第五十五話
あまりの現実味の無さに一瞬ときが止まった。
周りにいた者たちも呆けたように立ち止まっている。
「何してるの!早く逃げなさい!」
俺のその言葉で堰を切ったように、中心から離れた。
ドラゴンは意にも介さず悠々と降りてくる。
「嘘でしょ……」
上空にいるときは手の平くらいでしかなかった。
しかし、降りてくるにつれどんどん巨大化していく。
目の前に来たときには、山を彷彿とさせるほどまでになっていた。
巨大な翼は羽ばたく度に突風を巻き起こし、最早立っていることすら困難だ。
その太い足が地面に付くと同時に羽ばたきを止めた。
―――ドスン。
大地が崩壊したかのような巨大な音と共に地面が揺れた。
何とか踏ん張って耐える。
「―――やるしかないのよね」
ドラゴンも魔物には違いない。
俺たちを逃がす気などない筈だ。
呆けている場合じゃない。
まずはあの爪と尻尾を何とかしなければ―――。
「陣を立て直すわ!盾持ちは前に!」
俺の言葉で我に返った者たちが雄叫びを上げるようにして前に出る。
―――無理もない。
あんな巨大な生物の前に出るなんて自殺行為だ。正気で居られる筈がない。
「攻撃しなくて良い!何とか耐えて!」
ドラゴンが腕を振り上げた。
それをそのまま横薙ぎにして振るう。
それだけで二十人近い者が吹き飛ばされた。
―――あんなのどうすれば良いって言うんだよ!
い、いやこちらは一万人以上の前衛がいる。
例え一撃でやられるとしても、交代し続ければドラゴンを抑えられる筈だ。
「弓部隊はドラゴンの気を少しでも逸らして!」
弓矢であの固そうな鱗を貫けるかは分からない。
でも、何もしないよりはマシだ。
「救援部隊!怪我人をすぐに連れて来て!」
「は、はい!」
「セルフィ、魔法は使える!?」
「え、ええ、大丈夫よ!」
セルフィは火の弾を浮かべて確認した。
あれだけの魔物が生み出されたんだ。
この場にある魔力が消失していてもおかしくなかった。
でも、魔法が使えるなら、まだ何とかなるかも知れない。
そんなことをしている内にも次々と前衛が吹き飛ばされている。
一気に倒さないとどんどん犠牲者が出てしまう。
「儀式魔法、最大出力!急いで!」
「もう始めてるわ!」
後は儀式魔法に賭けて何とか耐えるしかない。
「―――エクレア、後お願いして良い?」
「回復に行くのよね?良いわ、何とかやってみる」
視界の端では明らかに重傷者が次々と運び込まれていた。
俺がいたって、あれだけの数は到底治しきれないだろう。
でも、死なせることだけは避けられるかも知れない。
「危ない人から連れて来て!」
「わ、分かりました!」
救護部隊に背負われて、怪我人が送られてきた。
俺はすぐに手を当てて治そうと試みる。
「ル、ルーティア、様、申しわ、け―――」
「あなたは良くやったわ。全部は治せないけど我慢して」
「は、い―――」
死なないと思うギリギリのところで治療を切り上げた。
後は他の者の回復魔法でも何とかなる。
でも、彼らがどこまで持つかは分からない。
せめて物資が残っていれば―――。
物資はほとんどドラゴンに潰されてしまった。
その中には包帯などの治療道具も含まれる。
「次!」
俺は無心で重傷者の治療を続けた。
でも、治しても治してもそれ以上に患者が増え続ける。
―――クソッ、魔力が足りない。
エクレアに補給して貰うか?
いや、指揮官が居なくなれば戦線が崩壊しかねない。
「次!」
そのとき閃光が走った。遅れて轟音が聞こえてくる。
儀式魔法が完成したのだろう。
俺はフラフラする足を踏ん張って立ち上がり、そちらを見る。
魔法陣からは強烈な光線が放たれ、ドラゴンに直撃していた。
ドラゴンは咆哮を上げながらそれを耐えている。
「お願い。終わって―――」
魔法陣から光線が徐々に消えていく。
そして完全に消えた。
そこには全身から血を吹き出しながらも耐えるドラゴンの姿があった。
まだ動けることを示すかのように強烈な咆哮を上げる。
―――駄目だったか。
いや、でもあれだけのダメージだ。動きは鈍っている筈。
もうそう信じるしかない。
「少しだけ離れるわ」
「分かりました!」
俺は足を引きずるようにしてエクレアの元へ戻った。
「エクレア!」
「ルーティア、大丈夫!?」
「私のことは後。それより、もう押し切るしかないわ」
「わ、わかったわ」
俺の意を汲んだエクレアがすぐに指示を飛ばす。
「ウィル。お前は右から行け!」
「お前もしくじるなよ」
ウィルとコルツが二十人程を引き連れてドラゴンへと突撃をした。
―――予想通り、ドラゴンの動きは鈍っている。
二人は部隊を巧みに操り、ドラゴンの攻撃を避けながら少しずつ攻撃をしている。
あれならしばらくは大丈夫なはずだ。
その間にもう一回儀式魔法が決まれば勝機はある。
俺はすぐさま戻ろうとした。
しかしエクレアに呼び止められる。
「ルーティア、少し回復していきなさい!」
「まだ大丈夫よ。本当にどうしようもなくなったら来るわ」
「駄目よ!」
俺は抵抗する間もなくエクレアに抑えられてしまう。
魔力が減り過ぎて身体強化もままならない。
こうしている間にも怪我人は増え続けている。
早く戻って回復を始めなければ―――。
「―――こんなものね」
振り返るとエクレアが額から汗を流していた。
立ち上がって確認すると、俺の体調はすっかり回復している。
「エクレア、やり過ぎよ」
「大丈夫、指揮なら出来るわ」
エクレアは強い目でこちらを見つめてきた。
―――皆ギリギリの状態で戦っている。
ここでエクレアが無理した分、助かる命があるかも知れない。
「行ってくるわ」
「無理しないでね?」
「エクレアに言われたくないわね」
救護部隊に戻ると、怪我人が三倍以上に増えていた。
皆肩で息をするようにして、懸命に回復を行っている。
辺りを見回し、少しだけ深呼吸をして覚悟を決めた。
「―――怪我人を運んできて!」
「は、はい!」
それからも次々と重傷者が運ばれて来た。
一人でも助けるべく、回復魔法を繰り返す。
―――俺は何人治した?
―――後何人治せば良い?
どれだけ繰り返しても終わる気配が無い。
でも、少しずつだが確実に減っている。
コルツとウィルの決死の突撃のお陰だろう。
俺も出来ればその場にいたかった……。
いやいやいや、これだって大事な役目だし、誰でも出来ることじゃない。
集中しろ―――!
「ルーティア様、少し休まれては……」
急に声をかけられてハッとする。
顔を向けると、先ほどから運んでいた隊員が心配そうな顔をしていた。
「駄目よ」
「ですが、先ほどから顔が真っ青です」
「早く次を!」
「―――わかりました」
エクレアから貰った魔力はもう使い切ってしまった。
これ以上魔法を使えば倒れてしまうかもしれない。
それは分かってるけど―――。
隊員の顔が目に入った。
先ほどから泣きそうな顔をして怪我人を運んでいる。
「魔力が枯渇しても死ぬわけじゃないわ」
枯渇した魔力の回復には数日掛かる。
でも、死ぬわけじゃない。
それに対して俺が回復している怪我人は放っておけば死んでしまうかも知れない。
これだけ怪我人が出た時点で長期間の戦闘はもう無理だ。
あのドラゴンで終わらせるしかない。
幸いにして他に魔物が生み出されている様子はない。
ドラゴンにほとんどの魔力が使われているならやりようはある。
でも、その為にはドラゴンの消滅を待ってはいけない。
倒すことが絶対条件だ。
怪我人に手を当てると、回復魔法を使う。
―――あれ?
急に体中から力が抜けた。
そのまま真っ逆さまに落ちる感覚―――。
まだ気絶するわけにはいかないのに。
皆、を助け……ない、と―――。




