②
「わたくしは女神の1柱、ハニアと申します」
ハニアと名乗ったその女性は、確かに女神を自称できるくらい神々しい姿をしていた。
緩やかなホワイトブロンドの髪はうっすらと光っているように見える。
(ああ、これ夢だな)
こんな変な空間も、美しすぎる女性もなかなか現実ではお目にかかれないだろう。
夢なら納得だ。
私は床なのかも分からない白い空間にへたりこんだまま、ぼんやりとその女神様とやらを見つめた。
女神様は白く華奢な片手を頬に当て、ほうとため息をつく。
「それにしても、地球人というのは大層可哀想な生活をしてらっしゃいますのね……。わたくし思わずあなたに同情して、こんな世界の狭間に連れてきてしまいましたわ。もしかしたら、地球のあなたから魂を引き抜いてしまったかもしれません」
「はい……?」
今、さらりととんでもないことを言われた気がする。
魂を引き抜いてしまったかもしれない……?
「え……っと、あの。それは、殺された、ということで合ってます……?」
私、なんて物騒な夢を見てるんだ……!
女神様に殺されるだなんて、縁起が悪すぎやしませんか!?
恐る恐る女神様に尋ねると、女神様は絵画のように美しい顔を申し訳なさそうに歪めて「多分」と小さく口にする。
「わたくし、悪気はなかったんですの。あなたがとても弱っていて、可哀想だなと。それで連れてきたら、結果的に魂と体を分離させてしまったかも……」
言い訳をする少女のようにつんつんと指先を弄りながら言ってくるものだから、内容とミスマッチで余計に恐ろしい。
私は思わず、片手で右頬をつねった。
痛い。
……左頬もつねる。
やっぱり痛い。
「申し訳ありませんが、これは夢ではありませんわ」
しゅんと目を伏せる女神様。
私の顔からさあっと血の気が引いていくのがわかった。
「ど、どうしてくれるんですか……!?」
女神様に同情された結果殺されるなんて、たまったもんじゃない!
だってまだ皐月先生の新刊読んでないし! 日々の更新を楽しみにしているWeb小説だってたくさんある!
私は慌てて立ち上がると、女神様に詰め寄った。
「お、落ち着いてくださいまし!」
突然迫ってきた私に驚いた様子の女神様は、どーどー、とジェスチャーで両手を出してくる。が、落ち着けるわけがない。
「地球のあなたの体は結構限界がきているみたいで、戻したところで過労死する寸前です! なので、新たに生まれ落ちる方がよろしいかと!」
女神様の言葉に、私はぴたりと動きを止めた。
新たに生まれ落ちる? なにそれ。
それってあれ? 転生ってやつ?
「……それ、異世界とかいけます?」
私は好奇心に負けて、女神様に静かに尋ねた。
ラノベオタクの血が騒ぐ。
異世界転生。悪役令嬢。乙女ゲーム。婚約破棄。チート。MMORPG。ハーレム。ギルド追放。
かつて読み漁ったラノベの内容が、瞬時に脳内を駆け巡っていった。
「ええ、あなたが望むなら! 叶えて差し上げましょうとも!」
えへん、と女神様が胸をそらす。
私は頭で考えるよりも先に、秒で答えていた。
「異世界に転生でお願いします」
どうやら私は、なかなか現金な性格だったらしい。
ああ、神さま仏さま。そして地球の両親よ、ごめんなさい。あれだけ大切に育てて貰ったはずなのに、ブラック企業に就職してしまった挙句女神様に殺され、しまいには異世界に転生することを自ら選んでしまっている。
それでも、大好きなラノベの展開を我が身で体験出来るかもしれないわくわくには勝てそうもなかった。
「承知致しましたわ。ただ、わたくし、地球人のいう『異世界』がどういったものなのか詳しくなくて……」
女神様は困ったように眉尻を下げる。
たしかにいざ異世界とは、と聞かれても一言で説明するのは難しい。
そこで、私はふと思い出した。意識を失う直前、自分が皐月先生の新刊を握っていたことを。
「私が地球で最後に持ってた本みたいな感じだと嬉しいんですけど、あれを見てもらうことってできます……?」
ダメ元でそう尋ねると、女神様はぱちぱちと大きな青い瞳を瞬かせた。
「こちらですか……?」
女神様がそっと片手を宙にかざすと、どこからともなく1冊の文庫本が現れる。
それは、私が読みたくて読みたくてたまらなかった皐月先生の新刊『偽物聖女ですが王太子からの愛が重すぎて逃げたいです!』だった。
「そうそれ!」
私は食いつくように身を乗り出す。
ファンタジーに定評のある皐月先生のことだ。まだ読んでいないが、安心安定の異世界に違いない!
「なるほどなるほど……」
女神様はぱらぱらとページをめくっていく。
ああいいなぁ。私も読みたい。
「あらあら、こことよく似た世界があるわ。そこにしましょう」
一通り目を通し終えたのか、最後までページをめくり終えると女神様はそう言ってパタンと本を閉じた。
「それでは、あなたの来世に幸多からんことを」
「え……」
視界が徐々に白く染まっていく。何も見えなくなる。
私が最後に見たのは、にっこりとした笑顔で手を振る女神様の姿だった。