第十話
それから一週間が経った。
毎日の訓練のお陰で着々と体力を付けていくことが出来ている。
まだ屋敷を一周走り切ることは無理だけど、歩く距離は全体の三割ほどまで減っていた。
しかし、これでも一日持たせるのは難しいだろう。
まだ少しの間動ける体力を鍛えている段階だ。
しっかり体力を溜め込んでおける体にするには、食事などで改善していかなければならない。
今はその前の、人並みに食べられる体を作っている状態と言えば良いだろうか。
―――それにしても。
何でここに両親がいるんだ?
朝食を食べていたら急に「運動しているところを見たい」と言い出した。
聞けば運動しているところを見るために忙しいのにわざわざ時間を作ったというのだ。
剣術の訓練をしているところは見せたくないので、なんとか断ろうとしていたのだが、どうやらそんなことはずっと前に知っていたらしい。
協力を約束してくれたミーティアが漏らす筈はない。
しかし、考えてみれば屋敷の敷地内で運動していたら他の使用人から報告が行って当然だった。
幸いなことに、とりあえず剣術の訓練をすることは認めてくれているらしい。
魔物の巣の討伐を目指していることはミーティアしか知らないから、そこまで深刻になっていないだけだろうけど。
屋敷をミーティアと一緒に周るのも恒例になりつつある。
それが終わったら剣術の訓練に移った。
始めは素振りをして、型におかしなところが無いかを見て貰う。
まぁこの辺はエクレールの記憶があるから、ほとんど見せるために行っていることだ。
コルツもそれは分かっていて、別に言う必要が無くともそれっぽい指導をしてくる。
「こうですか?」と言いつつ同じように振っても、「それで良い」と適当に返してくるからな。
それが終わるとコルツと対戦を行う。俺にとってはここからが本番だ。
互いに木剣を持って対峙する。
そこから互いに打ち合い、ある程度の時間が経ったところで終了だ。
私の筋力ではまだまだ振りも遅く、余裕を持って対処されていることだろう。
今は丁寧に受けて隙を作り、攻撃に移る。その一連の流れを体に叩き込んでいる。
コルツは加減しているが毎回込める力を変えてくるので、それに合わせて効率良く受けなくてはならない。
力を入れすぎると余計に体力を消耗してしまうし、力を抜きすぎると受けられない。
攻撃はばねのように体を使う。
力はあまり入れず、反動を利用して素早く一撃を加える感覚。
相手のガードを押し切るようなことはしない。
そんなことをせずとも、相手に直撃すれば大体は致命傷になる。
でも、行く行くは魔物との戦いを想定してるから、反撃されないようなるべく急所を狙うことを意識するのが重要だ。
常に全力でいれば良かったエクレールのときとは何もかもが違うが、こうして新しいことを覚えるのは純粋に楽しかった。
「よし、そろそろ休憩にするぞ」
「はい、ご指導ありがとうございます」
無駄かも知れないが一応両親が見ているので、言葉遣いは丁寧なものを心掛ける。
表面すら取り繕わないのは、やってはいけないタイプの甘えだからな。
貴族は腹に抱えているものがあっても、それを表に出さない忍耐も必要だ。
多分、こういうのもコルツが言っていた貴族の責任ってやつだと思う。
こんなことが原因で、他者まで苦しい思いをしてしまうのは避けなければならない。
「お父様、いかがでしょうか?」
「―――本当に元気になったのだな」
父はしみじみと言った。
最初は動きの効率化で大きく伸びるが、ここからが大変だったりする。
でも、一先ず父を安心させることが出来て良かった。
「ルーティア、本当に元気になったのですね」
母が俺を抱きしめてきたので抱き返す。
母に抱きしめられた機会は数えるほどしかない。
公爵夫人ともなれば忙しく、育児のほとんどは乳母がやっていた。
でも、その抱きしめる腕は優しく、やっぱり俺の母なんだと実感する。
「これからもっと元気になれるよう頑張ります」
「ええ、だけど、無理しないでね」
「はい、わかりました」
そこへ公爵家のメイドがやって来た。
公爵家にはメイドが五人いる。
その中でミーティアと同じくらいに公爵家へ来た若手だ。
「ルーティア様へのお手紙です」
「あら、どなたかしら?」
そう言って開けてみると、メイド長のオリビアという人からだった。
メイドで知り合いってなると、王城で協力して貰っているあのメイドだろう。
そうか、メイド長だったのか。
内容は要約すれば『王城へお越しいただけませんか?』ということらしい。
エクレアに何かあったのだろうか?
勘違いかも知れない。しかし、可能性が少しでもあるならなんとかして行きたい。
「どうかしたのか?」
父が俺に聞いてくる。
「王城へ来て欲しいそうです」
「ふむ―――」
父は顎に手を当てて考える。
「お前が決めなさい。今はもう私が判断するより正確だろう」
「分かりました。では、行って参ります」
ふぅ、止められなくて良かった。
「それなら俺も行かせて貰う」
「コルツ様もご一緒されるのですか?」
「あぁ、たまには騎士団の方にも顔を出したいし、いざってときは医者へ担いで行ける人間がいた方が安心出来るだろう」
「わかりました。ではお父様、コルツ様と一緒に行って参ります」
「あぁ、気をつけてな。少しでも不調を感じたら遠慮なくコルツに言いなさい」
「はい」と言って頭を下げる。
そこから準備をする間に馬車を手配して、王城へと向かった。
◇
王城では予想通り、あのメイドが待っていた。
コルツは「先に騎士団へ向かう」と言い勝手に行ってしまった。
「御足労頂きありがとうございます」
「いえ、構わないわ。―――それで、何があったの?」
「本日、件の婚約者がお目見えになります」
それでわざわざ連絡をくれたってわけか。
メイドはそのまま頭を下げた。
「大変申し訳ございません。私の勝手な都合でルーティア様にご迷惑をお掛けしてしまいました」
「どういうこと?」
「ルーティア様は婚約者を存じ上げないご様子です。それなのに悪く思わせてしまいました」
そういうことか。
オリビアの言葉を真に受けただけで、婚約者を見たら反対する必要はないと思うかも知れないしな。
「ですので、婚約者を見ていただいてから、決めていただきたいのです」
「ええ、わかりました」
でもまぁ、たった一週間でまた来るような男を普通は信用出来ないぞ?
足繁く通っていると言えば聞こえは良いかも知れないが、裏を返せば仕事をせず遊び惚けているとも言える。
それにこの前はエクレアが慌てて準備したってことは、連絡も無しに突然来たってことだろ?
それだけでもオリビアの言い分の方が信用出来る。
「丁度謁見の間でお会いになられています。こちらへどうぞ」
「ミーティアはどうする?」
「……こちらで待たせていただきます。ルーティア様が必要だと思うのでしたら後ほどお聞きします」
まぁただのメイドは知らなくても良いこともあるだろう。
噂好きのメイドなんて信用されないしな。
ミーティアは公爵令嬢に仕えるだけの教養を持ったメイドだ。
「では、行って来るわね」
「はい、お待ちしております」
オリビアに連れられてきたのは、使用人が料理などを運ぶために使う勝手口だった。
扉の隙間から中を伺う。
すると隣国の王子と思われる者の声が聞こえる。
「―――そろそろお決めになられてはいかがかな?」
随分尊大というか、傲慢だな。
それは言葉遣いもそうだし、声にも表れている。
訓練に明け暮れている騎士のように、言葉を知らないわけではないだろう。
「もう町が危ういのでしょう?」
「だが、エクレアはまだ子供だ」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!大勢の国民とただの子供、どちらが大事か!?」
オリビアは支援と交換条件に婚約していると言っていたな。
それが早まるかもと言っていたのは、既に結婚を迫られているからってわけか。
なるほどなー。なるほど。
この前は婚約と聞いてかなり慌ててしまったが、今は不思議なほどに落ち着いている。
―――そのまま扉を閉じた。
「もうよろしいのですか?」
「ええ、十分よ」
王を脅迫していること、まだ十歳のエクレアに手を出そうとしていること。
この二つを知れれば十分。
「ルーティア様。やはり出過ぎた真似でした……」
「いいえ、違うわ」
「それはどういう―――」
「覚悟が決まったの。魔物の巣を討伐するのは〝決定事項〟よ」
出来るか出来ないかじゃない。
やるかやらないかでもない。
―――やる。
俺はそう決めた。
「未来には幸せに笑うエクレアしか存在しない。それなのに何を嘆く必要があるというの?」
「ルーティア様―――」
オリビアが息を飲む。
突然わけのわからないことを言い出したことに呆れているのか。
それともおおごとに巻き込まれてしまったことを呪っているのか。
「―――ごめんね?でも、もう後悔しても遅いわ」
「……」
オリビアが考え込む。
俺はオリビアが答えを出すまでゆっくりと待った。
「―――いえ、エクレア様が幸せになられるのでしたら、私は地獄へ落ちても構いません」
「そう、そのときは私も付いていくわ」
そう言いながらオリビアの手を取った。
「そこまでしていただく必要は―――」
「オリビア。あなたはもうただの共犯ではなく私の仲間よ。私は私が死んだとき以外、仲間を見捨てないわ」
「―――!」
流石に勝手に仲間にしたのは拙かったかな?
でも、俺はもうオリビアを仲間としか思えなくなっている。
「お供させていただきます―――」
オリビアは深々と頭を下げた。
良く見ると、オリビアの体が震えている。
「オリビア、泣いているの?」
オリビアを抱きしめた。
「申し訳ございません、申し訳ございません―――」
「良いのよ。このくらいなら今の私でも出来るわ」
「ルーティア様、あなたは神から遣わされたのでしょうか?」
えーっと、どうなんだろう?
俺は死ぬ前、神に願った。
それが叶えられたとすれば、確かに神の遣いと言えるかもしれない。
でもなー、本当に叶えるつもりなら、こんな体に転生させるか?
んー、分からんっ!
「そうだと良いんだけどね。私には分からないわ」
「ルーティア様……」
おいおい……、信頼して貰えるのは嬉しいけど、信仰されるのは困るぞ。
俺は神じゃないから、望みを何でもかんでも叶えることなんて出来ない。
―――オリビアが少々危険な目をしているように感じるのは気のせいだよな?
「あの、オリビア?私はこの通り人間だから、どんな卑怯な手段でも使うつもりよ」
「そのお体では仕方がありません。私は何も言いませんのでご安心ください」
「ええっ……?」
これは本当に大丈夫なのか?―――大丈夫なんだよな?
―――ええい、もうどうにでもなれだっ!
エクレアを助けることは決まってるんだから問題ないっ!
「ミーティアが心配する前に戻るわよっ」
こうして仲間が増えたのだった―――と言いたいんだが、コルツもオリビアもちょっと癖が強くないか?
騎士もメイドも元は貴族の血筋なんだよなぁ……。
その多くは愛人の子など、正式には認められなかった子供がなる。
下級貴族に仕える場合は平民の出もあり得るが、王族に仕えるとなればまず間違いない。
―――貴族はやっぱり苦手だわ。普通のはいないのか、普通のは。
誤字報告ありがとうございます!
私も投稿前に最後の誤字チェックはしていますが、もっと気を付けて確認するようにします。