37・宰相の妻はショックを受ける
生垣の向こうに、エマ様がいる。
私はそっと様子を伺ってみることにした。
「エマ、新しい紅茶注いできてあげようか?」
「えー、いいのぉ? エマ嬉しい」
1人の貴族の男性がそういうと、エマ様は花が咲いたように笑う。
その様子に、ほかの男性たちはぎり……と悔しそうな反応を示している。
すごい……。何人もの貴族男子を侍らせている。超チヤホヤされていてお姫様状態だ。
え、エマ様ってアルバート様の恋人なんじゃないの? いいの、これ。アルバート様は知っているんだろうか。
今までエマ様と会う時はいつもアルバート様と一緒で、しかもアルバート様の背に隠れていた。だから、私がアルバート様といない状態のエマ様を見るのはこれが初めてだった。
どうしよう。衝撃的すぎて動揺が収まらない。
「ねー、エマ、ケーキ見に行っていいー?」
「え、エマちゃん僕が持ってきてあげるよ?」
「ううん、エマ自分で見たいの!」
エマ様はそう言うと、軽やかな足取りでこちらに近づいてきた。後ろには複数人の男たちを引き連れている。
え、こっち来ないで?
私がこっそり逃げようと足を踏み出したそのとき。
「あれぇ? 聖女様ぁ?」
エマ様に見つかってしまった。
間延びした甘い口調で話しかけられる。
「あ、ちがったぁ。元聖女様だったぁ」
エマ様はくすくすと笑う。
たしかに私は元聖女だから間違ってはいないのだが、エマ様はどこか嫌な言い方をする。
――苛立ってる?
なんとなくだが、そう感じた。
「こんにちは、エマ様」
挨拶をしながら、私の脳裏には先日の夜にリシャルト様から言われた言葉がよぎっていた。
『もしエマ様やアルバート殿下が接触してきたら、逃げてください』
エマ様とアルバート様に残された一ヶ月の期限まで、あと一週間。焦った二人が何をしてくるか分からない、とリシャルト様は言っていた。
リシャルト様はスコーンを取りに行ってくれているが、いつ戻ってくるのだろう。分からない。チラとスコーンを求める人だかりへ視線をやるが、リシャルト様の姿はまだ見えなかった。
これは、万が一に備えて一応エマ様から逃げた方がいいだろうか。
「それじゃ……」
私は適当に切り上げて逃げようとする。だが、エマ様は無邪気に話を続けてきた。
「ねぇ、聖女様ってどうしてここにいるんですかぁ? このお茶会はフォート公爵様から招待状を貰わないと入れないんですよぉ?」
「それは、リシャルト様が連れてきてくださったので……」
私が事実を言うと、何故かエマ様はムッとしていた。
「ふぅん、そうですかぁ」
「エマ、新しい紅茶を貰ってきたよ」
さっき紅茶を取りに行った男性貴族が戻ってきたようだ。
男性貴族からティーカップを受け取ると、エマ様はにこっと微笑んだ。
「ありがとぉ。みんな、ちょっとあっちに行っててくれる? エマ、聖女様とお話したいの」
エマ様がそう話しかけると、周りにいた男性たちは残念そうに下がっていく。
すごいな……。お姫様というより、もはや女王様みたいだ。
「エマ様、さっきの男性方は……?」
遠回しにどういう関係なのかを聞くと、エマ様は不敵に笑った。
「え? エマのお友だちですよぉ。何でも言う事聞いてくれるの」
それは、純粋なお友だちとは思えないんだけど……。
エマ様が大勢の貴族男性を侍らせていることを、アルバート様は知っているのだろうか。
「エマ、いーっぱいお友だちがいるけど、アルバート様が一番身分が高いからだーいすきなんです」
「そ、そうですか」
つまり、エマ様はアルバート様の中身が好きというわけではなく、アルバート様の『王太子』という身分が好きということか。
自分のことではないし、私もアルバート様のことは好きでは無いが、さすがにアルバート様が可哀想になってきた。アルバート様は本気でエマ様のことが好きみたいだったから。
「王太子妃になるためなら、なんだってしようって思った」
「……?」
エマ様の様子が少し変だ。
さっきまで明るく話していたはずなのに、声音のトーンが少し落ちたように思う。
それに、なんだか……目が怖い。
「なのに、なんで邪魔してくるんですか?」
「え」
私に向かってエマ様が言う。
エマ様の邪魔をした覚えがなくて、私は戸惑いを隠せない。
「エマ、一生懸命頑張ってるのに、『前の聖女様はできた』ってみんな言う! あんたはお飾りの聖女なんじゃなかったの!? なんでエマより力が強いのよ!」
エマ様の口調が変わる。
いつもの間延びした甘い口調から、怒りのこもった激しいものに。
エマ様はティーカップを持っていた右手を引くと、中身を私に向かって勢いよくかけた。
「……っ熱」
エマ様の口調の変化に気を取られて、反応が遅れてしまった。
ぽたぽたと髪の先から紅茶が垂れていく。
顔からもろに受けてしまって、紅茶がかかったところが焼けるように熱い。
私はなぜ紅茶をかけられたのか理解できなくて、ただ呆然としていた。
ただ、遠巻きにこちらを見ていたはずの貴族たちが、みな騒然としているのが分かる。
「キキョウ……!! どうしましたか!」
「……リシャルト、さま?」
声のした方向を見やれば、リシャルト様が慌てた様子でこちらに駆け寄ってきていた。
スコーンが乗った皿を持っていたが、リシャルト様は近くにあったガーデンテーブルに投げつけるようにして置く。
私の目の前まで来ると、リシャルト様は近くにいるエマ様の様子と私の服を見て、何が起こったのかを察したようだった。
リシャルト様は鋭い視線でエマ様を一瞥し、すぐに視線を逸らした。
代わりに、私の方へ心配そうな視線を向けてくる。
「キキョウ、このままではいけません。冷やしに行きましょう」
「は、はい……」
たしかに、火傷をしたらすぐに冷やした方がいいと聞く。だが、それは前世での場合の話だ。
今世ではありがたいことに、私は治癒の力をもっている。だから火傷自体はどうとでもなる。
しかし濡れた服はどうにもならないし、貴族たちの視線を集めている今この場に留まるのは得策ではないだろう。
リシャルト様は私の肩をそっと抱くと、その場から移動しようとした。
「あ、え、エマ……違うの!」
慌てた様子のエマ様が、私を連れてその場を離れようとしたリシャルト様の服の裾を掴む。
それに対して、リシャルト様は見たことがないほど不快そうな顔をしていた。
見たもの全てを凍らせるような、そんな顔。
「触らないでください」
低く冷たい声でそう突き放すと、リシャルト様はエマ様の手を払い除ける。
私はリシャルト様に連れられるまま、その場から離れることになった。




