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第一話 被験者第一号 (一)

*第一話はSF要素に重点を置いています。

 ミステリー要素が出てくるのは第二話以降になりますので、ご承知おきください。

 朝澄珠緒あずみ たまおは早朝、アパートを出た。

 築五〇年近い木造建築は、歩くだけでもぎしぎしと音が鳴る。夜職から戻って寝ている母親を起こさないようにするだけでも一苦労だ。


 荷物は背中のリュックに全部詰めてある。


 スマホなど、インターネットに接続するような機器の持ち込みは禁止。

 服装はこちらで用意するので、着替えの持ち込み禁止。

 財布は持って来たければ持参可。

 交通費は向こう持ち(現金書留で送られてきた)。

 現金書留の封筒は必ず持ってくること。


 珠緒は“相手”が提示したこれらの条件を頭に浮かべながら、早朝の街を走った。サラリーマンの多い最寄り駅から何本も電車を乗り継ぎ、交通インフラが数時間に一本のバスのみという田舎町を目指す。

 彼も、怪しいなんてことは百も承知だ。

 ただ自分が何気なくSNS上に公開した、自死を連想させるような文言への連絡で興味が惹かれた。


「棄てるつもりなら、お前の命を私に寄こせ」


 自分勝手も良いところ。

 この手のメッセージはネット上に溢れているが、個人チャットで伝えてきた相手は初めてだ。使用しているアカウントを見た印象では捨て垢(普段運用するつもりの一切ない、一時的な目的のためにつくられるアカウント)でもなさそうだった。

 呟いている内容は、実名で利用する「日常(発信)アカウント」――それも女子高生っぽいもので、個人に送られてきた内容とのギャップにも興味が湧いた。

 また、メッセージは決まって、昼の十二時ごろに来る。こういう機械らしい動きにも妙に魅力や説得力を感じる。


 ――どうせ棄てる命なら。


 珠緒は幼い好奇心とナラティブ志向から、その話に乗った。

 十五才は一般的に何かに絶望するにはあまりにも早すぎる年齢だが、彼はすでに暗闇の中に放り込まれたような境地にいる。社会における自分の立ち位置が見えたとき、彼は自分が生まれ、生きていく意味が分からなくなってしまった。

 誰かが人生に意味を与えてくれるなら、飛びついて何が悪い。

 珠緒が画面の向こうにいる相手に会うことを承諾したのは、ただそれだけの理由だ。


 自暴自棄な決意をする少しまえには、母親とのこんなやり取りもあった。


「アンタって本当に父親似で気持ち悪い顔してるわ。

 意地張って親権なんかとるんじゃなかった、穀潰し」

「アルバイト、クビになってごめん」


 珠緒は少し前、アルバイト仲間から万引きを強要され、断ったにも関わらず解雇されてしまったばかりだった。家に収入を入れられないため、母親の機嫌はとても悪かった。


「次、すぐに新しいバイト先探すから」

「んなことしたって無駄だって。

 歯並び悪いし、人相もねぇ……なんていうか、ほら、昔いた宗教団体の教祖みたい。無差別テロ起こした」


 母親はそのまま夜の職場に出かけていったが、当然のことながら珠緒は深い傷を負った。

 それだけではない。

 日頃から学校で受ける扱いも、珠緒の自尊心をひどく傷つけてくる出来事ばかりだった。

 誰が作り上げたか分からない、それでも目に見えて存在する「スクールカースト」の中で、彼は最下層に位置している。少なくとも、珠緒はそう考えている。

 一番顕著なのは体育のときだろう。


「次、倒立! 三人組作って~」


 こういうとき余り者になるのは言うまでもなく、いざ倒立をするとなったとき、珠緒以外の二人はわざと支えることをしないで、彼が背中を強かに地面に打ちつけることになる。

 痛みを訴えようと他の二人を見上げても、彼らは悪びれることがない。むしろ「こっちを見るな」と言わんばかりの、嫌悪感を含んだ目線逸らしをする。


 ――僕が怪我でもしたらどうするつもりだ、こいつら。


 珠緒も例外ではないが、この年頃の人間は結果に責任を持てと社会から言われることがほとんどない。だから脳が未発達なことも手伝って、下手をうてば死にかねないような壮絶ないじめもすることができる。

 体育教師は現場を見ても、


「お前が地面を蹴り上げる勢いが大きいから、二人ともびっくりするんじゃないかなぁ」


と、的外れなアドバイスをするばかりだ。

 周りの生徒も、珠緒を助けるつもりはない。


 少なくとも、無理を言って学費を出してもらっている高校において、彼の居場所は存在しなかった。

 バケツの水に濡れて帰らない日、白い目で見られない日、殴られない日、言葉の暴力を浴びない日……そちらを数えた方が早いくらいだ。


 こんな日常が続いたせいだ。

 珠緒は無意識に「自分が醜い」「人と上手くやれない自分が悪い」と信じ、彼を取り囲む社会からの孤立に慣れ親しむようになった。社会で孤立するということは、「社会にとっては居なくても困らない存在」ということになり、すなわち「社会的意味のない人間」ということになってしまう。

 この思い込みを正してくれる者が不幸にも周りにいないために、珠緒は人の顔も見ることができない、すっかり暗い性格に落ち着いてしまった。


 最寄り駅から何本も電車を乗り継ぎ、早数時間。

 そろそろ学生は学校に居なければ怪しまれる時間帯だ。


 電車を乗り継ぎ他県の日ケひがせという駅に着いて、珠緒はすぐにトイレへ駆け込んだ。かなりの田舎町、よそ者は嫌でも目立つ。ジロジロとみられる視線が果たして“余所者”に向けられるものなのか“怪しい学生”を観察しているものなのか、はたまた“醜い容姿”を見た驚きなのか、区別は難しい。

 ――多少怪しく見えても、仕方ないか。

 珠緒は念のために持参していた帽子を目深にかぶり、白いマスクで顔を覆う。

 どこに出しても恥ずかしくない不審者だ。

 それでも、向けられる視線の意味に“顔の醜さ”が含まれていないというだけで、彼は少し安心してしまうのだった。


 バスが来るのを待つ間、周りで同じく待っている人たちはとても静かに、ポチポチとスマートフォンを操作している。雰囲気が怖く、何となく俯いていた。


「ち、うぜ」


 そのうち柄の悪そうな男が一人、舌打ちをした。


「ブスに人権あるわけねぇのは常識だろうが」


 隣にいた(友人と思われる)もう一人の男は、スマートフォンの画面を見ながらにがにがしく笑っている。


「ポエムきつー」

「ま、まぁまぁ……『会いたいよ』なんて健気で可愛いじゃん」

「前の合コンで『雰囲気あるよね』って言ったの、真面目に受け取ってんのかな。きもっ」

「ああ、確かにお前そんなこと言ってたな。

 控えめな子って、誉め言葉もらうのに慣れてないって、お前もいい加減分かってるだろ? 気を持たせるようなこと言うのやめろって」

「いや、でもブスのこういうライン爆撃おもろいじゃん」

「あのさぁ」


 珠緒は見知らぬ女性にひどく同情し、自分の気分が何段階も沈み込んでいくのがわかった。まるで自分がいてもいなくても良いかのような、その場の空気にも気分が悪くなる。


 ――知らない奴同士、当たり前だけどさ。


 せめて公共の場くらいでは他人の悪口を控えてほしい。

 彼らの悪辣な会話はバスに乗ってからも続き、珠緒は気を逸らす手段も持っていないので、ただニ十分ほど、空気の悪いバス内で眠ったふりをして過ごした。

 目的地につくころには、自分に向けられた悪口でもないのに額にべっとりと汗をかいていた。

 あのような悪意を持って人と接する人間が、自分よりもはるかに人間関係における経験を積み上げていそうなところに、珠緒は恐怖を覚えたのだ。


 やはりこの世界を見限るという選択は、間違っていない。


 山奥のバス停から登山道を登っていくあいだに、彼は命を投げ出すかもしれないことに、強い使命感さえ覚えるほどに、厭世えんせい思想を深めていった。


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