第六話 薄膜の向こうに(一)
山道から外れた、深い草木を掻き分ける音がいくつも響き渡った。懐中電灯の白く、射程の長い光が何度も暗い森の中を旋回する。継海は光を避けるように、知らない山道をかけた。柔肌の見えている箇所は草木、枝葉に何度も切られ、手から多量に出血している新鮮な血と合わさって、血が乾くそばからまた流れ出た。
虚血により、次第に走れなくなっていく。
しかし、這ってでも動いた。がむしゃらに走り続け、気が付けば住宅街の道路に面した山道が、すぐそばを走っていた。すでに街灯りが消えるような深夜らしく、道路を通る人影はない。
――……でも、血まみれで歩いていたら、助けを呼ぶ前に追いつかれるかも。
殺される。良くて売春への斡旋、薬漬け。次に捕まれば、間違いなく継海の意志は殺される。
凍えるような風が吹き、身体が震える。
追いつかれれば、死ぬ。ここで蹲って昼を待っても、恐らく死ぬ。出血を急いで処理しなければ。しかし電話は使えない。見知らぬ街で、公衆電話を探しているうちに捕まるかも。そもそも、公衆電話に入れる小銭もない。
思考が乱れ、追いつめられていく。
そのとき、一条の光が道路に差し込んだ。
一
――一方、珠緒のテレビ中継から三日。
彼は都内の留置所に密かに移送されていた。目的は二つ――すなわち、永霧からの保護、および少年審判へ向けた身柄の勾留だった。母・朝澄靜の人格を侵害したことに関し、幇助または過失の罪に問う。
夏樹たちのレポートを読んだ検察官も家庭裁判所(以下、家裁)も、「この少年に反省の意志はあるのか」とひどく憤っていたため、当初、彼は大人と同様“刑事裁判”にかけられる予定だった。しかし行方を眩ませたことや再び姿を現わしたときの言動をふまえ、家裁は「朝澄珠緒に必要なものは刑事罰ではなく、適切に養育される環境である」として、“少年審判”を開くと決定した。
これは、ただでさえ衆目に晒されている珠緒がこれ以上、マスコミや一般傍聴人などの好奇によって苦しまないようにという温情の意味も込められていると聞く(*注釈:少年審判では、原則として保護者以外が同席することは認められない)。家裁はマスコミからの申し立てもすべて跳ね除け、ごく一部の関係者のみにしか裁判の日取りを知らせなかった。
世間の関心は、それでもしばらくは収束を見せなかった。
「少年と誘拐実行グループの関係は?」
「呼びかけたことにより、誘拐された少女の身が危険にさらされるのでは?」
「犯人側からの応答は未だないのか? 捜査機関によって隠されているだけなのか?」
「そもそも警察は何故あのような呼びかけを許可したのか? それとも止めることが出来なかったのか?」
これらの疑問に対する警察側からの公式発表は、永霧事件の最高責任者、天芽警視正が行った。記者会見の場に現れた彼とその直属の部下何名かがカメラの前で頭を下げ、記者たちに応対する約一時間が、そのまま中継された。天芽はとうの昔に白と灰色のまだらな髪色に染まり、顔のあちこちに皺が刻まれているような初老の男性だが、それを一切思わせない、折り目正しい受け答えに、世間はある程度満足したようである。
「何故、首謀者の公開捜査に踏み切らないのでしょうか?」
この質問をされたとき、それまで座していた警視正がおもむろに立ち上がり、会見会場にしては異様な沈黙が訪れた。あるテレビカメラは、天芽の手が小刻みに震えている瞬間をとらえた。彼はどういうわけかそのカメラに鋭い視線を送る。カメラワークが、慌てるようにズームアウトする。そのとき、すでに天芽は質問者を見据えていた。
この小さな一幕の後、天芽はそれまでと同じ――感情や抑揚を排し、事実のみを告げる――調子で答えた。
「警察組織の有する重要な機密を、漏らすことに繋がるためであります。首謀者は頻繁に顔と名称を変える。警察が今、把握しているその名と顔を公開したならば、その者は二度とその顔と名前とを表に出さないでしょう。それでは、捜査員たちが積み上げてきた努力が水泡に帰すこととなります。
また、これも詳しくは申し上げられないが、警察の捜査資料が公となることで、我々が取っている捜査体制の意味が失われてしまうことに繋がる。これも、絶対に避けなければならないことです。
現状、私からお答えできるのはこのようなところでございます」
会見で何度目か、天芽は再び頭を下げた。
珠緒については、「呼びかけは警察が認めたことではない。彼の行動を制止できなかったのは、私の落ち度です」とはっきり述べた。このときも質問者と報道カメラを一直線に見つめ、天芽は「批判は受ける覚悟である」と、言外に訴えていた。
会見のあと、予想通りと言うべきか、警視庁の固定電話が大量に鳴りひびくことになったのだが、世論としては批判に加え、好意的に受け止める声も生まれた。特に匿名性が強くなればなるほど、「責任から逃げない姿勢が素晴らしい」と、天芽の人柄への信頼が語られたのだった。
その後、永霧側からの公開返答や警察の不始末などが無かったこともあり、人々は珠緒の少年審判や誘拐事件そのものを、徐々に語らなくなっていった。一時期SNSを賑わせていたルッキズムの論争(珠緒が発端となっていた)も、「これだからブスは」「美人が嫌ならブスと顔とりかえてみろよ、できないだろ?」という平行線のありきたりな議論に結局は収束していく。「この学者が言うことが正しいなら、ブスが生きるのが馬鹿らしくなってきた」「美人が得するのはこの世の真理なんだ……」どこかのコメンテーターが語った動画が切り取られ、拡散され、果てには事件と関係のない論文まで引っ張って来た大勢の呟きに埋もれ、珠緒や継海個人を気遣う声は掻き消されていったのだ。
*
沢山のブルーライトが光る。ウィンドウの下から上へと流れていく文字列の意味の、ほとんどを知らない。プログラムが動いているのか、そもそもプログラムを書いているのか、夏樹にはそれすら区別がつかない。別のモニターでは人の顔がいくつも映し出されては消えていく。荒い監視カメラ映像から人の顔だけを切り取り、画角の計算を通して正面図を作成している最中だ。
さらに別のモニターには、“夏樹の顔”が映し出されている。そこに映っているのは、いわゆる“美人”と呼ばれる女優たちの顔から特徴量を抽出し、各パーツを平均化して出来上がった顔だ。
夏樹はそのモニターを見ながらゆっくりと、顔を覆っていた光学フィルムを剥がした。大量のモニターに囲まれるように座っていた男のタイピング音がピタリと止まる。回転する椅子ごと振り返り、その男――白星寛孝はニコリと微笑んだ。
明るいところでその顔を見たことがないほど、彼は部屋に籠っている。元々は監視カメラ映像の違法なハッキングを行っていた立派な犯罪者だが、刑期を終えてからは警察署の地下に押し込められ、ひたすら“試験的な捜査手法の開発”に従事させられている。夏樹がまとっていた光学フィルムも、そんな発明のひとつだ。
「どう? 着け心地は」
「貼りついている、という感覚はありますが、日常生活に支障をきたすようなことは特に」
「そりゃよかった。実用化できそうだね」
寛孝の発明では、元がどんな顔であろうと関係ない。フィルムを纏ってしまえば誰でも美人・美丈夫になることができる。周りの明るさと光の色調に合わせて、設定している顔と装着者の顔との差異を、補光によって補う。まだ定期的に充電をしなければ使えない――だからこうして寛孝の元を尋ねなければならないのだが――のは不便な一方、夏樹にとってはそれ以上の恩恵があった。認めたくはない、苦々しい恩恵だ。
「悪用される確率の方が高いでしょう。捜査には使えても、市販できる代物じゃない」
「捜査には使えたんだ?」
「……まぁ。人に声をかけたときの反応がいささか柔らかくなるので、助かっています。東京の繫華街だと、ナンパが多くて大変でしたけど」
「ふぅん」
夏樹は、暗い室内に転がっているダンボール箱に目を落とした。未使用の光学フィルムが重ねて置いてある。あれが大勢の人に出荷され、誰もが美しい顔で街中を歩く世界を想像する。顔については平等が実現された世界。
――もしも、進化学的に美醜が決まっているのなら、それでも美しさの基準は無くならない。顔以外、手、耳、別のパーツが美しさの新しい指標になるだけ……?
寛孝は「ところで」と大きな声を出し、夏樹の注意を引いた。
黙考から引き揚げられ、思わず身体が強ばる。
「考えごとの最中に悪い。
朝澄くんの今について、聞いておいても良いかな」
「驚いた。機械いじりにしか興味がないと思っていましたが」
寛孝は笑いながら、適当なダンボールをいくつか集めてきて重ねた。その上にタオルを置き、即席の椅子に腰を下ろす。夏樹には先ほどまで彼の座っていた回転式チェアを勧め、ポットの電源を入れた。ヒーターが作動する。
夏樹は渋々腰を落ち着け、十台ほどあるモニターを見上げた。
「そう邪険にしないでよ、傷つく。
僕はむしろ、人に興味がある方だ。データの解析が好きなのは、そこから見えてくる大衆心理に興味があるから。補光型光学フィルムみたいな発明をするのは、自分の発明が人の行動にどのような影響を与えうるのか、それを知りたいから。ほら、僕ほど人に興味があって、行動に変えられる人間がいるか?」
寛孝は胸に手を当て、もう片方の腕を広げる。大げさに同意を求めるポーズは、彼の長年の癖だ。同じ“演説”も、もう何度も聞いた。寛孝の目はいつも見開いていて、焦点がどこにあるか分からない。眼球の充血しているところが目につき、話に集中もしづらい。
夏樹のため息と共に、お湯が沸騰し、ヒーターが切れる音がする。
寛孝はあわててポーズをとき、ドリップコーヒーを淹れた。慌てたせいで、机の上に中身が零れる。それをまた慌てて拭きながら、今度は肘で紙コップの束を落としてしまう。
「わ、悪い」
「お気になさらず」
夏樹はコーヒーの染みついた紙コップを自分で手にとり、喉元へと一気に飲み下した。当たり前だが、いつも警察署内で出されるのと同じブレンドの味がする。夏樹にとっては、おいしさの分からない黒くて暖かい液体。留置所に居る珠緒も、恐らく今頃同じものを飲んでいる。
――今更だけど、朝澄くんには悪いことしたな。
彼の父親が「息子になにか差し入れを」と言ったので、夏樹がこっそり自弁(留置所で提供されるものに加え、自費によって追加注文ができる食事)の費用を貸した。暖かいものが良いだろうと適当にコーヒーもつけたのだ。夏樹が珠緒と彼の父・環希との面会に立ち会ったとき、珠緒は控えめな感謝を述べた。あまり喜んでは不謹慎だからと、少年なりに固い笑顔を浮かべながら。
「――白星さんは、朝澄くんの何を知りたいんですか? 性格ということなら、いたって普通の高校生ですよ。少し、控えめな感じの」
寛孝はダンボール箱でつくられた不安定な椅子に、腰を落ち着けた。深く座り、ロダン作『考える人』の彫刻と同じポーズを取る。モニターの青白い光を反射して、黒々とした瞳が鈍く輝く。すべて、計算されたかのような動きに見える。
「そうだなぁ。例えば、脱走の協力者は誰だったのか、とか。五年はここに幽閉されている僕に、そんな話が降って来たことは一度もないのに。朝澄くんはどうやってそんなチャンスをつくりだしたんだ?」
「大げさな。まるで朝澄くんが工作したかのような言い方ですが、彼はただ、『逃がしたい』誰かの作為に乗っただけです。あの日を境に、病院の警備員が一名消息不明。あの晩、リネン業者のトラックが珠緒くんの病室のすぐ下に停められていたことの発覚がやや遅れた。 “特別なお客さん”を名乗る、レンタカーと乗員たちは未だに捕まらない。車は山奥で分解されたか、海に捨てられたか。
……これだけ用意周到なのに、朝澄くんの自由な逃走は許した。二日に渡って。脱走を手伝った目的が分からない」
「ふぅん。そうすると、協力者にも目星はつかないわけか」
「そうでもありません。彼の入院中、彼と直接接触したのは看護師、医師数名と……私と、西墨さん。……検察官の起訴状提出まで三日という心理的圧迫を利用し、『一刻も早い逃走を』と促せる人物となれば、もっと」
「じゃあ、夏樹ちゃんか真司君、どっちかだ」
夏樹は寛孝から視線を逸らさず、返事もしなかった。幼い頃、ただ黙って見上げているだけで「アンタ怖いからやめなさい」と注意された。光学フィルムを外してしまえば、夏樹にとっては労せずして作りあげられる威圧的な無表情。
寛孝は目を泳がせ、顔にジワリと汗をかく。
「悪い」
「いいえ。私も他人であったなら、同じ結論を下します。私でない以上、西墨さんでしょう。……しかし、解せないことがひとつ」
「ん?」
「これまで私たち警察の捜査を翻弄する情報を流布し、永霧たちに有利に働くスパイはもっと巧妙でした。大勢が知りえる情報を精査し、その中で重要度の高いものに絞りこみ、情報を流していた……つまり、“誰でもスパイになり得る”という状況をつくることに長けていた」
寛孝は、光学フィルム充電用の端子を見、モニターに映し出されたバッテリー残量を見上げた。十五パーセント、満充電まではまだ時間がある。夏樹も確認し、つづけた。
「しかし、この少数隊制に捜査が切り替わってからはあっさり、私たち――私を含む東雲班四名の中にスパイがいることをにおわせてきた。今回のことだけじゃない。廃墟での朝澄くん救出のとき。一度会っている朝澄くんを騙せるほど、精巧な偽物。
……それと、ほぼ同時期の“お引越し”。朝澄くんの話によれば、数百匹のラット、大量のモニター、光学素子の引っ越しです。かなり前から情報が漏れていなければ、これらは成し得ない」
「そうだろう。そのスパイが真司くん、そういう話で、良いんじゃないのか。君がスパイでないのなら、だけど」
「班員たちもそう考えています。そう考え、西墨さんを一人では行動させないように気をつけている。ただ何か、大きな手のひらの上にいる気分がぬぐえないんです。私たちが西墨さんに気を取られるように仕向けられている……そんな気がしてくる」
夏樹は話ながら、身体の中の空気がいつもよりも重たくなっていくのを感じた。酸素や水素、ひとつ一つが同素体に切り替わって、無数の中性子が増えた分だけ、代謝――命のめぐりが遅くなるような気がする。呼吸が重い。身の内にうっかり生じた“ある疑惑”が、べっとりと肺に巻き付いているようだ。
寛孝の反応をうかがい見る。
彼は相変わらず、考える人のポーズのまま、うんうんと唸っていた。沈黙をごまかすための、意味のない発声だ。その顔が上がり、睨みつけるような夏樹と目がかち合う。
「僕は何の関係もないよ。大体、警察に飼われているってだけで、正式な警察官じゃないんだ。捜査資料だって、僕は貰っていない」
「別に、疑っていません」
「それより、話が逸れているよ、さっきから。僕が聞きたいのは朝澄くんのことで、捜査状況なんてどうでも良いんだ。朝澄くんのことだけを教えてくれ」
大げさな身振り、調整機能を失った口から飛び出す、めちゃくちゃな抑揚の声。怯えながらも、自分本位な態度を崩さないアンバランス。これはいつもの寛孝だ。
「教えるって言っても、これ以上、何を?」
「例えば、どうして朝澄くんが世間一般にある程度受け入れられたのかということなんだ。彼、唆されたとは言え、起訴されるのが嫌で逃げ出したんだろう? 戻って来たって言っても、逃走した犯罪人に違いはない。大体、捜査を混乱させた。なのに、なんで僕と違って、彼は“保護”されて、僕は“幽閉”なんだ。おかしいじゃないか」
「境遇も、考え方も、白星さんとは違うんです、彼は」
「な、なんだそれは。境遇って……考え方って……なんだ、それは!」
寛孝は駄々をこねる子供のように立ち上がり、地団駄を踏む。
――あぁ、また変に刺激してしまった。
「だから、あなたのように、いわゆるギフテッドでもなく、母親はほぼ育児放棄、父親とは疎遠。唯一の友人は大河継海。教育を受けることに、集中できる環境じゃなかった」
「そ、そんなことを言ったら、僕だって。捕まったのが大人になってからってだけで、子供の頃は似たようなものだった。僕のクソみたいな親父に毎日性的虐待を受け、母は見てみぬふりをして、ある日家から出ていった。僕がプログラミングができるとみると、親父の奴、今度はそれで、それで――」
「落ち着いてください」
彼はふらふらと立ち上がり、今度は積み上げたダンボールの椅子をあっさりと蹴り飛ばしてしまった。中身の、柔らかい素材で試験的に作られた電子基板や、タブレット端末がバラバラと散らばる。
「落ち着けるわけない。ほら、答えてみろ。僕と、朝澄くんとで何が違う? ただ、捕まった時期が違っただけだ」
「誤解されているようですが、あなたの今の状況だって、保護に変わりはありません。仮に、今から自由な社会に放りこんだとして、こんな癇癪を起こすような人間、ハッキングの前科のある人間を雇いたがる企業はほとんどない。あなたは社会との摩擦に再び苦しみ、また犯罪に手を染める……その手段が、白星さんの手には握られている。
そうなればまた、無為な時間を刑務所で過ごすことになる。国民の血税をそんなことに費やすくらいなら、日本のためになる働きをしてもらう。そういう措置だと、ここに連れてこられたときにも言われたはずですが」
「言われてない!」
「言いました」
取り付く島もない夏樹の言い分に、寛孝は一度黙り込んだ。夏樹はその隙に残っていたコーヒーをすべて飲みほし、空になった紙コップを勢い良く机の上に置いた。
「う」
「それと捕まった時期が違っただけと言いますが、これは大事なことだと思います。人格の柔軟性が、思春期の少年と三十の大人で同じ訳がありません。あなたの破滅に走りやすい傾向が変わらないのであれば、その特性を活かせる今の生き方の方が幸せである――そう考えることはできませんか?」
光学フィルムの充電率、五十パーセント。
夏樹はまだ、立ち去ることができない。
「出来ないね、納得がいかない」
寛孝はわなわなと身体を震わせ、握り拳を机に置いた。
「朝澄くんと僕は同じだ。社会に馴染めない、いや、馴染みにくい因子が染みつくように生まれ、育てられたんだよ。彼は外見、僕は内面――刑務官たちは何と言っていたかな、偏屈で、人とのコミュニケーションがとにかく取れないんだと、取る気がないだろうと。僕には人の心を理解する力が欠けている。でも僕は理解している。例えば『朝澄くんは容姿に恵まれなかった』と人前で言うと、本当のことでも顰蹙を買うんだ。知っている。テレビのコメンテーターたちは言えないから、大河さんの綺麗さにばかり焦点を当てて議論していたけど、そんなの酷いよな? 不細工は、顔について語られてもいけないなんて。だから僕は言うよ。はっきり言うんだ、顔を出してでも、顰蹙を買ってでも、朝澄くんは不細工だって」
「白星さん、そういうところです。
嘘をつくこと、隠すことは必ずしも悪いことではない。正直な言葉選びが評価されるには、適切な“場”でなくてはならないんです」
「でも、おかしい。生きづらいと、抱えた気持ちは同じはずだろ。僕だって、助けられて良かったはずだ。外側のせいで生きづらいことが議論に上がって、変わることを強制されたりしないくせに、人間の内側のせいで生きづらいことは、変われ、変われって。変わらない人間はいつまでも閉じ込めて」
夏樹はまた、ため息をもらした。紙コップを握りつぶし、デスクの下のゴミ箱に放り込む。
――七十五パーセント充電。
寛孝は夏樹が眉間にしわを寄せ、光学フィルムを睨みつけているのに気が付き、語気をやや弱めた。
「僕には、外見のせいで苦しむ人間のことは分からないけれど。……夏樹ちゃんだって、性格に苦しむ人間が分からないんだろう? だから、僕にいつも冷たいんだろう」
「そうですね。白星さんの言葉をお借りするなら、“内側”なんて目に見えないもの、取り繕ってしまえば楽なのに……と思います。外側を変えるには白星さんの類まれなる知識と才能をもってして、あるいは、顔を骨格から変形させる痛みと費用をもってして。いずれにせよ、莫大なお金が要ります。一方で、性格は受けの良い“皮”を適当に自分で見つけて被ることもできる……内面を変えることなく」
「そんな生き方するくらいなら、世間に迎合なんかするもんか」
ピー、と高い電子音が鳴った。
満充電を知らせる音だ。
夏樹は腰を上げ、再び忌々しい光学フィルムを被った。顔はみるみるうちに設計されていたものへと変わっていき、黙っていても「不気味」と評された不細工な顔は、完全に隠れた。黒いコンソール画面に映った美人が、夏樹たちを見つめていた。
「そうですね。世の中はくだらない基準に溢れていますから。迎合しない、は一つの選択肢でしょう。
でも、一度慣れると案外、意地を張っていたのが馬鹿らしくなるかもしれませんよ」
「そ、そんなこと、ある……のか?」
モニターに反射する白星の横顔が、困惑したように夏樹に問いかける。夏樹は視線を合わせることなく、入り口に向かってしゃべりつづけた。
「少なくとも、世界の見え方は変わります」
――嫌な方に、だったけど。
扉を後ろ手に閉めたすぐ正面には、西墨真司が待っていた。夏樹と目が合うと口角を上げ、スマートフォンの画面を見せてくる。そこに並ぶ「大河継海」の文字に、総毛立つ。
「今から緊急で車回すよ」
真司はそのまま廊下を駆けだし、夏樹もその後に続いた。
第六話冒頭、読んでいただきありがとうございました!
起死回生の逃走中な継海に対し、夏樹サイドは相変わらずの苦戦、という感じですね。
しかし、ここからが彼女らの反撃です。
張った伏線を回収していくぞ~と意気込んでおりますので、次回以降もお楽しみいただければ幸いです。
*お知らせ:来週は文学フリマ東京41(11/23開催)にサークル参加(V-39)するため更新の方をお休みします。




