きっとずっと楽しい筈だ。
彼には友人を大切にして欲しい。ここに居ては駄目なのだ。
奈津歩は目を瞑った。季那が立ち上がる。踵を返す音がした。
奈津歩がそっと目を開けた時、目の前に居た季那はもう居なかった。もう、涙を堪える必要はない。
「ひっ……うっ」
自分で自分を傷付ける。いつもこうだった。本当に大切にしたいものを自分から手放す。しかし解っているのだ。自分は誰も幸せに――幸せな気持ちにさせる事は出来ない。いつだって目の前に居た者達は、奈津歩と居てつまらなそうな顔をしていた。季那の、そんな顔を見たくはなかった。
(これって、失恋かな)
恋とも呼べるか解らない内に、自らの感情を切り裂いて、粉々にした。取り戻す事は最早叶わない。
心残りは沢山ある。けれど、一番の後悔は、
(『ありがとう』って、言えなかった……)
間違いなく、季那は奈津歩に愛想を尽かしただろう。彼女がそうしたのだから、自業自得というものだ。
そして、忘れる事は実際には叶わないだろう。奈津歩の中でずっと季那は残る。金輪際のお別れなら良い。しかし同じ街に居る限り、彼を何処かで見かけない確率は低い。
(でも、もう話せない)
彼は傷付いただろうか。奈津歩は自分が言われて嫌な言葉を彼に投げ付けた。だからもう話し掛ける事も出来ないし、彼に会った所で笑えない。
それでも――
それでも……――
季那との思い出は、イルミネーションと同じか、それ以上にキラキラと輝き続けると確信した。