第三十三話
「一ヶ月後―――ですか?」
「そう、一ヶ月後に勲章の授与式を行うわ」
数日前に封書によって呼び出された俺は、王城を訪れていた。
いつもの応接室で待っていたのはエクレアだった。
王は忙し過ぎて顔を出している暇すらないらしい。
「随分先なのですね」
「フィデリアへ何度も行ってたせいで、中々進められなかったのよね」
フィデリアとの協力が決まってからも、何度も使節団が派遣されていた。
エクレアも何回かは一緒に行っていると父から聞いている。
ヴァリアントでの撃退から、既に数ヶ月も経っていた。
まだ公にはされていないが、裏では討伐への準備が着々と進められていると聞いている。
全部人任せにする気はないが、俺が動けるのはきちんとした立場を得てからだそうだ。
俺はといえば、コルツとセルフィと共にずっと訓練に明け暮れている。
身体強化も随分と上達し、コルツと良い勝負が出来るようになってきた。
相変わらず回復魔法の訓練はあまり出来ていない。精々訓練で怪我をしたときに使うくらいか。
それでも、大怪我さえしなければ治せるので、かなり本気に近い訓練が出来るのは嬉しい。
「ということは、フィデリアとの協議は一段落したのでしょうか?」
「大まかな方針は決まったわ。直前になったらまた増えると思うけどね」
「お疲れ様です」
「―――そう思うならストレス解消を手伝って?」
そう言うとエクレアが立ち上がり、俺の隣へと座る。
そして、そのまま抱きついて来た。
「ちょ、ちょっとまだ昼間ですよ!?」
「抱き着くくらい良いじゃない」
「もう、これ以上は駄目ですよ?」
「あら、そのくらいの節度はあるつもりよ」
エクレアはゆっくりと体重を預けてくる。
「ルーティアもいつの間にか頼もしくなっちゃって、あんまり燃えないわ」
「私にとっては喜ばしいことですね」
あんな風に迫られるとどうして良いか分からなくなってしまう。
それが少なくなるなら俺は安心出来る。
エクレアは物足りないかも知れないが、そこは我慢して欲しい。
「代わりに少しくらいなら甘えても良いですよ」
「そう?それなら―――」
エクレアは俺に顔を近づけると、唇を重ねてきた。
慌てて俺は離れる。
「なっ、そういうのは駄目です!」
「あら、甘えて良いって言ったじゃない」
確かに前世ではこういうことをすることもあったけど!
「でも、私たちは今女同士じゃありませんか!」
「別に気にしないわ」
「それにエクレアは婚約しているのでしょう?」
婚約しているのにこんなことをするのは不貞行為になってしまう。
貴族にとってそれは許されないことだ。―――多分。
貴族がドロドロしているが、それは結婚した後の話の筈だ。
「―――巣を討伐すれば婚約は破棄されるわ」
「まだ、そうなると決まったわけではないでしょう?」
「あなたは婚約を破棄するために討伐しようとしてるのよね?」
「それは―――、そうですけど」
でも、国同士の婚約ともなればそう簡単に破棄出来ないかも知れない。
大国であるローデンフェルトに対して、そこまで大きく出られるのか?
「それにこれは王家の問題よ。あなたが考える必要ないわ」
「ですが―――」
「婚約破棄されたら、ルーティアはどうなの?」
―――それは、分からない。
婚約が無くなったとしても、女性同士であることは変わらない。
それでエクレアは幸せになれるのだろうか?
「私のことはいいの。ただ、あなたがどう思っているのかを知りたいだけ」
「私は―――、分かりません」
「今はそれでも構わないわ。でも、婚約破棄されるまでには考えておいてね?」
「はい……」
本当にこれでエクレアが幸せになれるんだろうか?
―――何で俺は女に生まれてしまったんだろう?
男だったら、堂々とエクレアと結ばれることが出来たのだから。
「これくらいにしておきましょうか。そろそろ人が来てしまうかも知れないわ」
そう言ってエクレアは離れた。
……助かった。
今の俺にその答えを出すことが出来ない。
だって、俺はまだ自分自身がこの先どう生きていくかすら分かっていないのだから。
答えを出せるとしたら、討伐を終えて、女として生きていく覚悟が決まったときだろう。
「それじゃあ、続きを話しましょうか」
「あ、えっ、そうですわね」
そう言えば授与式の話をしていたんだった。
「授与式は盛大なものするから、あなたもきちんと準備するのよ」
「服装などでしょうか?」
「それもだけど、進行内容も覚えて貰うわよ」
授与式は前世のときに一度だけ出たことがある。
あのときは傭兵だったこともあって、こじんまりとしたものだった。
内容も王の前に礼をして、勲章を授与されて終わりというあっさりしたものだった。
大勢の貴族を呼ぶなら、正式なものを執り行うということだ。
俺の知らない作法が沢山あるのだろう。
それを授与式までに覚えなくてはならないのだ。
「と言っても服装以外は、そんなに大変ではないわ」
「そうなのですね」
「何日か前にリハーサルをするから、詳しいことはそのとき覚えれば十分よ」
「わかりました」
少し拍子抜けしてしまった。
でも、貴族はそういうところにうるさいからな。
ちょっと違っただけでも、そこを突いてあーだこーだと文句を言う。
結局協力するかしないかの二択なのは変わらないんだけどな。
少しでも自分の有利な立場になりたいのだろう。
そんなことをしても、結局物事が成し遂げたものが偉いのは変わらないと思うんだけどな。
「それじゃあ、一応台本を渡すわね」
「はい」
エクレアが脇に置いてあった鞄から紙束を取り出し渡してくる。
そこそこの厚さがあるぞ……。
「これを全部覚えないといけないんですか?」
「それ、後で行われるパーティの進行とかも全部書いてあるから、授与式の分だけ覚えれば大丈夫よ」
ペラペラと紙をめくって確認してみると、それほど難しいものではなかった。
これなら何とかなりそうだ。
「でもパーティでも多少何か言って貰うから考えておいてね」
「はい」
まぁ、お祝いの言葉とか討伐に向けての抱負とかそんな感じだろう。
こういった言葉は苦手だが、一ヶ月も考える時間があればそれなりに言える筈だ。
「こんなところね。何か質問はある?」
「いえ、大丈夫です」
授与式さえ済ませてしまえば、俺は前に立って討伐を進められるようになる。
それに今回は俺だけじゃない。王も父も協力してくれている。
きっとエクレアの結婚前に間に合う筈だ。
「―――ねぇ、一つだけお願いしても良いかしら?」
「何でしょうか?」
「私も討伐に参加して良い?」
「それは―――」
王女が死ぬかもしれない討伐に参加するなんて駄目に決まっている。
「死ぬときはあなたと一緒が良いの」
―――死ぬときは一緒ですよ?
あのときのルーティの言葉が頭をよぎる。
「―――駄目かしら?」
「それを言われたら私は断れませんわね」
「本当!?」
「あくまで私は、です。他の者たちの説得までは出来ません」
「それで良いわ!ありがとう!」
エクレアが満面の笑みを浮かべた。
俺なんかより他の者を説得する方が何倍も大変な筈なんだが……。
どうやらエクレアにとって、そうではないらしい。
こうなってくると、万が一説得出来てしまったときのことを考えないとな。
「討伐までに間に合うのですか?」
「討伐まではどれだけ少なく見積もっても後一年は掛かるわ」
「そうでしょうけど……」
「それまでには間に合わせるわよ」
エクレアは自信満々に答える。
「そもそも私の剣術は力が無くても渡り合えるものよ。それはあなたも知ってるでしょ」
「それはそうですけど……」
力自慢だった俺とルーティの実力はほぼ互角だった。
でも、あのときとは体格が違うし、繊細な動きをするには感覚が大分変わるんじゃないか?
「あなただって数ヶ月でかなり出来るようになったでしょ」
「―――確かに、そうでした」
ただそれはほとんど魔法のお陰だ。
身体強化が無ければ、もっとずっと苦労していた。
魔法はただ使うだけならば簡単だ。
でも、長時間維持するためにはかなりの訓練を必要とする。
俺は前世の経験があり、この体を動かすために意識せず魔法を使っていた。
それが魔法を身に着けるのを遥かに早くしていたのだ。
エクレアもルーティの記憶があるなら、魔法を意識せず使っているかも知れない。
しかし、そこから鍛えていくのは長い時間を必要とするんじゃないか?
「大丈夫よ。私がやるって言って出来ないことなんてあったかしら?」
「―――そうですわね」
ルーティがやると言って出来なかったことは、俺の記憶する限り一度もない。
それは彼女に助けられてきた俺が一番良く分かっている。
「分かりました。私も出来る限り協力しますわ」
「ええ、お願いね」
エクレアが微笑む。
「ですがその前に、きちんと説得してからにしてくださいね?」
「そんなのすぐよ」
エクレアは自信満々に答えた。
俺にはその自信が一体どこから来るのか分からない。
でも、彼女が言うのだからきっとそうなのだろう。
「次にルーティアと会うときには終わってるから」
そうまで言われると最早異次元の話だ。
俺にはどうやっても想像出来そうにない。
「分かりました。それでは私もそのつもりでいます」
「ええ、任せて」
エクレアはにっこりと笑いながらそう答えた。
そのまま間を置かずに言葉を続ける。
「今日話すことはこのくらいね」
「はい」
「それじゃあ、数日後にあなたの屋敷に行くからよろしくね」
「わかりました」
―――きっと今すぐ説得に向かうのだろう。
そんな意志を今のエクレアから感じられた。
エクレアの邪魔をしないよう、挨拶をして屋敷へと戻った。




