六
駅前の合同庁舎の二十一階から三十九階までは、王家の関連施設であり、三十二階が榛名たちの執務室兼居室である。
魔女から逃げ出してきたは榛名は、まっすぐと執務室に戻った。
戻る場所はそこしか無い。
「ああ、おかえり」
事務室には七つの机があるが、今埋まっているのは一つだけだった。
「珍しいな、霧島だけか」
通常は、金剛と比叡が在席で、霧島だけがいないパターンが多かった。おとなしく机の前で仕事をするなど、霧島には似合わない。
「留守番や、留守番」
女王復活の直後であるから、それぞれ忙しいのだろう。
「金剛はお姫様のご機嫌取り、比叡は地下室にこもっとる」
「そうか」
彼女たちは自分のすべきことをしている。霧島にできることは、今はない。
そして榛名がすべきことは――。
すぐに思いつかずに自席に座った。
「榛名、あんた」
霧島が立ち上がり、隣までやってきてから榛名の顔を覗き込む。
「なんか、魔女にでも逢ったような顔しとんな」
どきりとした。
それだけで、霧島には気づかれてしまった。
「魔法少女を一掃したんや、魔女が現れてもおかしくないか」
魔法少女を絶滅に追い込むなら、その根源の魔女を倒さなければ終わらない。けれど榛名には、いやメイドには、魔女を手に掛ける事は許されない。
それは、ユキから与えられた制約だった。
いや、そうでなくとも榛名では魔女には勝てない。魔女の力には抗えない。
「せやけど」
「なに」
「いや、別に」
霧島は、何かをいいかけて止めた。
榛名も別に追求したりしない。言いたいことはわかっている。伊達に長い間共に生きてきたわけではないのだ。
「ちょっと付き合わないか」
ふと思いついて、榛名は霧島を誘ってみた。
「ん?」
榛名は無言で部屋を後にする。霧島も黙ったまま着いてきた。
合同庁舎の三十三階には訓練場があり、主にメイドの研鑽に使われている。防音だけでなく、壁面は必要以上に強固に出来てる。この部屋でなにをしようが問題ない。多少の爆発程度ではびくともしなかった。
榛名はそこに霧島を連れてきた。霧島は榛名の意図に気付いている。
「どういう風の吹き回しやねん」
「たまにはいいだろ。相手してよ」
訓練所の中央へと榛名は向かった。それから日本刀を実体化させて霧島を待つ。
戦闘メイドは他のメイドより戦闘力に於いてずば抜けている。その為、本気で相手できるのは同じ力を持つ戦闘メイドだけである。フェアリーズでは物足りず、戦乙女は少しばかり強すぎた。
けれど、戦闘メイドの四人は、序列されることを好まない。いや、認められていないという方が正しかった。故に、練習試合すら滅多にしない。
しかし今日はそんな気分である。
少しばかり発散したい気分だった。
「ええで。うちもすこし暴れたいとおもってたんや」
霧島も、同じように日本刀を実体化させる。
訓練場の空気が張りつめた。
まともにやりあって霧島に勝てるわけはない。単純な戦闘力で言えば、四人の中では一番だ。榛名にはそれを打ち破るようなものはなにもない。
金剛のような戦術も
比叡のような戦略も
榛名は何も持っていない。何一つ使えない。
自分の長所に思い当たらず、どうして戦闘メイドの一人としてここにいるのか、それさえも分からなくなって――。
榛名は考えるの止めた。
「では、行くよ」
作戦も何も無しで、ただ、霧島に向かって飛び込んだ。
「おっと」
霧島にとって、それは意外だったのだろう。一瞬だけ対応が遅れた気がする。
それに付け込み刀を振るが、その程度で霧島の隙きをつけるはずなど無い。
榛名はまだ本気を出していなかったが、当然霧島も余裕だった。
「ウォーミングアップはもうええかな」
「ああ、問題ない」
霧島の動きが加速する。榛名はほとんど防御に徹するしかない状態だった。だが、そこで思い出した。榛名の長所は防御だったことに。
だから、霧島の攻撃は、榛名にとって致命傷には成りえなかった。
「調子いいんじゃないか。戦乙女との対戦は楽しめたようだな」
魔法少女殲滅戦の過程で、霧島は魔法少女渉外部のナンバーワンとして活躍してた大谷地八千代と対峙した。しかし彼女は記憶を改ざんし、魔法少女として潜入していた戦乙女の伊集院蘭であった。霧島はそれを知っていながら、戦いを楽しんでいたらしい。
「ああ、あれな。せやけど本来の力を封印されてたんやから、大したことなかったわ」
軽口を叩きながらも、霧島は攻撃を緩めない。
その攻撃はやっぱり洗練されていて、隙きがなかった。
「失礼れいしま――」
緊張感を打ち破るかのように、突然誰かが訓練所に入ってきた。メイドである。見覚えのある顔ではないから新人だろう。
運悪く、霧島のはなった斬撃がその新人のメイドを襲った。新人では、いや新人でなくとも通常のメイド程度では、霧島の攻撃に対処できるはずもない。
「危ない」
榛名が叫ぶ。
雇ったばかりの新人を不注意で失うのはもったいないし、申し訳ない。過失とは言え、あとで金剛に嫌味をいわれるのは間違いなかった。
しかし、その斬撃は、新人の目の前で弾かれて霧散する。
「大丈夫ですか」
新人メイドを庇うように、長いナイフを握ったメイドがいた。
第六席の加江理ヨシアだ。
フェアリーズの中で、最も戦闘力の高いと定評の彼女であれば、流れ弾程度なら弾くことは可能だろう。たとえ霧島の放った斬撃であったとしても。
「すまんな」
霧島は刀を散らして、ヨシアに謝る。
「いえ、こちらの落ち度です。申し訳ありませんでした」
ヨシアがそう謝っている後ろで、新人のメイドは固まっていた。その後ろにもう三人いるようだが、言葉も出ないようだった。
王国独立によりメイド禁止令が廃止されたことを受け、王室でも四十八名ほどメイドを緊急採用した。まだ研修中だから、その一環としてここに来たのだろう。この部屋はヨシアの管轄だった事を、榛名は思いだす。
驚かせて悪いことをした。
すぐに終わると思ったから、オンラインの予定表に書き込むのを忘れていた。完全に榛名の落ち度である。しかし立場的に謝るのはヨシアの方であるし、それは組織として間違ってはいなかった。
けどまあ、悪いとは思っている。
思っているだけだけど。
「きょうはここまでにしよか」
霧島はもうやる気を失っていた。
「ああそうだな」
榛名もそれに同意する。
異論はなかった。
「ほな」
何事もなかったかのように、霧島は先に部屋を出ていった。
榛名とヨシア、そして新人三人がその場に残された。
「珍しいですね。お二人で模擬戦なんて。どういった心境の変化ですか」
不思議そうな表情でヨシアが尋ねる。
霧島とは、最初の頃は何度か対戦したことがあった。けれど、最近は全くだ。珍しいと言えば珍しい。
「時には、そういう気分になることもあるのさ」
けれど榛名は、どうしてそういう気分になったのか自分でもよくわからなかった。