僕の最愛の人②
僕を助けてくれたのは、どうやら兵士たちが噂していた『聖女様』だったらしい。
その子が僕よりも6つも歳下であると知ったのは、次の日のことだ。
「うちの息子を助けてくれたこと、感謝する。ありがとう」
父が礼を言うために、聖女様を屋敷に招いていた。
聖女様は屋敷内が物珍しいのか、他の治癒士の背後で少しキョロキョロとしている。かわいい。
「何か礼をしたいのだが……」
「それは結構です、フォルスター公。彼女は聖女。これから奉仕の精神を教えこまないといけないので、やめて頂きたい」
父の言葉を遮るように言ったのは、おそらく聖女様の世話役の治癒士だろう。
その治癒士の引っかかる物言いに、僕は思わず眉根を寄せた。
人一人の命を助けているのに、お礼を受けることも許されないのか?
奉仕の精神とはなんだ。それと感謝されることは別だろう。
僕の心に、形容しがたいもやもやとした感情が湧き上がる。
「そうは言ってもな」
「他にも治癒しなければならない相手が控えている。これで失礼させていただきます」
父が渋るのも聞かず、大人の治癒士は聖女様を連れて部屋を出ていった。そのまま他のものの治癒に戻るのだろう。
扉が閉められて、僕ははっと我に返った。慌てて自分の部屋に駆け込む。
他の治癒士がああ言っていても、僕はそれでもお礼がしたかった。
自分よりも幼い聖女様が、僕のために懸命に治癒の力を使ってくれたのは事実なのだから。
――確か、母さんがくれたものがあったはずだ。
僕は机の引き出しの奥に保管していたネックレスを引っ張り出した。
雫の形をした青い宝石がついたネックレスだ。
12歳の誕生日に、母から『大切な女の子が現れたら渡すのよ』と言われて譲られたものだった。
きっと母が想定した場面は、今のような状況ではないのだろう。
だけどきっと、僕がこのネックレスを渡したいと願う相手は、今の僕も将来の僕もあの聖女様なのだろうと直観的に感じていた。
聖女様に渡したいし、渡すべきだ。
――女の子だし、きっとネックレスなら喜んでくれるだろう。
僕はネックレスのチェーンを掴むと、部屋を駆け出した。
◇◇◇◇◇◇
僕が追いついた時には聖女様たちはもう屋敷から出ていた。
「私たちは街で買い出しをしてきます。あなたは先に戦場跡地に戻って治癒を始めていなさい」
「……はい」
大人の治癒士たちはそう告げると、聖女様から離れて街へと向かっていく。
大人しく頷いた聖女様は一人、領地の外れへと向かっていくようだった。
「せ、聖女様……!」
僕は勇気を振り絞って聖女様を呼び止める。
自分から女の子に声をかけるなんて、社交界でもしたことがないことだ。
聖女様は僕の声にゆっくりと振り返った。
「あなたは、さっきの……」
「昨日は、僕を助けてくれてありがとう」
「わたしは、それしかできないから……」
僕の言葉に、聖女様が俯く。褒められ慣れていないのだろうと感じられた。戸惑った表情もまた可愛らしい。
僕は一歩進み出て、聖女様の小さな手を掴んだ。その手に、ネックレスを押し付ける。
「これはお礼にあげる」
聖女様はネックレスを見てとても驚いた顔をしていた。
僕はそれ以上の反応を見るのが怖くて、その場から走って逃げた。
我ながら情けないとは思う。もっと格好つけられたはずだと気づいたのは、屋敷に帰ってからだった。
◇◇◇◇◇◇
次の日から、僕は聖女様が仕事をしている戦場跡地に毎日通うようになった。
王都から派遣された、聖女様を含む治癒士の一団はしばらくフォルスターの領地に滞在するらしかった。
――見つけた。
聖女様は地面にしゃがみこんで、倒れた兵士を治癒していた。
なんで、僕よりも小さな女の子が、ずっと働いていなくちゃいけないんだろう。
僕が見ている限り、聖女様は朝から晩までずっと治癒作業を行っているようだった。他の治癒士は交代で休みを取っているにも関わらずだ。
――そんなのっておかしくないか?
僕が、この子を自由にしてあげたい。
もっと、笑顔にしてあげたい。
きっとこの子は、笑顔の方がもっとかわいい。
僕は聖女様の隣にしゃがむ。
間近で見つめているというのに、聖女様は集中しているからか僕がいることに気づいていないようだった。
仕事中だから仕方ないことだと分かっている。だけど、僕のことを見てほしかった。少しでも、聖女様の記憶に僕のことを残しておきたかった。王都に戻っても、僕のことを忘れないように。
幼い恋心だ。
僕は手を伸ばし、聖女様の長い黒髪を掴んだ。くいくいと引っ張る。つやつやとした綺麗な髪だと思った。
「いたい」
聖女様が嫌そうにこちらを向いた。
やりすぎた、と思って僕はすぐに手を引っこめる。
「引っ張らないと、僕のことに気づいてくれないと思って。ちび聖女」
――しまった。いつもは女の子にこんなこと言わないのに。
僕は社交界ではそれなりに、同世代のご令嬢から声をかけられる方だった。まぁ、面倒臭いから適当にあしらってきたんだけども。
そのせいもあって、自分から女の子に声をかけるということに全く慣れていなかった。
口をついて出たのは、悪口に似た言葉。
好きな子には意地悪をしてしまう、とはよく言うけれど、まさか自分がそのタイプだとは思っていなかった。
――ああでも、これで聖女様の記憶に残れるなら。
聖女様に覚えてもらえるなら、その時の僕はもう何でもよかった。




