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ステルア旅行記  作者: 芳賀勢斗
魔女の弟子
16/16

準備と整理

「雪音〜お風呂先入ってて良いわよ〜」


「うっ…うん。分かったよ」


五歌君の家でミリアナちゃん達と別れた私は、とりあえず落ち着くためによく行く本屋に向かった。

心の整理…って言うのかな。


そう言えばこの前買った本の続き出てるかな


新刊を確認してみるけど、見当たらなかった。


「あっ…そうだよね。こっちでは昨日私が来たって事になってるのか…」


心の整理というのはこういう事。

自分と周りの時間がズレてる。自分ではずっと前の事でも、周りからはついさっきなんだよね。


「あっち行く前…私何してたっけ…」


記憶を遡ってみるけど…やっぱり異世界の情報量が多すぎて記憶の彼方どころか、まっさらに消えてしまってる。

全く思い出せない。


「はぁ…」


まるで自分が自分でないような気さえする。

とりあえずはお風呂でも入ってゆっくりしようと服を脱いでいく。

所々ほつれてる…

結構服とかは持っていったけど…流石に森結構歩いたからね…


こっちの服装は極度に派手なものでなければ意外とあっちでも目立つことは無かった。

あっちには色々な民族…種族か。

種族特有の服装がいくつもあって、その中でも色んな宗派的なもので枝分かれしているらしい。

だから他人の服なんてあまり気にはならないらしい。


「あ…少し痩せたかな」


脱ぎ終わった時にふと目に付いた鏡に写る自分を何となく観察してみる。


「二の腕…とか…全体的に引き締まった感がある…かな?」


思えば魔法を使うにしても体力をごっそりと持ってかれるし、毎日五歌君と走ってたことを思い出す。


昨日までの記憶を遡って整理しながらシャワーで流し、髪を洗っていく。シェルシーさんの家のシャンプーとは匂いが違う。と言うか懐かしい感じがしてしまったことに自分でも驚いた。


湯船に浸かって深呼吸。暖かい…

お姉ちゃんの家のお風呂はそこまで大きくない。よそと比べたらきっと小さい方だと思う。

だからかシェルシーさんの家のお風呂の広さを改めて実感した。

足伸ばせるもん…くつろげるもん。

あれはよかっなぁ


「…ふぅ」


お姉ちゃんが入れたお風呂は大抵私には少し熱い。

でも…かえって今はそれが落ち着いた。なんでだろ


「帰ってきた…って事かな」


湯船の中で自分の体を改めて見てる。自分で言うのも変だけど肌には痣も傷一つない。綺麗…綺麗すぎる自分の体に少し胸が痛くなる。


(五歌君はあんなに傷だらけになってるのに…なんで私は…)


なんで私はこんなに…


冷静になって考えれば考えるほど叫び散らしたいほど込み上がる思いを唇を噛んで押し殺した。


(守るって言ったのに…もう五歌君だけを危険な目になんて合わせないって決めたはずなのに…)


あの日運び込まれた五歌君を見た時のあの気持ち。心臓が止まるかと思った。

五歌君の服が真っ赤に染まっていて、口が半開きでピクリとも動かないあの姿を見た時のあの時の光景。あっちに行くたびに五歌君だけが大怪我してしまう。


なんで…?


どうして私じゃないの…?


言ってたじゃん…私は化け物みたいに強いって…なのになんで私は戦ってないの…?


無限に溢れ出る「なんでどうして」が頭の中を埋めつくしていき、気づけば湯船の中で小さく膝を抱えながら沈黙を作っている。

心が冷たい。お湯に入ってるはずなのに体の芯が冷たい気がする。


「雪音〜? 随分長いけど大丈夫?」


「んあ…? え? お姉ちゃん?」


「何間抜けな声出してるのよ。私も仕事今終わったからお風呂入って寝たいのよ。早くしてね〜」


お風呂の曇りガラスにはお姉ちゃんの影が見える。

そんなに長湯しちゃった…?

私そんなにお風呂強くないのに…


のぼせる前に早く出ようと立ち上がる。


「うっ…」


軽い立ちくらみが襲う。深呼吸して湯船から出た。

お気に入り柔軟剤でふかふかのバスタオルを手に取って軽く体を拭いて髪の水気を取る。

私、そんなに髪長い方じゃないからこれでドライヤーかければすぐ乾いちゃう。


「ほんとに長かったんだ…ちょっとクラクラする…」


「どうしたのよ。雪音そんなに長湯しないのにのぼせるまで入るなんて、何かあった?」


「…ううん。大丈夫」


「…そう?」


心配そうに声をかけてくれたお姉ちゃん。

だけど…

相談なんて…できっこないよ…


「さては噂の五歌君ですな?」


「うん…そうなの …って!? 何言ってんの!?」


「あははは! 何その天然ヒロイン設定」


お腹抱えて笑うほどの事でもないでしょ!?

こっちは心が擦り切れそうな思いしてるのに…


お姉ちゃんは久しぶりに本気で笑ったと言いながら涙ぐんだ目を擦ってお風呂に向かっていった。


「雪音」


「何?もう…」


今度はどうからかわれるのかと少し身構えていたが、その予想は意外にも外れてしまった。

その時のお姉ちゃんの顔は”そう言う顔”では無かった。


「雪音がどんな事を抱えてるのかお姉ちゃん聞かないけど、雪音が嫌なことは五歌君って子も嫌な事だと思うよ。五歌君が雪音のために頑張ってくれてるならその事で雪音が悩んじゃ本末転倒だし五歌君が報われないよ。でももし五歌君のために雪音も何かしたいなら、まず雪音の今の気持ちを伝えないことには始まらないよ」


「え…お姉ちゃ…」


私の答えを聞く前にお姉ちゃんはカーテンの向こうへ消えてしまった。

きっと今話しかけても声は届く。だけどお姉ちゃんがカーテンを閉めた理由は…


「…ありがと」


いつもはちょっとした事でからかってくるし、料理だって水加減とか少し味付け失敗したことにツッコミ入れてくるし、家事しないし。

普段の日常に姉っぽい仕草はこれっぽっちもないけど…なんだかんだ言って私はお姉ちゃんが好き。


たまにこうしていい事言ってくれるから。

どんなご飯でも残さないで食べてくれるから。

私が本当に疲れてる時はやってくれるから。


あれ…でもこれ普通かな。


…それでも今は素直にありがとうって言える気持ちになれた。


「…お姉ちゃん」


「どったー?」


お風呂から少し反響した声が帰ってくる。


「異世界…って行きたいと思ったことある?」


「…異世界かぁ〜。最近流行ってるよねぇ。私の知り合いも異世界物でデビューしたし。…でもラノベの異世界って結局は作者の妄想と理想の産物。でも異世界って言うのが本当にあるんなら…そうだなぁ。住みたくはないよねぇ。使命とかめんどくさいし、世界救えとか何様よとか、魔物とか魔王とか怖いし戦争で溢れてそうだし。…だけど旅行がてら行くのはアリかな」


「そっか」


「…どうしたのかな?」


「ううん。大丈夫だよ」














「さてさて…雪音はどうしちゃったのでしょうか」


雪音と話し終えたあと、雪音のお姉ちゃんこと香坂潮音(こうさかしおね)はお湯の中でぐっと長時間のデスクワークで固まった体を伸ばす。


「五歌君なる雪音の想い人。どんな子かなぁ〜。パリピ系…は雪音のタイプではないよね。んー」


雪音の事だしヤバい人ではない事は心配してない。ああ見えて目立つことは避けたがる性格だし落ち着いてる感じの子がタイプだと予想する。

でも突然だったよねぇ。

雪音って一目惚れするような子だっけ?


もしくは突然のイベントが発生したか。


むう。気になるなぁ…


「五歌君と言い、異世界発言と言い…さっきの…」








【五歌君はあんなに傷だらけになってるのに…なんで私は】


【守るって言ったのに…もう五歌君だけを危険な目になんて合わせないって決めたはずなのに…】








お風呂がいつもより長いから心配で見に行ったら聞こえてきた雪音の独り言。

なんで…どうして…を繰り返していてさすがにやばいと感じて声掛けたけど…


「…危険な目ってなんだろ。雪音にあんなラノベのセリフみたいな重い言葉を言わせた原因…」






”異世界…って行きたいと思ったことある?”






「…まさか…ね。」


そうよ。そんなことはありえない。異世界なんて…宇宙人より非現実的。


そろそろ上がろうと体を動かした瞬間


「ひゃっ!? 冷た! なに!?」


お風呂に入ってたはずなのに突然冷たい何かに触れて全身に鳥肌が立った潮音は慌てて浴槽に目を向ける。

パッと見何も無い…けど…目をこらすと見えた。


「何これ…氷…? なんでこんな物がお風呂に…」


一欠片の氷。お湯で既に消えかかってはいたが確かにそれは氷だった。

もちろん自分が持ち込んだりなんかしてない。雪音が…?

いや意味わかんないし、お風呂に氷入れるとか聞いたことないし。


それにお湯の中で氷が長持ちするとは思えない。この氷がここに入れられたのかはわからないけど、そう時間は経ってないはず。


「異世界…」


無意識に呟いてしまうが直ぐに首を振って自分で否定する。

ありえない。

魔法だとでも言うの?


いやいや私も物語書く仕事してるけど、ファンタジーを現実に求めたりはしていない。


だけど…だけどこの氷はなんなの…?


考えれば考えるほどにありえないと言い聞かせた自分が信じられなくなっていく。



お風呂に氷が浮かんでたって言う怪奇現象に顔を顰めながら浴室を出る潮音だった。


















「よーし。ネットがあるって偉大だなぁ!」


ミリアナが由良の部屋に行ってからというもの、母さんからの視線がちょくちょく感じるから俺も自分の部屋へ向かった。


「調べなきゃな。あっちで役に立つものも含めて」


戦闘用と生活用。どちらも俺のスマホのライブラリだけでは不十分なところが目立った。


今の俺のレベルは40かそこら。召喚できる総量も40kgって所だ。小銃程度ならなんとかなると思うけど武器弾薬、その他の重火器も考えると…まだまだ心もとないレベルだ。


「重火器っても…RPGとかカールグスタフって何キロなんだろ」


調べると1番新しいカールグスタフで6.3kg。弾頭はもう少し詳しく調べなきゃ行けなさそう。

RPGも発射機が7kg。こちらも弾頭はパッと見ても重量は乗ってなさそうだ。

パンツァーファウスト3が全部込みで15kgらしい。

まぁカールグスタフもRPGの弾頭もそんなそんな変わらんだろう。


つまり2発撃てればラッキーって感じだろう。

当然あてには出来ないな。用意するにしても毎日少しずつ召喚していくしかない。


「銃って言ってもなぁ…サバゲーじゃないんだしそんなたくさん銃沢山あってもって感じだよな実際」


7.62mmのライフル銃としてはM14に文句はない。反動のでかさは口径によるものなのでこれは仕方ない。軽くするには銃の重さを増やせばいいのだが、それはもちろん使いづらさに繋がる。

銃口にバレットみたいな巨大なマズルブレーキを付けるというのも1つの手たが…そこまでする予定は無い。巨大すぎればフロントヘビーになるしね。


「そうだ。7.62mmの徹甲弾が欲しかったんだよ」


きっかけは言うまでもない。あのジャイアントオーガ戦だ。頭を一撃で抜けていればよかったものを、あいつの頭蓋骨はあっさりと7.62mmを弾きやがった。


7.62mm×51 NATO AP 検索


直ぐに検索をかける。さすがはネット社会。知りたいものが一瞬で出てくる。


「XM1158 ADVAP…? 弾芯はタングステン?」


凄いな。タングステンといえば日本の戦車の徹甲弾、APDFSだったか…それと同じだな。初速帯が全く比較にならないから比較のしようがないけど、これは確かに貫通力はありそうだ。

現代の戦車砲は音速の数倍と言う想像できない速さで衝突するタングステンや劣化ウランなどの砲弾が、装甲に衝突した時に生じる超高圧下で引き起こる物理現象を利用したものだ。


簡単に言うと紙を指で突き破るのとは少し違う事。


弾性限界…?だったか…。物体が形を保てる限界…?を超えさせることで装甲の硬さという概念を無視出来るというもの。つまり砲弾と装甲が互いに硬さという概念を取り払われて、どちらとも流体化して飛び散りあう…らしい。

でもって装甲も流体化して減って行き、砲弾も先端から流体化して短くなって行く。そして最終的に残った方が勝利。装甲が残れば非貫通。砲弾(侵徹体)が残れば貫通という事になる。どちらとも残ったら…矢がぶっ刺さったみたいに一体化するらしい…


まぁここまで言ってなんだが…7.62mm程度の初速ではこのユゴニオ弾性限界と言う現象を引き起こすには圧倒的にエネルギーが少ない。

ここで言うタングステンとは比重が重く硬いため、通常弾と同じ初速の場合にはタングステンが含まれるAP弾の方が高いエネルギー指数になる。


更に硬いタングステンは対象に衝突しても変形しにくく、純粋に貫きやすい。


まさにスマホのタッチペンで厚紙を突き破るのと、シャーペンで突き破るのとではどちらが簡単かと言う話だ。


まぁ…俺のレベルをアホみたいに稼ぐことが出来ればきっと戦車でも召喚できるんだろうけど…

どうかなぁ…召喚しても使えないしなぁ…


戦車の動かし方なんて普通分からないし、ましてや現役の戦車となると俺みたいな一般人なんかが知り得る情報ではない。


戦車、戦闘機、攻撃ヘリ、護衛艦などなど…召喚できても色々な理由で使えない兵器って言うのがかなり多い…。


「とりあえず個人装備レベルならギリギリってことだよな」


銃なんかはだいたい同じ操作だ。将来的には恐らく銃より複雑なカールグスタフとかの対戦車兵器も使えるようにはなっておきたい。


とりあえずは銃をあらかた召喚できるように画像だけは落としておく。俺のスマホはオタク特有の無駄に128GのMicroSDカード入ってるからな。

バックアップとかも考えといた方がいいかな。SDカード死んだらやばいし。


今までメインで使っていたM14はいわゆるバトルライフルと呼ばれるもの。

アサルトライフルの1部と言われたり、アサルトライフルとは区別すべきとか色々な説があるけど、まぁ7.62mmの弾を使うアサルトライフルだ。

バトルライフルは基本的には近接から長距離まで使用できるが、用途が広いだけあって室内や市街地、森林等ではかえって使いずらい。長距離ではボルトアクションのスナイパーライフルには劣る。

まぁ当たり前だよな。長い分狭い環境だと取り回しが難しくなるし、反動が強い7.62mm弾を使うから近距離で火力が必要な時に使うフルオート射撃が困難になる。

基本的に自動小銃な訳だから可動部も多い。だから狙撃に特化した狙撃銃には勝てない。


悪くいえば中途半端。よく言えばオールラウンダー。


「異世界の魔物だと7.62mmが最低ラインと見ていい。あのイノシシなんかはM14が十分通用する。オーガは…そうだな」


M14を頭で弾いたジャイアントオーガは基本的には俺たちが出会わないはずの存在だ。しかしだからと言って対策しないというわけには行かない。

あれを遠距離から安定して倒すには…やっぱり12.7mmは外せないよな


みんな大好きM82A1。いわゆる対物ライフルのバレットはもちろん前から画像は持ってる。


あの時はレベル不足で召喚できなかったが、オーガを倒して大幅にレベルが上がった30レベの今ならまぁ運用はできるだろう。あれ確か10数キロだったろうし。

12.7mmの弾薬は巨大で重量もそれなりにある。

これも毎日少しずつ増やしていけばたくさん撃つ訳では無いので問題は無い。


「問題は俺が使えるかどうか…か」


ぶっちゃけ撃てないことは無いだろう。反動に弄ばれるものの小学生でも撃ててしまうのだ。

狙撃銃となると話は変わるが、きっと数十メートルなら何とかなると信じる。


正直オーガみたいなやつに近づきたくはない。だから遠距離から確実にしとめられる対物ライフルはこれも外せないのだ。


俺には銃意外の特異な能力はない。

体だって普通に傷つくし、魔法で身を守ることも出来ない。

超加速も瞬間移動も使えやしない。


俺が殺しにくる敵と立ち回るには安全圏から攻撃するしかない。


その後、どんな状況でも何とかなるようにあれやこれやと銃の画像を選定して保存していく。

市街地、森、砂漠、平野、山岳。そして洞窟。異世界に存在しうるありふれた設定と妄想を頼りにネットをさまよう事1時間。




コンコン




「ん…? 由良か?」


「お母さんがご飯だって」


「…あ、そっか」


あっという間だよなぁ。ネット怖い。


「あ、ミリアナ。ごめん、全然構ってやれなかったな」


「いえ! 由良さんがたくさんお話してくれたので」


なんかあれから不機嫌だったけど、意外とミリアナに構ってくれていたみたいだ。

そんな由良に顔を向けると…逸らされた。


「なぁ由良…」


「お母さん呼んでるから早く来てね」


「…」


どうしたものか。

由良が機嫌を悪くしている理由はだいたい分かってる。不機嫌になったタイミングを思い出せば自ずとわかる事だ。


死にかけた。これしかないだろう。


そういや…同じ理由で雪音にも心配かけた…と言うより掛けてるよな。

決して望んであの状況にしたわけじゃない。

あのイノシシに立ち向かわなければ雪音と俺は死んでいたし、オオカミの群れに飛び込まなければミリアナは救えなかった。


俺としては…あの時踏ん張って良かった。あの時の尋常じゃない痛みと恐怖に意味はあったんだとここ毎日いた雪音とミリアナを見て思っていた。





「今日は…すき焼き…?」


俺は食卓の上に乗るカセットコンロと土鍋、その脇に置いてあったすき焼きの元をみて呟いた。


「そうよ〜 お肉安かったし。ミリアナちゃんはすき焼き、食べたことある?」


「すきやき…? ないです」


「そっか。ならガッカリさせないように美味しいの作らなきゃね!」


なんだかいつもより気合入ってる母さんを見て少し申し訳ない気持ちになった。

嘘…ついてるんだもんな。

興味心身な様子で鍋を覗くミリアナと、それに答えるように準備する母をみて口を閉ざす。


そんな俺をさり気なく観察する母の視線に気づくことはなく俺は食卓についた。


「ミリアナちゃん、まずねお皿に卵を割って入れるの。出来る?」


「はい!」


卵を割るのは毎朝の料理で何度かやってるし、村にいた時も料理はしていたらしいからそつなくこなす。

小柄なせいでできないことは多々あるものの、基本的には家事全般出来る。


「じゃあ箸で掻き混ぜて、ここにお肉とかお野菜入れて食べるの」


「ここに…ですか?」


突然手が止まったミリアナに俺も由良も視線を向けた。

なんか変なことあったか…?


「ごめんなさい…私、卵を火を通さずに食べたことがなくて…」


「あ、あぁ〜。そういう事ね。アレルギーとか?」


「あれるぎー?」


「いや母さん、火を通すのとアレルギーは関係ないでしょ」


思わず口を挟んでしまう。

でも内容的には不自然じゃないが…ここは由良にバトンタッチ。頼んだ。


「…アレルギーとかじゃないと思うよ。お昼あれだけドーナツとかアイス食べたんだし」


そうだよな。卵アレルギーならあんなの食べるのは無理だもんな。


「あれるぎー…というものがわかりませんが…生卵を食べる習慣がなかったので…ついビックリしてしまって」


「確かにドイツとか生卵は食べないイメージあるし、そもそもフランスとかイタリア料理で生卵使った料理なんて知らないしね」


知らないだけかもしれないけど、これは本当に知らない。

少し考えたけど出てこなかった。

後で調べてみるか。多分サルモネラ菌とかその辺の影響だとは思うけど。


「言われてみれば…そうかも。ごめんねミリアナちゃん、私全然知らなくて」


「いえ! ビックリしただけなのでおきになさらないでください!」


誤魔化すようにミリアナは掻き混ぜる箸を動かした。

箸は俺たちといるうちに多少教えたからね。というのも雪音が持ち込んだ白米をスプーンとかで食べるのが妙に違和感があって、俺たちが箸で食べていたところをミリアナが興味を持ったという訳だ。


「手際がいいのね」


「はい! お料理の手伝いをずっとしてたので!」


その間にもグツグツと煮える鍋の中では肉や野菜がいい感じに火が通ってきている。

あまり煮過ぎると固くなるため最初の一口はミリアナのお皿に運ばれた。

湯気が立つ肉がミリアナの溶いた卵の中に入った瞬間、絡みつくように肉がコーティングされ、余熱で卵が軽く白みを帯びる。


「召し上がれ〜」


人生初の生卵だ。少し緊張しているのか口に入る手前で箸が一瞬止まる。

しかし俺たちが見ていることに気づいて一思いに口に入れた。


噛む。


1回2回と恐る恐るゆっくりと噛んでいるのが見てわかる。

きっと生卵特有のトロっとした感覚と程よく煮えた牛肉の歯ごたえと旨味が混ざって…それはもう…


「…」


だんだんと噛むペースが早くなっていく。

若干大きい肉だったから飲み込むまでには少し時間があった。


だけど


ゴクン…


「どお?」


「美味しい…美味しいです!」


目をキラキラさせながら初めて食べた生卵とすき焼きに感動したように笑顔を見せてくれた。

異世界の少女は初めてすき焼きを食べた。

それはもうパクパクと美味しそうにたいらげるミリアナはもう食事に夢中だ。

豆腐、しらたき、白菜、しいたけ。異世界にはなかったもの、似ているもの全てがミリアナの目には光って見えた。


「よく食べるわね〜」


小柄な体の割にたくさん食べるミリアナに感心するように眺める母が呟いた。


俺も久しぶりに座った食卓でそれなりに食べながらさり気なく視線を向けて、ミリアナが楽しそうな顔をしている事に少し顔が緩むのを我慢していた。

偶然連れてきてしまった時はどうなるかと思ったけど、こんなにも幸せそうにしてくれる事が今は嬉しかった。


母を亡くした直後の死んだ目したミリアナを知ってる俺は、別人のように笑って話せるまでになってくれたミリアナに安心する。


「…こんな楽しくて美味しいお料理…お母さんにも味わって欲しかったな…」


「え?」


急にしおらしくなったミリアナが呟いた言葉が母さんの口を詰まらせた。

思わず俺の箸も止まって、由良も俺の顔を見て「どうすんのよ」と訴えてきてる。


「あっ…ごめんなさい! 楽しい雰囲気を壊してしまって」


「え…あぁいいのよ別に…。あ、卵がもうしょっぱいでしょ、新しい卵持ってくるわね」


明らかにたどたどしい母さんの受け答えに、ミリアナは少し落ち込んだ表情になってしまった。

母さんがいなくなった食卓で俺は落ち込むミリアナに声をかける。


「それがミリアナの素直な気持ちだろ。別に気にすることないよ」


「そうでしょうか…」


「子供は子供らしく美味そうに食ってればいいんだよ」


「こどっ…私は…」


ぷくぅ〜っと可愛らしくほっぺを膨らまして怒ってでもいるのか?

何この可愛い生き物。

言葉使いは大人っぽいけど、やっぱりこういう細かなところは年齢相応ということか。


「確かに雪音さんより背持ちでちゃいし、色んな所で子供っぽいですけど…今に雪音さんを越えてやるんです」


「そう言えば雪音もミリアナのことライバルって言ってたな。なんか競ってるの?」


「それはもちろん五歌…はうっ」


「?」


突然ミリアナの顔が真っ赤になって、あわあわと慌て出したことにますます謎が深まる。

それを見ていた由良がヤレヤレとどうしようも無いものを見る目を向けてくる。


「デザートごちそうさま」


「デザート…? 何言って…」


「うるさいロリコン」


「はあっ!?」


そんな数分前のシリアスな雰囲気はどこへやら。

戻ってきた母さんが目が点になる程カオスな食卓になっていた。

顔を真っ赤にオーバーヒートするミリアナ。

食器を下げようとしている由良は俺に蔑むような冷たい視線を向けていて

訳が分からず由良に反論する俺の姿。


「卵…もってきたわよ〜…?」

















ミリアナちゃんどうしてるかな…


お風呂から上がって夜ご飯も食べ終わって一息ついてる私が考えたことはやっぱりミリアナちゃんの事だった。


【ミリアナちゃんどお?】


五歌君にLINEを送ってみる。今頃のご飯中かな?

既読つかないや


暇な時間が出来ると必ず思い出すことがある。思い出したくない。

だけど忘れちゃいけない。無かったことにしては行けない事だ。

私を助けてくれた人の事。


ベットで布団を抱きしめて身を小さくする。


久しぶりの私の布団の匂い。


思い出される五歌君の背中。


今でも脳裏に焼き付いて消えそうにない、かっこよくも悲しくて怖い姿。

五歌君を失うのが怖い。

私の知らないところで傷ついているのが怖い。


いつか帰ってこない気がして怖い。


あの時から私の中には五歌君で溢れていた。


「ダメだな…私」


これが恋…と言うのだろうか。でも恋と言うには少し違和感がある。

五歌君が好きってことは…きっと違わない。


「助けてくれたから好きになった…」


そこに違和感がある。

なら五歌君以外の人があの時助けてくれたら…? その人を好きになっていたの?

それは違う気がする。もっと別の理由があるはずなのに、それが見つからない。


モヤモヤとした感じが私の心を乱していく。


”雪音さんにも負けません”


「むっ…」


ミリアナちゃんの声が聞こえたような気がして反射的に気持ちが切り替わる。

私のライバルである異世界の美少女。

自然で綺麗な茶髪のショートヘアに、クリクリとした大きな瞳。

しっかりとした受け答えで一瞬子供っぽい見た目を覆い隠してしまえるギャップ。


まだ13歳くらいだからまだ良いものの、ミリアナちゃんがあのまま成長してしまえば私なんか目じゃないくらいにきっと綺麗しなる。


それ以前にライバルと呼んではいるものの、最初からミリアナちゃんには一歩出遅れていると感じていた。

見た目ではない。


私達が魔物に襲われた時、私は何も出来ずに逃げてしまった。

でもミリアナちゃんは違った。自分で五歌君の武器を拾って戦って魔物を倒した。


ミリアナちゃんは五歌君を救ってる。


「とっくにミリアナちゃんに負けてるよ…」


ため息を吐いたちょうどその時、放り投げたスマホが通知音を流した。


「五歌君かな」


やっぱりLINEのメッセージの送り主は五歌君だった。


【ミリアナはすき焼き食べて幸せそうにしてるよ】


すき焼きか。良いなあ〜美味しそうだなぁ。今度みんなで食べてもいいかも。


【雪音の方はどうなった?】


あっ…忘れてた!


【ごめんね! すっかり忘れてたよ! 今聞いてみるね!】


そうだよ。平日のあいだミリアナちゃんをお姉ちゃんに見てもらう相談しなきゃ。




「お姉ちゃん?」


「な、なに?」


「あれ、原稿もう出来きて寝るんじゃなかったの?」


「まあ調べごとをね?」


私は少し気になってお姉ちゃんのパソコンを少し覗き込む。

お風呂? 氷?


「何調べてるの?」


「えぇえっと…お湯の中で氷を作る方法?」


「そんなの出来るわけないじゃん。お姉ちゃんお酒飲んだの?」


「飲んでないわよ。だってさっき…いえなんでもないわ。それでなんか話でもあった?」


「それなんだけどね。13歳くらいの女の子。平日の間預かって欲しいなぁって」


「はい?」


そうだよね…いくらお姉ちゃんでもびっくりするよね…

でもなんかしないと。


「えっちょっと意味わからないわ。ちゃんと説明してちょうだい」


どこまで話していいんだろう…

こんなることはわかってたけど…うーん。


「ええっと…友達の…」


「嘘はダメだからね」


「…。」


やっぱり無理だった。お姉ちゃんに嘘は昔から通用しないことはわかってたけど…やっぱり話さなきゃダメかな…


「あのねお姉ちゃん」


パソコンが乗るデスクに向かっていたお姉ちゃんがクルッと私の方に体を向けてくる。


「私…」


「私ね、違う世界に行ってたの」


「はぃ…? 違う世界? 異世界って…こと?」


目をぱちぱちさせながら放心状態に見える。


「預かって欲しいって言う女の子はその世界から私たちについてきちゃった子なの」


「私たち…?」


「…五歌君」


顔が熱くなる。

どうなっちゃうかな。


「そんなの信じられるわけないじゃない? だいたい異世界なんて…」


【ライト】


私の目の前に野球ボール程の光る物体が突然出現した。


「えええええええええ!?!?!?」


前に五歌君にみせた時は指先に力を集中しなきゃ作れなくて指先限定だったけど、たくさん練習した今ならライト程度の魔法なら自由に空中を移動させられる。


「ふぁあ…あ…ええ…」


ふわふわと浮遊しながらお姉ちゃんの周りを漂う光球を凝視するお姉ちゃん。

どうしよ…魔法見せちゃった…。

でも信じて貰えないとミリアナちゃんが困っちゃう。


「私、異世界だとそこそこ強くなる見込みのある魔法使いらしいんだよ」


「まほっ…ちょっ…ちょっとタイム!」


お姉ちゃんが降参っ!って言うように私に訴えてくる。

私は光球を消滅させて、肩の力を抜くように息を吐いた。


「ちょっと雪音!」


「な、なに?」


「明日、予定空けとくからその五歌君と女の子連れてきなさい」


「えっ…明日仕事の打ち合わせなんじゃ…」


「いいわね?」


「…うん」


どうしようも…怒られちゃうのかな…。

五歌君に迷惑は掛けたくないな…

でもミリアナちゃんの為だし…でも…


まぁ結果を言うと雪音の心配は無駄になると言っておこう。













「じゃあ今日は由良の部屋で寝てなよ」


「うん」


「じゃあと宜しくな」


いよいよ寝る時間になり、もちろんミリアナは由良と一緒に寝ることになる。

それぞれが自分の部屋に入り、俺は布団に潜った。

ステルアを起動して何となくカウントダウンを確認。


「まぁまだ1日だからな」


それほど減っていない数字をみて、嬉しいんだか悲しいんだかわからない気持ちになった。

さっき雪音からもミリアナの件も一応大丈夫との連絡があった。

ただ、明日雪音のお姉さんが俺とミリアナに会いたいと言ってるみたいで、明日は雪音のところにお邪魔する予定ができた。


あと続いて雪音のお姉さんに魔法を見せて全部話したって言ってた。


「怒られるのかなぁ…異世界連れ回して危険な目に合わせたわけだし…」


胃が痛てぇ…。

でも5日も預かってもらうわけだから、説明するのは避けられない。

早めに寝るか…。そうしよう。








「それでさ昼間の話ってやっぱり本当なの? 冗談とかじゃないの?」


「私と雪音さんの事でしたら、本当ですよ?」


「なんかこうも照れひとつなく言われるのも、逆に恥ずかしくなるわね」


由良は夕食前にこの部屋でミリアナと話していた内容を思い出していた。

それはもちろん異世界の話。兄さん達の私が知らないところで起きた話。


「私、どうしてもあの兄さんがあんな大傷負いながら誰かのために命張るなんて信じられないのよ」


「そうなんですか…? 五歌さんは本当に素敵な方です。母を失ったばかりの私を助けてくれたばかりか、新しい居場所をくれて家族みたいなものとまで言ってくれました。私のわがままで五歌さんの世界に来てしまった時も嫌な顔せずにこんな素敵な体験をさせてくれました。私は五歌さんにも一生をかけてもお返しできないほどの幸せを頂いてるんです」


「それは…そうかもしれないけど」


あのパッとしない兄さんだ。女子を家に連れてきたことも、女子と遊んだところも見たことがない。学校に行って、帰ってきて、エアガンみてニヤニヤしている様な妹の私でも引きそうになったあの兄が…


そんなかっこいいことできるって言うの?


目の前でミリアナちゃんが熱弁する姿を見れば、決してそれが嘘でないことくらい分かった。

同時にミリアナちゃんが兄さんを深い意味で好きなんだと。


「五歌さんは雪音さんも同じように身をていして守っていたんです。その時はまだなんの力もなかったらしくて、私たちの師匠…魔女様が居なければ五歌さんは…今ここにいなかった程何も出来なかったのに、雪音さんを救えるかもしれない僅かな希望にかけて魔物に立ち向かうなんて…そんな人他にいません」


「兄さんが…」


世界を渡ると誰でも主人公体質になってしまうんだろうか…。


「それに…五歌さんは全属性使えるとんでもない雪音さんとは違って、魔法は一切使えないそうです。だけど…そんな雪音さんの隣に居続けるために必死で毎日悩んで…たまにとっても悔しそうな顔をしているのを私は知っています」


「えっ…ミリアナちゃん?」


急に自虐的になってしまったミリアナに体を向ける。

そこには少し寂しそうな表情で肩をすくめるミリアナが窓の外を眺めていた。


「この世界の月は1つしかないんですね…とっても寂しそうです」


「ミリアナちゃん…もしかして…」


その時のミリアナちゃんを見た瞬間に胸に湧いてきたこのモヤモヤ。

上手く言葉にできないけど、何となくわかる。

でもそれが本当なら…ミリアナちゃんが不憫でならないと思ってしまった。


「はい…私は知っているんです。雪音さんは五歌さんに好意を持っています。そして…五歌さんの心は雪音さんでもう埋まってるのです。なんでまだお付き合いされてないのか不思議なくらいにお二人の仲は硬く結ばれています」


「…」


「だから私は雪音さん以上に頑張らないと直ぐに私の入り込める隙間は本当になくなってしまう…そう思うんです。これは…欲張りでしょうか」


欲張り…なの?

いや違う。兄さんを好きになったけど、兄さんは別の人と両思いだった。

だけど…それを理由でミリアナちゃんが諦めなきゃいけないの…?

違う。絶対違う。


兄さんと雪音さんはまだ付き合っていない。付き合ってる中で外から割ってはいるのはどうかと思うけど、そうじゃないなら諦める理由はない。


「違うよ。ミリアナちゃん、それは違うと思う」


「由良…さん?」


「全然欲張りなんかじゃないよ。雪音さんは確かに凄い美人で兄さんも惚れてるのかもしれないけど、それを理由にしてミリアナちゃんが引き下がるなんておかしいと思う。私に熱弁するくらい好きならそんな程度で諦めちゃダメだよ! 絶対だめ! こうなったら雪音さんと全面戦争だよ!」


「せっ戦争!?」


「私はミリアナちゃんを応援する!」


「由良さん…本当に五歌さんの周りは素敵な人ばかりなんですね…」


それから私たちは夜遅くまで”本当の友達”みたいに話が絶えなかった。

いつの間にか2人とも寝落ちしていて、様子を見に来た母さんに部屋の明かりを消されたことは私たちは知らない。



「…っ おトイレ…確か…」


夜中、1人起きたミリアナは隣で熟睡する由良を起こすのも悪いと思い、1人でトイレに向かった。

階段を降りて突き当たりの扉だったはず。


あくびをして目を擦りながらゆっくりと階段を降りてゆく。

まあそんなに広くない家だ。迷うことはなくスムーズにたどり着いて用を足す。


「ふぁあ…」


階段を登って、元来た道をたどり部屋に戻る。

お約束のように部屋を間違えて、五歌の布団に潜り込んだミリアナ。


「おやすみなさい…」




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