高まる機運
重巡ケントの雷撃から1カ月経たない1940年10月14日、278飛行隊は2度目の雷撃に成功する。軽巡リバプールへの攻撃である。このリバプールは、マルタ向け輸送作戦であるMB6を遂行し、帰還している最中だった。
1855、エラシ大尉の指揮するSM79 278-6号機はエーゲ海、クレタ島東端から南方60マイルの地点で攻撃を開始した。エラシ機は月に向かって雲層の下を飛行中、ほぼ真下にリバプールを発見したのである。リバプールは直ちに回避行動をとったため、エラシ機は2回も攻撃態勢に入ったにも関わらず、魚雷を発射出来なかった。3回目の攻撃でようやく魚雷を発射することに成功し、魚雷はリバプールの艦首に命中した。リバプールではガソリンと弾薬庫で爆発が起き、艦橋の丁度前方が損傷した。
リバプールは巡洋艦オリオンに曳航され、9ノットでアレキサンドリアへ退避していった。
この戦果より2か月後の12月3日にはさらに3隻目の戦果が続いた。グラスゴーである。エラシ大尉の乗る278-2号機とブスカーリア中尉の乗る-6号機は、1315にエルアデムを離陸した。両機はクレタ島に向かい、島全体にかかる1000mの雲海を超えたところで、ソウダ湾を発見した。ソウダ湾には、グラスゴーとグロセスターが停泊していたのだ。両艦の300mの距離に20度の角度で防雷網が設置されていた。2機のSM79は防雷網を避けるように100度の角度で突進し、700mの距離で魚雷を発射した。両艦からの対空砲火を受けたが、魚雷は2発ともグラスゴーに命中した。
最初の魚雷は1550に右舷前部に命中し、巨大な穴をあけ、浸水を生じさせた。2発目の魚雷は1551に右舷後部に命中、X砲塔を使用不能にし、プロペラシャフト2本も損傷させた。
2機のSM79は対空砲火を避けて北方へ抜け、1552には進路を270度にとり、上昇して雲の中へのがれた後、1556にはリビアに向けて進路を取って帰還した。
グラスゴーはグロセスター、駆逐艦ヘレワード、ハスティ、そして防空艦カルカッタの護衛を受けて16ノットでアレキサンドリアへ向かった。
8月15日の初の雷撃任務から4か月間で、わずか5チームで開始された278飛行隊は重巡1隻、軽巡2隻に損害を与えることに成功したことになる。その機数を考えれば大戦果であるが、この戦果を後押しするかのように、イタリア本国では雷撃機部隊の増強が開始された。まず、雷撃機の搭乗員養成用として、1940年10月26日に第1雷撃訓練隊が創設され、11月25日には第2雷撃訓練隊も続いた。そして、これらの訓練部隊から排出されたパイロットの配属先として、12月26日には279雷撃飛行隊を創設、先の話にはなるが、280(1941年2月8日)、281(3月5日)、283(7月4日)、284(11月7日)雷撃飛行隊と続いた。SM79雷撃機の大部隊の足音が、地中海に響き渡ろうとしていた。