第四話 窮鼠夢を見る(三) 【調査レポート】
【調査レポート:永霧事件
永霧事件とは、日本全国にまたがり起こった誘拐・脅迫・監禁・監視・非人道的な脳科学実験への同意なき治験・サイバーテロなど、主犯永霧哲(本名不明)が関係しているとされる事件の総称である。
事件の特徴として、大規模な協力者がいること、また、協力者ももとは被害者であるケースも多いことが挙げられる。単一の犯罪として取り締まったものが、実は永霧の息のかかった犯罪であったという報告は枚挙にいとまがない。おそらく、判明していない余罪も多い。
以下、誘拐未遂事件(事件番号:〇○○号)の被疑者証言①。文字起こし。元サラリーマン、営業。実家から出て一人暮らし。
「永霧についてどう思うか? そりゃ、神様ですよ。私のような平凡……取り柄の少ない人間を“被験者第一号”に選んでくれた。人生の宝です。実験を受けてから最初は、怒りが湧きました。『僕は、なんてくだらないものに踊らされていたんだろう。みんなは、何で気が付かないんだろう』って。
昔は、背の低い父や母を恨みました。私の家系は、どうしてかみんな背が低いんですよ。そうするとね、よく言われたんです。『男は身長じゃない』とか。中学くらいに言われ始めて、でも初めて言われたとき、私、自分の足の長さなんて気にしたことありませんでしたよ。一度言われると気になりだして、何度も言われるものだから、すっかり自信を失くしました。ほら、SNSではたまにふざけてるのか何なのか知らないけど『男は○○センチ以上じゃないと人権ない』なんて言うでしょう? ああいう言葉に、律儀に傷ついていました。
けどね、永霧さんの実験を受けてから、ここ数カ月は一度も足の長さのことを考えなくなったんです。興味もなくしました。他人の身長もどうでもよくなって、綺麗な人とか不細工な人とか、そういう区別まで無くなって。前より性欲も落ちましたが、すごく安定しているんです。
え、そういうことはいい? ……はあ、犯罪に加担するときの抵抗感、ですか? ……怒らないでほしいのですが、正直ありませんでした。永霧さんが『○○(被害者名)を誘拐してくれないか』って電話で。それで、ああ、そうですか、分かりましたって、承諾しました。○○は、私のことをずっと身長で馬鹿にしていたから嫌いでしたし、断る理由がないかなぁ、なんて。自分も頭が良くないことを指摘したら怒るくせに、人のコンプレックスならいじっても良いなんて思うんですよ、彼は。
……謝罪? 私が彼にするんですか? 逆じゃなく?
無理ですよ。
私にそうさせたければ永霧さんを呼んで……え、何です? 嘘? 永霧さんは他の人にも『被験者第一号』と言っている? はぁ……へぇ、……そんなこと、ないと思いますけどねぇ。会ったこと?は、確かにないですけど、それって、信頼できないことの理由になりますか? 彼は私のコンプレックスを解消してくれた人ですよ? よく言うじゃないですか。『言っていることじゃなく、やっていることがその人のすべて』って。永霧さんが私に施してくれた改造を、私は信頼しています。嘘をつかれていたなんて、些細なことです。私の他に信者がいたとしても、何の違和感もない……ない、です。素晴らしいことじゃないですか。はい。はい……(長い沈黙あり)……すみません、少しハイになっていました。受け止めるのに、お時間をいただけませんか」
この証言から分かるように、永霧は一部の協力者たちから崇拝されている。「姿が見えないことで、却って神らしい」と考える者が一定数いるようである。直接会っていない者たちに関し、実際に脳科学手術を行ったのは“テツ”と呼ばれる少年だと、複数の証言から裏付けられている。少年についても、詳細は分かっていない。
とある反社会的組織の組員からは、永霧たちに関するもう少し客観的な証言を得ている。この被疑者は違法薬物所持により逮捕されたが、不審な送金履歴から永霧の名前が捜査線上に浮上。永霧事件の関係者として、取り調べを受けた。
以下、被疑者証言②
「俺は下っ端なんで、なんも考えずに指示に従ってただけです。永霧って名前も、今知ったくらいです。ずーっと“先生”って呼んでました。指定される口座、毎回ちゃうんです。えー、口座乗っ取り、へぇ、そんなことできるんですか。何も驚かんわ。先生なら出来るんやろって感じです。
コンキョ? 何ですか、それは。あぁ、そう思った理由? じゃあはじめっからそう言って下さい。難しい言葉は分からんです。俺、刑事さんと違ってええ教育受けてないんです。
親がね、中学卒業したらお前はすぐに働くんや、て言ったんです。うちはまぁ、年中金なしって感じで。親父は働かんと生活保護貰ってぐーたらしてるばっかでね。それで、おかんが「中学卒業したら働け」て、そう言うんです。俺も馬鹿なガキやったもんで、俺がこの家支えなあかん、て使命感?に燃えたわけです。元々勉強は苦手やったし、身体動かしてる方が好きでした。
新聞配達とかね。今は取る人も少なくなってしもたけど、昔はそこそこ沢山の家をチャリで走り回って……。とにかく、そういうわけで高校にはいかんとバイトやりだしたんです。高校生くらいのガキ雇ってくれるところは少ないから、昔のおかんのツテ頼って、こっそり旅館の裏方とかやらせてもらってました。たまに人手が足りんと接客もしましたけど。
で、あんまり質の良いところじゃなかったんでしょうね。俺がお客のまえに出るときは、何でか分からんけど大抵、今の俺みたいな人らがぎょうさんおったんです。怖い顔したおっさんらで、ごく稀にですけど小指のない人とかもいてね。女将とか女の従業員は怖がってよう話しかけにいかんのです。俺は大丈夫でしたよ。何も知らんガキでしたから。
……もうちょい聞いてくださいよ、刑事さん。
とにかくね、ジャリが出ていくとおっさんらはすごい可愛がってくれたんです。“こんなちっこいのによう頑張って偉いな”とか言って、こっそりお小遣いくれました。五百円玉とかですよ。でもあのときはすごい嬉しくて、おっさんらに気を許したんです。ほんでね、ある日“これある人に届けてくれ”て頼まれて、俺、おっさんらの役に立てるならって喜んで――こんくらい、普通の封筒でしたよ――、とにかく、喜んで走りました。指定されたところにいる人に封筒届けたんです。ほら、これで何も知らんガキは晴れて“運び屋”になってしまうんです。中身がヤクなんですよね。そのこと後から知ってね、薬はヤバいって聞かされてはいたもんですからおっさんらに怒ったんです。そしたら“おかんのために働いとんのやろ、おかんが殺されてもええんか”て脅されて。そんなん、もう協力するしかないやないですか。
分かります? これで分かりましたよね? 俺はそんくらい馬鹿なんです。せやからもっと優しい言葉で喋ってください、刑事さん。
あー、はいはい。反抗的でわるぅございました。
……えー、話し戻すと、なんやっけ。あぁ、先生がすごいと思う理由、理由ね。
よぉ分からんけど、頭がえらい良いんとちゃいます? 俺、自分のことあんま話してなかったのに電話で“君は教育を受けられなかったんが心残りなんやね”とか言ってて、気色悪ぅ、て思いましたもん。で、金稼ぐ手段も教えてもらって上手くいって、先生の言うことは大体当たりました。例えば? あー……そうですねぇ、あの人、組長の機嫌めっちゃ当てるんです。気分屋で、俺なんかほとんど毎日殴られとったんやけど、今政治がああやから、ジョーセイがこーやから、みたいな説明して、組長の機嫌がええか悪いか言うてました。おかげで、ただの下っ端やったんが、ちょっと偉い下っ端になったんです。もうすぐ三次団体やけど組持たせてもらえるかも、なーんてときに捕まっちゃったわけですが。
……とにかく、先生は……なんちゅうんでしょうね……人の悩んでること言い当てられて、目先の幸せをくれる、そんな感じの人です。悩み持ってて孤立してて、世の中上手くわたって行けん奴にとってはホンマ、神様みたいに見えるんちゃうかな。……何のためにそういうことするか? あー、確かに。人助けが趣味、てわけでもなさそうやしなぁ……よう分かりません。
何度も言いますけど、俺、馬鹿なんです」
このことから、永霧は人心掌握に非常に長けていることがうかがえる。犯罪全体の動機も含め、反社会的勢力にもこのように関わりを持った理由は現在不明だが、乗っ取った口座でかなりの金額を集めていたことから、資金調達が主な目的だと考えられている。
警察庁は永霧事件に対しその大規模性が明らかになってからすぐに千人体制の捜査チームを結成。県警をまたいだ捜査が続いているが、永霧逮捕には至っていない。常に警察の先を読むような動きをしていることから、指揮官である天芽警視正はスパイがいると断定。捜査チームを一隊四、五人の少人数に分け、互いの捜査状況に関するチーム間、個人間の情報共有を規制した。
この捜査班分割については、チームによって異なる捜査命令を下した際、永霧の動きに影響がある隊を見極める目的で導入されている。全体の捜査状況は、警視正と他二名の幹部が把握している。
現行の捜査体制に移り二週間。我々(東雲班四名:東雲夏樹、西墨真司、巳波廉清、神崎千歳)は永霧の犯罪のひとつ、サイバー犯罪に絞り調査を行った。永霧事件の調査であることは伏せ、サイバー犯罪対策課に協力を依頼。特に、SNSを中心としたアカウントの乗っ取り被害に着目し、被害者のアカウントで行われたやり取りを洗い出した。そこからさらに会話ログの書き換えや削除のあったアカウントに絞り込み、永霧と関連があると思われる数件を調査対象者とした。
各々が調査対象を尾行。
朝澄珠緒を尾行している最中には携帯端末が電話回線に繋がらなくなるなど、奇妙な電波障害に見舞われた。彼は極めて人付き合いが希薄であり周囲から孤立している。これは永霧事件の被害者たちの特徴ともよく一致しており、さらに数カ月前には学校を無断欠勤するなど、常とは異なる行動が見られた。この数カ月前という時期は、ちょうどアカウントの乗っ取りがあった時期と一致している。
また、無断欠勤したときの足取りを街中の防犯カメラのリレー捜査で追跡したところ、他県の日ガ瀬まで足を運んでいたことが判明している。日ガ瀬駅の駅員が、挙動不審な若者が改札を通り、その後、帽子やマスクを身に着けトイレから出てくるところを目撃しているなど、事件性の強い証言も得られた。
東雲は朝澄への接触を開始。電波障害が彼に由来するものであることを確認。また、アパートを見張っていた巳波は日中、デイケアサービスの業者と思われる人物がほとんど毎日訪れていることを確認。朝澄靜(被疑者との続柄:母)が何らかの障害を脳に負っていることを聞き出した。朝澄珠緒が東雲を避けはじめた後も尾行を続け、彼に接触する人物がいた際には両者共全員で取り押さえるということで合意した。
不審な男の接触当日の詳細な経緯については、別レポートを参照。
サリンによる殺害未遂(実行犯は死亡)からすぐ、我々は病院を手配。胸に埋め込まれたマイクロチップ型盗聴器および発信機を手術により摘出。二十四時間の監視体制をしき、朝澄珠緒の回復を待った。
彼が目覚めたあと、朝澄珠緒に事の経緯を聴取。
以下は、西墨が記録したレコーダー音声の文字起こしである。
「今日はこれまでの総括?ですか。……ちゃんと一貫性のある証言ができているかどうか、ああ、そういうことも確認しないとだめなんですね。はい、分かりました。よろしくお願いします。
朝澄珠緒、十五才、高校一年生です。
……(約一時間、事件発生日時、状況などの基本的な聴取)……
はい、そうです。
――動機……はじめに、永霧さんの誘いに乗ってしまった理由……は、初日の取り調べでも言いましたけど、僕、考えるのが苦手で。自分がいじめられている理由、人よりきつく当たられる理由、自分がこの顔で生まれてきた意味とか、とにかく、考えることに疲れて、いました。……だから、永霧さんの言ったとおりなんです。僕は“楽に生きたかった”んだと思います。死にたいっていうのは、裏返しというか、諦め、で、楽に生きられる方法なんてどこにもないって、僕は諦めてしまったんです、きっと。……ごめんなさい、自分のことなのに、こんな喋り方。でもなんて言うか、最近、顔のことを気にしていた自分のことをあまり思い出せなくて。他人みたいで。知らない他人の記憶が、何度も再生されている感じで。……とにかく、あの時の僕は『顔が悪い自分』が嫌いで、学校でも家でもアルバイト先でも、人と上手く繋がることができなくて……世の中に、何も残せないかもしれないと、そう考えていた気がします。自分が生きている意味を、誰でも良いから見出して欲しかった。
――今ですか? 今、今……考えたこともありません。だって、僕は大きな犯罪に巻き込まれて、母を巻き込んだ。生きている意味とか、顔がどうとか、そんなこと、関係ないです。西墨さんが毎日殴ってくれたおかげかもしれません。身体の痛いところがあると、悩むよりも先に“まだ死にたくない”って、思います。僕は犯罪者なのに、大勢を殺した人に協力していたのに、死にたがっていたのに。
――反省、は、している……している? ……あの、それは、僕が決めて良いことなんですか? ……あ、すみません。また変なことを言いましたか。いや、ふざけているわけではなくて、本当に疑問なんです。僕、小さいころから母によく叱られて、『反省しないとベランダに放り出すからね』って。反省しないと、冬でも、“罰”としてパンツ一枚で放り出されることがありました。そのとき、――例えば皿を割ってしまったとき――何度も自分の失敗を頭の中で繰り返しました。『あのとき、右手はどこにあったっけ、どうやってお皿が落ちたっけ』って、動画の再生ボタンを何度も巻き返すみたいに、繰り返し。それで原因が分かったとき、僕、反省できたと思いました。でも、右手の持ち方が甘かったから皿を落とした、もうしないぞ、って思っても、皿は割れるんです。どんなにしっかり両手で皿を持っても、足がおろそかになって躓いてしまうとか、そんな感じで。母に言わせれば『また性懲りもなく』って……それでまた、ベランダに放りだされました。だから僕は思ったんです。反省したかどうかは母が決めるんだって。
――すみません、脇道に逸れて。西墨さんが聞きたいのは、僕が母を人体実験に差し出したことを気に病んでいるか、そういうことですよね。ごめんなさい、変なところで突っかかって。
……正直、分からないです。僕は多分、あまりお母さんのことが好きじゃなかったので。まともに話が出来ないのは、……今に始まったことではなく、て、僕に暴力を振るうことも、暴言を吐くこともしないなら、……ひどいこと、言いますけど、……今の状態になってからの方が、ずっと、楽ではあるんです。
……(西墨が被疑者を殴打)……
――最後、まで、話、聞いてください。
僕は、……前よりも、ずっと、生きるのが楽、になりました。でも、夢を見るのは苦痛になった。毎晩、毎晩です、お母さんが夢に出てくるんです。夢は、大抵僕が小さいころの記憶で、お母さんが部屋の鏡を見て泣いてたり、アパート近くのコンビニで、夜、僕にチョコレートのお菓子を買ってくれたり、たまに、大きくなってからの記憶だと、高校、高校受験決めたときに「金なら出す」ってすぐに言ってくれたり、合格祝いで中古だけどスマホを買ってくれたり……なんか、良いとこばっかです。で、そのシーンが終わると急にお父さんがね、お母さんとけんかしているところに移って、そこでお父さんが目を怪我しちゃうんです。お母さんはヒステリックに何かを叫んでいて、『開けるな』って、誰かが言って。僕はどこかの扉の前で聞いているんです。その扉を開けようとするところで、いつも夢が終わって、僕は最悪な気分で目を覚ますんです。
ねぇ西墨さん、僕は反省していると思いますか?
――行動……これから、僕が何をするか、ですか。……そうですよね、結局、『何を思うか』より『何をするか』、それが、“反省”の中身ですよね。そういう理屈だと、……僕、将来ちゃんと反省できるのかな。とても……不安だな。
――え? 永霧さんを、今でも頼りにしたいと思うか、ですか? ……さっきの質問と被ってませんか? こ、答えますよ。だからもう、殴らないでください。
……殺されかけたんです、おまけに『被験者第一号』っていうのも嘘で……怒るとかはないですけど、頼りにしたいとはもう思いません。思いません、が、初めて会ったときに言っていたことは、嘘じゃないんじゃないかって、思ってます。
――え、だから、その、『美醜で判断されている現状をどうにかしたいと考えている』って言っていた、あれです。どうして本当だと思うかって聞かれると……(数十秒、黙考)……あ、そう、そうだ。ラットです。研究施設に大量のラットがいて、そいつらを飼っていました。多分、数百匹は居たと思います。研究ノートも、五十冊くらい。それだけ熱心なのかなと、そう思いました」
この証言から、我々は以下のように結論づけた。
・朝澄珠緒は部分的に反省。ただし精神的に不安定な部分が残る。
・永霧の動機について、朝澄の主観ではあるものの新規の情報を得られた。
・永霧が直接朝澄に接触していることから、何らかの特別な事情が彼らの間には働いているものと思われる。
今後、朝澄に警察が入手している新規の情報を与えながら、経過を観察する予定である】




