第十九話
次の日、いつもの運動を終わらせた後、ユージアに付き合って本を読んでいた。
「今日はどんな話題を用意してくれたんだい?」
「あの、お兄様が普段どんな勉強をしているのか見てみたくなりました」
「……難しいよ?」
「どのくらい難しいか、読んでみたいだけなのです」
「じゃあ、これなんかどうかな」
ユージアに渡された本の中には計算式が沢山書かれていた。
「これはどういった本なのですか?」
「これは数学の本だよ。色々なものを数字で表すことを目的にした本なんだ」
ふむふむ、でも、中には見たことも無いような式がいっぱいだ。
こんな式を現実で使うことなどあるのだろうか?
「これらは何の役に立つのでしょうか?」
「これだけだと難しいね。でも別の分野と合わせると意味が出てくるんだ」
「それはどんな?」
「例えば、大きな建物を建てたいとするでしょ?」
「はい」
「部屋の広さに対して、どのくらい柱が必要かだとかが分かるんだ」
「なるほど」
城が建てた後に崩れちゃったら大変だもんな。
そうならないよう柱の強さとかを全部数字にして立てないでも予測を立てられるようにしようってことなんだ。
「それに、これを進めて行けばそもそも柱が必要ない構造だって見つかるかも知れない」
「今はアーチ状にしていますよね?」
「そうだね。アーチ状が適していることが分かっている。でもどうして適しているかは分かっていないことも多いんだ」
「アーチ状の特性を調べるということでしょうか?」
「うん、もっと研究が進めば、色んな場所で応用が利くようになるかも知れない」
なるほど、やっとわかった。
多分数学とは、目に見えるものとは別の角度から物事を知る方法なんだ。
それがどんな風に役に立つかはまだ分かっていなくても、いつか活用出来る日が来るかも知れない。
「お兄様は数学をずっと勉強されているのですか?」
「数学は色んなことに応用が利くからね」
ユージアはこの先何を研究することになっても対応出来るよう努力しているのだろう。
自分の好きなことをやれない者も数多くいる。
自分がやりたいと思ったことしか出来ない俺とは真逆だな。
でも、様々なことに対応出来る器用な者のお陰で、俺は好きなことが出来ている。
好きなことをやるだけが偉いわけじゃないよな。
「お兄様にもやりたいことが見つかるよう応援していますわ」
「ありがとう。僕も頑張るよ」
「それでは、そろそろお暇します」
「うん、明日も来るの?」
父は「なるべく会ってくれ」みたいな感じで言っていた。
でも、ユージアは高い目標を持って勉強してるんだよな。
これ以上、邪魔したくない。
「いえ、何度も来て邪魔になっては申し訳ないですわ」
「そんなこと気にしなくても良いんだよ?」
「それにお兄様を見ていたら、私にももっと出来ることがある気がしてきたのです」
「そう?ルーティアの力になれたなら嬉しいな」
「本日はありがとうございました」
ユージアの部屋を退出した俺は少し考える。
まだ俺に何が出来るかは分からない。
出来ることは何でもやるつもりだ。
……でもなー。
だからと言って何でも出来るようになるのは少し違う気もする。
前世ではルーティが俺のサポートをしてくれていた。
俺がルーティになる必要なんてあるのか?
「でも、エクレアは協力出来ないことも多いって言っていたのよね」
前世のように常にサポートしてくれる人がいるとは限らない。
そんなときでも困らないくらいには出来るようになった方が良いのかもな。
◇
「お前は馬鹿か?」
コルツにその話をするといきなり馬鹿とか言われてしまった。
ミーティアはもう反応してくれない。
何度もこうして喧嘩してるから、慣れてしまったのだろう。
「お前の場合は、そうならないように仲間を作れば良いだろ」
「そうなの?」
「他人を巻き込むのがお前の才能だ。才能を使わなくてどうする」
「それでも足りない時のことを話しているのだけど?」
「十人で足りなければ百人仲間にしろ。百人で足りなければ千人だ」
そりゃあ確かに言う通りなんだが……。
「お前が不安になるってことは仲間が足りてないってことか。どこかに増える予定はないのか?」
「一ヶ月後にベルモント領へ行く予定になっています」
「ふむ、そこに俺も行かせて貰おう」
おいおい、大丈夫なのか?
騎士団を引退した後はそれなりの地位に就いてるだろ。
「コルツも行くの?」
「俺もサポートが得意ってわけじゃないが、いないよりはマシだ」
もう行くことは決定しているらしい。
そこの辺りは俺もそうだから、反対しても無駄なことは分かってる。
「それと今日から訓練の質を一段階上げるぞ」
「ええっ!?」
「前線へ赴いて、魔物の襲撃に遭ったらどうする気だ」
「そ、そうだけど、守る者がいるのでは?」
俺が戦う状況なんて来ないだろ。
守り切る自信があるからこそ、俺は招待されたわけだろ?
「結果を残す奴ってのは多かれ少なかれ巻き込まれ体質なんだよ」
「そ、そうかしら?」
「お前みたいな馬鹿が、次はここが襲われそうだから先回りしようなんて出来るわけがないだろ」
「それはちょっと酷いんじゃないかしら?」
確かに前世では、たまたま行ったところで襲撃に遭い救ったことで、信頼を得たことも多かった気がする。
だからって今回も都合良く行くとは限らないだろ。
「まぁ馬鹿ってのは言い過ぎだったが、お前みたいなやつは無意識に危険を感じ取ってんだよ」
「―――危険が迫っていると思ったから行く決断をしたと?」
「そういうこった。勘でも運でも構わないが、そういうのを引き寄せちまうやつは確実にいる」
なんだかそれって、傍から見たら迷惑をばら撒いているように見えないか?
行く先々で問題が起こるってことだろ。
「で、お前はやるのか?やらないのか?」
「やるわよ!」
訳の分からない内に言いくるめられたのは気に食わない。
だけど、実際そういう経験があるからやらないという選択肢はない。
言われるがまま準備運動をし、木剣を構えた。
「―――くっ」
「オラオラァ!その程度でへばっちまってて大丈夫かぁ!?」
最初っから飛ばし過ぎだろ!
口まで悪くなってるし!
騎士に稽古つけてるつもりになってるんじゃねーだろうな!?
あーもう!
こいつ隙だらけなのに、一撃が重くて反撃に移れない。
その癖俺の受け流しには丁寧に対応して来やがる。
絶対わざとやってるだろ!
「っぐぅ」
何十回目かの剣を受けたとき、ついに受けきれずに膝から崩れ落ちてしまった。
―――空気が足りない。頭がボーっとしてきた。
「もう降参かぁ?―――負けましたって言ったら終わらせてやるよ」
「誰が!あなたなんかにっ!言うもんですか!」
気合を入れて、何とか立ち上がる。
足はガクガクと震えている。だけど、負けだけは絶対に認めない!
「ほら、早く来なさいよ」
「―――足が震えてるみたいだが?」
「だから何?騎士団では歩けなくなったら負けなのかしら?魔物はそんなの関係なく襲って来るわよ」
「ははっ、その通りだ!」
コルツの渾身の一撃が振り下ろされる。
―――やれやれ、いくら俺でもこれだけは受けられるぞ?
それは俺の必殺技だ。それと同時にルーティとの手合わせで何度も受けるところを見てきた。
「―――ふっ」
「なにっ!」
振り下ろされた一撃を丁寧に受け止め、反撃に移る。
―――あらっ?
何故か地面が迫ってくる。
「あう!」
「ルーティア様!」
顔から行ってしまった。流石に痛い―――。
駆け寄ってきたミーティアの手を借りて何とか立ち上がる。
「あー、今日はこのくらいにしておくか?」
「―――負けは認めないわよ」
「構わん。足が動いたらあれは一本取れてただろ」
あのまま行ければ、な?
結局行けずに転んでしまった。
この結果に俺自身が納得していない。
「そうかもね。でもまだやるわ」
「ルーティア様?」
「おいおい、その体でまだやるのか?」
コルツだけでなくミーティアも心配そうな声を掛けてきた。
でも、今は聞けない。
「休めば少しは動けるようになるでしょ」
こんな中途半端で止められるか!
勝つにしろ負けるにしろ、納得行くまでやるぞ。
「分かった分かった。じゃあ休憩だ」
コルツが呆れたようにそう言った。
ミーティアは近くのベンチまで俺を連れて行くと、飲み物を取りに屋敷へ入って行った。
隣に座るコルツに小さな声で言う。
「コルツ、私がそんな簡単に止められるなら、英雄なんて呼ばれてないわ」
「―――そうだな」
「魔物に襲撃されても守れるくらい強くなるわよ」
「自分で言い出しといてなんだが、本気でやるつもりか?」
「ええ、絶対に間に合わせるわ」
魔物の襲撃なんてコルツの妄想でしかない。
杞憂で済むならそれで良い。
でも、万が一その妄想が現実になったら失うのは人々の命だ。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
「ふっ、英雄は俺が思っていたより遥かに変わり者だったらしい」
―――はぁっ!?
お前よりは普通だよっ!
「コルツよりは普通ですわ」
「自分のことは分からないもんだ」
そ、そんなことないぞ!
「ルーティア様、お茶をお持ちしました」
「ミーティア!私は普通の貴族よね!?」
「えっと―――」
ミーティアは居心地が悪そうに目を逸らす。
おいおい、まさかミーティアまで俺を変わり者だと思っているのかよ……。
人々を守るのは貴族の役目だろ!?
俺は当たり前のことをやってるだけだって!
「お前はそのままで良い。それで救われる者もいるだろうさ」
「はい、ミーティア様は貴族の鑑です」
これで普通じゃないって言われるのは納得がいかない。
……貴族って何なんだ?




