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第五話 とある少年少女の告白(一)

 都内警察署の記者クラブが大河継海たいが つぐみの誘拐事件を嗅ぎつけて以降、マスコミは彼女の顔写真付き実名報道を大々的に行った。永霧事件については報道規制が敷かれているため単独の事件として扱われている。犯行グループは未だに何の声明も出していない。永霧の手段を選ばない冷徹さから、警察官たちの多くは生還が絶望的だと見た。記者たちもその空気感を機敏に察知し、表向きは情報提供を呼び掛けるにとどまっていたものの、一部の者たちはすでに“彼女が遺体で発見されたあとを想定した”報道特集を組みはじめていた。


 継海が実父と二人暮らしをしていた集合住宅の一軒に、報道陣が張り込みをした。彼女の父が帰って来たところを取材しようという心積もりだ。誘拐事件の担当刑事は父親の憔悴具合を鑑み、そうした報道陣から一時的に避難するホテルを用意した。それでも嗅覚の優れた記者は彼を見つけた。父親は、錆びついたジョイントががたつきながら動くような足取りで会社へ向かう途中だった。報道では、くたびれたスーツやネクタイ、鈍い光沢さえなくなった革靴が映し出された。

 インタビューに答える声はとても平坦なものだった。


「誘拐ね、私も初めて聞いたときはびっくりしました。自分にはもったいないくらいの、可愛い顔立ちで。妻に似たんですね。もう亡くなってしまったんですが、アイツの生き写しみたいな、可愛い子で。男手一つで、いろいろ無理させてばかりでした。

生きて、会いたいと思いますね」


 映像は、何度もニュース番組で流れた。

 父親が判断力を失っているのを良いことに、記者たちはさらに後日、ロングインタビューや継海の幼少期からの写真、動画の提供などを約束させた。報道陣の言い分は「少しでも娘さんが発見される確率を上げるため」ということだ。本音は「亡くなった後の報道特集に使いたい」といったところだろう。相対的貧困層・警察官の死亡・反社会的勢力による犯行――事件の要素を取り出してみれば、いくらでも社会批判に繋げられるものばかりだ。報道により、世間に対する問題提起を行う、あるいは意識を変えさせることを使命と感じる者たちにとって、これほど格好の“素材”はないのだ。


 何より、継海の美貌が良い“フック”になる。

 美女が誘拐事件に巻き込まれた――ただそれだけで、殺伐とした事件にはふつう以上の“悲劇性”が加わり、若いということはさらに人々の同情を誘う。


「金銭的には恵まれない環境にあっても、華々しく個性を開花させていた天才女子中学生」


 継海のパブリックイメージは、非常に強固につくり上げられていった。中学校の美術室に彼女の創作物がいくつも並べられ、報道に使われた。優れたデッサン力と独特の色使いで、彼女の絵も、また話題となった。




 週刊誌では、より遠慮のない記事がいくつも書かれた。誰かも分からない近所の住人の証言や、同じ中学に通う同級生たちの赤裸々な言葉が、何千字も連なった。


「今と印象はあまり変わらないです。小さい頃から、一人でふさぎ込んでいることが多い子供でした。近所で挨拶をしても、ニコリともしないで路地に隠れちゃう、愛想の悪い感じです。お父さんとも手を繋ごうとしないで、走ってどこかに逃げようとしてたんですよね。虐待を疑ってしまうくらいでした。


 喋り方も、今は普通じゃないですね。中学に上がった辺りから、ですかねぇ。古風で、どこかの王様みたいな。小さな頃から――失礼ながら今も――本当に問題児扱いでした。とにかく、人を信用していないんだと思います。だから大人が『危ないよ』って言ったことにも挑戦してしまう。今回、事件に巻き込まれたと聞いたときも、正直なところ驚きませんでした。ああ、あの子ならあり得るな、と」


「私は小学校が一緒でした。小一の頃からずっとです。

 授業中は普通でしたけど、それ以外の時間は黙々と紙に何かを描いていました。給食中でもです。先生がお行儀悪いからやめなさい、と言ってもやめなくて、小四くらいのとき、栄養不足で倒れちゃったこともありました。私はそのときちょうど保健委員だったので、保健室まで継海ちゃんに付き添いました。先生たちが怒って『これでもう凝りましたね、瘦せたいなんて幻想捨てなさい。今でも十分可愛いんだから』って言うのを、私はずっと椅子に座って聞いていました。継海ちゃんは、ベッドで横になりながら。……そのとき、二人きりになるタイミングがあって、ちょっと気まずいな、なんて思っていたら、珍しく継海ちゃんが口を利きました。


『給食が、気持ち悪い。上手くいえないんだけど、生きてるって何か、気持ち悪いの。食べることとか、寝ることとか、あと……身体を触られること。全部に“におい”とか“触られた感じ”とか“音”がついてて。みんな、それが幸せなんだって言うけど、私には気持ち悪いの』


 そのときはよく分かりませんでしたが、今思えば、五感が鋭くて、色んなものが人より感じやすくなっていたのかな、と。でもとにかく、継海ちゃんは難しい子でした。私は分からないなりに『確かににおいの強い給食はあるけど、食べてみたら美味しいよ』なんて言ったと思います。そしたら継海ちゃんは、


『味なんて分からなくても、絵は描けるよ。本当にきれいなものは、生きることの外にしかないもん。物語、絵、音楽とか、美術がなくても生きられるよ。だけどきれいなものは一瞬しかなくて、宝石みたいにずっとそこにあるわけじゃなくて……きっと、きれいな一瞬をみんなに見える形にしたくて、絵を描くし、音楽をつくると思う。

 それで私ね、きっといつか死んじゃうんだけど、そのときはちゃんと、きれいなことを思い出して死にたいの。そのために、気持ち悪いものからは逃げないと』


 そう言いました。小四ですよ? 一体、どんな人生を歩んできたのか……結局、私には話してくれませんでした」


「中学で同じクラスです。俺から見た印象は、とにかく“電波”ですね。言ってることが支離滅裂すぎて、いくら美人でもあれは、……クラスの男子、みんなそんな感じだと思います。殆ど四六時中絵を描いていて、声かける隙がない。『なに描いてんの?』て聞いても無視。学校一のイケメンが声かけようがどうでも良い感じです。


 でも何度かキレたことはありました。その……二年のときだったかな、先輩の悪口言ってて、よくあるじゃないですか。先輩本人の前では言ってないですよ。でもそしたら、急に大河が悪口言ってた俺ら四人のことを殴り倒して、それでもう大喧嘩です。飯食べないから、大河はヒョロヒョロで、押さえつけるのとかは簡単でしたけど、でも弱っちいパンチでしつこく殴ってきて。結局先生たちが止めに入るまでずっと殴ってました。滅茶苦茶怒られたのは俺らの方でしたけど。『女の子をよってたかっていじめるとは何事か』って。先に手を出してきたのはあっちなのに。アイツのその時の言い分はこうです。


『お前らみたいに本能の判断に囚われた動物が、大声で人をこき下ろしているのが気にくわなかった』


 意味が分からなさ過ぎて、もうアイツの前で先輩の悪口言うのはやめようとなりました。事件に巻き込まれたのは不幸ですけど、自分からトラブル起こすような奴でもありましたから、自業自得なところはあるんじゃないかなって思います」


 こうした週刊誌のインタビュー記事に対し、インターネット上では非難の声が飛び交った。個人を非難して憚らない印象のものが多い。そのことに対する非難はもちろん、“有名人だから何を書かれても仕方がない”といっているように見える報道姿勢への非難も凄まじいものだった。インタビュー記事が載った週刊誌は、出版元の謝罪文公開、および回収騒動にまで発展した。


 しかし、「大河継海は気難しい美人である」という印象を、世間が抱くきっかけにはなってしまった。一度こびりついた印象は、そう簡単に落とせるものではない。情報の拡散を皮切りに、インターネット上では余計に、彼女に対する様々な言葉が噴出する形となった。


「この顔ならもっと上手く生きられるだろ」

「元記事読んだけど、言ってること電波すぎ。こういう、ちょっとおかしい自分に酔ってる美人っているよね」

「きれいな分、変なところからの誘惑多かったんだろうな。言ってることスピっぽい(科学的根拠が示されていない占いや独自信仰を、主張の中心的論拠として掲げる人々や言論に対し、蔑んで表すための形容詞)し、親子ともども変な宗教に引っ掛かったんじゃないか」

「みんな女の子の話ばっかりしてるけど、これ事件の内容かなりヤバいよ。犯人グループが半グレ集団で、しかも人気がないところとは言え住宅地近くで発砲。警察官殺して逃走って、日本の治安がいよいよ終わってきてる」


 ネット上では連日こんな投稿が繰り返され、それなりのインプレッションを稼いだ。安否が分からない被害者を取り残す形で、ここまで報道と反応が加熱した誘拐事件は非常に稀だ。それでも、犯行グループからの声明はない。世間的に見れば犯行の目的が分からないことから、人々の興味は常に“大河継海の身辺で何があったか?”という一点に集中した。その過程で、朝澄珠緒あずみ たまおの存在が見つかるのは時間の問題だった。継海の突飛な性格のインパクトにまだ隠れてはいるが、彼女の限られた交友関係の中で、彼はひと際目立つ位置にいる。


 記者たちは“幼馴染の少年A”の存在を確信していた。

 非常に、不味い展開だった。永霧が珠緒の居場所を把握することになれば、彼は再び口封じに動くかもしれない。


     *

 


 これが、夏樹たちが珠緒の病室を訪れた前日の情勢だ。

 珠緒の精神状態を考慮し、誘拐を明かさない選択肢はもちろんあった。だが、ここまで大々的に取り上げられては、放っておいてもいずれ珠緒の目に留まる。事件を意図的に隠した警察への不信につながるくらいならば、先に話した方が良い。


 ――それに、意思決定の判断材料は多い方がフェアだもんね。


 少年院に送致されることを大人しく受け入れるか、危険を冒してでも永霧の調査に積極的に使われるか。

 継海の事件は、珠緒の選択にも影響を与えうるものだった。


 結果から言えば、この夏樹の決断は事態を悪い方向へ転がすことになった。

 珠緒が、病院から脱走したのである。


 気が付いたのは午前六時。

 起床時間、検温などに訪れる看護師が逃亡に気づいた一人目だった。窓が全開になり、カーテンが風に揺れていた。室内は吹き込んでくる冬風でかなり冷えていた。ベッドにはふくらみがなく、乱れたシーツが床に引きずり落ちている。マットレスに熱はない。逃亡から、時間が経過していた。

病院から通報を受け、すぐに夏樹は駆けつけた。


「前日、最後に彼を見たのはいつですか?」

「午後八時ごろ、食事を下げたときです」

「そのとき、不審だったことは?」


 到着早々始まった質問攻めに、看護師は気まずそうに目を逸らす。口が、何度も開いたり閉じたりをくり返す。


「心配なさらずとも、あなたが処罰されることはありません。不審なことがあったなら、正直に話してください」

「……実は、その、例の誘拐事件について尋ねられました」


 とても、歯切れの悪い口ぶりだった。


「世間で、事件はどのように扱われているのか知りたいと、そう言われて。私は見ない方が良いと。でも、当事者だから知っておきたいとしつこく。そのとき、窓枠の血に気が付いて、彼が指を怪我していることを知りました」

「それで、あなたはどうしましたか?」

「よほど追いつめられているのだと思い、私のスマートフォンを貸してしまいました。彼、両手でスマホを持って、画面をスクロールするたびに顔が強ばっていって。ちょっとスマホが音を立てちゃうくらい、強く、ぎゅうっと握っていました。顔も、どんどん土気色になって、さすがに不味いと思いスマホを取り上げたんですが……被害者の女の子について、急に色々と喋りだして」


 夏樹は自分の顎に片手を添え、少し撫でた。

 ――今まで、大河継海に関する証言は意図的にしていない印象だったけれど。


「色々とは?」

「それが、時系列がめちゃくちゃで、内容があまり頭に入ってきませんでした。ただ、『ここに書かれている女の子は誰ですか?』と頻りに尋ねられました。被害者の女の子の記事が、気に入らなかったのではないかと思います。

 とにかく、少しパニックを起こしかけていると判断し、朝澄さんには他の患者さんよりも早くに就寝してもらいました。早くと言っても、消灯が十時のところを、九時ごろには部屋の灯りを消したくらいです」

「例えばですが、“継海さんを助けたい”という類の発言はありましたか? どこかへ行かなければいけないなど、逃走を示唆するような発言は?」

「私は聞いていません。当直の看護師であれば、なにか知っているかもしれませんが」


 夏樹は、夜間の見廻りをしていた看護師にも確認をとった。

彼女の話によれば、午前三時時点で珠緒はまだベッドで眠っていたらしい。逃走しようとしているようには見えなかった、ということだ。


 病室の入り口を見張っていた巳波廉清みなみ れんせいによれば、昨夜通りかかったのはワゴンを押すリネン業者だけだ。リネン業者は毎晩消灯後、そのフロアのリネン室に向かう途中で、珠緒の病室の前を通りかかる。行きかえりで一往復、二回だ。断りなく病室に入ることはない。その日も、珠緒の病室には入らなかった。


「ということは、朝澄くんの逃走経路はやっぱり窓か」


 窓から顔を出すと、二階から病院の庭が見え、壁には細い配管と室外機が張り付いている。病室の直下に、植え込みなどクッションになるものはない。


「巳波さん、この配管を伝って下までいくことは可能だと思いますか?」

「そうですね。私たちのように訓練された人間でギリギリ。一か八かここから直接飛び降りた可能性のほうが、まだ高いと思います」

「人手不足が仇になりましたね。それだけではなく、警察の誰もが、朝澄くんのことも侮っていた」

「――みすみす逃してしまい、申し訳ない」

「いえ、巳波さんを責めたつもりはありません。この事態は班長である私の責任です。……いまは、逆に状況を利用することを考えましょう」

「何に、利用するんですか?」

「世間――ひいては永霧から朝澄くんの顔を守ることに。

 病院の出入り口に大規模な検問を引き、“うっかり”という体で大河継海の存在を仄めかせば、マスコミの目は一時的にこの病院に集まります」

「その間に朝澄を捕らえ、秘密裏に保護するということですね」


 廉清はこの作戦に従い、大人数の協力を捜査本部に依頼した。

 天芽てんめ警視正はただちに人員を配置し、警官たちの間で珠緒の顔写真が共有された。

 病院は一気に物々しい雰囲気に包まれた。見舞客や出勤してきた医者まで慎重に検査をし、「何の検問なんですか」と尋ねられた警官たちは、内緒話をするように声を潜め「例の誘拐事件の重要参考人が、この病院の患者だという内通があったんです」と喋った。こうした非日常感に浮き足立ち、ネットに書きこむ人々が一定数いる。情報の拡散は、それだけで十分だった。すぐに都内にある病院で異例の検問が行われていることが話題となり、マスコミはこぞって病院に駆けつけた。


 だが、夏樹たちは結局、半日探し回っても目撃証言ひとつ得ることが出来なかった。永霧と邂逅した日ケひがせにも、彼が長年住んだアパートにも、廃墟となった校舎にも、彼が訪れた痕跡はない。防犯カメラのリレー捜査が不可能なほど、街のどこにも珠緒の姿は残っていない。病院の出入り口にはすべてカメラが設置されているが、そこにも彼は映っていないのである。

 深夜三時に目撃されたのを最後に、珠緒は忽然とこの世から消えてしまった。

 どこかに長時間潜伏していることは、ほぼ確実だ。加えて、珠緒に匿ってくれるような友人がいないことも確認済みだ。

 ――まさか、もうどこかで死んでいる?

 他殺にせよ、自殺にせよ、池にでも沈んでしまってはそう簡単に探すことはできない。

 最悪の事態が頭をよぎるなか、検察の起訴予定日当日は訪れてしまった。逃走発覚後、二日が経過していた。


 事態が変わったのは、そんな最中だった。


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