ハルバード作戦
8月6日、281飛行隊の3機のSM79がメルサ・マトルーフ沖で2隻の駆逐艦を雷撃、イタリア側は2隻とも魚雷が命中したと報告したが、英側の記録では確認されていない。11日、同じく3機のSM79がポートサイド沖で2900tのネットレイヤーであるプロテクターを雷撃した。1本の魚雷が命中し、プロテクターは2名戦死、3名負傷の損害を出した。19日の1845、279飛行隊から1機のSM79がジャーヴィス級の駆逐艦に魚雷を発射したが命中しなかった。8月21日の1227-1228、アレキサンドリア西方で181飛行隊の3機のSM79が駆逐艦を攻撃した。魚雷はすべて外れた。帰還途中にブレンハイム戦闘機2機の攻撃を受けたがSM79の防御砲火で撃退された。8月27日、279飛行隊のSM79一機がバルディア北方27マイルの地点で巡洋艦フィービを攻撃、魚雷を命中させる。同日280飛行隊の2機が輸送船デューカリオンを攻撃、1発の魚雷は船底を通り抜け、1発は命中した物の不発だった。同日更に2機のSM79がデューカリオンを攻撃したが、1機が撃墜され、魚雷は命中しなかった。1発の魚雷はデューカリオンの100mの距離で逸れたとしている。
1941年9月1日、280飛行隊と283飛行隊の上部組織として130独立雷撃航空団が創設される。27日、130航空団から9機のSM79が、278飛行隊から2機のSM79がマルタ向けのGM2船団(ハルバード作戦)を攻撃した。1345頃、SM79は駆逐艦ライトニングに魚雷を発射したが命中しなかった。空母アークロイヤルと戦艦ネルソンからの対空砲火で、1機が撃墜された。帰還途中、2機のSM79がアークロイヤルのフルマーにより損傷した。1810、にさらに3機が攻撃に上がったが、魚雷は命中しなかった。
2030、278飛行隊から2機のSM79が同船団を攻撃した。1発の魚雷が輸送船インペリアルスターに命中したし、同船は駆逐艦オリビによって処分された。魚雷の回避行動中、輸送船シティオブカルカッタとロワランキャッスルが衝突、両船は甚大な被害を被ったが、作戦を継続可能であった。
翌日、283飛行隊の3機のSM79が1830にガリト島付近で汽船シティオブプレトリアとポートチャルマーズを雷撃したが、命中しなかった。
10月13日、アレキサンドリアの20マイル北西で3機のSM79が戦艦クイーンエリザベスとバーラムを雷撃したが命中しなかった。この時、バーラムを攻撃したグラツィアーニは回想する
「私はバーラムの砲塔を低空で飛び越えた。私の機体に攻撃する4連装砲の音は今でも忘れることは無い。機体がバーラムの反対側にいると気づいたとき、巡洋艦と駆逐艦の対空砲火が見え、何か悪いことが起きているように感じた。機体は対空砲の炸裂により揺さぶられ、右翼が吹っ飛んだことが感じられた。破片が周囲を飛んでいった。」
10月24日、130航空団の3機のSM79が貨物船エンパイアギラマトを攻撃した、魚雷が1発命中し、同船は沈没した。
11月14日には、130航空団は6463トンの貨物船エンパイアペリカンを撃沈、12月1日には279飛行隊の3機が駆逐艦ジャッカルを損傷させた。
12月5日、279飛行隊と284飛行隊の3機のSM79がトブルクを出港した輸送船団TA1を攻撃、輸送船チャクディナを撃沈した。




