38・宰相の妻は治癒する
庭の中央にいたフォート公爵様のところへ行くと、とりあえず屋敷の中に入るように促された。
その場でガーデンティーパーティーはお開きとされ、貴族たちは帰りの支度を始める。
こんなトラブルがなければもう少し茶会が続いていたはずだったのに、なんだか申し訳ない。
「フォート公爵様、せっかくのお茶会だったのにすみません……」
私はフォート公爵家のお屋敷で小さくうなだれた。
案内してもらったのは、屋敷の2階にある客間の一室だった。
お屋敷の外観と同様にラタンと白い布張りの調度品で設えられていて、まるでオシャレなリゾートホテルみたいだ。
「いや、それはいいんだが……。とりあえず話は着替えてから聞かせてもらう。うちの亡くなった妻の服で良ければ着替えな」
「ありがとうございます」
フォート公爵様の後ろから現れたメイドさんが、そっと私にシンプルなドレスを渡してくれた。
フォート公爵様の奥様、亡くなっていらっしゃるのか。きっと大事な服だろうに、ありがたい……。
「フォート卿、紅茶をかけられているので水道か何かに案内していただけませんか」
リシャルト様が珍しくも焦った口調でフォート公爵様にお願いをする。
私はリシャルト様を慌てて止めた。
「そ、それは大丈夫ですよ。治癒、できますから」
後で悪化しないためにも、早めに治癒をしておいて間違いはないだろう。
私はリシャルト様を安心させるために、二人の目の前で治癒することにした。
力を使うのは久しぶりだ。私は両手を顔の前に持っていった。
目を瞑り、意識を手のひらに集中させる。
考えるのは、火傷のことだけ。
次第に私の手のひらから、ぽうと白い光が溢れだす。
優しく、温かい光だ。まるで陽だまりの中にいるよう。
自分に治癒の力を使うことは今までほとんどなかったが、治癒の力だけあってたしかに癒されていくのを感じた。
ひりついた痛みが少しずつ収まっていく。
これくらいの軽傷なら、あっけないほどすぐに治せてしまうんだなぁ……。今まで私が治癒していた相手は瀕死状態だったために、少し拍子抜けだ。
「もう、火傷は大丈夫です」
私が安心させるように微笑むと、フォート公爵様は感心したように息を吐いた。
「はー、治癒の力ってのは便利なもんだなぁ」
「……あなたが聖女だということを、すっかり忘れていました」
リシャルト様はホッとしたようで、ようやく体から力を抜いたようだった。
「おいおい、珍しいこともあるもんだな。お前は誰よりも頭が回ることが取り柄だろ」
フォート公爵様がニヤニヤと笑いながらリシャルト様を肘で小突く。
「……うるさいですよ。キキョウのことになると考えが回らなかっただけです」
「おお、惚気か? 外で聞いてやる」
とても楽しそうだ。
フォート公爵様はリシャルト様の肩を抱くと、並んで客間の扉の方へ向かう。
そして扉に手をかけ、こちらを振り返った。
「俺たちは外にいるから、着替えたら教えてくれな」
「は、はい」
◇◇◇◇◇◇
着替え終わり、外にいた二人に声をかけると二人はすぐに部屋へ入ってきた。
フォート公爵様は、客間の中央に置かれていたラタンの椅子にどっしりと腰掛ける。
私たちにも座るように促した。私とリシャルト様はフォート公爵様の向かいに並んで座った。
「お嬢ちゃんが着替えている間に、ちょうど一部始終見ていた使用人から何があったか聞いたんだが……。一応お嬢ちゃんからも聞かせてくれ」
フォート公爵の言葉に、私はほっとため息をついた。
ああ、よかった。あの現場を誰か見ていてくれた人がいたんだ。
正直私は、何があったのかを上手く説明できる自信がなかった。
自分の身に起こったことだというのに、私は未だになんでエマ様から紅茶をかけられたのかよく分かっていないのだから。
私は自分が把握している事実を、フォート公爵様に話した。
エマ様と庭で遭遇したこと。いつもより苛立っていた様子だったこと。話していたら、突然紅茶をかけられたこと。
私が話し終わると、フォート公爵様は考え込んだ難しい表情になってしまった。リシャルト様は苛立ちを押さえ込んでいるようだ。いつもは涼しげな顔をしているリシャルト様なのに、めちゃくちゃに怒っているのが分かる。
「なるほどなぁ……」
「キキョウ……。あなたは悪くないですよ。どんな事情があろうと、人に紅茶をかけていい理由にはならない」
「……」
私は何も言えずに、ただ黙って俯いた。
エマ様が苛立ち焦っていることが、少し話しただけで伝わってきた。エマ様の気持ちを理解することは出来ないけれど、可哀想だった。
だから私は、一方的に紅茶をかけられたというのに怒りの感情が湧かないのかもしれない。
「今日はもう帰りましょう、キキョウ。僕は、あなたを守れなかった自分が許せない」
リシャルト様は私の手を握って立ち上がった。なんでリシャルト様が自分を責めているんだろう。リシャルト様こそ、欠片も悪くないのに。
「そんなことは……」
「次、何かあったら必ず僕が守ります」
リシャルト様は強い意志を込めた声でそう言うと、フォート公爵様に頭を下げた。
「すみません、フォート卿。今日は失礼致しますね」
「ご、ごめんなさい。服、洗って返しますね……!」
私はリシャルト様に連れられるようにして客間を出る。
部屋を出る前に見たフォート公爵様は、やれやれと笑っていた。
◇◇◇◇◇◇
フォート公爵様のお屋敷を出て、日が傾き始めた庭を歩く。さっきまでティーパーティーが開かれていたそこは、せっせと使用人さんたちが片付けをしている真っ最中だった。
あれだけ大勢いた貴族たちはもう帰ったらしい。
エマ様の姿が見当たらないことに、私はほっとしてしまった。
リシャルト様は、あれからずっと無言のままだ。
私はなんと言葉をかけたら分からなくて、繋がれている手をぎゅっと握った。
――馬車まで遠いな……。
馬車までの道のりが、来た時よりも遠いように感じられる。
フォート公爵様のお屋敷は少し変わっていて、高台のような場所に建てられていた。
馬車は門を抜けて長い階段を降りた先に停まっているはずだ。
きっと、馬車に乗ったらリシャルト様の心も多少はほぐれるだろう。
私たちが門をくぐり、長い階段を降り始めたその時。
どこかから声が聞こえてきた。
「なんでなの。なんで、エマばっかり」
え、なんでまだここにいるの……?
てっきりもう帰ったものだとばかり思っていたのに。
ふと見やれば、少し下にある階段の踊り場にエマ様が立っていた。




