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第一章:天罰の夜

夕暮れの空が、いつもより赤かった。

相馬レンは学校からの帰り道、商店街の角で足を止めた。西の空に沈みゆく太陽が、まるで血を流しているかのように見えたからだ。不吉な予感が胸の奥で蠢いている。

「お帰り、レン」

振り返ると、母の恵子が買い物袋を手に微笑んでいた。いつものように優しい笑顔だったが、どこか疲れているようにも見える。

「お疲れさま、お母さん」

「今夜は久しぶりに家族みんなでお鍋にしましょう。お父さんも早く帰ってくるって」

恵子の言葉に、レンは小さく頷いた。父の誠一は建設会社で働いており、最近は残業続きだった。妹の美咲は来月で中学生になる。ごく普通の、ごく平凡な家族だった。

二人は並んで歩きながら、住宅街へと向かった。アスファルトの道路脇には桜の木が植えられており、もうすぐ花を咲かせる季節だった。この街で生まれ育ったレンにとって、見慣れた光景だった。

家に着くと、美咲が宿題をしながらテレビを見ていた。

「お兄ちゃん、お帰り」

「ただいま。また勉強しながらテレビ見てる」

「大丈夫だよ、ちゃんと集中してるから」

美咲は舌を出して笑った。中学受験を控えているとはいえ、まだ十二歳らしい無邪気さを失っていない。レンは妹の頭を軽く撫でてから、自分の部屋へ向かった。

夕食の時間。誠一も予定通り早く帰宅し、久しぶりに家族四人が食卓を囲んだ。

「今日、会社で面白い話を聞いたんだ」

誠一が箸を動かしながら言った。

「最近、変な宗教団体が増えてるらしい。神様が降臨するとか、世界の終わりが近いとか言ってるんだって」

「物騒ね」恵子が眉をひそめた。「でも、確かに最近おかしな事件が多いわ。ニュースでも毎日のように…」

「僕も聞いたことある」美咲が口を挟んだ。「クラスの子が言ってたけど、空に変な光が見えるって」

レンは黙って話を聞いていた。確かに、最近は異常気象や不可解な現象のニュースが多い。だが、それが何を意味するのかまでは分からなかった。

「まあ、あんまり神経質になる必要はないよ」誠一が笑った。「俺たちは普通に生活してればいいんだ」

その時だった。

窓の外が、突然眩いほどの光に包まれた。

「何?」

恵子が立ち上がりかけた瞬間、家全体が激しく揺れた。食器が音を立てて倒れ、テーブルの上の鍋が床に落ちる。地震にしては揺れ方が異様だった。

レンが窓に駆け寄ると、外の光景に息を呑んだ。

空に、巨大な影があった。

それは雲のようでありながら雲ではなく、光のようでありながら光でもない。形容しがたい存在が、街の上空に浮かんでいた。そしてその周りには、無数の小さな光の粒が舞い踊っている。

「あれは…何だ?」

誠一の声が震えていた。家族全員が窓に集まり、空を見上げた。

突然、その巨大な存在から声が響いた。声というより、直接脳内に響く意思のようなものだった。

『汝ら、罪深き人の子らよ』

その瞬間、レンの全身に鳥肌が立った。これは夢ではない。現実に起こっていることだった。

『汝らは我が愛を踏みにじり、我が教えに背いた』

『故に今、審判の時が来た』

街中の人々が空を見上げているのが見えた。誰もが恐怖に震え、動くことができずにいる。

『この街は、罪の証として滅ぼされる』

『これは神の意思である』

その宣告の後、静寂が訪れた。鳥の鳴き声も、車の音も、すべてが止まったかのような完全な静寂。

そして、破滅が始まった。


最初に燃えたのは、商店街だった。

空中の存在から放たれた光の筋が、一直線に地上へ降り注いだ。それは雷のように見えたが、雷よりもはるかに美しく、そして破壊的だった。

光が触れた建物は、瞬時に白い炎に包まれた。普通の火とは違う、神々しいまでに美しい炎。だが、その美しさとは裏腹に、触れるものすべてを灰へと変えていく。

「逃げよう」

誠一が家族に向かって叫んだ。だが、どこへ逃げればいいのか。光の筋は次々と街のあちこちに降り注ぎ、炎の範囲を広げていく。

レンたちは慌てて家を出た。外に出ると、空気が異様に重く感じられた。まるで水の中にいるような息苦しさ。そして、空中の存在がより間近に見えた。

それは確かに神々しい姿をしていた。翼を持った人型の存在が、光の輪に囲まれて浮かんでいる。その顔は美しく、慈愛に満ちているようにも見えた。だが、その手から放たれる光は、容赦なく街を焼き尽くしていく。

「車で逃げよう」

誠一が車庫へ向かおうとした時、隣の家が炎に包まれた。一瞬の出来事だった。さっきまで普通に存在していた建物が、白い光に触れた途端、音もなく崩れ落ちる。

そこに住んでいた田中さん一家の姿は、もうどこにもなかった。

「嘘でしょ…」

恵子の声が震えた。美咲は恐怖で動けずにいる。レンは妹の手を取り、引っ張った。

「早く」

だが、逃げ場などなかった。

空からの光の雨は激しさを増し、街のあちこちで白い炎が上がっている。そして、その炎に包まれた人々の姿も見えた。彼らは苦しむ暇もなく、光に触れた瞬間に消滅していく。まるで最初から存在しなかったかのように。

車で逃げようとした人々も、道路に降り注ぐ光によって阻まれた。車も人も、等しく炎の餌食となる。

レン一家は近くの公園へ向かった。開けた場所なら、せめて建物の倒壊に巻き込まれることはない。だが、それも虚しい抗いだった。

公園に着くと、既に多くの人々が避難していた。子供たちが泣き叫び、大人たちは空を見上げて絶望している。その中には、レンの知っている顔もあった。同級生、近所の人々、いつもの生活で見かける人たち。

だが、彼らの多くも、やがて光に飲み込まれていく。

空中の存在が腕を振るうたび、新たな光の筋が降り注ぐ。それは明確な意思を持って標的を選んでいるようだった。逃げ惑う人々を、一人一人確実に狙い撃ちしていく。

「神様、どうして…」

誰かがそう呟いた。それが、この場にいる全員の心境だった。なぜ神は、こんなことをするのか。人々が何をしたというのか。

『汝らの罪は深い』

再び、その声が響いた。

『汝らは我を忘れ、欲望に溺れ、互いを傷つけあった』

『汝らは愛を忘れ、真実を見失い、偽りの平和に満足した』

『故に、浄化が必要である』

浄化。それが神の言う、この虐殺の名前だった。

レンは拳を握りしめた。怒りが込み上げてくる。これが神の愛だというのか。これが正義だというのか。

その時、美咲が小さく呟いた。

「お兄ちゃん…私、怖い」

レンは妹を抱きしめた。震える小さな体を感じながら、自分の無力さを痛感した。守りたいものがあるのに、何もできない。

空からの攻撃は止まることがなかった。公園の人々も、次々と光に包まれていく。もはや、誰もが死を覚悟していた。

その中で、レンだけが空の存在を睨み続けていた。恐怖よりも怒りが勝っていた。こんな理不尽が許されていいはずがない。


一時間後、街の大部分が炎に包まれていた。

白い炎は建物だけでなく、道路も、木々も、そして空気そのものも燃やしているようだった。息をするたびに肺が焼かれるような感覚がある。

公園にいた避難民も、もう数十人しか残っていない。レンの家族は奇跡的にまだ無事だったが、それもいつまで続くか分からなかった。

誠一は必死に携帯電話を操作していたが、もちろん繋がらない。電波塔も既に破壊されているだろう。恵子は美咲を抱きしめながら、小さく祈りを口にしている。

「神様、どうか…」

だが、その祈りが届くことはなかった。空中の存在は、祈る人々をも容赦なく焼き尽くしていく。

レンは周りを見回した。炎に包まれた街の向こうに、まだ燃えていない地区が見える。だが、そこに逃げることは不可能だった。神の意思が、この街全体の滅亡を望んでいるからだ。

「なあ、レン」

誠一が息子を呼んだ。その声は、もう諦めの色に染まっていた。

「もしも…もしも俺たちがダメになったら、お前だけでも…」

「お父さん」

「お前が一番しっかりしてる。だから…」

その時、空中の存在が大きく腕を広げた。今までとは比較にならないほど巨大な光の玉が、その手の中に生まれる。それは小さな太陽のようだった。

『最後の浄化である』

その声と共に、光の玉が空中に放たれた。それは公園の真上でゆっくりと回転しながら、やがて降下を始める。

レンには分かった。あれが落ちれば、ここにいる全員が消滅する。

「みんな、伏せて!」

レンが叫んだ瞬間、誠一が立ち上がった。そして、息子と妻と娘を庇うように腕を広げる。

「お父さん、ダメ!」

だが、光の玉は既に頭上に迫っていた。レンは家族を抱きしめながら目を閉じた。せめて、最後は一緒にいたかった。

轟音と共に、世界が白に染まった。


意識を取り戻した時、レンは一人だった。

周りには何もない。建物も、木々も、そして人も。すべてが灰と化していた。アスファルトの道路すら溶けて、奇妙な形に固まっている。

レンは起き上がり、辺りを見回した。自分がいるのは、さっきまで公園だった場所らしい。だが、もう公園の面影は何もない。一面の焼け跡だけが広がっている。

「お父さん…お母さん…美咲…」

声を出して呼んでみたが、返事はない。風の音さえしない、完全な静寂。

レンは必死に周りを探した。家族の姿を、誰かの姿を求めて。だが、見つかるのは灰だけだった。人の形をした灰が、あちこちに散らばっている。

その中の一つが、妹の形をしているような気がした。小さな手の形をした灰が、兄に向かって伸ばされているように見える。

「美咲…」

レンはその灰に手を伸ばした。だが、触れた瞬間、風に飛ばされて散ってしまう。妹の最後の痕跡も、もう何も残らない。

なぜ自分だけが生きているのか。

レンには分からなかった。あの光の玉に飲み込まれたはずなのに、なぜか無傷で残されている。まるで神が、意図的に生かしているかのように。

空を見上げると、あの存在はもういなかった。街を滅ぼし終えて、どこかへ去ったのだろう。後に残されたのは、完全なる破滅だけだった。

レンは立ち上がり、街の中心部へ向かった。もしかしたら、他にも生存者がいるかもしれない。そんな淡い希望を抱いて。

だが、歩けば歩くほど、その希望は打ち砕かれていく。どこを見ても同じ光景。灰と焼け跡、そして死の静寂。生きているものは何もない。

商店街も、学校も、病院も、すべてが跡形もなく消えていた。十万人が住んでいたこの街に、もう誰もいない。レン一人を除いて。

夕方になり、空が再び赤く染まった。だが、それは夕日ではなく、まだくすぶり続ける炎の光だった。この街は、永遠に燃え続けるのかもしれない。神によって呪われた土地として。

レンは街外れの小高い丘に立ち、振り返った。自分が生まれ育った街を、最後にもう一度見ておきたかった。

そこにあったのは、地獄だった。

白い炎がところどころで燃え続け、灰が風に舞っている。空気は熱く、息をするのも辛い。そして、あの甘ったるい死の匂いが充満している。

「神…」

レンの口から、その言葉が漏れた。

「神…神…神…」

怒りが込み上げてくる。これが神の愛だというのか。これが神の正義だというのか。何の罪もない人々を、家族を、妹を殺して、それで満足なのか。

「ふざけるな…」

拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。だが、その痛みすら怒りの炎に飲み込まれていく。

「ふざけるな!」

レンは空に向かって叫んだ。もう神がいないと分かっていても、その怒りをぶつけずにはいられなかった。

「なんで…なんで美咲まで殺した!」

「あいつらが何をした!お前に何をした!」

「答えろ!神様よ!」

だが、空は無情に沈黙している。神は自分の仕事を終えて、もう関心を失ったのだろう。後は人間が勝手に絶望すればいい、とでも思っているのかもしれない。

レンは力なく膝をついた。怒りが一瞬で虚しさに変わる。何を叫んでも、家族は帰ってこない。街も、人々も、すべて失われてしまった。

そして、自分は一人残された。

なぜか。

その答えを求めて、レンは顔を上げた。まだ燃え続ける街を見下ろしながら、心に誓う。

いつか必ず、神に復讐してやる。

この怒りを忘れない。この憎しみを燃やし続ける。そして、神が何者であろうと、必ず報いを受けさせてやる。

家族の仇を、街の人々の仇を、必ず取ってやる。

それが、レンに残された唯一の生きる意味だった。

夜が来た。焼け跡の街に、冷たい風が吹き抜ける。レンは立ち上がり、歩き出した。この地獄から抜け出し、復讐の力を求めて。

神を殺すために。


翌朝、レンは街の境界線にいた。

振り返ると、自分の故郷だった場所が見える。朝日に照らされても、そこは相変わらず死の世界だった。白い灰が風に踊り、焼け焦げた残骸があちこちに散らばっている。

レンは背を向けた。もう二度と、この場所には戻らない。ここは墓場だ。十万人の無念が眠る、巨大な墓場。

歩き始めてすぐ、検問に出くわした。警察と自衛隊が道路を封鎖し、報道陣を排除している。レンの姿を見つけた隊員が駆け寄ってきた。

「君、大丈夫か?怪我はない?」

「…大丈夫です」

「生存者だ!すぐに医療班を!」

隊員たちが慌ただしく動き回る。レンは救急車に運ばれ、簡単な検査を受けた。外傷はなく、健康状態も良好。だが、精神的ショックは計り知れない、と医師は言った。

「君の家族は?」

看護師が優しく尋ねた。レンは首を振る。

「みんな…死にました」

「そう…辛かったね」

だが、レンには同情など必要なかった。欲しいのは復讐の手段だけ。この優しさも、慰めも、すべてが空虚に感じられる。

その後、レンは避難所に送られた。体育館に設置された仮設の施設で、他の被災者たちと同じ空間で過ごすことになる。だが、この災害の生存者は、レンただ一人だった。

報道陣が殺到した。「奇跡の生存者」として、連日取材攻勢を受ける。だが、レンは何も語らなかった。あの夜の出来事を、神の存在を、誰も信じてくれないだろうから。

政府の発表では、原因不明の自然災害とされた。隕石の落下説、地下のガス爆発説、様々な推測が飛び交ったが、真実を語る者はいない。神の審判など、現代人には受け入れ難い現実だった。

レンは黙っていた。どうせ説明しても無駄だと分かっていたから。それより、今は力を蓄える時だった。

数日後、遠い親戚の家に引き取られることになった。父方の伯父の家で、妻と子供二人の四人家族。レンにとっては、ほぼ他人だった。

伯父の家族は親切だった。レンのために部屋を用意し、学校への転入手続きも済ませてくれる。だが、レンには感謝の気持ちが湧かなかった。心が凍りついているようだった。

新しい学校では、「災害の生存者」として有名になった。同級生たちは興味深そうに見つめ、教師たちは腫れ物に触るように接してくる。だが、レンには関係なかった。

授業中も、休み時間も、レンは一つのことだけを考え続けていた。

神への復讐。

どうすれば神と戦えるのか。人間の力で、あの存在に対抗できるのか。レンは図書館で宗教書を読み漁り、インターネットで超常現象を調べた。だが、有用な情報は見つからない。

神話や伝説の中には、神に反逆した存在の話もある。だが、それらはすべて敗北に終わっている。神は絶対的な存在であり、人間風情が逆らえる相手ではない、というのが定説だった。

だが、レンは諦めなかった。必ず方法があるはずだった。神だって無敵ではないはずだ。あの夜、なぜ自分だけを生かしたのか。それには理由があるはずだった。

数ヶ月が過ぎた。

レンは表面上、普通の高校生として生活していた。成績も悪くなく、問題行動も起こさない。伯父一家も安心しているようだった。だが、レンの内側では、復讐の炎が燃え続けている。

そして、ついにその時が来た。

新聞の片隅に、小さな記事が載った。某大学の考古学チームが、古代遺跡の発掘中に奇妙な地下施設を発見した、という内容。記事は短く、詳細は不明だった。

だが、レンの直感が告げていた。これだ、と。

探していた答えが、そこにある。

レンは記事を切り抜き、大切にポケットにしまった。そして、心の中で誓う。

もう長くはない。復讐の時が、近づいている。

神よ、待っていろ。必ず報いを受けさせてやる。

美咲の、家族の、街の人々の無念を、必ず晴らしてやる。

レンの復讐への道のりが、今始まろうとしていた。



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