第四話
「向こうで読みましょ?」
「は、はい―――」
いや、ちょっと待てよ。
何度も取りに来るのは面倒だから、数冊は持って行きたい。
だけど、薬学関係は屋敷にほとんど揃っているから、今読む必要は無い。
それなら屋敷では中々読めない本を読んだ方が良いかも知れない。
「あ、ちょっと待ってください。戦術関連の本はどこにありますか?」
「あら、あなたも戦術に興味あるのかしら?」
「薬学で知らない本はこれしか無かったので、この際別のジャンルにも挑戦してみようと思いまして」
それを聞いたエクレアは嬉しそうに笑う。
「あなたも私のことを調べてたってわけね」
「元はここへ来るための交渉材料にする予定でしたけどね」
「でも、ここにこれたなら話題にする必要なかったと思うけど?」
確かに必要なくなったと言えばその通りだが……。
この体では先頭に立って戦うことが出来ないからな。
今後魔物と戦っていくならば、誰かに指示するのが中心になってくる。
前世の知識があるとは言っても、もっと研究が必要だ。
「前々から興味はあったのです。ただ、公爵家の皆を納得させるだけの材料がありませんでした」
戦術の勉強をしたいなんて言ったら、この体で戦争するのかと心配されていたかも知れない。
「魔物の一掃はレダティック王国の悲願だもんね」
「はい、私も力になりたいと思っていました」
俺が前世で討伐できた巣は一つ。
レダティック王国の近隣には後一つ大きな巣がある。
そう、後一つなのだ。
これさえ討伐出来れば、レダティック王国は魔物に怯えなくて良くなる。
「そっか、それなら一緒に頑張ろうね」
「はい、よろしくお願いします」
エクレアも王女という身では思い通りに行かないことも多いだろう。
でも、俺が張った意地を誰かが受けついてくれていることが嬉しい。
こうして紡がれていけば、いつか実を結ぶ筈だ。
「少し話し込んじゃったわね。戦術関連はこっちよ」
そう言って移動すると、戦術関連の本を一冊取り出して俺に手渡した。
「最初はこれがオススメよ」
俺は渡された本を手に取る。
そこには『戦術の基本』と書かれていた。
「ありがとうございます」
「あら、嫌がらないのね?」
「知り合いに基本は大事と何度も言われましたから」
そう言いながら、前世のことを考える。
これを言っていたのはルーティだ。
感覚で戦ってしまう俺に、基本は大事だとあれこれ教えてくれた。
前世の俺は馬鹿だったからその意味をほとんど理解出来なかったけど、知識を得た今ならば少しだけ分かる。
「あのメイドかしら?―――良い人に巡り合えたのね」
「あっ、ええ、私もそう思います」
そう言えば今の俺は交友範囲が狭いんだった。―――気を付けないと。
俺がエクレールだとバレても問題無いが、信じて貰えなかったときが問題だ。
体が弱いせいで妄想に取り憑かれてしまったなんて思われては困る。
エクレアは私の態度に疑問を持ったように首を傾げるが、それ以上追求する気はないようだ。
「まぁ良いわ。向こうで読みましょ」
「はい」
エクレアと共に二人掛けの小さなテーブルへと移動した。
私が椅子に座ると、エクレアは気になるのか向かいではなく隣に腰掛ける。
気にせずに本を開き、先に薬学の本を読み始める。
そこに書いてあったのは、主にこの辺で採れる薬草の説明だった。
いくつかは知らない薬草が書いてあったものの、そこまで役立つものではない。
少し残念に思うが、もしかしたら他にはない情報が書いてあるかも?と細かいところまで確かめていく。
―――どのくらい読んでいたか。
突然漂ってきた風に髪を揺らされて窓へと顔を向ける。
「ごめんなさい。気を散らせちゃったかしら?」
「いえ、大丈夫です」
いつの間にか開け放たれた窓からは、涼やかな風が入り込んでいた。
気が付けば日が高くなっていて、部屋も少し暑くなり始めている。
私は本を閉じると、エクレアに体を向けた。
そしてエクレアが口を開くより先に話しかける。
「やはり、あまり参考になることは書かれていませんでした」
「そっか―――」
エクレアが残念そうに言った。
「でも、少しずつ良くなってますから大丈夫です。三日前は歩くのもつらかったんですよ?」
「えっと、そんなに急に良くなるものなの?」
そう言われても本当のことだからな。
俺も分かってないから答えようがない。
どう返そうか迷っていると、外から突然キイィンという甲高い音が聞こえてきた。
「―――この音は?」
「騎士や兵士たちが訓練してるのね。すぐそこにあるのよ」
私が窓に近寄ると、エクレアが外を指差す。
そこには訓練場があり、沢山の人たちが訓練をしていた。
「今は一対一の訓練をしてるみたいね。気になるの?」
「はい、少し―――」
「それなら、行ってみましょ!」
そう言うと俺の返事を待たずに持ってきた本を片付けてしまう。
あっという間に片付けると、私の手を引いて歩き出す。
「えっ、えっ―――」
「良いから良いから!」
そのまま訓練場の前まで来てしまう。
「えっと、急にお邪魔して大丈夫ですか?」
「いつも来てるから大丈夫よ」
噂は本当だったのか。
こうなってしまっては止めることは出来なさそうだ。
訓練場の扉を開けるエクレアを大人しく見守る。
「ほら、ルーティアも来なさい」
「わかりました」
エクレアに促されて、訓練場の門を潜る。
するとそこには、激しく剣をぶつける者たちがいた。
騎士と兵士が入り混じって訓練をしている。
余程真剣にやっているのか、入ってきた俺たちに気付く者はいない。
「凄い迫力ですね……」
「ええ、訓練とは思えないわよね?」
エクレアが言った通り、皆本気で戦っている。
私たちがその様子を見守る中、目の前で一つの試合が終わり、勝利を収めた騎士が私たちの方へ歩いてきた。
「おや、王女様、またおいでになられたのですね。そちらの方は?」
「リーンイア公爵家のルーティアよ」
そう言って軽く背中を押される。
「ルーティアです。よろしくお願いします」
肩書を言うか迷ったけど、言わないでおいた。
王女の紹介に間違いがある筈ないからな。
「ご丁寧にありがとうございます。僕は騎士団の副団長をやっております、テオドールと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「テオドール、団長は?」
「今は外に出ています。もう少しで帰って来るのではないでしょうか」
恐らく、近くで魔物の襲撃があったのだろう。
それで軍団の一部を率いて討伐に向かったのだ。
「それなら今は出来るってわけね」
「ええ、大丈夫です」
一体何をするつもりなのだろう?
エクレアはどこかへ走って行き、戻ると木剣が握られていた。
「まさか、訓練に参加するのですか?」
「その通りよ。まぁ私は真剣を使わせて貰えないんだけどね」
エクレアは思っていたよりずっと破天荒なお姫様だったようだ。
噂では飽きもせずに見ているという話だったのに、参加までしていたとは。
そんなことを考えていると、木剣を私に放り投げてくる。
慌てて受け取ると、エクレアは鋭い目をしてこちらを見つめてくる。
「どう?あなたもやる?」
「えっと―――」
いきなり過ぎて言葉に詰まる。
公爵家では剣を握らせて貰える日など来ないだろう。
これは千載一遇のチャンスだ。
だが、果たしてこの体は持つのか?
「エクレア姫、ルーティア様はお体が弱いのでは?いくらなんでも―――」
「ルーティア次第よ!」
エクレアの気合の入った一声で、テオドールは押し黙る。
それを聞いて俺も覚悟を決める。
「では、一撃だけ。それ以上は体が持つか分かりませんので」
「良いわ。こっちに来なさい」
言われるがままに、壇上へと進む。
慌てる周りを余所に、彼女は優雅に木剣を構えている。
それを見て私も上段に剣を構えた。
「思ったより様になってるじゃない。私が受けるから、いつでも来なさい」
「はい」
目を瞑り呼吸をする。
深く―――、深く―――、この一撃に全てを懸けるつもりで―――。
そして、ゆっくりと目を開けてエクレアを見る。
「―――行かせていただきます」
エクレアは笑みを深めて答える。
私は全身に力を込めて駆け寄った。
「はああああ!」
狙いは特にない、ただ全力の振り下ろし。
しかしこれはエクレール最強の必殺技だ。
エクレアはそれを真正面から受けることを選んだようだ。
木剣が打ち付けられ、ガッという音が響く。
俺の全力は、あっさりと受け止められてしまった。
「はぁ、はぁ―――、流石です」
ここまで完璧に受けられてしまっては称賛するより他ない。
アイアンゴーレムですら真っ二つにした一撃も、この体ではこんなものか。
それよりも全力を出し過ぎたかもしれない。
流石に前世の感覚で打ち込んだのは失敗だった。
木剣を支えきれず、腕がガクガクと震える。
拙い、このままだと倒れてしまう。
助けを求めてエクレアを見ると、その顔には一筋の涙が零れていた。
「えっ―――」
「―――思い出しました」
エクレアが剣を落とし、私に抱き着いてくる。
一体何を―――?
だが疲れた体は言葉を発してくれない。
そして、徐々に意識が遠のいていく。
「エクレール、あなただったのですね」
最後にそう聞こえた気がした。
◇
気が付くと、ベッドの上だった。
横を向くとエクレアの顔がある。
王女様の前ではしっかりしないといけないのに、頭がボーっとしてどうして良いか分からない。
だから、とりあえず頭に浮かんだ言葉を喋る。
「おはようございます」
「ルーティア!気が付いたのね!」
「はい、ご心配お掛けしました」
エクレアの大きな声で少しずつ意識が覚醒していくのを感じる。
そう思っていたら隣から底冷えするような低い声が響く。
「王女様、リーンイア公爵にご連絡を」
「わ、分かってるわよ!」
そう言うとエクレアは急いで部屋を飛び出して行った。
それを見た男が頭を下げる。
「ルーティア様、済まなかった」
「―――あなたは?」
「俺は騎士団長をやってるモードレッドだ。言葉遣いは―――察して貰えると助かる」
騎士になる者は幼少の頃から訓練を課せられる。
貴族と言えども勉強しない者が多い。
でも、モードレッドはぶっきらぼうだが、本気で俺を心配しているのが分かる。
「ありがとうございます、モードレッド様。私は大丈夫です」
「王女様にはきつく言っておいたから、もうあんなことにはならない筈だ」
「いえ、私も納得してやったことですから」
「しかし―――」
「また行きますから、これからもよろしくお願いします」
これにはモードレッドも驚いた様子で、口を開けたまま固まってしまう。
そこへ両親や王様がやって来た。
「ルーティア!大丈夫か!?」
「はい、大丈夫です」
私の声がしっかりしていることに安心したのか、居住まいを正す。
「どうして対戦などしたのだ?」
「今の私がどれだけ動けるのかを知りたかったのです。結果は―――この通りですが」
「お前の体調が良くなってきているのはミーティアから聞いている。しかしやり過ぎではないか?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、私は続けるつもりです」
父は怪訝そうな顔をこちらへ向ける。
「―――どうして?」
「ただ、体を思いっきり動かせたことが嬉しかったのです」
たった十年とは言え、満足に動けなかった。
それは前世の記憶が全て戻った今、更に強くなっている。
だから、嘘ではない。
私の言葉を父がどう受け止めたのかは分からない。
少し思い悩んでいたようだったが、やがて口を開く。
「―――そうまで言うならば認めよう。だが、無理だけはするな」
「はい、承知しました」
「今日は王城に泊って行きなさい。面倒はエクレア様が見てくれる」
「王女様が?」
「それは私から話そう」
私の疑問に王様が声を挙げる。
「ルーティアの意思があったとは言え、倒れたことは事実。エクレアには責任を取って貰うことにした」
「―――そうでしたか」
別にそこまでしなくとも良いと思ったが、王の決定なら俺が口出ししても無駄だろう。
その証拠に、後ろにいたエクレアがこちらへ近寄り、私の手を握って、
「気にしなくて大丈夫よ」
と言って来た。
こうなったら俺も了承するしかない。
「はい、お願いします」
「任せて」
そう言うとエクレアは後ろを振り向き、
「じゃあ、後は私がお世話するから皆出て行って」
と言った。
エクレアの言葉に皆困惑していたようだが、しばらくすると何も言わずに出て行った。
責任を取らせることになった以上、他の者が手出しするわけには行かなかったのかも知れない。
「さて、と―――」
「はい」
エクレアが隣に座ってこちらを見る。
「出来れば、はぐらかさず答えて欲しいのですが……」
「なんでしょうか?」
エクレアの顔は真剣で、目を逸らすことすら出来ない。
「―――あなたはエクレールなのですか?」
あれは夢ではなかったのか―――。
何故バレてしまったのだろう?
いや、今は考えるより答えるのが先だ。
「そうです」
それを聞いたエクレアはまた涙を零す。
そして俺を抱き寄せる。
「また会えるとは思っていませんでした」
またとは一体―――?
いや、一つだけ、たった一つだけ思い当たることがある。
「ルーティなのか……?」
「はい、ルーティです。あなたに会いたかった」
「そうか、ルーティなのか―――」
納得した。いや、納得させられた。
この抱きしめ方はルーティだ。
彼女がちょっとしたことから俺をエクレールだと確信したのと同じように、俺の記憶が「彼女はルーティだ」と言っている。
俺からもエクレアを抱き寄せる。
願いは叶ったのだ。
ルーティを今度こそ幸せに出来るのだ―――!




