卒業式
学校の帰り道、最後の日。今日は卒業式だった。一応僕らにとっては小学校生活最大の行事だ。と言ってもいつもとそんなに変わらない一日。事前の練習をみっちりやったんだから不測の事態なんて起こらない。練習と言えば、歌の練習の時なんかは僕がピアノ伴奏をさせられた。これはおかしい。卒業生たるこの僕が、歌の練習をすることができなくなるではないか。この、僕の真っ当な抗議に対し担任の先生は『ほんなもん、弾きながら歌っとりゃぁええがね』なんて仰る。そんな弾き語りみたいな器用なこと、僕にできるわけがない。だから今日はぶっつけ本番だったんだ。それにしては上手く歌えた、と自分では思っている。まあ、これもいつもとそんなに変わらないことだ。
答辞は僕らのクラスの級長が務めた。こちらは完璧、素晴らしい。これもいつものこと。卒業生の歌についてはさっきも言った通り練習では僕が伴奏をやっていたんだけれど、本番では五年生の女子がピアノ伴奏を務めてくれた。それなら練習の時もやってくれればよかったのに、それこそ本番の練習になるからと後で先生に言ったら、『向こうには向こうの授業があるがや、それにお前がおるとその子が緊張してまうそうだで』なんだって、まあ、そう言われると悪い気はしない。そんなこんなで卒業式は滞りなく終わった。式の最中、女子の中には泣いている子もいたけれど、大部分の生徒は笑っていた。私立の中学校へ行くことになっている子も(級長を含めて)いるにはいる、ただほとんどの生徒は(勿論あのこも)四月から同じ中学校へ行く。これでお別れということはない。だから皆(当然僕も)へっちゃらだった。
これは式に来てくれた六年生のご両親についても同様で、お母さんたちは楽し気にお喋り、お父さんたちも気楽な様子でゆっくり見物してくれていた。ところが例外が一人いて、これが誰あろう、お兄ちゃんだった。我が家族は何故だか全員そろって出席していた。そしてそのことを知らなかった僕は最初大いに驚いた。お父ちゃんとお母ちゃんは珍しくパリッとした服装で、真面目に保護者をやっていた。お姉ちゃんは何と、和服だ。例の色男さんのところで三味線の練習を始めたから、演奏会用に着物を買ってもらったと言っていたので、早速その艶やかな姿を見せびらかしに来たんだろう。ただ着付けも自分で出来るよう習っておいたとも言っていた。だから今日もちゃんと自分で着てきたに違いない、これはとても感心なことだ。さて、問題はお兄ちゃん、服装はびしっと濃紺のスーツで決めていてこの間の反社の偉い人みたいな風ではない。長身で脚も長くて、ひょっとしたら本物の八頭身ではあるまいかというスタイルだからやたらと格好いい。ところがそこに何故か大きめの真黒なサングラスをかけていた。これじゃあ映画とかに出て来る殺し屋のスナイパーみたいになってしまう。でもここまでは良かったんだ。正確には式が始まって、級長の答辞や僕らの歌になった時まで、ここいらからお兄ちゃんは声を出さずに号泣し始めたのだ。いきなりサングラスの向こうから、涙が猛烈な勢いで流れ出して来た。(僕は目がいいもんだから)遠目からもはっきりと分かる。あのサングラスは自分が泣いているのを隠そうと考えてのことなんだろう。残念ながらあまり役には立っていない。後であのこも言っていた。『お兄さんあんなに泣いたりして、あんたのお父さんでもないのにねぇ、ほんとに可愛いんだから!』(ちなみにあのこも目がいいんだ)僕はちょっと外聞が悪かった。
以前お母ちゃんが教えてくれた話によると、お兄ちゃんはお姉ちゃんと僕の幼稚園の卒園式、小学校の卒業式には必ず保護者の一員として出席し、そうして必ず泣いていたそうだ。特にお姉ちゃんの卒園式の時なんか、小学生のお兄ちゃんがぽろぽろ涙を流して泣いているものだから、『あたしもつられてついついもらい泣きしちゃってねえ、周りのお母さんたちも一緒になって泣いとったんだに』とのことだった。流石に中学校の卒業式は出席しなかったみたいだけれど、だから今回が最後ということになるんだろう。確かに、僕もお姉ちゃんも小さい頃は、日常生活にしろ遊びにしろお兄ちゃんにはとてもお世話になった。(僕は今でもなんだけど)ならば僕やお姉ちゃんの方こそが、お兄ちゃんに対して感謝の涙を流さねばならんのじゃなかろうか。ところがそんなことはこれまで金輪際なかった。不義理なことだ、いや、薄情な話だ。大変申し訳ないことだった。
それでも、おそらく僕らの方が普通なんだと思われる。お兄ちゃんがよっぽど特殊であるに違いない。お兄ちゃんは時々、お姉ちゃんや僕のもっと小さい頃のことを嬉しそうに話してくれる。あんなことがあった、こんなことがあった、あの時あの頃、どこそこで、笑って泣いて怒って食べて、あんな風にこんな風に、ああやってこうやって‥‥‥その主語はみんなお姉ちゃんと僕なんだ。そういうことを話しながら、時折視線をちょっとむこうに向けてお兄ちゃんの顔は懐かしそうな、淋しそうな表情になる。消え去ってしまった過去を、思い出を想ってそんな顔をしてしまうんだろう。けれどこれって、通常父親がすることじゃないかしら。やっぱりお兄ちゃんには母性愛に限りなく近い父性愛があるんだろうか。人は見かけによらないっていうのは本当だ。もしかしたらこのことが関係しているのかも知れないけれど、あのこからのお兄ちゃんに対する評価は高い。総合するとお兄ちゃんは、イケメンで可愛くて面白い人、ということになってしまう。最高評価と言っていいだろう。
お兄ちゃんの弱点を少し晒してしまったんだけど、正直に言うと今日は僕も少し感傷的になったことがあった。それは、式も終わり最後に教室に戻って先生からの最後のお話を聞き、一年間ありがとうございました、さようならと起立・礼をやった後、頭を上げた時に教室内の光景が目に入ってきた時だった。一年間眺め続けた景色、正面の黒板を沢山の机と椅子が取り巻いていてそこに教壇の先生と同級生達の背中、おそらく明日からは決して見ることがないであろう風景だ。僕はこの時思わずぐっときてしまった。それは別段、これまでの思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、なんていうことがあったからではない。そうではなく単にその景色そのものが、何故か僕の胸に無遠慮に迫ってきたのだ。これまでいつも当たり前のように眺めていたのに、明日からはもう見ることがない。だから―――だから?難しいけれど、強いて言えば未来の僕が過去の自分の教室の風景を直接垣間見たような感じ、そんな風にしか言えない。それで僕はちょっと感傷的になってしまったようなんだ。自分でもよくわからない感覚だった。少なくとも自分の幼稚園の卒園式では感じなかったはず、ということは僕も多少は成長したのかも知れない。そう考えておくことにしよう。
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