表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステルア旅行記  作者: 芳賀勢斗
始まり?
3/16

魔女の弟子

雪音の異端ぶりが発覚して3日が経とうとしていた。

俺の体も大部治ってきてはいるが…まだまだふとした事で傷がどうにかなってしまいそうで怖い。

まだ寝たきりだ。


「はい、口開けて〜」


「んあ」


うん。

雪音に…ご飯を食べさせてもらってる。

なんか…とてつもなく照れくさいし…何より恥ずかしい。


でも手も包帯でグルグル巻でどうすることも出来ないんだから仕方なし。

落ちつけぇ俺。


同級生の女の子に食べさせてもらえるとか…


「おいし?」


「うん…食べたことない食材とか入ってそう?」


「やっぱり分かる? この世界特有? の野菜とか普通に調理してみたんだけどやっぱ分かっちゃうかな」


「まあ、味自体は普通に美味しいんだけど、食感というか歯ごたえが新鮮というか…慣れてないような感じ」


「味と歯ごたえがあってない?」


「そそ! でも別に不味いって訳じゃないし普通に美味しいよ」


「良かった」


これが…料理スキル…?

異世界の食材をこうも初っ端から美味しく作れるなんて…雪音が凄いのか…スキルの影響なのか…


「雪音って料理とか得意なの?」


「え? まぁ…休日とか自分の食べる分くらいは作りはするけど?」


「やっぱ元から身につけてる得意なことってスキルに反映されんのかな」


「む…五歌君は美味しいのはスキルのおかげって言いたいの?」


「え、ちょ、そんなこと言ってないって!」


機嫌を損ねてしまった雪音がブツブツと呟きながら俺の皿を下げる。


(まだ全然食べてない…)


「ねぇ!雪音! ごめんって!」


「もう知らなーい」


「えぇ…」


あぁ…久しぶりのご飯が…

内蔵やられてるからってここ数日間ろくなもの食べてなくてお腹すいてるのに…


「今のは君が悪いわ。女の子の料理にケチつけるなんて100年早いわよ」


「ケチなんか…はぁ…」


つけてないんだけどなぁ…普通に美味しかったんだけどなぁ…

悲しいなぁ…食べたいなぁ…


「ところで君たちは付き合ってるわけじゃないの? 兄妹でもないでしょ?」


「いや、付き合ってはないです」


「ほほぅ?」


「良いとこの君くらいの歳なら結婚相手が決まってても何らおかしくはないんだけどねぇ? 雪音ちゃんなんか結構相手とか居るんじゃない?」


「うう…確かに雪音は人気がありますから…」


「だよねぇ〜。あー雪音ちゃんいつの間にか相手が決まってたりしてー」


「なんですか、おちょくってるんですか、怒りますよ、そのご飯食べますよ」


「あはは、ムキになりすぎよ」


なんかこの魔女に完全に見抜かれた気がして少しイラッとする。

そんな俺の気を知ってか知らずかウィンナーのようないい匂いのする食べ物をフォークに指して差し出してきた。


「私も鬼じゃないからね。ほら食べないの?」


「…」


食べた。美味いけど…噛むほどに広がる香ばしさが…なんか負けたような気がした。







「それで、君たちはどこから来たのか。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかしら」


「…それ聞いたらそれこそ戦争になるかもですよ」


「なにそれ、雪音ちゃんだけじゃなく君も問題児?」


「問題児って何ですか…でもまぁ…まだ待ってくれませんか? 自分もこんな状態ですし何より自分たちすらまだ全部を理解しているわけじゃないので」


そうだ。俺たちはまだ何もわかってない。少しだけアプリの使い方と機能を知っただけでこの世界の事も何も分かっていないのだ。

そこら辺を整理してからシェルシーさんに俺たちの事を話すかも含めて考えたい。


「そっか。じゃあ気を長くして待つとするわ。それに雪音ちゃんを鍛えるの楽しいし」


「あぁ。雪音はもう魔法使えるんですか?」


「あとっちょっとかな…? 全属性持ってる規格外なくせに自分の魔力を感じることすらできないのよ。まぁ少しずつだけど前には進んでるわね」


「そう…ですか」


それは仕方ないことかもしれない。そんなの突然第三の腕が生えて動かせって言われてるもんだろ?

感覚を掴むまでは手探りなのは仕方ない。

なにせ俺たちの世界には魔法なんて存在しなかったのだから。


「君は? 魔法はどうなの?」


「わかってるんですよね」


「あ、やっぱり? 君の口から魔法に関してなんも出てこないからもしかしてとは思ってたけど」


「じゃあわざわざ傷に塩を塗るようなこと聞かないでくださいよ。…ご想像通り自分は全属性不適合です。幸い無属性ってのが多少あるみたいですけど」


「そっかぁ…全属性適合者と全属性不適合者ね」


「そう言われるとへこみますよ」


シェルシーさん。その正体は羊飼いの魔女シェルウォーコッド・シーヤ。

どれだけ有名な魔女なのかはわからないが羊飼いの魔女という名で知れ渡ってるらしく、俺達はかなりの有名人のところにたどり着いたのかもしれない。


その彼女が言うには属性持ちと言えるのは無属性以外らしい。

つまり無属性しか適合してない俺は属性持ちにはカウントされず魔法使いなんて名乗れない。


そして無属性は大抵の人が持ち合わせている何の変哲も特別性もない属性。

特徴は何にもなることができるが、単独では変化しない。

…らしい。


最初どういうことかわからなかったが、簡単にいうと魔道具と呼ばれる複雑な魔法をあらかじめ封じ込めた道具を起動させるためのエネルギー源らしい。


無くては不便だがなくても生きてはいける。


「魔法使いたかった?」


「そりゃ…使いたかったに決まってるじゃないですか」


「そうだよねぇ。でもね…魔女の私が言っても納得できないと思うけど、その気持ち拗らせちゃだめよ。じゃないと…」


【五歌君】


シェルシーさんの言葉は横から割って入った雪音の声で遮られた。

シェルシーさんに続きを聞こうと視線を向けるも、もういいよと手で払われた。


「五歌君に文句言われたから少し作り直した。食べて」


「雪音…」


てっきり食べれないものだと諦めていたから素直にうれしかった。

雪音の声こそどこか怒ってるような…そんな冷たい感じを受けるけど…差し出されたスプーンは暖かそうな湯気を出していた。

食欲をそそるスープ。ポトフに近いと思った。


「いただきます…」


少し熱い…けど


「おいしい…」


「ほんと? このキャベツみたいなやつ、甘くていい感じ。紫色のこれ、まんまニンジンの味」


なにより…


「このスープ…コンソメ味…どうやって出したの?」


「…がんばったの」


「へ、へぇ…」


「けっして、手が勝手に動いたとか才能が開花したようにひらめきが連続したとかそういうんじゃないから」


「へ、へぇ…」


戸惑ってる視線が隠せてないよとついさっきの俺なら言ってた。

だが…人は学習するからね。


このおいしいスープを取られたくはないのでおとなしく差し出されるスプーンに口を開けた。


「雪音ちゃんの料理っておいしいわぁ…一生うちに居ていいわよ」











ステータス確認。

えっとぉ…雪音。スキル・料理レベル2か。

あがったぁ…














さらに三日が経つ。異世界にこんなにもいるというのに俺の行動範囲はこのベットの上だけだ。

でも今日いよいよそれも終わる。


「体痛くない?」


「はい、大丈夫そうです」


「じゃあゆっくり起き上がって」


自分の力だけで上半身を起こす。

それだけの事なのに…


「うっ…」


「む、無理しないでよ!?」


「…大丈夫」


この痛みは傷の痛みじゃない。筋肉痛みたいな感じだ。

長い間寝たきりで色々なところが固まってしまっているんだ。


心配そうな顔で俺を見つめる雪音。

また傷が開いてしまわないかと落ち着かない。


両手を使ってやっとのことで背中がベットと離れた。


「座るのがこんなに大変に感じるなんて…もっともっと先の事だと思ってた…」


「それじゃ包帯とるわね」


取るのは胴体の一番深くて重傷だった傷のところだ。

両手の包帯は昨日取れた。

完全には戻らなかったらしく、刀身のような牙を握って切れた手のひらには一本すっと筋が残った。


手相に新たな線が加わったという事だ。


ゆっくりと包帯が解かれていく。最初のころこそ血が固まってくっついて取るのも一苦労で激痛だったが、今はするすると解けていく。血で染みてもいない。


「雪音ちゃんは何で顔なんか赤くしてるのかなぁ」


「え? …っそ、そんなことありません!」


包帯が全部とれた。空気に触れてなんだかすーすーする。


「…痕は残っちゃうんだね」


「まぁ気にはならないよ」


俺の腹には薄い筋が一本残っていた。

まぁ誰かに頻繁に見せるところでもないしな。


(これで地球に帰って、線が残ってれば体ごとこっち来てるって証明にはなるな)


「ふっ! あ…」


「ちょっ!?」


勢いに任せて立ち上がろうと足に力を込めた。

でもバランスが崩れる。フラッとしたら最期、立て直しなんてできることなく倒れるだけ。


「っぐ…もぅ! 無理しないでってば!」


「ごめん…」


倒れる寸前、雪音に支えられて倒れる前にベットに押し戻された。


「いきなりは無理だって! これで転んで今度は頭打ったらどうするの!」


「…ごめん」


立てると…思ったんだけどな…


「数日寝たくらいで筋肉は衰えないと思うから、たぶん一時的なものよ。少しずつ回復していくと思うから焦らなくてもいいわ」


「はい…」


「まぁでも、寝たきりも飽きたでしょ? 雪音ちゃんに手伝ってもらってこの回り歩いてきたらどうかしら?」


「…いい?」


「もぉ…仕方ないなぁ」


「その間、私少し出かけてくるけど余り遠くには行かないようにね。だいたいこの家が見える範囲は安全だけどね」


「どっか行くんですか?」


「仕事よ。魔女にも仕事があるの。今日から数日は続くわ。ずっとここに引きこもってる訳じゃないのよ? もう行かなきゃ…あぁー早ければ夜には帰ってこれるかしら」


「わかりました。ごはんいりますか?」


「え、えぇ…うん。一応少しでいいから残しておいてくれると嬉しいかな」


ん? なんだろう…今の不自然な間は…

それに…


「じゃあ行ってくるわね。二人きりだっていちゃつくんじゃないわよ」


「し、しません! 早く行ってください!」


少し惜しむような…悲しそうな顔をした後。俺達に背負向けた直後見せたシェルシーさんの…鋭く冷え切った眼を俺は逃さなかった。


今まで決して見せなかった彼女のもう一つの顔を見てしまったような気がしてゾクッとしてしまった。

羊飼いの魔女か…


どんな魔女なのだろうか…


「もぅ…五歌君、私たちも行こ?」


「え、あぁ…うん」


あの瞬間…シェルシーさんは何を思ってあんなに悲しそうな顔をしたのか、何を思えばあんなに冷酷な目になれるのか。

羊飼いの魔女シェルウォーコッド・シーヤとは何者なのか。


命の恩人の謎が深まってしまった瞬間だった。


















「初めて家から出た…」


「ふふーん。私が案内したげるね」


「よ、よろしく」


雪音の肩を借りながらゆっくり外を歩いた。

それにしても本当に綺麗に綺麗な敷地だ。


穏やかな丘陵の上に佇むたった一軒の木の家。隣には羊たちの居る立派な牛舎ーいや…牛じゃないからな…なんて言うんだろ…


「まず羊小屋だよ! あのねあのね! めっちゃ可愛い赤ちゃんいるの! 生まれたての!」


「へぇ〜あ、シェルシーさんが羊の様子見てくるって…それの事だったのかな」


「来てきて!」


雪音に連れて行かれるまま羊小屋に入った。


「うぉ…すげー数だな…さすが羊飼いの魔女」


「ね! 今日までずっと毛刈りしてたの…もう大変だった」


「お疲れ様」


軽く100頭は居るかな?

チワワ並みの大きさだから集まると余計に多く見える。


俺らが入ってきたことに気づいた羊たちが、ヴェーーーーーと鳴きながら近寄ってくる。


ゆっくりとしゃがんで休憩がてら少しじゃれ合う事にした。


「おぉーただでさえ小さい羊が毛刈りされてさらに小さくなったなぁ…」


ヴェーーーーー


よしよしよし、寒くないかー? まぁ、夏っぽいしねー


「君たち、五歌君は病み上がりなんだからあまりがっついたらダメだよ」


ヴェーーーーー


なんだ…?

なんか急に俺の周りに居たやつ少なくなったなぁ…


まさか雪音の言葉理解して…


あ。


スマホ起動。ステルアを開いて雪音のスキル確認。

理解レベル2…

上がってる…


「どうかした?」


「いや、なんにも?」


スキルの話してろくなことがなかったので触れないようにしておこうと決めた。














「買い物とかどうするんだろ…さすがにこの畑だけでは賄えないでしょ?」


「? この畑は実験用の薬草みたいだよ? なんか触れると焼け爛れるレベルのやばいやつがあるから近付かないでって言ってた」


「じゃあなんで連れてきたんだよ! 戻ろう!? こんな物騒な場所!」


「だって言っとかなきゃ間違って入ったとき大変でしょ!」


「まぁ…そうだけど…」


どんな実験にそんな物騒な薬草を使うのかと頭が痛くなるが…てかあの家の中にそんな物騒な代物があると思うと…うん。部屋にいよう。


「あと買い物は街に行くんだって。ここから歩いて2日みたいだけど…シェルシーさんなら飛んで数時間って言ってた」


「飛べるのか…さすが魔女」


家の周りを散歩するようにぐるりと一周した感想としては、とにかく雰囲気がいい。落ち着くような田舎の農家の空気でもあるけど、そのどれもがいい感じのオシャレな感じで落ち着いている。


周りになんもないってのもそれを引きてたせていた。


「シェルシーさんはこんな所で1人でずっと居たのかな」


「…ん〜どうなんだろ」


「雪音?」


「私、シェルシーさんって、ここで誰かと住んでたんじゃないかって思ってる」


「どうして?」


「キッチン借りた時ね、来客用の食器の他にシェルシーさんのお皿の他にお揃いのセットがもう一個あったの。…それにベットだって3つあったでしょ? 1つは来客用だとしても一人暮らしで2つは使わないよ」


「そっか…言われてみれば確かに…」


俺が借りていたベット。雪音が借りたベット。そしてシェルシーさんのベット。確かに一人暮らしで3つのベットは必要ない。


「恋人? 旦那さんかな…? でも…全然見かけないしどうしたんだろ」


「あんまり深入りはしない方がいいんじゃないかな…シェルシーさんも言ってこないし聞かれたくないことなのかも」


「そうだよね…」


シェルシーさんは美しく綺麗で、スタイルだっていい。

さらに魔法が使えるって言う普通に自立できる立派な大人の女性だ。


見た目は女子大生くらいで若めではあるがこの世界基準だと十分に結婚していてもおかしくは無いらしいし、彼氏の1人や2人居ても納得出来る高スペックな女性。


だから思ってしまう。なんでこんな所で羊達とひっそり暮らしているのだろうか…と。






「じゃあ見ててよ! 師匠に鍛えられた私の魔法!」


「お、おぅ?」


そうだ…そうだった。雪音はシェルシーさんの弟子入りすることを決めた。

本人曰く帰る前に魔法使ってみたいし、俺が治るまで暇だからだそうだ。


「シェルシーさん的には争いの火種の雪音自身に力をつけて貰いたいって所か」


誰だって戦争は嫌いだ。好き好んで戦争をしたがるやつは中に入るかもしれないが…少なくとも俺と雪音。それにシェルシーさんもそうではないと信じたい。


「違うと思うよ?」


「なんで?」


「だって、いつも【無限の伸びしろがある子を育てられるなんてっ! この生涯一片の悔いなしっ!】って言ってるよ」


「あぁ…うん。楽しいんだな…」


あの人に育成ゲーやらせたらどっぷり浸かりそうだ。


「程々に頑張りなよ」


そう声をかけると雪音は大きく深呼吸するとやがて息を止めるように固まった。


「ライト」


「おお!」


短く呟くように言い放つと、不思議なことに立てた人差し指の先端から光の玉が現れて、ほわんほわんと光を放ちながら浮遊した。


結構眩しい。色はLEDによく似た少し青みがかった白い光で、キャンプで使うランタンくらいの光量はありそうだ。


「やっとまともに使えるようになった光の魔法なの」


「すげぇー」


不思議だ…。ライターはガスを燃やして光と熱を生み出す。

LEDは電気を光と熱に変換している。


でも…この魔法の光は何が光っているのだろうか…


「触れるの?」


「良いけど、多分消えちゃうかな…上達すれば消えないって言ってたけど」


許可が降りたので恐る恐るつついてみる。


感触は…ない。熱くもないがほんのり温かみが感じられる。

けど…触れた感覚はないけど光球は俺の指に合わせて動いた。

そして少し強くつつくと煙のように消えてしまった。


「魔法…か」


とっても不思議だ。


「でも…魔法ってすっごい疲れるの」


「今のやつでも?」


「んぅ〜。これはそれ程でもないけど、火とか風とかの魔法はすっごいよ…少しやるだけで100m全力疾走した感じ」


「それは辛いね」


凄いなぁ…魔法かぁ…


そんなこんなでとっくにお昼を過ぎて一日が終わろうとしていた。

俺にとってはまともな異世界体験だからな…時間もあっという間だ。


いやイノシシとの死闘は濃すぎるほどの異世界体験だったんだけど…さ


「雪音、もうそろそろ自分で歩けそう」


「ほんと?」


今日一日中歩き回ってようやく足に踏ん張りが戻ってきていたことに気づいた。

今朝のこともあるから雪音の目は半信半疑と言ったところ。


ゆっくりと雪音の肩から離れていつも通り立ってみる。


ふらつきはしない。


「大丈夫そう?」


「うん。多少違和感はあるけど多分すぐ消えると思う」


「無理はしないでね」


ゆっくり目に自分で歩く。

ああ…1人で歩けるって幸せなことなんだなあ…





「もうすぐ夕方だね」


「シェルシーさんまだかなぁ」


一通りの案内も終わって家の中に戻った。

暖炉のあるリビングで柔らかなソファーに2人で座る。


「ねぇ?」


「ん?」


「…1回戻れない?」


「俺も思ってた」


何日間こっちに居たか…

そろそろ…あんなつまらない世界でも恋しくなる頃合…


「1回…って言うことはまた来たい?」


「…あんな怖い目にあうのは…嫌だけど…やっぱり」


「やっぱりシェルシーさんには恩返ししたいよね」


コクリと頷く雪音。


それを視界の隅で見た俺は、ポケットからスマホを取り出す。


「…あっぶな」


「どうしたの?」


「残り15%だって」


一瞬何を言ってるんだこいつは的な目を向けられたけど…


「…はっ!? 電池きれたら戻れないのっ!?」


「まぁ開けないから…そうなるわな」


「ばっか! 早く帰ろうよ!」


「分かってるって! …でもこれって2人ともスマホに触れてなきゃいけないのかな…こわくね?」


「た、確かに…でも来た時と同じ状況でやればいいんじゃない?」


「それが安全策かな」


スマホに触れてない片方がこの世界に置き去りとか笑えない話だ。







「じゃあ押すぞ」


2人でスマホを持って、ゆっくりとbackボタンを押す。


視界が真っ白になった瞬間、周りがガヤついてくる。

平野にぽつりと立つ心安らぐ魔女の家とは全然違う空気。


「くそっ! こんな時に限って文字数が多い答えっ… くそっ!」


目の前で机の上で猛烈なスピードでペンを走らせる懐かしい姿が…


「帰ってきた…」


「帰ってこれた…」


ひとまず帰ってこれたことに落ち着いた。

そして俺の仮説通りこちらの時間は進んではいなかったし、


「傷は…あるね」


ちらっと自分の腹を見て、傷跡がしっかり残ってることを確認した。

この体で化け物イノシシと戦った証だ。


「カウントは…わぁお」


「どうしたの?」


「みてこれ」


安定のインターバル時間。再びGOボタンを押せるようになるまでの時間を見せた。


「ひゃっ…120時間!?」


「約5日か…凄いな…」


たっぷり5日のインターバル。

10日ぐらいはシェルシーさんの家で過ごしたのかな…?

異世界で過ごしただいたい半分の時間を休むって事なのか…?


要検証だ。


「5日かぁ…長いね」


「次行く時はあれだね、万が一の時のためにモバイルバッテリーとか持ってかないと怖いね」


「うん。私も持ってく。小さいけど1回位は充電できるよ」


思わぬ盲点だ。

スマホの電源が切れればこちらの世界に帰って来れないことが判明した。

少し考えればわかる事だけど…危なかった。

あっちの世界でUSB電源が確保できるとは思えないしね


(あれだな…あっちの世界でも発電できる方法考えなきゃな。いくらバッテリー持ってっても使い切ることがあればアウトだから)


「この5日間は準備期間って事にしよう。丸腰で行くには色々と問題ある環境だし」


「そうだね。それで…シェルシーさんにはこの事話すの? 話さないとこっちから持っていくものとか説明できないと思うけど…」


「あ、そっか…」


どうするか…

このスマホのことを話すか…否か。


「雪音はどう思う?」


「んぅ…隠し事はしたくないって言うのはある。誰にもバレずに世界を行き来するなんていくら時間停止してても難しいと思うの。だからあっちの世界にも私たちのことを理解してくれる人が居てくれた方が良くない?」


「確かにシェルシーさんの家には誰も来る気配ないしね。でもずっといる訳にもいかないしなぁ…」


実際雪音の言う通り俺達が転移することに関していえば誰も疑うことは無いかもしれない。

でも持ち物とか些細な変化が説明が付かなくなる。

それの一切をシェルシーさんの家で完結できれば良いのだが…今は居候の身だからあてには出来ない。


「将来的には打ち明けないといけないよね…」


そこで懐かしい授業開始のチャイムがなった。

あぁ…本当に懐かしい






















「なんかすっごい疲れた」


「私も…もう眠いよ…」


それはそうだ。異世界で夕方まで過ごして、そこから学校に戻り2時間目からの授業を受け終わってのだ。

気分的にはもうぐっすり寝てる時間なのだ。


「時差ボケ…のレベルじゃねぇな…」


「動きたくなーい…」


俺らが同じようにへばっているのを見ていた斉藤和春が不思議そうに振り返ってきた。


「お前ら今日そんなに疲れることあったか? 体育もないのによ」


「いや…まぁ…色々とあったのよ」


「色々?」


彼が探り深い性格じゃなくて本当によかったと思ってる。

なにせ、もう考えることをやめて自分の帰り支度を進めていた。


「んじゃ部活行ってるわ」


「いってらー」


「がんばー」


「ほんと、お前ら二人揃ってどうしたんだよ…」


彼は部活に消えた。

サッカーかぁ…ダメだ…考えてだけで疲れてきたぞ


「俺たちも帰るかぁ」


「うん…」


ゆっくりと眠気に抗いながら席を立った。


「あっ…」


思わず気の抜けた声が出てしまった。


ふらつく視界、やる気を失った足。


そうだ…忘れていた…


「五歌君っ!」


完全に油断していた。

倒れそうになった俺を支えてくれたのは…やっぱり雪音だった。

ふわっといい匂いがした。


しかし咄嗟にでた雪音の声は結構な大きさで、クラスは何事かと静まり返る。

自然と視線が集まった先には…雪音が俺を抱きしめてる”ように見える”光景なわけで…

生まれて波紋は複雑に重なり合って増幅されていく。


「わわわっ!? 雪音ちゃんが五歌君とっ!?」


「ま…まじかっ!?」


「へぇ〜」


「確かに2人とも仲良かったからねぇ」


わー聞こえてくる聞こえてくる…

やめてぇぇえ!!!

俺は心の中でそう叫んでいた。















「魔法かぁ…いいなぁ…」


1人自室で背もたれにググッと体重をかけた。

そのまま来るっと椅子ごと回転。


頭の中には雪音に見せられた光る玉を生み出す魔法が再生されている。


「水と光かぁ…その合わせ技の重複魔法…少し考えてだけでチート技しか思い浮かばない…」


少し考えてだけで本当に強そうな技ばっかり出てくる。

水でレンズを作って…とか


「俺…剣も使えないし…魔道具って強いのかな…いや強かったら魔法使いいらないか…」


アタマが完全にで戦う方向に向いているけど、イノシシに殺されかけた俺にとってはどうしても頭から離れないのだ。

雪音をあの世界に巻き込んでしまった責任は今でも感じてる。


だから雪音の身の安全くらいは命を捨ててでも守ってやりたいし、好きな女の子ならなおさら。


だけど…実際は雪音の方が圧倒的に強いのだ。


魔法…魔法だ。世界最強クラスになれる素質を持ってて雪音しか扱えない魔法もきっと沢山出てくる。

オンリーワン。

完全に主人公設定な雪音を守れるだけの力は俺にはない…

それくらい分かってるし…このままじゃ【守られる側】になってしまうことも目に見えてる。


情けないな…俺。


「…今から剣を鍛えたってな…上手くいっても付け焼き刃の腕じゃあかえって足でまといになるし…」


あの世界では魔法が強すぎる。

魔法使いが引っ張りだこって言うシェルシーさんの話でも魔法を使える人材の数は組織の戦力に等しい。

剣を使えるやつなんか、そこら辺にいるやつで十分だが魔法は先天性なもので絶対数が少ない。


取り合いになるほど貴重なのだ。


それに溢れた俺はそこら辺の一般人…村人と変わらない。

弓や剣すら使えないのだからそれ以下だ。


「成り上がり…もの…にもなれないか…手段がない。本当に…ない」


「…行き着く先は武器…だよな」


一般人が簡単に強くなるには…やっぱり武器しかない。


ふと部屋の隅に立てかけられたエアガン達を見る。

ちなみにミリオタだったりするけど、そこまで知識は深くない。

にわか…よりはって感じ?


「武器って言ってもなぁ…銃なんて簡単に手に入らないし…触れることすら難しい。刀だって同じだしなぁ」


しかし生憎とこの国は武器に対して本当に厳しい。

散弾銃やライフル銃を手にするには免許が必要だし、おいそれと取れるような金額でもない。

なにより俺はまだ未成年。

エアライフルなら希望はあるかもしれないが…あのイノシシにそんなの使ってどうなるって言うんだって話だ。

せめて散弾銃のスラグ弾。ライフル銃が望ましい。


調べるまでもなく5日で手に入るようなものでは無い。


「刃物系…包丁に毛が生えた程度のしか無いよなぁ…」


大手ネットショップにはいろんなサバイバルナイフが売られているが…ナイフで何とかなるほどあの世界は生優しくない。

ナイフで事足りるなら剣という単語は出てこないのだ。


「でも…ないよりは…マシか」


適当に刃渡りが長そうな商品をカートに入れる。

長そうなって言っても日本の法律の範疇だ。剣と言うより短刀…にも満たないかなぁ…


丸腰よりは…って言う基準だ。日本で合法的に手に入れることが出来る武器なんてたかが知れてる。


「あ…弓…コンパウンドボウか…弓って実際強いのかな…」


正直矢の威力は理解出来てない。

細長いボッコが体に刺さる…ってのは痛そうだしほっとけば死ぬんだろうけど…動物って殺せるのかな…

鹿だってライフル銃で肺とか心臓撃ち抜かれても死にものぐるいで血を吹き出しながら数百メートル走るのだ。


体内をぐちゃぐちゃにかき乱す弾丸を食らってもその程度だ。


上品にサクッと刺さった矢がどの程度の威力なのかと疑問が湧き上がる。


「ボウガンで撃たれたカモだって死なないし…多分意味ないよなぁ」


やっぱり売られている武器っぽいのはその程度だった。


短いため息をついてスマホの電源を落とす。


「あぁ…充電しとかなきゃ」


やっぱり眠いな…とベットに体を投げ出す。


「匂い…違うなぁ…」


木の温もりがないこの家…不思議なことに物足りなさを感じていた。


(に〜ぃ〜! ご飯〜…って寝てるのかよ…めっずらし)


妹の声が聞こえたと思ったけど…俺は…お休みだ。




















ポちゃんと雫が水面を叩く。


「家のお風呂…久しぶり…かぁ…」


湯船の中で雪音は思いっきり体を伸ばす。


(はぁ…色んなことあって10日も経ったのに…こっちでは何ら変わってないっていうのも…不思議な感覚)


真っ白な肌がお湯に濡れる。

高校生にしては平均的な体のバランス。いや、胸に関していえば周りより少し大きいが巨と言われるほどてもない大きさはあった。


(五歌君が守ってくれなきゃ…私今頃…)


自分が今ここでお風呂に入れていることに考え深い思いを抱いた雪音。


”行けよっ…行ってくれよ! 俺のせいで…雪音が死んじまったら…死んでも死にきれないからっ!”


あの震えながら五歌君が叫んだセリフが今でも鮮明に思い出せる。


初めて怒鳴った声を聞いた。

初めて震える五歌君を見た。

初めて命をかけて守ってもらった。


そして…今初めて…


”2人って付き合ってたの?”


「っ!!!!!!」


のぼせたように顔を真っ赤にしたと思ったらバシャッと湯船から飛び出して、忘れるように体を拭く。


「違うもん…みんな…みんなの誤解だもん」


パジャマを着てドライヤーで髪を撫でるように乾かす。


「私五歌君に抱きついたわけじゃないしっ! 咄嗟に体が動いただけで…五歌君が悪くて… 別にそういう気持ちがあるわけじゃ…ある訳じゃ…」


「五歌君に抱きついたんだ」


「ふぇっ!?」


「ねえねぇ、五歌君って誰? もしかして朝一緒に学校行ってる子?」


「な…なんでそれ…てかお姉ちゃんっ! 盗み聞きしないでよっ!」


「いいじゃない別にさ、で? 五歌君に抱きついて、雪音ちゃんは五歌君に気があると? よくわかんないなぁ…抱きつく関係で?」


「だから違うってば! 五歌君はただの…ただの友達…だった…はず」


なんでだろう…

友達って言えなかった。無意識に拒絶した?

え、なんで? どうして?


10日…あの10日間で…何が変わっちゃったのかな…


この世界とは別の世界で五歌君と同じ屋根の下過ごした10日間…

大怪我して弱々しいか姿だった五歌君を介抱した10日間…

ご飯を食べさせてあげた10日間…

ご飯を作ってあげた10日間…

魔法を使えた10日間…

五歌君といて…いつの間にか楽しくなっていた10日間…?


違う…そうだけど…違う。


やっぱり焼き付けられているのは、恐怖で震える体でも私を守ろうと立ち塞がってくれたあの背中…。

あの震える背中が…焼き付いて離れない。


思い出す度に胸が痛くなる。


「ふふ、若いっていいわねぇ〜今度彼氏紹介してねぇ」


「だから彼氏じゃないの!」


「じゃあ彼氏になったらよろ〜」


「もうっ!」


からかわれても内心満更でもない自分がいることにさらに赤面する雪音だった。















「見られてる…」


「そうだなぁ…」


たまたま家を出る時間が重なったのか、ばったりと地下鉄のホームで雪音と会った。

まぁ同じ通学ルートなんだし…当然か…


そんな感じで一緒に登校したのだが…


(噂って本当だったんだね)


(わぁ…雪音様が…)


顔も知らぬ人にコソコソとされているのは…結構きついし、そもそも聞こえてるんですけど


「雪音って雪音様って呼ばれてるの?」


「知らないっ!」


昨日の一件からもうここまで広まってるとか…まじで雪音の人気ぶりを見誤っていた…。

アイドルのスキャンダルかよってレベル


教室に入っても注目の的にされるのは変わらなかった。


「おいおい、いつの間にかお前も成長したんだなぁ…俺は嬉しいぞ…だってなぁお前ったら初恋の…ゴファッ!?」


「うるせぇ、その口閉じろ大バカ野郎。…今日は宿題一切見せんからな」


「な! 俺は親友の成長に深い感銘をだな!」


「だから違うんだよ。それに中学の時のあいつは全然初恋なんかじゃねぇよ…」


その後も必死に俺のノートをあの手この手で求めてきたが、今日は見せないことにした。バカにバカにされる屈辱を味わったことがあるだろうか。

これはなかなかきつい精神攻撃だ。


「あいつって誰? 五歌君の初恋の相手かぁ気になるなぁ…」


「何その顔…笑ってるけど笑ってないよねそれ」


「ねえねえ普通に気になるから話していいよカズくん。なんなら私のノート見せてあげるからさ」


「まじか! ありがてぇ! 喜んで話すぞ!」


「買収されやがった…別に大した話じゃないんだけどなぁ」


ベラベラと口を止めない和春に時折後ろから蹴りを入れる場面もあったが、まぁ色々話されたけど結論としては…


「ただ単にその子に借りたものを返そうとしたけど話しかけることが出来なかっただけなんだけどな」


「だってよ、お前ったらあの子を前にしてモジモジと顔赤らめてよぉ? まじで楽しかった」


「はぇ…全然初恋なんかじゃないんだ…へぇそうなんだぁ…」


「では雪音さん? そのノート…」


「え、だって初恋の話じゃなかったでしょ? 約束違うもん無効〜」


「うっわ! こんなに時間使わせておいてそれかよっ! 畜生めっ!」


「総統閣下はさっさとペン持って自分でやりましょうねー」


いつもの…平和な日常だ。



















そこは暗かった。

光の刺さない暗黒の世界。耳をすませば微かな生き物のざわめきが聞こえてくる。

後ろ、前、上、横。

色んなところからカサカサと生き物の音が聞こえていた。


そんな暗闇にホワッと赤い光が差し込む。


「…やっぱり俺らだけで突入するのは無理がありますよ…調査隊として大勢でまた来ましょ?」


「バカ言ってるんじゃねぇよ。調査隊になっちまったら財宝は山分けじゃないか! そんなススメの涙程度しか貰えないなんか、割に合わねぇよ! 最初に見つけた俺らは財宝を独占する権利があるんだぁよ」


「そうですけど…」


彼らは松明で暗闇を照らしながらゴツゴツした岩肌が目立つ悪路を歩いていた。

下手に転べば怪我だけじゃ済みそうにない過酷な足場だ。


「おい魔法使い、敵は居そうか」


「…いる。沢山。でも、まだ下の階層」


「やっぱり探知系の魔法使い雇っといてよかったな」


目が金色に輝いているようにも見える彼女。

このパーティー唯一の魔法使いであるティアナ。ティアナ・ブランディーネが暗闇のさらに向こうを見つめていた。


「ん、分かれ道。右か左かの2択」


「どっちでもいいが…分かれ道の先の様子は分からないのか?」


「右は静か。左は少し物音がする」


「じゃあ右で決まりだな」


松明の灯りは右に曲がる通路を照らし一同は静寂な暗闇の中に靴音だけを左響かせた。


「本当にモンスターは居ないようだ」


「いやぁ〜案外攻略も夢じゃない感じですかね?」


この洞窟をたまたま発見した彼らは今まで一切魔物などのモンスターに遭遇することがなく進んできていたため、攻略も不可能では無いかもしれないという夢を抱き始めていた。


(おかしい…なんも聞こえない…)


ただその中でティアナだけが正体のわからない不安に襲われていた事など他のメンバーは知らない。


「…止まって」


「ん? 何かあったのか?」


ティアナの制止の声に一同が不安そうに足を止める。


「おかしいの。さっきの分かれ道から全く音が聞こえない。下の階層で蠢いていたモンスターの声も何もかも聞こえない…これ以上は危険」


「な、なにを言い出すんだよ…! ここまで来てビビっちまったのか? モンスターが居ないってのはいい事じゃねぇか!」


「違う…そうじゃ…なくて…」


ティアナ自身も確信があったわけではなかった。冒険者としての経験もスキルもまだまだ未熟で、このパーティーに選ばれたのもこの魔法の才能があっての事。

でも”音”がこんなにも聞こえないことを知らない彼女にとって、このあまりにも不気味な静寂は逆に心をざわつかせるのだ。


でも、そんな理由で彼らを止めることは出来なかった。


「これはイレギュラーだからな。財宝でも見つかったらちゃんとお前との契約金も倍にしてやるからよ」


「…」


了承した訳では無い。ただ1人ではこの洞窟から抜け出せないし、その勇気もない。だから彼らが引き返さない以上…ついて行くしかないのだ。








 ̄ ̄ ̄ ̄来ないで…


「っ!?」


「なんだ今の声!」


突然耳元で女の子の声が聞こえて一同がざわめき出す。

自分だけじゃなかったんだと思ったのもつかの間。


「くる…」


「なんだ! モンスターか! 数は!?」


私は恐怖に足が震えた。杖に抱きつくように崩れ落ちる。


「おい! 魔法使い! しっかりしろ! どのくらい来るんだ!」


「…わかんない…沢山…前も後ろからも…沢山…」


「…な」


「そ、そんなっ!?」


彼らの顔には絶望が満ちていた。

なぜ、なぜこうなったのかと。

なぜいきなりこんなに囲まれてしまったのかと…


「おびき出された…」


「ここは…洞窟なんかじゃねぇっ! ダンジョンだったんだっ!!」


「ひぃあっ!?」


暗闇から無数の光る目が現れた。


「あぁ…ああ…おしまいだぁ…こんな数…」


「狼狽えるなっ! 敵はゴブリン! いくら数がいようと…なっ…」


闇の奥からさらなる足音が響いてきた。ズシンと足元すら揺らすような巨大な足音だ。


「なぜ…こんな所に…ジャイアントオーガが…」


ゴツゴツとした赤い肌。黄色い瞳。血に飢えた形相と巨大な八重歯が彼らの心を軽くへし折る。

身長5mを超えそうな巨大な体は、1mそこらのゴブリンの中で異彩。

吐出して大きいだけあって戦う気すら奪う。


「の、ノイズショック!」


ティアナが魔法によって先制攻撃を行う。

ノイズショック。文字通り敵に対して耳をつんざく雑音を発生させて判断能力や感覚、統率を鈍らせる妨害魔法。


「き、効いてるっ!」


「ゴブリン共を片っ端から切り崩せ! オーガとなんか戦ってられねぇ!」


「あ、あぁ! そうだ! ゴブリンならっ!」


男たちは剣を抜いて構え、震えが残る切っ先を振るう。

鮮血が壁面に飛び散って、一体のゴブリンが断末魔を響かせて倒れる。


それを見たティアナは祈るように手を組んで、自らも震える体で歌い始めた。

その歌声すら恐怖から来る震えで安定しないが、ティアナはめげずに歌う。


ムートリート(勇気の詩)


音属性魔法の1つ。ムートリートは歌声を聴く仲間全体に効果を及ぼす強化魔法。

精神安定や痛覚の鈍化。精神安定から来る洞察力の向上が期待できる。


「来た道を戻るぞっ! 後方ゴブリンを突破しろ!」


魔法のおかげか、今の彼らの切っ先は迷いがない。

落ち着いて行動できている証拠だ。


「ぐっ! ステイン!」


「おうよ!」


片手剣と盾を装備する小柄な男が2体のゴブリンの棍棒を受け止めたが、あまり衝撃に両手を使って受け止めてしまった彼がステインを叫び呼んだ。

呼ばれた槍の男、ステインがすかさず盾を殴り続ける2体のゴブリンを横から同時に貫いて息の根を止める。


「助かったぜ」


ノイズショックの影響でゴブリンたちは完全に聴覚を失っていて、視覚外のことに関しては反応が遅い。


背や脇を覗かせているゴブリンを集中的に殺していく。


ゴブリンの死体が目立ち始めたその時。…巨人が動いた。


音もなく振り下ろされる鉄の棍棒。


「レンジっ!」


「っ!?」


ズドンッ!!!という何度も何度も反響する爆音がと轟く。

鉄の棍棒の威力は岩石の地面が砕け散り棍棒がめり込むほど強力。


ステインの足元にどす黒い何かがこびりついた石が転がってきた。


まるで虫を潰すかのような動作で体すら残らないほどに叩き潰された仲間の末路を見て、引いていた恐怖心が一気に戻ってきた。


「まずいっ! 陣形を崩すなっ! 入り込まれるぞっ…!」


気づいた頃にまもう既に遅し。

陣形に穴の空いた瞬間、ゴブリンたちが内側へ侵入してきた。


「このっ…があはっ!?」


目の前のゴブリンとで戦えば、背後から頭を殴られ昏睡状態で倒れればそのまま殴り殺し。

瓦解した陣形に次々と8人いたメンバーは殴り殺され、直ぐにティアナ1人となってしまった。


「や…やめてっ…来ないでっ…」


彼女は恐怖に逃げることすら出来ない。四方を大量のゴブリンに囲まれ迫り来る恐怖にただただ怯えていた。


しかしゴブリンたちはすぐに殺そうとはせずに、のそのそとティアナにに近寄って行った。


ティアナは思い出す。


「嫌だっ!!! やだヤダヤダ!!!」


ゴブリンが笑っている。薄汚い笑い声が何十、何百と重なって吐き気すらする。

それでもティアナにとっては、ゴブリン達に捕まった女性の末路の方がよっぽど嫌だった。


装備していた護身用の短刀を抜いて…


「お母さんお父さん…ごめん…なさいっ! ごめんなさいっ…」


震える刃を抑えるように両手で固く握りしめて…







生温い液体がどくどくと首を伝った。


(ごめんなさい…私の体…)


遠のく意識の中で自分の体がゴブリンたちの手によって服を乱暴に千切られ、犯され”おもちゃ”にされる感覚を味わいながら彼女は眠った。






暗闇に残された8人の死体。正確には9人が死んだこの洞窟は今はもう静まり返っていた。

ネズミが腐肉を貪る音ぐらいだ。


首を自ら掻っ切り命を絶ったティアナの死体はほぼ全裸で横たわっていた。

死してなお何十何百と弄ばれた体はもう見るに堪えないほどにまで傷つき壊れていた。

誰にも知られない死。

それが冒険者。


こんな死に方もよくあること


今回の場合…むしろティアナが自殺出来た事すら運が良かったと言えるのかもしれない。





【…また死んでしまった】


その声は誰にも聞かれず闇に消えていき、天井から染み出した水滴が雫となってティアナの頬を流れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ