三
国境の司令部に着いた榛名桜子は、月形軍曹に導かれて司令部へとむかう。骨抜きにされていた軍隊だけあって、メンバーを見た限りお世辞にもいい状態とはいえなかった。若すぎるうえ、年を取りすぎていた。
つまり、急遽募集した中途採用の若造と、退役して余生を送っていたのに、突然呼び戻された老兵しか居ないのである。
司令部として接収した事務所には四人の軍人が居た。一番偉そうな面構えの老人が司令官である豊富大佐だ。彼は、入室した榛名に警戒を示していた。当然だ。豊富は、榛名が自分よりはるかに大きな権限を持っているのを理解していた。そういう意味では鬱陶しいい存在である。しかし、戦力は必要だ。
彼の苦悩は、榛名でなくとも理解できただろう。
「はじめまして、榛名様」
豊富は、名乗る前から、榛名のことを知っていた。
今回の着任は、事前に本部から知らされていただろうが、それを抜きにしても、もともと陸軍に居たのであれば、榛名の事を知らないはずはない。
まだ、この地が皇国の一部だった時、私怨から陸軍駐屯地を壊滅に追いやったと言う史実は、今も戦闘メイドの力を知らしめるために使われている。
反省などしていない。
全部あいつらが悪いんだ。
長い年月を過ごすうち、今ではその感情を思いだすこともなくなった。けれど、人々がもつ恐怖は、一部にはまだ健在なのだろう。
「ご苦労さま。早速ですが状況は」
大体の話は二十番のメイドから聞いていた。
それでも現地での確認は必要である。伝言だけでは誤解が生じる事があるのは、何度も経験して知っていた。
「国境線の向こう側に戦車隊が並んでいます」
副官らしき若者が、ホワイトボードに張ってある地形図を使って説明を始める。
平原の中間地点という珍しい国境だ。だから、戦略的にも微妙だった。
「戦車隊か、どのくらいるんだ」
「およそ百両」
「百両か」
多いな。榛名はまずそう思った。
「我軍の戦力はどのくらい」
「戦車が二十両です」
副官はいいづらそうにそう告げる。
「圧倒的じゃないか敵軍は」
単純に十倍の戦力だ。
「あと、メイドが二人」
「メイド?」
「吉野家のナンバーズです」
このあたりを管理している上級貴族である吉野家からの応援だった。ナンバーズと言うのは上級貴族のメイドの中でも特別に優秀な者に付けられる愛称のようなものだ。一般の国民はそうやって呼んでいた。
単純な戦闘力なら、メイドの戦闘力は戦車一両に匹敵する。王家メイドのうち上位十六名なら三倍、戦闘メイドであればさらに三倍のちからがあるといっても良い。
しかし、それでも焼け石に水である。全部合わせても戦車三十一台分だ。ほぼ三倍の戦力差はどうしようも無い。
「それでもどうにかするしかないか」
前回連邦に占領された時は、敗北することが作戦だった。けれど今回は違う。少なくとも相手を殲滅する許可はもらっていた。
若い将校に案内され、最前線に向かうと、左右に十台ずつ戦車が並び、その中央にはタイプ・ゼロのメイド服を着用したメイドが二人立っていた。
「ごきげんよう」
榛名は二人のメイドに挨拶をする。
そこにいたのは吉野家の第五席と第六席である。上位四人は本家の側近であり、護衛だから、吉野家としてはかなり高位のメイドを寄越してくれたらしい。だからといって戦力が格段に大きくなったわけではない。勝てるかどうかは微妙なところだ。
「ごきげんよう、榛名様」
「本日はよろしくお願いします」
メイドは没個性が原則である。戦闘メイドとして特別な立場である榛名たちを除けば皆個性のない容姿をしていた。見た目だけで区別は難しい。胸元のマークと、襟元にある番号で判断するしか無かった。
「ところで榛名様、作戦は」
「作戦?」
作戦とはなんだろう、美味しいものだろうか。
「そんなものは無い」
実際この戦力差で作戦も何も無いだろう。金剛なら何か妙案がうかんだろうが、榛名には無理である。そして当然、司令部にもそんな優秀な人間は居なかった。
「まあ、あるとすれば」
榛名はメイド二人の間を通り敵軍と対峙する。
「わたしが敵の攻撃を抑えている間に、あなたたちが敵を殲滅するくらいかな」
成功率は五分五分だろう。時間をかければなんとかなる。
榛名にとって、時間は無限だ。
遠くに見える連邦軍は、まだ動こうとはしていないが、それも時間の問題だろう。
そう思っていた矢先、敵戦車が動き始める。
突然弾を撃ちながら攻めて来た。
「敵襲!」
号令とともに、味方陣地が慌ただしく動き始める。
榛名は防御壁を展開し、飛んでくる弾から味方を守る。
しかし相手の数が多すぎた。防ぎ漏れた弾が、味方戦車の周辺に着弾する。直撃はないようだが、戦車隊の慌てぶりが目に余った。
ろくな訓練も受けていない王国軍と、正規兵ばかりの連邦軍とでは、明らかにレベルが違う。そもそも戦争になるはずもなかった。
それでも吉野家のメイドはやはりメイドである。相手の戦車を、確実に一両づつ潰していった。しかしまだ先は長い。地道な攻撃で、敵戦車を半分くらいに減らした時、敵陣で何かが光った。
それは高速で迫ってくる。明らかに榛名に向かって飛んできた。
「ロケット弾」
最初はそう思った。
榛名は飛んでくる物体に対応するため、防御を自分の目の前だけに集中した。そのせいで敵の攻撃が自陣に降り注ぎ、味方は明らかに混乱していた。
「わるいな」
けれど、ここで自分がやられるわけには行かないのだ。
「榛名様!」
飛んできた砲弾を蹴り飛ばしながらメイドが叫んだ。しかし、それに返事をしている余裕はなかった。前方に展開していた防御壁がガラスのように砕け散る。
榛名の防御を弾き壊したのは斧だった。
そしてその斧を握っているのは、軍服を来た少女である。
素早く飛び退いて日本刀を実体化させた榛名は、目の前の少女を観察する。
戦闘服というより、将校が来ているような軍服だ。アイロンでも掛けたかのようにパリッとしている。将校にしては若すぎる。いや軍人であってもそれは同じだ。たぶん十代だろう。その若さで、榛名と互角に渡り合える存在などあろうはずがない。
けどでそこまで考えて、榛名はふと思いついた。思いが至った。
ある一つの可能性に。
ありえる必然性に。
「魔女と契約せし乙女」
相手の少女はにやりと笑う。
「よくわかったわね。さすがメイドさん」
彼女は否定しなかった。
連邦にも魔法少女が存在するのか。
いや違う。そうではない。榛名は気づいた。
こいつは『ノラ』だ。
ノラとは、日頃から魔法少女として活動しているわけではない。魔法少女という力を封印し、魔法少女の力を持ったまま、一般人として生き続けている連中である。彼女たちのその存在は、実害こそなかったが、潜在的な危険はあった。
そのノラが、傭兵として連邦軍に加担している。
歓迎される話ではなかった。
見逃せる話ではなかった。
連邦の公安部にもノラがいたと報告があったのを、榛名は思いだす。比叡が処分したのは五十四番の魔法少女だ。
だが、こいつはとてつもなく強い。
完全な魔法少女の状態ではないのに既に強い。
たぶん上位の魔法少女だ。
ならば仕方ない。
「ダーレ=フォルザ」
手の平より一回り大きい円状の紋章が左手の正面に現れる。桜色の円の内側には複雑な模様が描かれていた。中央に雪の結晶があり、それを囲むように六種類の華――撫子、紫苑、水無月、楓、桜、露草のイラストが円状に描かれている。それは国章だ。
榛名のメイドの服が、戦闘に特化したものに変わっていた。見た目、甲冑と言うべきデザインだ。真っ黒いその姿からは、まるで闇落ちのようなオーラを発していた。
「相手が白銀の四姉妹とは、素晴らしい」
魔法少女はニヤリと笑ってから呪文を唱える。
「マギーヤ・オトクリーティエン」
今度は黒い大きな円状の模様が軍人の足元に現れた。魔法陣だ。そこから発せられた黒く輝く光に包まれて、軍服少女は紫を基調とした可愛いらしいミニのワンピース姿に変身した。半袖のワイシャツを身に纏い、ニーハイソックスを履いている。胸には大きな青いリボンを付けていた。
変身と同時に、ものすごい力を振りまいている。
正直、榛名では相手にならないほどの力だった。
榛名が最終形に移行するには、首都から離れすぎている。演算力が間に合わない。
魔法少女を足止めするぐらいは可能だろう。けれどその間に自軍は全滅だ。二人のメイドもここにいる意味さえ無いと言える。
侮っていた。
通常の軍隊が相手ならなんとかなる。それは事実だ。
しかし魔法少女が、しかもこんな強敵が現れたら、もはや榛名に勝算などなかった。
「一旦引くか」
榛名は、二人のメイドを守るように防御殻を張った。この中で守るべきは二人のメイドだけである。それ以外は代用が効く。メイドは貴重なのだ。
魔法少女は斧を巨大化させて振り下ろす。斧は再び榛名の防護壁を打ち破った。榛名はなんとか日本刀でそれを受け止める。とてつもなく重い。衝撃波で地面が震え、二人のメイドも跳ね飛ばされた。
「案外と頑丈なんですね」
魔法少女が、再び攻撃に転じる。防御が得意な榛名であっても限度がある。
真横から振り回された斧を防御するが、力が足りない。
次の瞬間ふっとばされた。
転がった榛名の頭上からまた斧が振り下ろされる。
「ああ、もうだめか」
諦めが榛名の心を支配する。
自軍は既に壊滅状態で、相手はまだ三分の一の戦車と魔法少女が残っている。榛名がここで敗れれば、この地方は再び連邦の支配下になるだろう。
「それも仕方ないか」
自分の力が至らないことを恥じることはない。そもそも榛名は王家のメイドだ。女王の護衛が本来の任務である。国防は業務範囲外なのだ。
突然、榛名の視界が黒い物体で遮られる。
鈍い金属音が鳴り響く。そして目の前には、軍用車があった。
「榛名様。撤収です」
運転席から身を乗り出して月形が叫んでいる。
司令部もまずいと気づいたのだろう。敵に魔法少女がいるとなると、かなりの劣勢になる。一時撤退は、懸命な判断だ。
けれど、これは有り得ない。
「おい、何してる、すぐに逃げろ」
ただの兵隊相手なら、榛名は相手にさえしなかった。
けれど榛名は、彼に、自分の愛した男の面影を見ていた。
思わず重ねて見てしまった。
だから、叫んだ。
逃げろと叫んだ。
けれど遅い。
遅すぎた。
魔法少女の斧が、月形の頭に振り下ろされる。
榛名は手を伸ばす。
けれど間に合わなかった。
助けられなかった。
「わたしは――」
また助けられなった。
あの人を――。
怒りが榛名の心を支配する。
「ベルシオーネ=レミタータ」
榛名の全身が白銀に輝いた。
そうして魔法少女に向かって刀を突き出す。
力任せに斬りつけるが、魔法少女はかろうじてそれを受け止める。
白銀化しても相手を倒せない。演算力が足りていない。戦闘力もそれほど上がっていないと、自分でも理解できた。
このままでは倒せない。
榛名は焦った。
だがこいつだけは許せない。
榛名は大きくため息をつくと、めちゃくちゃに壊された軍用車に視線を移す。
息絶えた月形の姿が目に入る。
「ちくしょう」
もう長いこと忘れていた感情が榛名を襲う。
怒りと無念に耐えきれず、視線を落とした先でそれを見つけた。
名刺大の端末だった。表面には桜の花が描かれている。
榛名は魔法少女の反撃をかいくぐって端末を拾う。
そして確信をした。
「コンポジゾーネ」
端末のマークに右手をそえて、榛名が呪文を唱えると、端末は光りだした。
榛名の後ろから魔法少女が斧を振り上げ迫ってくる。
これが効かなければ終わりだろう。
榛名は目をつぶり、静かに祈った。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
それは幼い声だった。
目の前に現れたのは、背が低く、見た感じから小学生である。黒いゴシックロリータ風のドレスを着て、日本刀、しかも身の丈ほどもある巨大な刀を振り上げて、魔法少女の巨大な斧を受け止めていた。
「比叡ちゃんてば、僕を五月より後回しにするんだもの」
黒ずくめの僕っ子少女は、いや幼女は、不満げにそうぼやいてから、魔法少女の斧を弾き返した。
その幼女の名は吉野瑞希。
第五行政区に所属する戦乙女だ。
「お仕置きの時間だね」
幼女は大きな刀を軽々と振り回す。魔法少女は力負けして距離を取った。
「何だお前は」
突然現れた幼女に、魔法少女は動揺している。その力の強大さにも困惑しているようだった。
「ものを知らないってのは、それだけで罪なんですよ。おばさん」
魔法少女に対する二人称としては、すこしばかり失礼だ。しかし、魔法少女は眉を寄せただけで反論はしなかった。このクラスの魔法少女であればかなりの古株である。ある程度上位の魔法少女であれば、メイドにも顔は知られているはずだ。けれど、この魔法少女を榛名は知らなかった。ノラになったあと、どこかで力をつけたのだろう。
「ガキのくせに」
魔法少女は静かに怒る。
見た感じ幼女だからという理由で、ガキ呼ばわり出来ないのは、魔法少女なら分かりそうなものなのに、彼女は、目の前の幼女をそう罵った。
「いってくれるねぇ、魔法少女」
瑞希は巨大な刀を魔法少女に突きつける。
そしてそれを振りかぶり、思いっきり振りおろした。その衝撃波が、魔法少女に向かって飛んでいく。魔法少女は間一髪それを避けるが、その後ろに居た戦車は、その衝撃派をまともに食らって、十台ほどが飛び散った。
「ちっ」
魔法少女の右腕に微かな切り傷ができ、うっすらと血が流れていた。
「やりますね、おばさん」
瑞希は追い打ちをかけるために、魔法少女の懐へと飛び込んだ。
横から振り抜かれた日本刀を剣で受けた魔法少女は、その勢いに耐えきれず、真横に吹っ飛んだが、一回転しながらも踏ん張って立ち上がる。
その際生じた衝撃波で更に敵戦車が半減した。
残ったのは戦車が五台と魔法少女だ。
戦力的に互角である、いや、もう榛名たちのほうが有利になった。
「そろそろ終わりだね」
静かに、そして冷たい声で、瑞希は告げる。
「確かに。今回は、わたしの負けかな」
そう言って魔法少女は、声を出さずに短い呪文をそっと唱える。
そしてその場から姿を消した。