第七章:神の審判
降臨の前兆
統合司令部の警報が、夜の静寂を破って鳴り響いた。
「緊急事態発生!」
通信担当のオペレーターが血相を変えて報告する。世界各地に設置された観測装置が、異常な数値を検出していた。
「エネルギー濃度が通常の一千倍を超えています!」
「次元の歪みが各地で同時発生!」
「これは...まさか」
レンが立ち上がった瞬間、司令部全体が激しく震動した。建物の壁にひび割れが走り、天井から埃が舞い落ちる。
ノア=セレーンの銀色の肌が青ざめた。
「神格エネルギーの直接放射です。神々の一柱が、この次元に降臨しようとしています」
アルグ=ザルが立ち上がり、その古い瞳に恐怖の色を浮かべた。
「まさか...あの方が動かれるとは」
「あの方?」
レンが問いかけると、魔族の王は重々しく頷いた。
「審判神ミカエロス。神々の中でも最高位に位置する裁きの神だ。我々魔族が封印された時も、その審判を下したのは彼だった」
司令部の大型スクリーンに、世界各地の映像が次々と映し出される。空が異様な光を放ち、雲が渦を巻いて竜巻のように回転している。海では津波のような大波が発生し、大地では地割れが無数に走っていた。
「各部隊の状況は?」
アヤカが通信機に向かって叫んだ。
「第三部隊、応答してください!第三部隊!」
しかし、返ってくるのは雑音だけだった。電磁波の嵐が世界中を覆い、通信網が次々と遮断されていく。
クリスタリアンの集合意識が警告を発した。
『神格存在の降臨により、物理法則が書き換えられています。我々の科学技術も正常に機能しません』
「どのくらいの規模の降臨だ?」
田村博士が観測データを必死に解析していた。
「信じられません...この規模では、神が完全体でこの世界に現れることを意味します」
レンの心に、嫌な予感が過ぎった。これまでの戦いは、神々の代理人や下僕たちとの戦いだった。神自身が直接姿を現すことは、一度もなかった。
「美咲を殺したのも...神の下僕だったのか?」
その時、司令部の壁が突然透明になった。いや、正確には壁が消失した。建物全体が、まるでガラスのように透き通って見えるようになる。
外では、街の人々が空を見上げて立ち尽くしていた。車は停止し、電気は消え、世界全体が静寂に包まれている。
そして、空の中央に巨大な光の渦が現れた。
審判神の降臨
光の渦は徐々に大きくなり、やがて直径数キロメートルに達した。その中心から、まばゆい光と共に巨大な影が降りてくる。
最初に現れたのは、六枚の巨大な翼だった。一枚一枚が建物ほどの大きさで、羽根の一本一本が純白の光を放っている。
次に現れたのは、人間の姿をした上半身だった。しかし、その大きさは異常で、身長だけで百メートルはあろうかという巨体だった。顔は美しく、神々しいが、その目には冷たい光が宿っている。
「我は審判神ミカエロス」
その声は、雷鳴のように空に響いた。建物のガラスが振動で割れ、地面が波打つように揺れる。
「神に背きし者どもよ。汝らの罪を問う」
巨大な手が司令部の方向を指した。その瞬間、レンたちの体が金縛りにあったように動かなくなる。
「これが...神の力」
レンが歯を食いしばった。体の自由が利かない。魔族の力も、宇宙人の技術も、神の前では無力だった。
審判神の目が、レンを見据えた。
「相馬レン。汝が首謀者か」
その視線だけで、レンの意識は神の前に引きずり出された。司令部にいるはずなのに、気がつくと雲の上の白い空間に立っていた。
目の前には、人間大の大きさになった審判神が立っている。近くで見ると、その美しさは息を呑むほどだった。しかし、その美しさには温かみがなく、氷のように冷たかった。
「汝の妹、美咲とやらの死を悔やんでいるのか」
レンの心臓が激しく跳ねた。
「君が...美咲を殺したのか?」
「殺した?」
審判神が首を傾げた。
「我々が殺したのではない。汝らが死なせたのだ」
「何だって?」
「汝らが我々に逆らう心を抱いたから、罰が下った。汝らが神の教えに従っていれば、彼女は死ななかった」
レンの中で、怒りが爆発した。
「ふざけるな!美咲は何も悪いことをしていない!」
「悪い?善い?」
審判神が微笑んだ。その笑顔は美しかったが、ぞっとするほど冷たかった。
「汝らに善悪を判断する資格があるとでも思っているのか?汝らは我々が創った存在だ。汝らの生死は、我々が決める」
「そんな理屈が通るか!」
「理屈?これは理屈ではない。これは真理だ」
審判神が手を上げると、レンの周りに美咲の映像が浮かんだ。幼い頃の美咲、学校に通う美咲、最後に会った時の美咲...
「彼女は確かに美しく、純粋だった。だからこそ、汝らの罪を背負うのに相応しかった」
「美咲が僕たちの罪を背負った?何を言っているんだ!」
「汝が我々への疑問を抱いた瞬間から、汝の魂には罪の印が刻まれた。その罪は、汝の最愛の者に転移する。それが神の法則だ」
レンの膝から力が抜けた。美咲の死は...自分のせいだったのか?
「そうだ」
審判神が頷いた。
「汝が神への疑問を抱かなければ、彼女は死ななかった。汝が素直に神の意志に従っていれば、彼女は今も生きていた」
絶望の淵
「嘘だ...そんなはずない」
レンが呟いた。しかし、心の奥底で、その言葉が真実である可能性を感じてしまう。
「嘘?」
審判神が再び微笑んだ。
「では、試してみるか?」
神が指を鳴らすと、レンの意識は別の時空間に飛ばされた。
そこは、神々が世界を統治する以前の時代だった。人類は原始的な生活を送り、日々生存に必死だった。病気、飢餓、争い...人々の生活は苦痛に満ちていた。
「これが、我々が統治する前の汝らの姿だ」
次に映し出されたのは、神々の統治が始まった後の世界だった。人々は神殿で祈りを捧げ、規則正しい生活を送っている。病気は減り、飢餓はなくなり、大きな争いも起きていない。
「そして、これが我々の統治下での汝らの姿だ。どちらが幸福だと思う?」
確かに、神々の統治下の人々は平和に暮らしているように見えた。しかし、その顔には生気がなく、まるで人形のようだった。
「これは...本当の幸福じゃない」
「本当の幸福?」
審判神が首を傾げた。
「汝らは幸福というものを理解していない。幸福とは、苦痛がないことだ。争いがないことだ。不安がないことだ。我々は汝らから、すべての苦痛を取り除いた」
「でも、自由も取り上げた」
「自由?」
神が笑った。
「自由とは、間違いを犯す自由のことか?苦痛を選ぶ自由のことか?そのような自由に、何の価値がある?」
レンは答えることができなかった。神の理屈には、確かに一理あった。しかし、何かが根本的に間違っている気がした。
「汝の仲間たちを見てみるがよい」
神が指を差すと、レンの視界に司令部の映像が映った。アヤカ、アルグ=ザル、ノア=セレーン、田村博士...みんなが金縛りにあったように動けずにいる。
「彼らも、汝と同じ運命を辿るだろう。汝らの反逆により、彼らの愛する者たちが犠牲となる」
「やめろ!」
レンが叫んだ。
「彼らは関係ない!僕一人を罰すればいい!」
「汝一人?」
審判神が首を振った。
「罪は伝播する。汝の罪は、汝と関わった者すべてに影響する。それが神の法則だ」
レンの心に、深い絶望が広がった。自分が戦うことで、大切な人たちを危険に晒している。美咲の死も、自分のせいだった。
「どうすれば...どうすれば彼らを救えるんだ?」
「簡単だ」
審判神が優しく微笑んだ。
「汝が神に跪き、罪を認め、仲間たちと共に我々に服従すればよい。そうすれば、これ以上の犠牲は出さない」
仲間たちの信念
レンが絶望に沈んでいる間、司令部では異変が起きていた。
金縛りで動けないはずのアルグ=ザルが、わずかに指を動かした。
「古代魔族の...誇りを...忘れるな」
その呟きは小さかったが、魔族の力が込められていた。その力が、わずかながら神の束縛を緩める。
ノア=セレーンも、銀色の肌を青白く光らせながら意識を集中していた。
「精神防壁...展開」
科学の力で、神の精神支配に対抗しようとしている。
クリスタリアンの集合意識が、かすかに響いた。
『レン...諦めるな...君こそが希望だ』
アヤカが、唇を噛んで血を流しながら言った。
「レン...あなたは間違っていない...私たちの戦いは...正しい」
田村博士も、科学者としての信念を口にした。
「神の理屈は...論理的に見えるが...根本的な誤謬がある...人間の尊厳を...否定している」
それらの声は、レンの意識にかすかに届いた。
真実への気づき
「仲間たちが...僕を信じてくれている」
レンが顔を上げた。
「君の言葉には矛盾がある」
「矛盾?」
審判神が眉をひそめた。
「君は、僕たちに幸福を与えたと言った。でも、幸福な人間が神に疑問を抱くはずがない」
「...」
「僕たちが君たちに疑問を抱いたのは、君たちの統治が完璧ではなかったからだ。本当に完璧な統治なら、疑問を抱く余地すらないはずだ」
審判神の表情が、わずかに変わった。
「それに、美咲の死についても矛盾がある。君は、僕の罪を美咲に転移させたと言った。でも、それは君たちが決めたルールだろう?なぜ、無関係な人間が他人の罪を背負わなければならないんだ?」
「それは...」
「君たちが本当に正義で慈悲深いなら、罪人を直接罰すればいい。なぜ、罪のない人間を巻き込むんだ?」
レンの言葉に、審判神が初めて動揺の色を見せた。
「君たちは、完璧でも正義でもない。ただの支配者だ。自分たちの都合の良いルールを作って、それに従わない者を罰しているだけだ」
「黙れ!」
審判神が怒りの声を上げた。その瞬間、レンを包んでいた白い空間に亀裂が入る。
「君が動揺している。図星だからだろう?」
レンが立ち上がった。体に、魔族と宇宙人の力が戻ってくるのを感じる。
「僕は気づいたんだ。君たちが恐れているのは、僕たちの反逆じゃない。僕たちが真実に気づくことだ」
「真実?」
「君たちも、完璧じゃない。間違いを犯すし、感情に左右される。僕たちと同じ、不完全な存在だということだ」
審判神の顔が歪んだ。
「だとしても、我々は汝らより遥かに強大だ。汝らを支配する権利がある」
「強いから支配していい?そんな理屈が通るなら、君より強い存在が現れたら、君も支配されていいということになる」
「そのような存在は...」
「いるかもしれない。宇宙は広い。君たちより強い存在が、どこかにいても不思議じゃない」
審判神が言葉に詰まった。
力の覚醒
レンの体内で、三つの力が共鳴を始めた。人間の意志、魔族の力、宇宙人の叡智...それらが一つになり、かつてない力を生み出す。
「僕は...君たちを否定する」
レンが宣言した。
「君たちの支配を、君たちのルールを、君たちの正義を、すべて否定する」
白い空間が崩壊を始めた。審判神の姿が揺らぎ、巨大な力が空間を満たす。
「不可能だ...汝如きが、我に対抗できるはずが...」
「僕一人では無理だ。でも、僕は一人じゃない」
レンの背後に、仲間たちの姿が浮かんだ。アヤカ、アルグ=ザル、ノア=セレーン、そして世界中の人々...
「美咲も、僕と一緒にいる」
妹の笑顔が、レンの心を温かく包んだ。
「美咲は、自由を愛していた。君たちの作った檻の中の平和より、危険でも自由な世界を選んだと思う」
審判神が後退った。その巨大な体が、徐々に小さくなっていく。
「これで終わりじゃない」
レンが審判神を見据えた。
「僕たちは戦い続ける。君たちがあきらめるまで、何度でも立ち上がる」
「愚か者め...汝らに勝ち目はない」
「勝ち目?」
レンが微笑んだ。
「勝つためじゃない。正しいことをするために戦うんだ」
白い空間が完全に崩壊し、レンの意識は司令部に戻った。
降臨の終焉
司令部では、金縛りが解けた仲間たちが立ち上がっていた。外では、審判神の巨大な姿が薄れていく。
「レン!」
アヤカが駆け寄った。
「大丈夫?何があったの?」
「神と...話をしてきた」
レンが振り返ると、仲間たちの顔に安堵の表情が浮かんでいた。
「どうやら、完全な降臨は阻止できたようですね」
ノア=セレーンが観測データを確認していた。
「神格エネルギーが急速に減衰しています」
アルグ=ザルが満足そうに頷いた。
「よくやった、少年。神の精神攻撃を跳ね返すとは、大したものだ」
空では、審判神の姿が最後の光を放って消えていく。しかし、その声だけは、まだ響いていた。
「これで終わりと思うな...我々は必ず戻ってくる...その時こそ、汝らを完全に滅ぼしてやる」
「来るなら来ればいい」
レンが空に向かって叫んだ。
「僕たちは逃げない。自由のために、最後まで戦う」
審判神の声が完全に消え、世界に静寂が戻った。街の人々も動き始め、電気も復旧し、通信も再開される。
しかし、この戦いで明らかになったことがあった。神々は、これまで以上に本気で人類を潰しにかかってくる。そして、レンたちも、さらなる力を必要とすることが判明した。
「神殺し協定の真の戦いは、これからだ」
レンが仲間たちを見回した。
「神々が本格的に動き出した。僕たちも、さらに強くなる必要がある」
田村博士がデータを分析しながら言った。
「レン君の力が、神に対抗できるレベルまで成長しています。三種族の力の融合が、想像以上に進んでいるようです」
「でも、まだ完全じゃない」
レンが自分の手を見つめた。
「神を完全に倒すには、もっと強くなる必要がある」
アヤカが頷いた。
「世界中の人々も、この戦いの存在を知りました。きっと、多くの人が私たちを支援してくれるでしょう」
クリスタリアンの集合意識が響いた。
『希望が見えてきました。神々の絶対的な支配に、初めて傷をつけることができた』
プラズマ族も電光を散らしながら同意した。
「歴史的な一歩だ。神に精神的勝利を収めた最初の存在が、ここに誕生した」
夜が明け始めていた。長い戦いの夜が終わり、新しい朝が始まろうとしている。
レンは窓から昇る太陽を見つめながら、心に新たな決意を抱いた。
「美咲...君の死は無駄じゃなかった。君が教えてくれた愛と自由の大切さを、僕は絶対に忘れない」
審判神の降臨という絶望的な状況を乗り越えた「神殺し協定」。しかし、これは最終決戦への序章に過ぎなかった。
神々の本格的な反撃が始まる中、レンの力はさらなる覚醒に向かっていく。
そして、世界中の人々が、ついに神々の支配に疑問を抱き始めた。真の自由を求める声が、地球全体に響き始めていた。