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SM79雷撃隊奮戦す!  作者: 飛行機マン
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リビアを守れ!重巡ケントを雷撃せよ!

1940年夏、戦局は切迫していた。

開戦から2か月、イタリア海軍は既に連合国海軍に北アフリカへの補給路を脅かされていた。

トブルクの補給へ向かったエスペロ船団はオーストラリア海軍に襲撃され、カラブリア沖では戦艦を伴う大規模な海戦が生起していた。

何より問題だったのは、海軍力の不足をカバーするはずの航空攻撃がほとんど成功していない事である。

7月8日から9日にかけてのカラブリア沖海戦で、サルディーニャ島から北アフリカまで地中海に張り付くほとんどのSM79が出撃したが、戦果らしい戦果と言えば軽巡洋艦グロセスターに爆弾を命中させただけだった。

これら開戦初頭の失敗についてSM79パイロットのシミッシ少尉は述懐する。


"イギリス海軍に対して行われた対艦攻撃は、初動の段階で我々の能力不足を露呈した。開戦後しばらくは、我が空軍はイギリス海軍に深刻な損害を与え得ると信じられていたし、私自身、イギリス海軍は我々を恐れてやまないのだと考えていた。開戦当初のイギリス海軍の行動からもそれは伺えた。我々は、古典的な水平爆撃で軍艦を沈めることが出来ると机上の計算で確信していたのだ。しかし、実際は全く逆であった。現実には様々な要素が爆撃の邪魔をするのである。まず目標の速度がよく判らないし、爆撃照準器の精度も悪い。なにより、命中したとしても爆撃の威力はそれほど高くなかったのである。"


独立雷撃試験隊が早急に編成され、実戦投入された理由もこのような事情にあった。

航空省次官のフランセスコ・プリコロ将軍は魚雷を含む新兵器の開発を促進し、初動の遅れを取り戻すとさえ宣言していたのである。




"4匹の猫"こと独立雷撃試験隊は先の失敗以来、単機での襲撃に切り替えていた。

もはや、複数機で作戦を実施する余力がなかったのである。


8月23日に再度アレキサンドリアを攻撃したが失敗、27日には洋上の敵艦に向けて魚雷を投下したが避けられた。


失敗が続く独立雷撃試験隊だが、9月3日、278飛行隊に改称される。

飛行隊(Squadriglia)はおおよそ8機程度で編成されるイタリア空軍の部隊単位である。

飛行隊が複数集まり航空団(Gruppo)を組織、さらに飛行団が複数集まり飛行大隊(Stormo)が組織される。


4機では飛行隊としても不足ではあるものの、今後の補充を見越した対処と言えよう。

実戦試験の成果が出る前から、既に魚雷や、それを搭載可能にしたSM79の生産が始まっていた。

自体は逼迫していたのである。

もはや失敗が許されなくなった278飛行隊はモットーに"Pauci sed semper immites(少数、だが常に攻勢を)"と掲げ、4匹の猫を機体のエンブレムに描き、新たな敵の出現に臆することなく出撃していく。



1940年9月17日

イギリス海軍の重巡洋艦ケントは駆逐艦モホーク、ヌビアンを従えてリビア、バルディア地方に接近した。

沿岸のイタリア陸軍を艦砲射撃で粉砕する算段である。

しかし、砲撃を開始する前に雷撃機による攻撃を受けた。

278飛行隊が2機のSM79を送り出したのである。


22時40分、2機は月光に照らし出された重巡洋艦目指して攻撃を開始、ケントも対空砲で応戦した。

ケントに乗艦してこの戦いに参加したジョージ・ブランデル中尉は回想する。



"我が艦は敵機に対して激しい弾幕を展開。本能的に、これは命中するぞと感じる。しかし、眼に入るのは砲弾の炸裂だけであった。敵機は右舷から近づき、低空から攻撃を開始した。魚雷が投下されると同時に水柱が見えた、非常に巨大な水柱だった。ほんのすぐ後、大きな爆発が艦後部で起こった"


"艦全体が動揺し、使い物にならなくなった。艦橋にいながら、艦後部が脱落したかのように感じられた。艦後部が水中へ折れ曲がり、水の抵抗が増大していたのだ。一息つく間もなく、正面から近づいた敵機に機銃掃射を受けた。最初は何が起きているのか理解できなかった。銃床で壁を叩いているような大きな音と同時に、赤いワームが周囲を乱舞しているように見えた。煙突からスパークが飛んできたものと勘違いし、とんでもない恐怖に襲われた。弾丸が飛んできているのだと気づくとすぐ床にかがんだ。"



この日、2機のSM79はケントの右舷ほぼ90度から接近、距離700mで魚雷を投下し、艦後部のプロペラシャフト付近に1発を命中させた。

2機は機銃掃射した後に23時30分に帰投した。


ケントはジョージ・ブランデル中尉の回想通りの大きな損害を受けており、アレキサンドリアへ帰還させるために大変な労力が払われた。

随伴していた駆逐艦ヌビアンに曳航されつつ、現場へ駆け付けた巡洋艦オリオンに防空艦カルカッタ、他に5隻の駆逐艦に護衛され、2日かけてアレクサンドリアへ寄港した。

ケントは本国へ送られ、修理に1年を要することになる。



開戦当初は雷撃部隊を持たなかったイタリア空軍だが、こうして僅か3か月のうちに試験部隊を創設、戦果を挙げることに成功した。

これ以降、SM79はイギリス地中海艦隊を脅かすことになるのである。

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