第二話
食堂を後にした俺は、その足で書斎へとやってきた。
流石は公爵家というべきか、その蔵書は数百冊に及ぶ。
満足に外へ出られなかったが、何かをせずにはいられなかった。
少しずつ戻る記憶に咳立てられるようにして始めた読書だったのだが、小説に見事にハマってしまった。
それだけでも嬉しい誤算だったのだが、今は魔法や薬学などを中心に勉強もしている。
もしかしたら、この体を治す方法があるかも知れないのだ。
生前は本など一度も読むことは無かったから少し不安だったが、前世と違って素養があるのか一切苦痛を感じない。
目的を果たせるのなら、苦手だった勉強にも身が入るというものだ。
「ふう、今日も成果なしね」
「ルーティア様……」
側で一緒に勉強をしてくれていたミーティアが悲しそうな声を上げる。
「仕方がないわ。ここにある本はもう何度も読み返したもの」
「旦那様も探しています。いつかきっと見つかります」
「それなんだけど……」
少し思いついたことがないわけではない。
「何か思いつくことがありましたか?」
「今度王城へ行くのよね?城の書庫であれば、ここにないような本もあるのではないかしら?」
「ある筈ですが、その日は王女様の相手をしなくてはなりませんから……」
―――それなんだよなぁ。
なんとか言いくるめて読むことは出来ないだろうか?
むむむと悩む俺を見かねたのかミーティアが口を挟む。
「そんなことをせずとも、ルーティア様なら書庫の使用許可が降りるのではありませんか?」
「恐らくそうでしょうけど、私が突然外出すると言い出せば父や母を心配させてしまいますからね……。想像以上のおおごとになってしまうかも知れません」
俺としては気軽に本を読みたいだけなのだが、緊急時のために医者を同席させたりなんてこともあり得る。
彼らには彼らの仕事があるのだから、なるべく邪魔をしたくはなかった。
「やっぱり王女様を説得するしかありませんね」
「ルーティア様はお優し過ぎます。遠慮してルーティア様ご自身のお望みが叶わないのでは意味がありません」
「ええ、私もそう思うわ。でも、これが今の私だから」
昔の俺だったら迷わなかった。誰かを慮れるだけの教養が無かったからだ。
昔の私でも迷わなかった。人を使うことに迷いのない貴族だからだ。
だが、前世の記憶を取り戻し、その価値観が混ざり合った俺にはどうしても出来ないことだった。
―――なんとかするしかない。
今はどうすれば王女様にはいと言わせられるかを考えるべきだ。
「ミーティアに一つ聞きたいのだけど、王女様のことは詳しいのかしら?」
「知っている―――と言っても噂程度ですよ」
噂はあまり信用ならない。
話し相手の興味を引こうと誇張してしまう人がいるからだ。
だが、全く知らない俺よりはマシだし、今は少しでも情報が欲しい。
「それで構いません。ただなるべく真実に近そうな噂をお願い」
「そうですね……、武術に興味がお有りだと聞いたことがあります」
「武術?」
随分溜めたと思ったら、予想外の答えが帰ってきた。
ミーティアが考えに考えた末の答えならば出鱈目ということはあるまい。
それにしても武術とはまた変わった王女様だな。
俺の記憶にある王妃は絵に書いたようなお姫様だったから、その娘が武術に興味があると言われてもいまいちピンとこない。
だが、武術に興味があるなら少しは俺と気が合うかも知れない。
「なんでも、王城にある訓練場に度々足をお運びになられているのだとか」
「訓練に参加しているのですか?」
「いえ、参加したと言う話は聞いておりませんが、訓練の様子を飽きもせずご覧になられているようです」
見るのが好きなタイプなのか?
いや、王女が参加したいなどと言えば周りも必死に止めるだろう。
これだけで見る専門と断じてしまうのは尚早だ。
だが一つだけ確実に言えることがある。
「もしかしたら戦術や訓練の話から譲歩を引き出せるかも知れませんね」
「確かに、それならば可能性があるかも知れませんが―――」
―――今から覚えるのですか?
不自然に言葉を切ったミーティアが暗にそう言いたいのは嫌でもわかる。
病弱な公爵令嬢という肩書を持つ俺には、一生使わない無駄知識とほとんどの者が思う筈だ。
それに、戦術はすぐに覚えられるような簡単なものではない。
だが、俺には前世で培った経験がある。以前は感覚でしか分からなかったことを言葉に直すだけなのだ。
今持っている知識なら少しずつでも言葉に直していけるはずだ。
「あら、答えが目の前にあるのに諦めろと?」
「い、いえ!そんなつもりは!」
「兎に角やってみましょう。一見遠回りに見えることが、一番の近道かも知れないのですから」
「―――わかりました。私も全力でお供します」
それからは、二人で時間を忘れて戦術の勉強をした。
戦術の本を読んで、お互いにアイディアを出し合い、その利点欠点を洗い出していく。
―――楽しい。
今は小さな一歩でも、これがこの国が平和になる一歩かも知れないのだ。
楽しくないわけがない。
「ルーティア様、そろそろお止めになられては如何ですか?」
「えっ?あら、もう日が暮れるのですね」
窓を見ると太陽が半分ほど落ちていた。
「本日はお元気そうで止めるタイミングを失してしまいました」
「ええ、本当。いつもは数時間もすれば体調を崩してしまうのにどうしてかしら?」
「きっと大人になりたいと願うお嬢様の気持ちに体が答えてくれたのですね」
だからってこんな急に体調が良くなるものなのか?
あり得るとしたら、俺が前世の記憶をすべて取り戻したことが関係しているかも知れない。
何せ一人分の人生を追体験していたのだ。それが思わぬ負担になっていたとしてもおかしくはない。
この調子が続いてくれるなら、絶望的だった状況に一筋の光明が見えてくる。
「だけど、まだ体が弱いことには変わらないものね。いきなり頑張りすぎては駄目ね」
そう、仮に病気が無くなったとしても、元気な体が手に入ったわけではないのだ。
その証拠に体は疲れ切っていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「歩いて自室まで行けそうですか?」
「無理ね。久しぶりにお願いしても良いかしら?」
「ええ、承りました」
そう言うとミーティアが俺の肩を抱き、ゆっくりと抱き上げる。
「重くないかしら?」
「いえ、軽すぎるくらいです」
こうして抱えられるのも久しぶりだ。
成人男性だった経験のある俺には少々恥ずかしい思いが無くもないが、嬉しそうに運ぶミーティアを見ると、たまには良いかと思ってしまう。
こちらにニコニコと笑顔を見せながら歩いている辺り、軽すぎるというミーティアの言い分は本当だろう。
俺は成長が随分遅れてしまっている。同世代の子供より頭一つ分は低いのだが、十歳と言えば早ければ成長期に入るからこの先もっと広がってしまうかも知れない。
顔見世では見上げることが多くなるだろうけど、俺にもいずれ成長期は来るはず。
「それも後少しよ」
「ふふふ、お体の弱いうちはどんなに重くても運びますよ?」
細身に似合わずミーティアは力持ちだ。
リーンイア家には執事がいないため、メイドが大きな荷物だって運ぶのだから当たり前だが。
と言うより、貴族全体を見ても執事は少ない。いるとしても少々年経た貴族家がほとんどだ。
前世で俺が思っていたより貴族の性事情はドロドロだ。
メイドや執事に手を出すのなんて割と当たり前に起こっている。
夫人との間に子供が出来たりしたらおおごとになるからな。
まぁそれも仕方がないのかも知れない。
夫は夫で幾度となく王都へ顔を出して顔を広げなくてはならないし、妻は妻で夫人同士の繋がりを維持しなくてはならない。
一緒に仲睦まじく……ということが物理的に難しいのだ。
仲が良いと貴族の間では評判らしい両親ですら妾腹の兄が一人いるくらいだからな。
「そう言えば、ヘンリー兄さまはお元気かしら?」
「はい、アレク様の補佐として立派にお仕事をされているそうですよ」
俺の兄であるヘンリーはついこの前王立学校を卒業し、一番上の兄であるアレクと同じ道へと進んだ。
妾腹であるヘンリーが家督を継ぐことは余程のことがない限りまず無い。
だが、アレクがどんなに有能だったとしても信頼のおける者は必要だ。
その教えを父から受けていたアレクは、他の家族よりもずっとヘンリーのことを大切にしてきたため、二人の仲は物凄く良い。
「二人は私が入り込む隙間も無いほどに仲が良かったから、想像通りで嬉しいわ」
「そうでもないですよ。二人共お嬢様の前では口にしませんでしたが、ルーティア様のことを心配なさっておられました」
「それでは尚更、顔見世では私の元気な姿を二人に見せなければなりませんね」
それを聞いたミーティアは優しく「はい」と答えながらぎゅーっと抱きしめてくる。
痛くはない。むしろしっかり抱きしめられて安心する心地よさだ。
「―――少し眠くなってきたわ。後はお願いね」
「はい、ごゆっくりお休みください」
俺は意識を手放す前に、しがみついた手にぎゅっと力を込めた。




