第三話
あれからあっと言う間に三日が過ぎ、王城へと向かう日がやってきた。
その間したことと言えば、ひたすら戦術に関しての知識を詰め込んでいた。
付け焼き刃ではあるものの、以前の経験もあることだし、素人のお姫様相手だったら十分な筈だ。
目的はなんとかして王城の図書館に行くこと、そして薬学の本を読むことだ。
馬車に揺られながら、拳を握って気合を入れ直す。
「お加減は如何ですか?」
ミーティアが心配したように声を掛けてくる。
「ええ、大丈夫よ。この馬車最新式なんでしょう?揺れも少なくて快適よ」
「吊り下げ式と言うらしいですよ。私達の乗っている箱を鎖で吊るして揺れを少なくしているそうです」
家族は先に別の馬車で王城へと向かった。
この馬車はその構造上大きさを確保できず、今の技術では二人乗りがやっとだった。
病弱な俺に配慮した父が特別に手配してくれて、ミーティアと二人で乗っている。
こうした技術の進歩を前世で知ることはなかった。
だが、職人の弛まぬ努力によって、こうして体調を崩すこと無く移動できるのだから感謝しなくてはなるまい。
そして俺の知らないところでも矜持が紡がれていることに、少しだけ嬉しくなった。
「でも、ここまでする必要あったのかしら?」
俺に最新の医療を、という父の計らいで王都で暮らしているため、王城まで馬車ならゆっくり走っても一時間も掛からない。
そのくらいならこの体でもなんとかなる。
「この体で言っても説得力無いかも知れませんが、お父様は心配し過ぎなのです」
「差し出口ですが、それでも私は旦那様の計らいを嬉しく思っています。お嬢様には元気でいて欲しいですから」
ミーティアには随分心配を掛けてしまったからな。
もう他人事とは思えないくらい情が湧いてしまっているのだろう。
俺が結婚するときは、一番に報告しないと泣かれてしまいそうだ。
「そこは私も感謝してるわ。だけどこの三日間はかなり元気でいられたでしょう?」
「はい、お嬢様と散歩できるなんて夢にも思いませんでした」
昨日はついに屋敷の周りを少しだけ散歩することが出来た。
別荘とは言え公爵の屋敷だ。
半周もしない内にミーティアに抱きかかえられる羽目になったけど、それでもこれは大きな進歩だ。
「この調子で元気になりたいから、いくらでも機会はあるわ」
「楽しみにしています」
微笑む彼女につられて笑みを浮かべると、丁度目的地に着いたようだ。
王城は、王都の中央に位置する巨大な城である。
度々魔物の襲撃を受けてきたとは思えない荘厳さで、前世は入るのも嫌だったことを思い出す。
「いつ見ても立派な建物ね」
「王城は皆の心の拠り所ですから」
―――そうかも知れない。
昔は襲撃を受けた際、国民を王城で匿っていた。
だから王城は皆を守る最後の砦でもある。
常に修繕することで国民が安心できるのだ。
「英雄のお陰で王城を使うほどの襲撃は無くなりましたけどね」
「―――そうね」
目頭が熱くなるのを感じた。
俺はずっと貴族と喧嘩ばかりしていたから、嫌われていると思っていた。
でも、そうではなかったんだ。
この国の人々を守るために戦い続けた俺のことを、心の中では認めてくれていたんだな。
「お嬢様?」
「なんでもないわ。行きましょう」
門番に声を掛けると、すぐに城内へと案内された。
執事の他に、すぐそばには医者と騎士が同行している。
いきなり倒れたときの配慮なのだろう。
俺のことを心配しているのはわかる。
しかしこれを見せつけられる度に、私の弱さを突きつけられているようで心が折れそうになった。
でも、少しずつ希望は見えている。
今だって赤いフカフカの絨毯をしっかりと踏みしめて歩けているのだから。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは謁見の間ではなく、応接間だった。
前世では幾度となく王と酒を酌み交わした思い出の部屋だ。
そこには既に国王陛下と、先に来て準備をしていたであろう両親が待っていた。
「よく来たな。遠慮せず座ってくれ」
「失礼します」
俺は促されるままにソファへと座り、ミーティアは後ろへ控える。
すると、父がすぐに声を掛けてきた。
「体調は大丈夫なのか?」
この三日間、準備に掛かりきりで屋敷に戻れなかったから心配していたのだろう。
「はい、問題ありません。それどころか最近は随分と調子が良くなって来ています」
俺の言葉に両親は訝し気にこちらを見てくる。
「お嬢様の体調が良いのは本当です。昨日は少しだけ屋敷の周りを歩きました」
ミーティアが助け舟を出してくれた。
両親は一度顔を見合わせる。
「まあ!それは良かったわ。でも、無理をしては駄目よ?」
「ありがとうございます。でも、自分の体のことは自分が一番良く分かっていますから」
両親もまだ半信半疑かも知れないが、一応は納得して貰えた。
でもこの調子なら心から喜んで貰える日も近いだろう。
「では体調が悪くなる前に始めよう。陛下、よろしいですか?」
「うむ」
陛下がそう言って手を挙げると、部屋の扉が開かれて一人の女の子が入ってきた。
その瞬間、胸が強く高鳴るのを感じた。
滑り落ちるかのように真っすぐ伸びた金色に輝く髪。
そして、整った顔に似つかわしくない挑戦的な目。
淑女としては少々似つかわしくない、されど王族に相応しい風格が感じられた。
「エクレア、挨拶なさい」
「はい、承知しました。皆様おはようございます。レダティック王国王家、三女のエクレアです。どうぞよろしくお願いします」
俺は慌てて立ち上がると、一つ礼をして口を開く。
「リーンイア家、四女のルーティアです」
俺は何とか声を振り絞って返した。
緊張で心臓がバクバクと音を立てている。
それを見たエクレアはクスリと笑い、
「大丈夫?顔が真っ赤よ?」
そう言って俺に近づいてくる。
「だっ、大丈夫です!」
俺は思わず後ろに下がってしまう。
だが、彼女はそのまま追いかけてきて再び顔を近づけた。
「ふふっ、あなたとは良いお友達になれそう」
「そ、そんな、お友達など恐れ多いです……」
「そうかしら?公爵令嬢が恐れ多いなら、他の誰にも無理よ?」
「それは……」
いくら何でも関係を進めるのが早すぎるのでは……?
「ねえ、ルーティアさん。私と仲良くしてくれる?」
「……はい」
しかし王女の言葉に抗うことは出来ず、俺はただ首を縦に振ってしまった。
「やったー!嬉しいわ。お父様、お母様、これで良いのでしょう?」
「ああ、ルーティア嬢は体が弱い。お前が引っ張ってあげなさい」
「ええ、勿論です!これからよろしくね、ルーティア」
俺の手を両手で握る彼女の笑顔はとても眩しかった。
「こちらこそよろしくお願いします。エクレア様」
「あら、私たちはもうお友達でしょ?エクレアで良いわ」
「わ、わかりました」
彼女はにっこりと笑うと、今度は両親の方へと向かって言った。
「ルーティアと少し遊んで来ても良いかしら?」
「随分急だな。ここで少し休んでからでも良いだろうに」
「駄目よ。ルーティアはいつ疲れちゃうか分からないんだもの」
王は溜息を一つ吐いてから諦めたように、
「そうか……。ならば、あまり遠くへ行かないようにな」
と言った。
彼らのやり取りを見れば、俺に気を遣ってくれているのは嫌でも分かる。
エクレアはそれを実行しているだけなのだ。
だから反対しづらかったのだろう。
「勿論よ!―――ルーティア、行きましょ?」
「ええ、お願いします」
それを見たミーティアが俺の後ろに控える。
しかしエクレアは手を挙げて制した。
「ルーティアが心配なのは分かるけど、ここは私に任せて欲しいの」
「で、ですが……」
「二人きりじゃないと中々話せないこともあるでしょ?」
それを聞いたミーティアが困ったように父に顔を向ける。
父はしばらく悩んでいたがやがて、
「いや、任せよう。エクレア姫、ルーティアをお願いします」
そう言って頭を下げた。
私はエクレアに手を引かれて応接間を後にした。
◇
エクレアに連れてこられたのは、なんと城の書庫だった。
公爵家の書庫もかなりの広さだと思っていたが、ここはその何倍もの広さがある。
一つ一つの棚は見上げるように高く、それぞれに本がぎっしりと詰まっていた。
「エクレア様、私が薬を探していることを知っておられたのですか?」
「もう、エクレアで良いってば。聞いたのはルーティアと会うことが決まってからだから……二日前だけどね」
「お気遣いありがとうございます」
「……」
エクレアがじとっとした目を向けてくる。
頑なな俺に呆れてしまったのか。
それとも「そろそろ怒るよ?」の合図なのだろうか?
だがなぁ、貴族の相手は苦手だったんだよ……。
前世では邪険にされていたこともあって中々話す機会が無かった。
今世では貴族になったと言っても引きこもり状態で家族くらいしか経験が無い。
それにこれでも十年は貴族として生きていて、それなりの教育も受けているため違和感が大きい。
「まぁ今は良いわ。でも、〝かならず〟直してもらうから」
「はぁ……」
「今は調べ物の方が大事、でしょ?」
「はい、助かります」
―――あ、拙い。
つい口に出てしまった相手を責めるような失礼な言葉遣いに、慌てて口を手で押さえるが、それを見たエクレアはこちらをニヤニヤと見てくる。
「あら、もう少し突いた方が良かったかしら?」
「もう!意地悪しないでください!」
「ふふっ、それもそうね。来なさい、薬関係はこっちよ」
「はい」
書庫を迷わず突き進むエクレアについて行く。
もしかしたら予め調べてくれていたのかも知れない。
誰かに調べさせた?―――いや、それならばその者を同行させる筈だ。
これを知ったのは二日前だと言っていたか……だとしたら大急ぎで探してくれたのだろう。
「ほら、ここよ」
エクレアが立ち止まった先には、何冊もの本が置いてある棚があった。
背表紙には、薬草、毒草、魔物の図鑑などと書かれている。
ただ肝心の薬学は読んだことがある本が多い。
「こんなにいっぱいあるのですね」
「そうね。でも期待した結果にはならないかも」
「―――?どうしてですか?」
「公爵が調べてない筈ないからね」
言おうか迷っていたら、先に言われてしまった。
父は俺のためにずっと治す方法を探してくれていた。
この蔵書と比べれば、父がどれだけ頑張って集めたのかが良く分かる。
「でも、ずっと研究してきたあなたなら気づけることもあるかも知れない」
「はい、そうかも知れません」
……考えてみればそんなに難しい話じゃない。
今、俺の体は急激に復調に向かっている。
その手助けをするだけでも効果がある筈だ。
でも、それならコックに栄養価の高い食事を聞いた方が良い気もする。
しかし今更調理場に連れて行ってくれと言うわけにもいかない。
―――こうなるとなんとか気づかれないようにしないといけないな……ま、まぁ調べ物していれば誤魔化せるか?
とりあえず、屋敷に無い薬学の本を手に取った。




