43・宰相の妻は連れ去られる
私はアルバート様の後ろについて屋敷を出る。
黒装束の男に切りつけられたハーバーさんのことが心配だが、屋敷にいるメイドさんたちが治療はしてくれるだろう。
「乗れ」
アルバート様はくい、と顎を動かして馬車を示した。
屋敷の前には王家の紋章が入った馬車が停められていて、そこに乗るように促される。
抵抗したいのはやまやまなのだが、アルバート様の後ろには、もう1人の黒装束の男が控えていて私に刃物をチラつかせてきていた。
ねぇ、ほんとにこの人王太子だよね?
疑いたくなるのも仕方がないだろう。王太子のやり口とは思えないほど野蛮だ。
私はため息を吐き出すと大人しく馬車に乗り込んだ。
ハーバーさんを切りつけてさせてはいるが、アルバート様に殺意がないのは分かっている。そもそもこの王太子様にそんな度胸があるとは思えない。ついて行っても、多分命の危険はないだろう。
――一体何が目的なの?
「なぁ、こんな人さらいみたいなことしていいんスかねぇ」
「仕方ないだろ、こっちは金のためなんだから……」
「だけど俺、今まで善良な一般市民で生きてきたのに、あの執事の爺さん切っちまった……申し訳ねぇよ……」
「そりゃ、俺もだ……」
どうやら黒装束の男たちは雇われの人間らしい。
そりゃそうだ。王城に仕える兵士やら騎士たちをこんなことには使えまい。一体どこから調達してきたのだろう。
屋敷から出てきたもう1人の黒装束の男が合流してきて、呑気に会話しているのが聞こえてくる。内容からして普段からこのようなことをしている人間では無さそうだ。なんならいい人そうだな……。
「お前らうるさいぞ! 払う金の分働け!」
「へいへい……。めんどくせぇ雇い主だな……」
私の向かいの席に、アルバート様が乗ると、直ぐに馬車が走り出した。
御者席には、黒装束の男が二人座っている。
馬車の中、アルバート様と二人きり。
アルバート様と二人きりになることなんて、婚約者時代にもなかった。これが初めてだ。
――嬉しくない。
私は仏頂面で向かいに座るアルバート様に、嫌悪感しか湧いてこなかった。
◇◇◇◇◇◇
アルバート様に連れてこられたのは、見慣れた教会本部だった。
もう日が暮れ始めていて、西の空では数羽のカラスがかぁかぁと鳴きながら飛んでいる。
「おいお前ら、ここで仕事は終わりだ」
アルバート様がそう言い放つと、黒装束の男たちはどこかへと去っていった。
立ち去る直前、黒装束の男たちが私の方を心配そうに見ていた。あの二人は、悪いことをするのに向いてない気がする。
「アルバート様、一体どういうおつもりですか」
馬車の中で何度か問いかけた言葉を、私は再度繰り返した。
馬車の中では聞いても「黙っていろ」「着いたら話す」と言われて、まともに答えてくれなかったのだ。
――なんで教会?
随分久しぶりに来た気がする。
教会に来るのは、リシャルト様に求婚されたあの日以来だ。
まさかこんな理由で再び訪れることになるとは思ってもいなかったが。
「どういうつもりも何も、お前の力に用があるだけだ」
「きゃ……っ」
アルバート様に腕を掴まれた。
思ったよりも強い力で引っ張られて、教会の中に連れていかれる。
「え、エマ様……?」
教会の中にはエマ様が一人、しゃがみこんでいた。
エマ様のそばには、傷つき治癒を必要としている兵士が布で目隠しをされた状態にされて横たわっている。
いや本当にどういうこと?
ほかの治癒士は誰もいない。教会内にほかの治癒士が居ないなんて、私が聖女として働いていた時は有り得なかったことだ。一体何が起こっているんだろう。
「聖女、さま」
エマ様は私をぼんやりと見上げる。そこには以前のような覇気はなかった。可愛らしい顔はやつれてしまっている。
「アルバート様、これはどういうことですか。どうしてほかの治癒士がいないんです?」
私が不信感をあらわにアルバート様に尋ねると、アルバート様はようやくまともに答えてくれた。
「ここは今、立ち入り禁止にしている。聖女。お前はただこの兵士を治癒すればいいだけだ。俺たちのためにな」
「俺たちのため……?」
一体どういうことだ。私が眉を寄せると、アルバート様はふんと鼻を鳴らした。
「お前が治癒した兵士をエマが治癒したことにするんだ。そうすれば、エマは聖女として認められる。俺たちは一緒にいられる」
アルバート様は不敵に笑う。
この王太子は、今まで散々私のことを役立たずだと、お飾り聖女だとバカにしてきたでは無いか。
それを今度は利用しようなどと、随分虫が良い話だ。
「エマ、こっちへ来い」
アルバート様に呼ばれ、エマ様が無言で立ち上がる。
とてとてとこちらに歩いてくるエマ様には、意志を感じられなかった。
「アルバート様……っわ!」
私が口を開いたその時、アルバート様に強く背を押された。どうにかたたらを踏んだ私は、すぐに後ろを振り返る。
アルバート様はエマ様の肩を抱き、ニヤリと笑っていた。
「治癒するまで、お前はここから出さない」
アルバート様の手によって、教会の扉が閉められる。がちゃりと鍵をかける音が無情に響いた。
◇◇◇◇◇◇
アルバートに雇われた男二人は、教会から離れた場所で考え込んでいた。
「なぁ、俺やっぱり良心が痛むッス……」
「俺も……」
酒場で酒を飲んでいたら、アルバートに声をかけられた。人を連れていくのを協力してほしいと誘われた。ちょうど金に困っていたので話に乗ったのはいいが……。
まさか連れ去る人間が、宰相閣下の妻だとは思っていなかったのだ。
ガタイのよい男二人は、今まで悪事を働いたことのない善良な市民であり、小心者だった。
完全に自分たちのしたことに後悔をし始めていた。
「俺、自首してもいいっスか」
「俺もそう提案しようと思っていたところだ。耐えられねぇ」
男二人は、しょぼしょぼと王城を目指し始めた。
――アルバートは協力を依頼をした人間を間違えていたことに気づいていない。




