44・宰相の妻は抵抗する
――どうしたもんか……。
瀕死の兵士と教会に取り残され、私はため息を吐き出した。
アルバート様とエマ様の思惑がわかったのはいいのだが、私はどうするべきかを考えていた。
二人の計画を阻止するのは簡単だ。私が治癒しなければいい話なのだから。エマ様とアルバート様に残された時間は一週間。それまでに何人瀕死の人間が運び込まれようとも、無視すればいい。
だけど……。
――そんなこと、耐えられる……?
目の前に横たわる兵士を見る。
簡単な治療だけ施された兵士は、このまま放っておけば命を落としてしまうだろう。
救える可能性のある命を見殺しにする。そんな真似、出来るわけがない。
「……っ」
悔しい。
結局アルバート様の思惑通りに動かなければならないことが。
リシャルト様に迷惑ばかりかけている自分が、悔しい。
私は横たわる兵士に向かって手をかざした。
◇◇◇◇◇◇
私がアルバート様に教会へ連れてこられてどのくらいの時間が経ったのだろうか。教会の天窓からは月の光が差し込んでいた。
さすがに明かりがないのは辛いので、いくつか壁掛けのロウソクを灯させてもらった。
聖女だったとき、夜に叩き起されて治癒することもままあることだった。夜の教会で一人ぼっちというシチュエーション自体に恐怖感がないのは幸いだ。決して嬉しいことではないが。
――上手くできてるかな……。
ちらと兵士の様子を伺う。目隠しを外してあげようとしたが、固く結ばれていて無理だったので諦めた。大方、誰が兵士に治癒したのかを本人に分からせないように目隠ししたのだろう。
私はせめてもの抵抗として、いつもより治癒のペースを落とすことにした。
だが如何せんそんなことは今までにしたことがないので、上手くできている自信が無い。
イメージしているのは、自分を治癒した時の弱々しい光。いつもの半分の出力だ。
私の手から溢れる光は、いつもより弱い気はする。
この兵士は爆撃にでもあったのだろうか。治癒前は皮膚が焼けただれていたのが、少し薄くはなってきているようだった。
――ごめんね。あなたをすぐに助けてあげられなくて。
こちらの都合で、助けるスピードが遅くなっていることが兵士には申し訳ない。
教会にはロウソクの明かりと、私の手から溢れる白い光が輝いている。
状況さえ無視すれば、幻想的な光景だった。
私は光を眺めながらぼんやりと考える。
――リシャルト様にも……。迷惑ばかりかけていて申し訳ないな。
今頃、リシャルト様は屋敷に戻っているだろうか。
ハーバーさんは無事だろうか。
私のことをきっと探してくれているだろう。あの人たちは優しいから。
――帰りたい。
――リシャルト様に会いたい。
考えたら止まらなくなる。
私がぐっと唇を噛み締めたその時、がちゃと鍵が開く音がした。
「お飾り聖女! 治癒は終わったか!?」
入ってきたのはアルバート様だった。エマ様はいないようだ。
つかつかと入ってきて、私と兵士の様子を見る。
まだ治癒が終わっていないことを察したアルバート様は、私の髪を荒々しく掴んだ。
「きゃ……っ」
「まだ終わっていないのか! お前は本当に役に立たないな!」
今まで悪口を言われたことはあっても、乱暴なことはされたことがなかったので私は驚いてしまう。どうやらアルバート様は相当苛立っているらしい。
「お言葉ですが、治癒はすぐに終わるようなものではありません。ここまでの重症ならなおのこと」
通常でさえ半日はかかるのだ。私が教会に来てからせいぜい2時間かそこらだろうに、治るわけがない。
私がアルバート様を見上げ言い返すと、忌々しそうに舌打ちをされた。
「こんな聖女よりエマの方が劣るというのか!? ふざけるな」
信じたくない、とでも言うようにアルバート様が喚く。
ぐいぐいと強く髪を引っ張られて、抜けてしまいそうだ。部分ハゲになったらどうしてくれるんだ。
「忌々しい……! お前がいなければこんなことには……!!」
エマ様にも言われた言葉をアルバート様に再び言われる。どうやら私の存在は、この2人にとってそんなにも邪魔なものらしい。さすがに傷つく。
アルバート様は手を振り上げる。叩かれるのだと察して、私は反射的に目をつぶった。
「…………?」
しかし、予想に反してなんの衝撃も襲ってこない。
私がそろっと目を開くと、そこにはアルバート様の腕を後ろから掴み上げているリシャルト様がいた。
さらにその奥には、衛兵と思われる男たちと、アルバート様に協力していたはずの黒装束の男二人がいる。
どういう状況なのか理解しきれなくて、私はぱちぱちと瞬きを繰り返すしかなかった。
「アルバート殿下。いろいろあなたには言いたいことがあるのですが……。ひとまず、人の妻を誘拐した件でひっ捕らえますね」
にこり。
リシャルト様が微笑んでいる。ただし目が笑っていない。なんなら殺気がリシャルト様の全身から溢れていて、アルバート様の顔からはすっかり血の気が引いているようだった。
――ああ、助かった……。
見たもの全てを凍らせるようなリシャルト様の微笑みに、心の底から安堵したのは私くらいだろう。




