五
「ちょっと野暮用が出来た」
戴冠式的なイベントが終わり、女王陛下が金剛と合同庁舎へ戻るのを見送ってから、榛名は暇そうにしていた比叡にそう耳打ちした。霧島はもう居なくなっていた。
「なに、いい男でも見つけたの?」
「ちがうって」
比叡の軽口を否定してから、榛名は一人でその場を離れた。
イベント会場である駅前広場を抜けると川があり、大きな橋が架かっている。その橋の中央付近に少し広くなった部分があった。展望広場と呼ばれていて、ベンチなんかも置いてある。ちょっとしたスペースだった。
その展望広場の欄干には紗英がいて、物寂しげに川面をみている。
榛名は気づかれないようにベンチに座った。
夜も近いからだろう、ベンチはすこし冷たかった。
すぐに紗英は榛名の存在に気づいたようだ。そして紗英は、榛名と視線を合わせないように、その脇を通り抜けていく。
必要以上に警戒しているのは、榛名がメイド服のままだからだろう。魔法少女にとっては、いや、一般の国民にとっても、この国のメイドというのは特別な存在だ。
「さっちゃん」
榛名は、紗英の後ろ姿に向かって呼びかけた。
それは不用意だった。不用心だった。
なぜそう呼びかけたのか、榛名自身さえ驚いた。
紗英は立ち止まると首だけで振り返る。
その表情は、まるで――。
「何をしに、来たのかな――」
その声も、話し方も、本道紗英とは違うものだ。別人と言ってもいいい。
「桜子」
紗英の表情からは戸惑いが感じられる。自分の口から出た言葉が信じられないようだった。そして榛名を呼び捨てにした紗英の声は、とてつもなく冷たかった。
恐ろしかった。
王家のメイドは社会的地位も一般人より数段上だ。王家のメイドを呼び捨てに出来る存在は、それほど多くは居ない。だが、紗英の言葉から感じる力はそんな生易しいものではなかった。
紗英が纏っている雰囲気で、榛名は自分の中に芽生えた疑問に対する答えを見つけた。
「顔を見に来ただけ。そう、それだけです、サクラさん」
榛名は、確信を持ってそう答える。
紗英はその言葉に動揺し、その後、思い出したようににやりと笑った。
この国では女王陛下の名前として使われている『ユキ』と同様に、『サクラ』という名前も特別な意味を成す。
ユキの妹。
ただそれだけである。
けれどそれは同時に、ある存在を証明する。
魔女。
魔法少女の生みの親。
奈々子と対峙した時点で気づいていた。けれどその時確信はなかった。
だが今は疑う余地すらまったく無い。
紗英のその微笑みが、すべてを物語っていた。
それ以上触れてはいけない。
それ以上踏み込んではいけない。
そう心の声が訴えかけてくる。
「それでは、お元気で」
榛名は表情を変えずに、そう言い残してその場から消えた。
いや、逃げ出した。
一目散に逃げ出した