マタパン岬沖海戦
1941年から、279飛行隊は作戦を開始した。1月10日、エクセス作戦に伴い、マルタ島へ向かっていた英艦隊を攻撃したのである。この艦隊は、空母イラストリアスを含む強力な艦隊であった。279雷撃飛行隊の2機は、距離2500mで戦艦ヴァリアントに向かって魚雷を投下したが、魚雷はヴァリアントの後方に逸れた。その後2機はフルマー戦闘機による迎撃を受けた。フルマーは20マイルも追撃を続け、SM79のうち1機がひどい損害を受け、不時着した。結局、2機のうち1機を失い、魚雷は2本とも命中しなかったが、SM79の敢闘は無駄ではなかった。フルマー戦闘機を引き付けている間に、ドイツ軍のJu87が空母イラストリアスを急降下爆撃したのである。イラストリアスは6発の爆弾を受けた上、続いてイタリア軍のJu87による攻撃も受け、爆弾1発が命中、イラストリアスは大破したのである。
3月に入ると、もう一つの部隊である281飛行隊も活動を開始した。部隊はロードス島へ移動し、34独立航空団と共に作戦を開始することになった。この部隊には、他に5機のSM79が67、68飛行隊に配備されていた。3月23日と24日にかけ、281飛行隊は2機をもってクレタ島南岸の英輸送船団を攻撃したが、失敗した。28日には、34航空団と共同でマタパン岬沖海戦の支援を行う事となった。
0710から0815までの間、68飛行隊から発進した2機のSM79は、フォーミダブルから発艦して偵察中のソードフィッシュを迎撃した。イタリア艦隊に航空援護を提供したのである。
1255には、281飛行隊の2機のSM79が英艦隊を攻撃した。2機はフォーミダブルに向かって魚雷を投下したが、フォーミダブルは見事に躱した。1733、さらにもう1機が魚雷を投下し、巡洋艦への命中を報告したが、英軍の記録によると命中していない。翌29日の1345、279飛行隊の2機が駆逐艦に向けて魚雷を発射したが、命中しなかった上、2機とも対空砲火で損傷して帰還した。マタパン岬沖海戦での航空作戦は、魚雷命中なしという残念な結果で幕を閉じたのである。
4月2日、281飛行隊と34航空団から各2機、計4機のSM79がクレタ南方のANF24船団を攻撃したが、1発も命中しなかった。数時間後の夕暮れ、再度1機が攻撃を仕掛けたが15000トン級の軍艦を視界不良で見失い、成功しなかった。